第十七話 食の追求と人生の追求は似ているような気がする。
この世界にないもの。
醤油、味噌、豆板醤、甜麺醤。ウスターソース。マヨネーズ。マーガリン。胡麻油。
この世界にもあるもの。
魚醤(なんでだ?)、酢、葡萄酒、穀物原料の蒸留酒(種類はよく分からない)、牛乳(多分牛じゃなくて牛っぽい他の動物の乳)、乳製品全般(ただし一般的ではない)、砂糖、塩、胡椒。香草全般。
ないと思ってるものも、もしかしたら世界中探せばあるかもしれないし、必要だけど存在しないものもまだまだあったりすると思うけど、とりあえず、今手に入るものだけで献立を考えるのは結構難易度の高いミッションだ。
つくづく、地球では恵まれてたと実感。と言うか、多分地球人の食に対する情熱というか執念は、こっちの人たちに比べると異常に思える。
どちらが普通かなんて考えるのは不毛だが、あちらの常識が持ち込めないのはちとキツイ。俺の頭の中にあるレシピは全て地球基準のものだし、何より出汁の素とか粉末コンソメとか、白だしとか、忙しい時にちゃちゃっと使える簡易調味料の存在は、心強いことこの上ない。
それに加えて、電子レンジも使えない。燃料が薪だから(都市部では魔導技術を使ったコンロがあるらしいと宿の親爺が言っていたが)、火力調節も難しい。
当然、フードプロセッサーもジューサーもあるはずない。朝のポタージュは、以前だったらジューサーを使って簡単楽々に作っていたのだが、裏ごしなんてひどく久しぶりにする羽目になった。
とりあえず、限られた材料と道具だけで何とかやっていくしかない。
勇者たちの反応を見るに、今のところは俺の頑張りは結果を出している、ように見える。
三人娘の部屋。
勇者と神官は既にテーブルについていて、魔導士だけはベッドの上だが朝と違って自分で起き上がっている。数時間しか経っていないのに、この回復っぷりは何なんだ。
彼女らの目の前には、俺が作った夕飯が湯気を上げて並べられている。
ご所望どおり、肉料理だ。
鶏肉のトマトソース煮。この世界に野菜だけは豊富で良かった。日本でよく見かけるトマトと違って酸味が強く皮が硬かったが、酸味は逆にこの料理のアクセントになるし、皮は湯剥きしたので問題ない。水分が少ない品種なのか、結構濃厚なソースが出来上がった。ローリエとローズマリー、タイムがいい仕事をしている。バジルはどうしようか迷ったが、今回は入れなかった。
鶏肉は、一度オーブンで焼いて(薪オーブンはあったから助かる)ある。長時間コトコト煮込んでシチューみたいにするのもいいと思ったが、連中はガッツリ系を求めていたので、今回は肉を前面に出すことにしたのだ。あまり煮込みすぎずに、肉々しさを残してある。
副菜として、グリーンサラダ。ポテトサラダも添えてある。卵と酢があるので、マヨネーズは作れたのだ。ただ、こいつらの口に合うかはちょっと分からない。
ダメならフレンチドレッシングを作るか。
スープは、どうしようか迷った。鶏肉のトマトソース煮はもともとシチューみたいな出来上がりになるので、家で作っていたときは汁物を合わせることがなかったのだ。
ただ、思いの他「肉料理!」って感じに仕上がったので、最後のブイヨンを使ってコンソメスープを作ってみた。
我ながら、結構な力作だと思う。これなら、悠香にだって自信満々で出してやれるぞ。因みに、俺にとって最も重要なのは妹からの高評価、である。
ただ、唯一気に食わないのが、主食の存在。この世界、米はあるが一般的ではないようで、まあメニュー的にもパンが合うだろうと思って宿の親爺に提供してもらったのだが。
その、パンが、気に食わない!
なんか、硬いのだ。ふわふわ感がない。なんだか、出来損ないのナンのようだ。小麦粉を水で適当にこねて成型して焼きました、って感じ。
多分、イーストとかベーキングパウダーとか、使ってない。
で、まだ確証はないが、もしかしてもしかしたら、薄力粉と強力粉の区別も、していないのかもしれない。
これは由々しき事態だ。一刻も早く、ふわふわしっとりブレッドの開発に着手せねば。
とは言え、それが当たり前の世界で生まれ育った三人娘たちには不満はないようだった。並べられた料理に、目を輝かせている。
「ちょっと……これ、ほんとにアンタがつくったわけ…?」
勇者はそう言いながらも、早く食べたくてうずうずそわそわしている。
「なんだよ、今さら疑うのか?別に食べなくてもいいんだけど」
こちとら、けっこう苦労して作ったんだからな。努力を疑われるのは面白くない。
「べべべ、別に疑ってるわけじゃないわよ。なんか、イメージと違いすぎただけ!」
おあずけを食らうのは御免だとばかりに狼狽する勇者。こいつは、とりあえず一つの会話で一回は俺につっかからないと気が済まない性分でもしているのか。
「まあ、イメージとか言われると俺も何も言えないけどな。……冷めるから、さっさと食えば?」
俺のその言葉を待ってましたと言わんばかりに、勇者は、
「いっただきまーす!!」
さっそく肉にナイフを突き立てた。
神官は、流石に行儀よく食前の祈りを…
…………って、祈り?いいのかな、作ったの“魔王”なんだけど…………
当人がいいのなら、いいのかな?
因みに、魔導士はフライングで既に食べ始めていた。
なお、彼女の皿だけは、食べやすいようにあらかじめ肉を小さく切り分けてある。ベッドの上だと、ナイフも使いにくいだろうし。
「あ、そうだ。ところでさー」
しばしの間食事に専念していた勇者だったが、もぐもぐごくん、と口の中の肉を飲み込んでから
「アンタのこと、なんて呼べばいいの?」
唐突に疑問を投げかけてきた。
「あ?いきなりなんだよ」
だが、それを聞きたかったのは勇者だけではなかったようで、
「いえ、実は先ほど宿のご主人と少し話をしていたのですが、途中で貴方の話題になったときに、何とお呼びしたらいいのか困ってしまって……」
神官が付け足した。
「流石に、“魔王”とか、ヴェルギリウス、とかはいくらなんでも……」
そりゃそうだ。さっき俺も同じこと考えた。
「あー、じゃあさ、リュウト、でいいよ」
「リュート?」
「そ。俺さ、前世でちょっとの間だけ人間やってたんだけどさ、異世界で。そんときの名前」
「………え?」
勇者が、硬直した。見ると神官も唖然としている。魔導士は我関せずでもぐもぐしている。
「前世で、人間…?異世界?アンタ、何言ってんの?」
勇者は何を驚いているのだろう。前世ってところか、人間ってところか、はたまた異世界というワードか。
「何を言ってるって、事実をありのまま言ってるだけだ。お前らが信じても信じなくても別に構わないけどな」
自分が経験したことしか理解出来ないのは、誰だって同じだ。
或いはもしかしたら………日本での、桜庭柳人としての人生は、魔王ヴェルギリウスの見ていた只の夢に過ぎないのかもしれない。
それは、地上界に来る前から時折俺の中に湧き上がってくる不安。日本での出来事、出会った人々、両親と、何より愛しい妹。それらが幻だったとすれば、今の俺もまた、“魔王”が作り出した幻影に過ぎないということになってしまう。
それは答えの出ない疑問であり、おそらく永遠に解決されることのない不安だ。
俺の不安は彼女たちには伝わっていない。伝わったとしても、決して理解されることはないだろう。
「……ふぅん。まあ、別にアンタの前世とかどうでもいいんだけどさ。そんなことより、一応私たちも改めて名乗っとこうかなって思ってさ」
「あ、いいよ。もう知ってる。えーと、アルシーと、ビビと、ヒルダ、だよな?」
目の前で何度も呼び合ってるのを聞いていたので、流石に覚えた。のだが、
スコーン!
俺の額に、勇者の投げたスプーンが直撃した。
「痛ぇ!おま、いきなり何すんだ!?」
人にスプーンを投げつけるなど、失礼にも程があるじゃないか!
「やかましい!いきなり愛称で呼んでんじゃないわよ、馴れ馴れしい!!」
勇者は、俺以上にご立腹のようだ。
…って、愛称…だったのか。
「私は、アルセリア=セルデン。で、こっちが神官の…」
「ベアトリクス=ブレア、と申します。ルーディア教聖央教会で、特任司教を務めさせていただいております」
「で、ベッドにいるのが魔導士の、」
「………ボクは、ヒルデガルダ=ラムゼン。あのね、ヒルダ、って呼んでもいいよ…?」
おお、可愛げのあることを言うじゃないか。勇者とは大違いだ。
そしてさらにヒルダは、
「よろしく。……リュートお兄ちゃん」
………………………………!!!
何という、必殺の一撃!!
ボクっ娘の、お兄ちゃん呼び!最高だ、最高すぎる!!
「そーかそーかぁ、よろしくな、ヒルダ!」
嬉しくなってヒルダの頭をかいぐりかいぐり。くすぐったそうに笑う顔が、もうめちゃくちゃ可愛い。
「ちょっとヒルダ、何懐いてんの!そいつは“魔王”なんだからね!!」
俺たちの絆を壊そうとする勇者アルセリアだが、
「てお前、その“魔王”の作った飯を食いながらは説得力ないぞ」
俺の突っ込みに、うぐぐ、と口ごもる。ただしフォークを持つ手は止まらない。
「だって、その、ご飯に罪はないじゃない」
なんだその理屈は。
俺と神官ベアトリクスからの冷ややかな視線に狼狽えながら、アルセリアは話題を誤魔化すように、
「そ、そんなことより、これ、このかかってるクリームみたいの、何?」
フォークで、ついつい、とサラダを指した。
…………あ、マヨネーズはお口に合わなかった……か?
「なんか、食べたことないんだけど。で、すっごい美味しいんだけど!どこのお店の?」
……違った。どうやらお気に召したようだ。
「私も思いました。酸味とまろやかさがちょうど良くて、特にこのおイモのつぶしたものと最高に合いますね」
どうやら、ベアトリクスも気に入ってくれたようだ。ヒルダに関しては、既にご満悦で完食しているので確認するまでもないだろう。
「あ、それね。買ったんじゃなくて、作ったんだよ。卵と酢と植物油で作れるソースで、マヨネーズっていう」
「マヨ…ネーズ?初めて聞いた……。もしかして、その、あんたの前世でいたっていう、異世界のソースだったりするの?」
「おう、そのとおり。向こうじゃ色んな食材に合わせることが出来る最強調味料の一角として君臨しているんだぜ」
と、大仰に言ってしまったのだが、
「ふーん。まあ、あれね。あんたが異世界にいたってのも無駄じゃなかったってわけね」
そのアルセリアの言葉で、俺の中にある不安の霧が、晴れたような気がした。
そう、正しく、朝日が昇り夜霧が見る間に薄れていくかのように。
俺の中の、地球の記憶。家族の記憶。桜庭柳人の経験した全て。
それは、幻なんかじゃない。
そもそも、“魔王ヴェルギリウス”が、地球のレシピとか、マヨネーズの存在なんて、知っているはずないだろう。
今まで散々料理研究をしていて、そんなことにも気付いていなかった。
「…リュート、どうかした?」
俺の様子に違和感を抱いたのか、アルセリアが気遣わしげに尋ねてきた。
「あ、いや。何でも……。なんつーか、お前、やっぱり勇者なんだな-って思ってさ」
まさか、魔王である俺まで救うとは。
「は?な、なによいきなり。アンタに認めてもらわなくったって別にいいんだけど」
うーん、やはり、アルセリアは、ツンデレっ娘か。
さてはて、食事も済んだ。アルセリアとベアトリクスはほぼ全快と言ってもいいだろう。しかし、ベアトリクスはともかく、アルセリアに関してはかなり深手を負っていたはずなんだが、魔族並みの回復だな。本人に言うとまたスプーンを投げつけられそうだから言わないけど。
流石に、ヒルダはまだ本調子ではなさそうだ。生命活動に支障ない程度には回復したが、まだまだ戦闘はさせられない。特にこいつの保有術式はかなり魔力使用量の高いものばかりのようだし、こんな状態でヒュドラと戦わせるわけにはいくまい。
とは言え、この分だと、思ったより早く全快しそうだ。エルネスト司祭には一週間くらいと言ったが、もしかすると二、三日もあれば十分かもしれない。
そうすれば、俺の役目も終わりだろう。
もともとは、アルセリアの円聖環を返すのが主目的だったのだ。彼女らの現状に責任を感じたから、回復の手助けをしただけの話で。
そしたら、彼女らと別れて旅を始めるとしよう。地上界には、きっと俺の知らないものが沢山ある。
世界を回って、世界を知って、エルリアーシェが何を思っていたのかを知りたい。
まあ……このやかましい連中と離れるのも、少し寂しい気もするけどな。
特に、ヒルダ。お兄ちゃんと呼んでくれる存在は、俺にとって何よりの癒しだ。
しかし彼女もまた神託を受けた勇者一行。これは、一時のままごとに過ぎない。
いつか、勇者たちが相応しい力を手に入れたならば、そのときは再び“魔王”と“勇者”として相対することになるのだから。
その時、俺はどうするのだろうか。魔王として勇者に対峙する。互いに命と、存在の正当性を賭けて。
聞こえはいいが、要は殺し合いだ。
「ねぇ。今日はお茶はないの?」
思わず深刻に考えこみそうになってた俺を、勇者の一言が引き戻した。
「……俺、お前の執事だったっけ?」
「何言ってんのよ。アンタは魔王でしょ」
………しょうがない奴。一瞬でも悩んだ自分が馬鹿みたいだ。
だけど、そうだな。今考えても仕方ない。そのときは、そのときだ。
俺はわざとらしく溜息をついてみせると、お茶の支度を始めるのだった。
地球とエクスフィアで共通している食材については適当に決めてしまったのですが、自分で決めた縛りがこの後ボディーブローのようにじわじわと効いてきます。
和食が作れないのは痛い……。




