第百六十九話 陰謀
舞踏場を、静寂が支配していた。
アルセリアの勝利は確定したが、勝った本人も、見守る二人の仲間も、歓喜の声を上げたりはしない。
最初に口を開いたのは、レティシア王女だった。
「……ありえない…そんな………みすみす聖剣を破壊して…………?」
独り言のようなレティシア王女の呟きに、アルセリアは自分の手の中の聖剣…柄だけになってしまった…を苦笑交じりに見つめる。
「あー、多分、聖教会には叱られちゃいますね」
多分、叱られる…では済まない。
彼女の聖剣は、聖教会に古くから伝わる魔導金属を姫巫女の祈りにより浄化した上で鍛造した、特別製。ちなみに、貸与であって所有権は聖教会のまま。
対魔王戦ならばいざ知らず、私闘とも言える戦いで破壊されたとなれば、さしものグリードも激昂するか呆れ果てるか。
なにしろ、同じ品質の武器を再び作ることは不可能に近い。そう言う意味では、魔王討伐の切り札の一つが失われたに等しいのだ。
だが、アルセリアに後悔はない。寧ろ、清々しい気分にさえなっている。
「……私には、師匠と呼べる人が二人いるんですけど」
左手のナイフを見つめながら、まるで自分に言い聞かせるように。
「最初の師匠は、こういう暗器を得意としてました。私のスタイルとはだいぶ違ってたから、正直彼に教わって何が得られるのか疑問だったんですけど、二番目の師匠に言われたんです」
生死の狭間の修練で。一辺倒な戦いしか出来ないアルセリアに、魔界一の剣豪は言ったのだ。
「私の中に、その教えはしっかりと根付いている…って。それを使わないのは、勿体なさ過ぎるって」
アスターシャは、ラディウスの存在など知る由もない。だが、アルセリアの動きと断片的な会話から、全て見抜いたのだ。
「確かに、強い武器は必要なものですけど……武器なんて、使えれば何でもいいんですよね」
アルセリアが話している間、レティシア王女はまったく反応を返さなかった。一度は自分が同じ立場に落とされたアルセリアは、王女を気遣う。
「それで、王女殿下。……最初の約束ですけど…私、貴女の聖骸をいただくつもりはありません」
その言葉に驚きの声を上げたのは、王女ではなくベアトリクスとヒルダ。
「アルシー、何を言ってるのですか?それでは、何のために……」
「……せーがい、いらない?なんで?」
アルセリアは、そんな二人に笑顔を向ける。憑き物が落ちたかのような、晴れ晴れしい笑顔を。
「そりゃそうなんだけどね。でも……前回は負けたわけだし、これで一勝一敗…でしょ?これで聖骸下さいって言うのも、なんか違う気がする。リュートも、聖骸は全て揃えなきゃいけないってものじゃないって言ってたし」
そして、再びレティシア王女に向き直る。
「殿下、私は殿下にお礼を申し上げます。貴女に敗北することで、私は自分の未熟と非力、そして可能性に気付くことが出来ました。貴女のおかげで得た力は、いつか来る魔王との戦いにおいて、必ずや私を助けてくれるでしょう」
ここでリュートがいればツッコミが入りそうな台詞だが、ベアトリクスは勇者の随行者なのでそんなことはしない。
レティシア王女は、まだ沈黙したまま。
「ですから、本当の決着は、この次…ということにしませんか?いつになるかは分かりませんが、次があると分かっていれば、私たちはさらに強くなれます」
それでも、王女は反応を見せない。
「……あの…殿下?」
流石に不審に思い、レティシアの方へ屈みこむアルセリア。と、そこで
「………認めませんわ!!」
がば、とレティシア王女が顔を上げた。その表情には、憤怒と憎悪が渦巻いている。
その剣幕に、思わずアルセリアが後ずさると、王女は立ち上がり、なおも叫ぶ。
「有り得ません!私は、最強なのです、負けるはずがない!たかが人間の…教会に認められただけの勇者などに、天界に選ばれたこの私が、負けるはずないでしょう!」
叫びながら、自身の腕輪を足元に叩きつける。嵌め込まれた宝石が、粉々に砕けて床に散らばった。
あまりの豹変っぷりに戸惑う三人だったが、聞き捨てならない言葉にアルセリアが反応する。
「殿下、それはどういうことですか?天界に選ばれたって……」
「陰謀です!」
アルセリアの言葉を無視し、レティシア王女は叫び続ける。
「これは、陰謀です!私を亡き者にし、このフォルヴェリア王国を…ティーヴァ王朝を滅ぼすつもりなのでしょう!」
その言葉には、アルセリアも流石に飛び上がる。
「お待ちください、殿下!何を仰ってるのですか?これは、貴女と私の私的な決闘で……」
「王族殺害未遂の罪、我が国の法により裁きを受けてもらいます!!」
聞く耳を持たないレティシア王女。
否、聞く耳を持たないのではない。部屋にわらわらと湧いて出てきた衛兵に取り囲まれた瞬間に王女が垣間見せた表情で、アルセリアはそれに気付いた。
王女は最初から、自分の負けを認めるつもりなどなかったことを。
万が一の場合は、こういう手はずだったということを。
彼女が砕いた腕輪の石は、おそらく衛兵を呼ぶ合図だったのだろう。武装したおよそ二十名の正規兵に囲まれ、アルセリアは臍を嚙む。
してやられた。
ここで王女ではなく自分の言葉を信じる者はいないだろう。そして下手な抵抗を見せれば、王女の言葉が真実であると公言することになる。
「……その者たちを捕らえなさい」
既にレティシア王女は落ち着きを取り戻している。毅然と、刺客には屈さない凛とした面持ちで、冷静に命令を下す。
命じられた衛兵たちは、一瞬だけ躊躇した。アルセリアたちが“神託の勇者”一行であると知っているからだ。
しかし、すぐさま行動に移す。彼らにとって、聖教会の威光よりも王家の命令の方が優先なのだ。
「……アルシー…」
「…分かってる。けど…ここで暴れるわけにもいかないでしょ。下手すりゃ本物の罪人よ」
力づくで逃げようと思えば容易い。
アルセリアは剣を失っているとは言え、ベアトリクスとヒルダの魔導があれば、この場にいる衛兵を蹴散らして城を出るまで、十分とかからない。
が、そんなことをしようものなら、彼女らはお尋ね者である。聖教会も、そこまで庇いきれないだろう。
…否、下手に庇えば、聖教会とフォルヴェリア王国との間で、戦が起こる。
アルセリアたちに出来るのは、大人しく縄についた後に自分たちの潔白を主張することだけ。
……それが認められる可能性は、限りなく低いが。
後ろ手に拘束された三人を見るレティシア王女の瞳は、御伽噺の蛇を思わせる狡猾さに満ちていた。
「では、勇者さま……いえ、元勇者さま。我が城の地下牢は多少手狭ですが、ぜひくつろいでいってくださいませ」
残忍な笑みを残し、その場を立ち去るレティシア王女。アルセリアは自分よりも強い。だが、そのアルセリアが消えてしまえば、自分の最強は揺るがない。
不都合な存在は、なかったことにしてしまえ。
それは、王族のような権力者にとっては、息をするのと同じくらい自然に出てくる考えである。
「…アルシー……」
衛兵たちに引き立てられながら、ヒルダはアルセリアを不安げに見上げる。
アルセリアはそんなヒルダを元気づけるように、わざと明るく微笑んだ。
「だーいじょうぶだって。あの馬鹿がここにいないのよ。ってことは……分かるでしょ?」
リュートが戻ってくれば、必ず策を講じてくれるはず。なんとも心許ない話ではあるし、魔王に解決を丸投げする情けなさを感じなくもないが、アルセリアもまた、そんな自分に不都合な考えには蓋をすることに決めたのだった。
レティシア王女は、裏表のない「悪役」(ってなんじゃそれ)なので、書いていて楽です。欲望に忠実だと、行動言動に一貫性を持たせやすいんですよね。その対極にあるのがリュートだったり。
あの人ほんとにブレブレで、めちゃくちゃ扱いにくいんですけど。




