第百七十七話 順序だてて説明するのって案外難しい。
「えー……では、改めまして」
そう言いながらも俺は、彼女のことをどう説明したものか未だに悩んでいた。
氷漬けの洞窟で話すのもちょっと…ということで、場所を変えた。ここは、海を見下ろす小高い丘に建つ一軒家。
盛夏だけ狩猟小屋として使われている、今は無人の小屋だ。
小屋の中で、三人娘と向かい合って俺と、その横に彼女が座る。
互いにどういう態度を見せればいいのか分からずに、微妙な空気を醸し出していた。
まずは……とりあえず、紹介しておこう。
「ええと、彼女は、クォルスフィア。俺の知り合い…というか」
「恋人です」
……うん、そうくると思った。否定はしないけど。
俺の言葉をすかさず訂正したクォルスフィアに、三人娘は唖然としていた。今まで天然タラシだとかエロ魔王だとか好き勝手言ってきてたくせに、こういう場面では咄嗟に貶し文句も出てこないようだ。
「…でさ、キア。色々聞きたいんだけど…………」
二千年来の愛称で呼びかけると、クォルスフィア……キアは、かつてと変わらない笑顔で俺を見た。
かつてと変わらない……でも、なんだろう。何か、違和感……。
その正体が分からないまま、俺は先に疑問点を解消することを選ぶ。
「………君、死んで…なかったっけ…?」
こんな妙な質問もないと思うが、事実なのでしょうがない。
「うん、死んでるけど?」
キア、即答。
………………………?
「……………え?」
死んでるけど?って。……なにそれ。どゆこと?
だって、今ここにいるじゃん。俺の、目の前にいるじゃん。
疑問符が、頭の中から離れない。
が、彼女はそんな俺の反応は完全無視で、いきなり俺の顔を両手でむぎゅ、と挟むと
「……こっちも聞きたいんだけどさ」
俺の目をじっと覗き込みながら、逆に質問を返してきた。
どことなく、不思議そうな、訝しげな表情で。
「……ほんとに、ギル……なんだよね?」
「…そうだよ」
彼女だけの愛称で呼ばれて、俺は胸の奥がくすぐったいような締め付けられるような、落ち着かない気分になった。
「………随分、変わったよね…」
…………へ?
「昔より、なんだか柔らかくなったって言うか……親しみやすく?前はもっと、遠いところにいる感じだったのに」
………あーーー。確かに。
彼女と共に過ごしたのは、俺がまだ桜庭柳人と無縁だった、完全に魔王だった時代。その頃の俺にとって重要なのは、エルリアーシェと自分と、そしてキアだけで、そのキアに関しても出会ったばかりの頃は何の思い入れもなかったくらいで。
冷酷、という印象を持たれて当然だったよな。
「ああ……まあ、色々あったって言うか」
「ちょっと」
アルセリアが遮ってきた。見ると、明らかにイライラを募らせている。
「説明してくれるんじゃなかったの?ぜんっぜん状況が掴めないんだけど。彼女は何者で、アンタとどういう関係で、なんであんなところで眠ってたのか、さっさと分かりやすく話しなさい」
………うう、怖い。
今までアルセリアの怒りを買うことは何度もしてきたけど、その中でも一、二を争う怖さだ。イラついてはいるが激昂していないという温度も、逆に怖さに拍車をかけている。
キアは、そんなアルセリアの言動に驚いたようだ。
「ねぇ、ギル。この娘、貴方の正体知らなかったりする…わけじゃないよね?」
「ああ、全部知ってる」
「………知ってて、こうなの?人間なのに、魔王に対して?」
………彼女の驚きも、尤もか。
けど、こうしていても話は進まないし、キアにも三人のことを紹介しておくとしよう。
「彼女は、アルセリア=セルデン。ルーディア聖教に選出された、“神託の勇者”だ。で、横にいる神官が、ベアトリクス=ブレア。反対側が、魔導士のヒルデガルダ=ラムゼン。…二人とも、アルセリアの親友で随行者だ」
俺の簡潔な紹介に合わせて、それぞれが軽く会釈する。キアも軽く頭を下げてそれに応えると、
「……“神託の勇者”って?」
この時代の人間が聞いたなら仰天される疑問を、口にする。
二千年以上眠り続け外界から隔絶されていた彼女が知らなくても当然か。キアが生きていた時代には、まだそんな言葉も役職もなかったのだから。
「…ええと、聖教会の姫巫女が神託を受けて選ぶ、人類の救世主…的な?創世神の意思を継ぐ者とか、神威の体現者とか呼ばれてて、一応…魔王討伐がその目的だったり」
「えええ?じゃあ、ギル退治されちゃうの?この娘たちに?なのに一緒にいるの?仲良さそうなのに、何で?」
矢継ぎ早に質問されて、俺は口ごもる。その疑問のどれもが、どう説明したものか非常に面倒くさかったりするのだ。
「ま、まぁ……討伐とかその辺は、どうなるかは分からないけど……おいおい説明するよ。それで…」
俺は、先ほどからずっと気になっていたことを聞くことにした。
「もしかしてキア、“幻獣殺しの英雄”とか呼ばれてたりしてた……?」
ギーヴレイから聞いた、英雄の足跡。それが途絶えた場所に眠っていたキア。彼女と別れることになった経緯云々。考えてみれば、時代的にも状況的にも、辻褄が合う。
俺の質問に、彼女は目を丸くする。
「うん、そうだけど……何で知ってるの?」
「何でって……俺、何にも聞いてなかったんですけど!」
いくら短い間とは言え、一緒に暮らしてたのにそんな重要事項を聞かされてなかったなんて。
そりゃ、只者じゃなさそうだとは思ってたけどさ、そういうプロフィールのメインをまるっと隠されてたなんてちょっとショックじゃないか。
「だって……言ったら引かれると思ったんだもん……それにギル、そういうことに興味なさそうだったじゃない」
……そうだっけ?そんなこと、ないと思う……けど…。
「ちょ、ちょっと待って!その人が、こないだ竜が言ってた、“幻獣殺しの英雄”だっていうの!?で、リュートと知り合い?」
アルセリアが慌てて割って入る。
「ああ……俺も、英雄云々に関しては、初耳だけど」
ちょっと、俺自身頭の中が混乱している。過去と現在がぐちゃぐちゃになっていて、上手く説明出来るか自信がない。
…とも言っていられないから、整理しつつ説明していくとしよう。
「ええと、俺と彼女が会ったのは、今から…二千…三百年くらい前…かな」
なにぶん、あまりに大昔のことなのではっきりとした年数までは分からない。だが、終戦よりもいくらか前のことだったと記憶しているから、そんなところで間違いないだろう。
「知ってるかもだけど、天地大戦ってのは千年以上にわたって、断続的に起こってた戦の総称なんだよ。だから、それなりに平穏な時期もあったっていうか、膠着状態で戦線が動かない時期とも言えるんだけど……」
そう言いながら俺は、キアを失ってから自分は急激に戦にのめり込むようになっていったんだった、と思い返していた。
「で、そんな時に、彼女と出会った」
「運命的な出逢いだったよね」
運命的……と言えるのだろうか。彼女にとっては、そうだったのかもしれない。その頃の俺にとっては、ただの気まぐれから生じた些細な行為から始まったのだけれども。
「その頃の俺は、時々臣下にも内緒で地上界に暇つぶしに来てたりしたんだよ」
「アンタ……昔っからそうだったわけ?」
アルセリアが呆れたように言う。が、今と昔とでは、地上界を訪れる理由がまるで違うのだと主張させてくれ。
あの頃は、確かにもし見咎められたら(と言っても当時の臣下たちが俺の行動に文句を付けるはずないのだが)地上界の様子を偵察するだとか何だとか言うつもりだったけど、実際にはそんな面倒くさいことなどしてはいなかった。
暇つぶしに何となく訪れたこの地で、何となくここの風景が気に入っただけなのだ。
ここの自然は、何者に対しても距離を保っていた。だから、世界にとって余所者に過ぎない俺に対しても、他者と変わらぬ無関心を決め込んでいた。
その距離感が、俺には心地よかった。
地上界のことにはまるで関心を持たなかった俺の、唯一の例外が、この地だった。
だから、誰にも告げずにこの地を度々訪れ、滞在用に小さな家まで建てたりして、一人で何にも煩わされない静かな時間を過ごすことを、唯一の楽しみにしていたのだが。
「で、ここで少しの間暮らしてたんだけど、そんな時にキアを拾ったわけだ」
「……拾ったって……犬猫か」
俺の言い様にツッコむアルセリアだが、事実そのとおりなのだから仕方ない。
「懐かしいなー。そうだったよねぇ。あのときギルが拾ってくれなかったら、私死んじゃってたよ。……あ、今はどのみち死んでるけどね」
……なんか、「うまいこと言ってやった」みたいな顔してるキアである。
「あの時は黙ってたんだけどね、実は丁度、例の幻獣を退治したばっかりだったの」
それは、二千年越しの打ち明け話。
「それで、退治したのはいいんだけど、ヒヒイロカネに暴走されちゃってさ」
………ヒヒイロカネ?
「ヒヒイロカネ…って………ああ、君が持っていた剣のことか。…ってことは………あれが、神格武装!?」
俺は、彼女が携えていた、彼女の命を奪う結果をもたらした一振りの剣のことを思い出す。
彼女が“幻獣殺し”で、その武器が神格武装だということなら、そういうことなのだろう。
神格武装なんて見たことも聞いたこともないと思っていたけど………
俺、完全に関係者じゃないか。
「神格…なんとかって呼び方はよく分かんないけど、幻獣を殺したのはそうだよ。で、今は私自身なんだけどね」
………ん?
彼女は、何を言っているんだ?
「今は君自身って……ゴメン、意味がよく分からない」
「さっき、ギルは言ったよね。死んだはずなのに…って」
ああ、そうだった。一番の謎はそこだった。二千三百年前、彼女は確かに死んだ。彼女を貫いたそのときの感触は、未だに鮮明に思い出すことが出来る。
けれども、今俺の目の前にいる彼女は、とても死人には見えない。死操術士の術であっても、こんな生気に溢れた死霊を作り出すことは出来まい。
「今はね、私がヒヒイロカネなの。侵食が完全に進んで、同化した状態。…だから、私は死んでいるって言っても間違いじゃない……生きてはいないっていう意味ではね」
『………え?』
俺と三人娘、同時にきょとん。
「んー、私も理屈は分からないし、どう言ったらいいのかも分からないんだけど、そうだねぇ…」
キアは、イマイチ状況についていけてない俺たちに分かりやすい表現を探して眉間に皺を寄せる。
「…そう、言うなら、今の私は自由意志を持つヒヒイロカネ…ってわけね。貴方たちの表現を借りるなら、自律型神格武装……って言えばいいかな」
…………。
……………………。
……………………………………。
『えええええ!?』
ハモリで驚く俺たちに、キアはコロコロと笑った。
「そうだよねぇ、そういう反応になるよねぇ。私だって、自分で言っててなんじゃそりゃって思うもん」
そしてひとしきり笑ってから、少しだけ表情を改める。
「……ほんとはね、ギルと暮らしてる頃から、兆候はあったの。けど、言い出せなかった」
「……どうして……」
どうして、話してくれなかったのか。ヒヒイロカネとやらがどのような武器かは知らないが、知ってさえいればその侵食を食い止め、彼女と完全に切り離すことなんて容易かったというのに。
「……ゴメン。でも、話したら、私が“幻獣殺し”だって、バレちゃうでしょ。そしたら、ギルとは敵同士ってことになるじゃない。……だから、知られたくなかった」
…そんな理由で、二千年前の彼女は死を選んだということか……。
じゃあ、状況を整理すると………
「状況を整理すると、リュートさんはかつて暇つぶしで訪れたこの地で彼女と出逢い、彼女と、その……恋人…同士になった…ということですね?」
ベアトリクスが、やや口ごもりながら説明役を買って出てくれた。
「しかし、彼女はリュートさんにも秘密にしていたけれど実は“幻獣殺しの英雄”で、ヒヒイロカネ…神格武装の暴走により、命を落とした…と」
「そうそう、簡単に言うとそんな感じよ、ベアトリクスさん。…それで、一旦は死んだもののヒヒイロカネに侵食されて、私自身がヒヒイロカネそのものになった。それからずっと眠ってたんだけど、ついさっきギルに起こされちゃった…ってわけ」
あっけらかんと言うが、トンデモ内容である。
「だから、今の私は生物とは言えないし、当然、人間でもない。半人半剣……って言えばいいのかな」
かつての俺の恋人であり“幻獣殺しの英雄”であり、探し求めた神格武装でもある彼女は、そう言って一際明るく笑った。
けれども……彼女は、それで良かったのだろうか。
まるで気にしていないように振舞っているが、彼女は、自分が既に人間ではなくなってしまったことを知っている。
それが、かつて人間であった身にはどれほどの恐怖と絶望を孕むかということも、おそらく。
それなのに、なぜこんなに屈託のない笑顔を見せてくれるのか。
「……もし、あの時話してくれていれば……こんなことにはならなかったのに」
今さら悔やんでも仕方のないことではあるが、そう思わざるを得ない。あの時彼女が抱える苦悩に気付いてさえいれば、もっと違う道があったはずなのに。
だが、俺の言葉を、彼女は明るく笑い飛ばした。
「何言ってるの。私にしてみれば、上手くいった、大成功!って感じなんだから」
…………は?大成功?何が?
「一か八かだったんだけどさ。もし私がヒヒイロカネと同化することが出来たら、その上で自我を保つことが出来たら、ギルとずっと一緒にいられるんじゃないかって、そう思ったの」
「……………?」
「だって、私は人間だし、ギルは魔王でしょ?一緒にいられるのも、敵とか味方とか考えなくても、長くて数十年。けど、人間じゃなくなってしまえば……」
「ちょっと待った!」
それじゃ、彼女はわざと……?
「まさか、計算尽くだったりするわけ?」
わざとヒヒイロカネの侵食を許し、人間であることを捨てた?
唖然とする俺に、彼女はまるで悪戯が見つかったお転婆娘のような笑みで、
「まあ……そういうことになるね、テヘ♡」
………なんつー奴だ、テヘペロじゃない!
…俺の恋人は、人間時代から規格外だったらしい。




