第百八十話 世の中に、穏便に解決する三角関係なんてあるのだろうか。
最北の地の朝は、春の終わりと言えども氷点下から始まる。
寒がりの勇者アルセリアは、朝日が射し込む部屋の温度をさらに上げようと、暖炉に遠慮なく薪を突っ込んだ。
スツーヴァの、イゼルハン岬を臨む宿である。
昨晩、リュートとヒヒイロカネ…クォルスフィアは帰ってこなかった。
迎えに行こうというベアトリクスを、アルセリアは止めた。ヒルダは、何も言わなかった。
何故止めたのかは自分でも分からない。言葉では「恋人だというのだから二人にしておいてやろう」と言いはしたのだが、それが素直な意見ではないということだけは分かっている。
だが、それ以上追及するのが怖くて、彼女は深く考えないことを選んだのだった。
そんな昨晩のモヤモヤを引きずりながら、勢いを取り戻した暖炉の炎を無心で眺めていたとき、クォルスフィアが訪ねてきた。
「……おはよう、勇者。少し話したいんだけど……いいかな?」
顔を合わせるなり挨拶もそこそこにアルセリアを誘う。
「別に……いいけど。…ここで?」
なんとなく内容は想像出来たので、彼女にはそれを拒む選択肢はなかった。
「出来れば、二人だけで話したい」
「じゃ、昨日の狩猟小屋にしましょ」
「…分かった」
いくら狩猟時期にしか使われていないとは言え、他人の所有物件を気軽に使おうとする図々しい勇者だが、クォルスフィアもそれについては気にしないようだ。
「……アルシー?」
二人の遣り取りで目を覚ましたベアトリクスが、部屋を出て行こうとするアルセリアに声を掛ける。
「ごめん、起こしちゃって。ちょっと彼女と出てくるけど、すぐに戻るから」
気楽に言うアルセリア。
その後、「すぐに戻る」ことが出来なくなることを、その時の彼女はまだ知らなかった。
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「どうしましょう、リュートさん」
ベアトリクスが、困り果てて泣き出しそうな表情と声で俺に問う。
彼女がここまで取り乱すのを見るのは初めてだ。魔王城で絶体絶命の窮地に追い詰められたときでさえ、どこか冷静に自分たちの状況を分析しているようだった…まあ、アルセリアが殺されそうになったときはさすがに取り乱してたけど。
で、彼女がそんな醜態(でもなんでもないのだが、普段の彼女ならそんな姿を俺に見せることは醜態に他ならないと思うことだろう)を見せているのにはちゃんとした理由がある。
つか、俺も少なからず途方に暮れている。
俺たちの目の前には、キアとアルセリアが。手を繋ぎ、仲良く寄り添って眠っている。
それだけのことだったら、「いつの間にそんな仲良くなったの?」とか驚くだけで済むのだが、それだけのことじゃないから困っているのだ。
昨日の狩猟小屋で二人きりで話がしたい、と俺は彼女らから締め出しを喰らった。もうその時点でなんとなーく嫌な予感がしてはいたのだが、案の定様子を見に戻ってきたらこの状況。
眠っている二人は、どれだけ揺すっても大声で呼んでも、一向に目を覚まさない。ただでさえ気配や異変に敏感なはずの二人が…である。
頬を叩いたりつねったり、くすぐったりも試してみた。…まあ、試していない手もなくはないが、それを実行に移したりなんかしたら俺の信用度は地に落ちること確実なので、パス。
二人の眠りは、通常のものではなかった。
「どうして目を覚まさないんですか?二人とも異常があるようには見えないのに……」
ベアトリクスは、遠慮なくアルセリアの頬をぺちぺちしながら言う。心配していることは間違いないはずなんだけど、ちょっとコミカルな光景に見えるのはなんでだろう。
「うん、異常ってわけじゃないからさ」
俺はきちんと、二人の魔力の流れを見て確認してある。
別にこれは、病気でも呪いでもない。二人の魔力は非常に穏やかに同調している。
………同調。
もうその時点で、いやーな予感。
「じゃあ、なんで起きないんですか?」
「二人は今、多分同じ場所にいる」
「………はい?」
俺の説明になっていない説明に、ベアトリクスは首を傾げた。ヒルダも、もう少し分かりやすく説明しろと言わんばかりに、俺の裾を引っ張った。
「ええと……言葉では説明しにくいんだけど……二人の精神体は今、キアの記憶の中に飛んでる…みたいだ」
「……………それは、夢でクォルスフィアさんの記憶を覗いているということ…ですか?」
「うん、まぁ…そんなところ。覗いているっていうか、追体験…かな、多分。キアが、アルセリアと分かり合うために自分のルーツを見せようとしてるんだと思う」
自我を持つ神格武装であるキアが、自分のルーツを見せる。アルセリアに全てを見せることで、彼女の資格と覚悟を問うつもり…なのかもしれない。
「……何か、危険があるのですか?」
俺が浮かない顔をしていたからだろう。ベアトリクスに余計な心配をさせてしまったようだ。
「ああ、いや…それは大丈夫。竜の試練の時みたいに魂に危険が及ぶとか、そういうんじゃないから」
二人は、同じ夢を見ている。キアの記憶……過去を。
と、言うことはだ。
普通に考えれば、キアは自分が神格武装になるに至った経緯を見せているはず。アルセリアと関係ない生い立ちとか見せても無意味だし。
そうなると、当然、魔王との出逢いだとかその後のなんやかんやだとか、そういうのもひっくるめて…ということになる…んじゃないか?
それは……ちょっと、いや、だいぶ恥ずかしいかも!
なんつーか、自分の過去をアルセリアに見られるって……しかも、キアとの思い出とか…一番恥ずかしい頃のじゃん!
アルセリアのことだから、後で絶対冷やかしたりするに決まってる。事あるごとに持ち出して、バカにするに決まってる!
「……リュートさん、アルシーは本当に大丈夫なんですか?」
俺が頭を抱えてもだもだやってるもんだから、ベアトリクスはまだ何か問題があるのかと俺を問い詰めようとする。
「ああ、いや。アルセリアは大丈夫だから。あいつには何の危険もないから!」
「でも…………」
勘弁してくれ。俺の過去の青臭い話は、アルセリアもそうだが一番知られたくないのはこのベアトリクスなんだから!
何を危惧しているのかを説明することは出来ない。知れば必ず、ベアトリクスはアルセリアから聞き出そうとするだろう。そしてアルセリアも、親友と情報共有することに異論はあるまい。
頼むからキア、余計なもの見せないでくれよ……ほんとマジで。
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時間は少しだけ遡り。
アルセリアは、狩猟小屋でクォルスフィアと向かい合っていた。
「で、話って?」
「その前に確認したいんだけど」
クォルスフィアは、アルセリアに真正面から問いかける。
「貴女は、ギル……魔王ヴェルギリウスのことを、どう思っているの?」
あまりに直球すぎる問いに、アルセリアは即答が出来ない。が、それは以前から自分自身でも考え続けてきたことであり。
そして彼女なりに出した結論は、
「……正直に言うと………分からない」
目を逸らすでも伏せるでもなくまっすぐクォルスフィアを見つめて「断言」するアルセリアの言葉が、嘘や誤魔化し、ましてやその場逃れではないことは、クォルスフィアにも分かった。
「大体ねぇ、アイツは分かりにくい…って言うか、ややこしいのよ」
「ややこしい……?ギルは、結構分かりやすい性格してると思うけど……」
クォルスフィアの知る二千三百年前の魔王は、分かりにくいように見えて案外単純だった。
彼女が最終的に魔王に対して抱いた印象は、「子供」だということ。
傲慢で冷酷。そして、強烈な独占欲。興味のないものには見向きもしないくせに、一度自分のものだと認識した場合、それに異常な執着を見せる。それを奪おうとした他者に対しては、如何なる事情があろうとも一切の容赦がない。
それは、恐ろしい絶対の独裁者としてはありふれた性質なのかもしれないが、彼の場合はそれらの由来が一般の独裁者とは違った。
それら全ては、成熟していない幼児性からくるもの。
幼いが故の、万能感。無邪気な残酷さ。他者の気持ちを慮るという経験がないためにそれに無頓着で、しかし自分の世界の内側にいる者に対しては絶対の愛情を注ぎ、そして求める。
神とは言っても…否、神だからこそ、成長することがない。生まれたときの性質が、永遠に続く。
クォルスフィアには、魔王を変えることは出来なかった。共に過ごした僅かな時間、魔王に大切に慈しまれていたことは確かだが、“幻獣殺し”とは言えただの人間に過ぎない自分に、神を変えるほどの力はなかった。
だが……目の前にいる、“神託の勇者”ならば、或いはそれが可能なのか?
「あいつ、封印されてる間に別の世界で人間として生きてたって話、聞いた?」
「ああ、昨日そんなようなこと言ってたね。リュートって、そのときの名前なんでしょ?」
クォルスフィアが眠りから覚めたとき、魔王に対して感じた印象の変化は、そのせいだったのかと納得した。
昨晩、クォルスフィアを抱きしめた魔王の腕はとても優しかった。まるで、本当の恋人に対しているみたいに。
「そのおかげでさ、あいつ二重人格か!ってくらいに二面性があんのよ。普段は「リュート=サクラーヴァ」が全面に出てるから、やたらとお節介で世話焼きで面倒見がよくて口煩くて、あとヘタレだしシスコンだし気が回るし」
褒めているのか貶しているのか不明な評価である。
「なんか、特に後半部分は理解し難いんだけど…」
「それでもそこがアイツの本質よ。…で、勿論魔王モードのときは、正直…ちょっと怖い」
アルセリアは、数少ないリュートの魔王姿を思い出して身を震わせる。
「なんか、そういうときのアイツって、私たちとはあまりに違いすぎるって言うか……得体のしれない存在……って感じることもあるわ」
アルセリアの感想はクォルスフィアにも身に覚えのあるものだった。出逢った当初の魔王は、それこそ彼女には計り知れない、恐ろしい何か…であった。
「アイツもさ、そこんところ好きに使い分けてるわけじゃなさそうだし、自分でもコントロール出来ない部分もありそう。時々、ほんとに時々なんだけど……目の前にいるのはリュートなはずなのに、その奥に残酷な魔王の姿がチラ見えすることもあるのよね」
その一貫性のなさは、二千年前にはなかったことだ。
クォルスフィアは、アルセリアが自分の知らない魔王の一面を知っていることに、嫉妬に似た寂しさを感じていた。
「で、それを踏まえてアイツのことをどう思ってるのかってことなんだけど、…やっぱり、よく分からない」
アルセリアの言葉は、本心から来るものだ。だが同時に、それが全てではないような気がして、クォルスフィアは聞き方を変える。
「じゃあ、もっと単純な話。……彼のことは、好き?」
「……………嫌いじゃ、ない」
クォルスフィアの質問を想定はしていたのだろう。アルセリアは、口ごもりながらも狼狽えることなく答えた。
「アイツが、誰かれ構わずタラシこんでるのを見ると腹が立つし、貴女との関係を聞かされたときすごく落ち着かない気持ちになったから、多分……そうなんだと思う」
「そう。……そこまでストレートに言われると、ちょっと反応に困るな」
クォルスフィアは、困ったように頭を掻いて、なにやら悩むような素振りを見せる。
「……ギルからはね、貴女の力になるようにって頼まれたの。これから世界は目まぐるしく変化していくだろうっていうのが彼の見立てで、貴女は多分その波に巻き込まれることになる。けれど、今の貴女にそれを乗り越えるだけの力があるかって言うと、やっぱり不安みたい」
クォルスフィアの口から語られる自身の不穏な未来に、アルセリアは戦慄を覚える。魔王基準での「波」…すなわち苦難…ならばそれは相当の覚悟が必要なものに違いない。
リュートの言うこれからの変化とやらがどんなものなのか、リュート自身どのくらい掴んでいるのか、アルセリアには分からないが、星の生命とリンクしている魔王の言は、信頼に値する。
「私としても、ギルの願いは叶えてあげたい。けど、そんな自分の願望と、自分の率直な気持ちとが食い違ったままじゃ、そのうちムリが出てくると思ってる」
クォルスフィアの言わんとするところは、アルセリアにも分かった。
「…リュートに好意を持っている者同士、上手くやっていけるか分からない…ってことでしょ?」
「ま、俗っぽい言い方をしてしまえばそうだね。だから、まずは貴女と歩み寄らなければならないと思ってる」
言葉はとても穏便なものだが、そう言うクォルスフィアの表情は、まるで自分を試しているかのようだ、とアルセリアは感じた。
「歩み寄る…ね。まずは、女子会でもする?」
「それも素敵な提案だけど、最初に、貴女に見せておきたいものがあるんだ」
「……私に?」
訝しげに首を傾げるアルセリアに、クォルスフィアは一歩近付いた。
「まずは、知ってもらいたい。私と、ギルのこと。私たちの間にあったこと。……私たちの、絆を」
クォルスフィアは、まるで熱を出した子供にする母親のように、アルセリアの額に自分のそれをこつんと当てた。
何故か、彼女が何をしようとしているのかを瞬時に悟ったアルセリアは、眼を閉じてそれを受け容れる。
そして二人は、ゆっくりと眠りについた。
自分で書いておいてなんですが、なーんか男に都合のいい展開だよなー…って思いました。
そのうちいっぺん、痛い目見せておこうかな。
と言うかコイツ、絶対女性を不幸にする系な気がします。ダメ男かよ。うん、ダメ男だ。




