第百九十話 ヘッドハンティングはする方もされる方も優れてないと始まらない。
目が覚めた瞬間、ほんの一瞬ではあるが、自分が何者なのか分からなくなるときってないだろうか。
分からない…と言うより、自分を見失う…と言うより、どちらかと言えば、自分が何者でもなくなっている…と表現した方がいいような、宙ぶらりんな感覚。
その感覚は、二、三回瞬きをするうちに消えてしまうのだけれども、案外自分は嫌いじゃなかったりする。安堵を感じるのだ……嫌な夢を見た後なんかは、特に。
魔王城の自室の寝台で、俺は眠りから覚めて上体を起こした。自分が何者でもない瞬間はとうに過ぎて、今はちゃんと魔王ヴェルギリウスで、ちゃんとリュウト=サクラバである。
「……陛下?」
横で眠っていたアスターシャが、俺が起きた気配に気付いて目を開けた。普段かっちりしている彼女の寝起きは、ギャップも相まって非常に可愛らしい。
「すまない……起こしてしまったな」
「いえ。…何やら、うなされておいででしたね、陛下」
え……俺、うなされてた?まあ、確かに……
「少し、夢見が悪かっただけだ」
地上界であんなことがあったもんだから、色々と思い出してしまったのだろう。結果オーライだったとは言え、あの頃の記憶は俺にとってただの悪夢だ。
キアが何を考えていたにせよ、二千年の時を経て出た結果がどうであれ、あの時下した俺の決断の意味が変わることはないのだから。
「陛下も、夢をご覧になるのですね」
アスターシャが、そっと指先で俺の頬に触れながら言う。
「夢…といっても、お前たちのそれとは少し違うかもしれないが…」
その鮮明さも、その鮮烈さも、地球で桜庭柳人をやっていたときのものとは、比べ物にならない。
救いとなるような曖昧さなどなく、ただただ過去の光景をありのまま突きつけられるだけだ。
キアとの思い出に限らず。
天地創造の頃から、エルリアーシェとの決別に至るまで。
嫌な夢だけではないというのが、またタチが悪い。
桜庭柳人の頃の夢…主にそれは悠香の夢…を見ているときは、幸せな気持ちと共に(それが夢だと気付いているからか)言いようのない切なさを抱くのだが、ヴェルギリウスの過去は、それが例え幸福な時間の記憶だったとしても当時はその自覚がなかったせいもあり、容赦ない絶望を俺にビシバシ突きつけてくる。
夢を見ることは滅多にないのだが、その分見たときのダメージは結構デカい。そういう意味では、目覚めたときに傍らに他の誰かの気配があるというのは、多少の救いである。
寝起きにもう一度アスターシャを抱いてから、俺は手早く身支度を済ませ、ギーヴレイに先んじて執務室へ。
ここ最近はすっかり奴のペースで仕事をさせられている感が強い。たまには、言われる前に行動して感心させてやる。
アスターシャはそんな俺を見て苦笑していたが、何も言わなかった。
キアとアルセリアには馴染むための時間が必要ということで、少しの間二人きりにしてある。互いに抱いていた反目は既に解消されているが(過去で何があったのか追及するのは怖い)、存在値の格差が激しいので、このままアルセリアがキアを使用するのは少々危険なのだ。下手をすると、二人の意志には関係なくアルセリアまで“焔の福音”に取り込まれてしまいかねない。
必要なのは、慣れ。力の差を自覚した上で、それをどう御するか。折り合いを付けて、バランスを取ること。
そのあたりは、いくらなんでも“神託の勇者”なのだから、上手くやってもらわないと困る。
で、その間俺は、魔界へ戻って自分の用事を済ませてしまおうという腹だ。
仕事と言っても、書類仕事ではない。
いや、書類仕事も相変わらず溜まりまくっているのだが、今回の主目的はそうではない。
事の発端は、一か月ちょっと前に遡る。
「御前試合というのは、如何でしょうや?」
発案者は、ルクレティウスだった。
何がと言うと、欠員になっている武王の補充をどうするか、ということである。
なにしろ、六武王とは魔界の最高幹部。
そこら辺にいる奴を適当につかまえて任命するというわけにもいかない。
どういう基準・方法で選抜と任命を行うべきか、武王たちと話し合っていたのだが。
武王に相応しい実力者と言っても、広い魔界で闇雲に探すのはあまりに非効率。で、あるならば
「さすれば、魔界中より腕に覚えのある猛者が集結いたしましょう。その中で競わせ、適任者を探すのです」
「それは面白そうではありませんか。今までにない大掛かりな催しになりそうです」
真っ先に賛成したのは、アスターシャ。こういう体育会系のノリは大好物だったりする。
脳筋二人はいいとして。
頭脳派の残り(悪だくみ派とも言える)は、どうだろう?
「…確かに、いい案かもしれません。陛下のご威光をさらに広めることにもなるでしょう」
ギーヴレイも、早々に賛成。
「今まで陛下は、あまりお姿を示されることが少なくいらっしゃいました。そのせいで、未だ御身の実在を認めぬ愚か者もおります。この機会に、陛下の治世を広く知らしめることを愚考いたします」
ギーヴレイにとって、欠員補充よりも俺の権力誇示の方が大事そうな言い方だったりするけど。
続くディアルディオも、
「んーーー、いいんじゃないですか?でも、優勝者は武王に登用、とかってのはやめた方がいいかもですね。武王って、強ければいいってものじゃないでしょ?」
けっこう建設的な意見を述べたりする。
「それは無論だ。あくまでもこれは御前試合。その中で強さを含め総合的に相応しきものを見定めて、最終的には陛下がご判断なさるのがいいかと」
「でも、だったら何か優勝賞品とか、あった方がよくない?そしたら参加者も多いだろうし。分母は大きい方が、選びようがあるし」
「…ふむ。それは陛下がお決めになること。だが、案としては悪くない」
「でしょ?僕としては参加賞とかもあったら面白いと思うけどさ」
ギーヴレイと話が盛り上がっている。
が、参加賞とか、ディアルディオの感性がやけに庶民じみているのが気になるんだけど……。
いや、俺も福引には残念賞が欲しい派だけどさ。
さてはて、流れは御前試合開催に傾いている。
俺は、ずっと沈黙したままのフォルディクスに視線を向けた。
黙りこくってないで、少しは意見を出しなさい。君も武王でしょ。
「………陛下がよろしいのであれば、異論はありません」
殊勝だが熱のこもらない返事が返ってきた。表情からは、内心で賛成なのか反対なのか分からない。
分からないが、多分俺に思うところがあるだろうことは、感じ取れた。
フォルディクスのこういう態度は、今に始まったことではない。
形は違えども揃って「魔王バカ」の他四名は、そんな彼の不遜な態度に苛立ちを隠せないが、さりとて明確に叛意を示しているというわけでもないので、咎めることも出来ずに悶々としている。
俺としても、彼に関してはどう扱っていいのやら考えあぐねている状況だ。
かつてであれば、例え忠誠を誓っていたとしてもただ気に入らないという理由で臣下を追放したり処断したりといったことがあったが、今はそういう理不尽な真似をしたくない。
かと言って、臣下である彼にご機嫌取りのようなことをするつもりもない。もし彼が、かつてのような暴虐の君主を望んでいるのであれば、俺は彼の期待には応えられないだろう。
そしてその場合は、残念だが自分の望む姿の主を見付けろとしか言えない。
出来ればきちんと彼の話を聞きたいものだが、俺が水を向けてもすぐにはぐらかされてしまう。
何て言うか、反抗期の息子に手を焼くオカンみたいな。
明らかに不満を持ってるのに、聞いても「別に」とか「普通」とかしか返ってこない…みたいな。
俺、武王たちのオカンまでやるつもりはないんですけど……。
フォルディクスへの対応はさておき、話はそのまま御前試合ということでまとまってしまった。実務的なことは、当然ギーヴレイ先生に丸投げである。
結果、魔界全土に御前試合開催のお触れが出されることになった。
参加者数に応じて地区別に予選を行い、そこで選出された各地の代表が魔都イルディスにて御前試合に臨む。優勝者は、魔王に自分の望みを、何でも一つだけ聞き届けてもらえる(ただし魔界統治に差し障りないものに限る)というわけだ。
流石に、参加賞は見送られた。いくらなんでも庶民的すぎるし、ギーヴレイ曰く、魔王に謁見できるというだけでも、魔族たちにとっては十分な褒美らしい。マジかよ。
自薦、他薦は問わず。単騎での戦いという以外は、制約なし。自分の肉体で戦うもよし、魔導を使うもよし、強けりゃ何でもOKなトーナメント方式。
……と、ここまでは周知事項で。
実際の目的は、参加者の中から武王に相応しい人材を見極めること。
それは、優勝者とは限らない。
何せ、一対一でトーナメントともなれば、運だとか相性だとかも大きく勝敗に絡んでくる。甲子園でも一回戦で優勝候補が互いにぶつかった結果、初出場の無名校が優勝してしまうことだってあるだろう。それと同じだ。
優勝者でなくとも、これだと思う人材があれば、武王に限らず積極的に登用していきたいと思う。
で、そのためには俺の観覧が不可欠なわけで。
…と言うか、御前試合なのに王が不在とか、ありえない。
そんなこんなで一か月にわたり魔界各地で予選が行われ、とうとう本戦開始と相成ったわけである。
俺はそれに合わせて、魔界に戻って来たのだ。
「首尾はどうだ?」
執務室で待ち構えていた俺は、入室してきたギーヴレイに開口一番訊ねる。
俺が朝早くから執務机の前に座っていることに、ギーヴレイは間違いなく驚いたはず。
しかしそんなことはお首にも出さず、しかも唐突な俺の質問に戸惑うこともなく。
「は。上々でございます。必ずや、陛下のご期待に添えるかと」
「それは楽しみだ」
……なんか、打てば響く、があまりにスムーズすぎてつまらない。
たまにはギーヴレイの慌てふためく顔が見てみたいものだ。
まあ、それはさておき。
楽しみだと言ったのは本音である。
魔界中から選りすぐられた猛者たちが今、このイルディスに集結しているのだ。さぞや見応えのある催しとなるに違いない。
大戦時と比べると力ある者が減ったのは、天界や地上界に限ったことではない。
この魔界でも、かつては武王並みの猛者が多くとは言わないまでも存在していた。しかし現在は、なかなかそんな人材が見当たらない。
ルガイアあたりは例外と言えるが、ついでに言うと彼を武王に出来れば話は早かったのだが、叛逆者であり表向きは死んでいる彼を幹部に登用するわけにもいかず。
そんな中、俺の腹心に相応しい力量を示せる者が果たして現れるだろうか。
期待と不安、半分半分で、俺は闘技場へと向かった。
魔界組の話です。
御前試合とかやってますが別に天下〇武道会的な展開にはなりませんあしからず。




