第百六十八話 剣なんて切れればいいんだよ切れれば。
七日前と同じ、舞踏場で。
前回とは見違えるほどに落ち着いた様子のアルセリアを見て、レティシア王女は満足げに微笑んだ。
「少しは、頑張っていただけたようですね、楽しみですわ。やはり、戦いは強者とでなければ退屈ですもの」
軽い挑発にも、
「ええ、同感です。先日は、本当に失礼いたしました」
アルセリアは動じない。
たった七日間でどれだけの悪あがきが出来たか、レティシア王女には分からないが、それなりに実のある時間を過ごしていたのだと想像する。
少なくとも、前回よりは楽しませてくれるに違いない…と。
勇者の、その落ち着き払った表情が、再び苦悶と屈辱に歪む様を想像し、自然と王女の笑みが深くなる。強者との戦いを望むと公言する彼女だが、実のところ彼女が望んでいるのは戦いそのものではない。
彼女が望むのは、強者を屈服させ、這いつくばらせること。強者の表情に、絶望が浮かぶ瞬間。その瞬間にのみ得られる高揚、優越。
相手が強ければ強いほど、特別であればあるほど、その快感は強くなる。
あの“神託の勇者”ならばそれも格別だろうと臨んだ前回の一騎打ち。王女は少なからず失望した。自分に敗北した勇者の表情にはなかなか楽しませてもらったが、それでも物足りない。
勇者などと持ち上げられている人間ならば、もっと粘って、足搔いて、無様な姿を見せて欲しい。その望みを叶えるために、再戦を了承したのだ。
アルセリアは、レティシア王女の表情を見て、彼女の本質を理解し始めていた。そして、彼女が自分の欲望に忠実な人間であることに、幸運を感じる。
そうでなければ、再戦など叶わなかっただろうから。
「それでは殿下、早速…」
そう言いかけたところで。
「……リュートさん?」
訝しげなベアトリクスの声に、アルセリアは振り返った。部屋の入口近くに立っているのは、ベアトリクスとヒルダの二人のみ。
リュートの姿が、何処にも見当たらない。
「え?あいつ、何処に行ったの?」
大事な決闘前に、何処をほっつき歩いているのか、憮然とするアルセリアだが、ベアトリクスは首を振った。
「…いえ、ついさっきまではここにいたはず……」
そう、確かに、一瞬前…部屋に入る前までは、すぐ傍にいたのだ。そんな短期間のうちに、移動するなんて有り得ない。
「ああ、補佐役殿でしたら」
彼女らの戸惑いに答えるように、レティシア王女が告げた。
「イヴラ様が、話があるそうで。今頃、お二人でいらっしゃると思いますわ」
「えええ!?」
思わず、声を上げるアルセリア。イヴラがリュートの正体を疑っていることは分かっている。そして敵意を持っていることも。
一体どうやってリュートを連れ去ったのかは分からないが、それがイヴラの仕業であるのならば……
「そんなことは、どうでもいいではありませんか」
この後の展開に頭を悩ませるアルセリアを窘めるような表情で、レティシア王女は腰の剣を抜き放った。
「七日も待ったのですから、約束は果たして下さいませ」
そんな王女を見て、アルセリアも気を引き締める。リュートとイヴラのことは気になるが、今、自分がなすべきことはその心配ではない。
あのリュートのことだ、自分のことは自分でなんとかするだろう。
「…そうですね。では、始めましょうか」
そして自分も、鞘から聖剣を抜き、構える。
型自体は、前回と同じだ。だが、前回よりも力が抜けている。
自分の限界を知り、その向こう側へ(強引に)到達した(させられた)アルセリアには、余分な力みは見られなかった。
対峙する二人の剣姫。
今回、先に動いたのはレティシア王女。
肉食獣を思わせる獰猛な笑みで、アルセリアに迫る。
アルセリアは、落ち着いていた。
王女の動きも、よく見えている。前回同様、王女の速度は人間基準で言うと規格外だ。しかし、この七日間ほぼぶっ通しで「魔族基準で規格外」のアスターシャの斬撃に晒されてきたアルセリアの目には、それほどの脅威とは映らなかった。
王女の間合いに入る直前で、アルセリアも動いた。
繰り出された斬撃に、自分の剣を合わせる。迎え撃つというより、受け流す。
それは、相手の動き…剣筋が何処から来て何処へ向かうのか…が把握出来ていなければ、不可能な技。
レティシア王女にとっては、信じがたいことだった。
たった七日前は、受けるので精一杯だった自分の攻撃を、勇者は完全に見切っている。おまけに、力を受け流されてしまうものだから態勢が取りにくく、反動を利用してフェイントをしかけることも難しい。
王女は、一旦後ろへ飛んで距離を取った。アルセリアは、追撃してこない。
それが彼女の余裕からくるものだと悟った王女は、一瞬激昂しかけて、しかしなんとか思いとどまった。
まだ、勝負は始まったばかり。頭に血が昇っては、勝てるものも勝てなくなってしまう。
この時点で、レティシア王女は自分の勝利を諦めてはいない。
確かに、勇者は強くなった。七日という短期間では考えられないほどに。
しかし、地上に降臨した天使の恩寵を受ける自分が、神託などという曖昧なものしか後ろ盾に持たない勇者に負けるなど有り得ない。
「ふふ。素晴らしいですわ、アルセリアさま。まさか、これほどまでにお強くなられているとは」
そう言うと、レティシア王女は自分の身体の真正面に、剣を掲げた。
創世神の聖骸を宿した剣。これを自分に与えた天使は断言したのだ、レティシアこそが魔王を打ち滅ぼす最強の矛であると。それになりうる素質と資格を持つのだと。
「私も、出し惜しみをしている場合ではありませんね」
王女の持つ剣、その刀身が光を帯び始めた。始めは柔らかだったその光が、徐々に鮮烈になっていく。
やがて、刃に亀裂が走り…
まるで鈴の音のような軽やかな音と共に、刀身は粉々に砕け散った。
「………!?」
黙ってその様子を見ていたアルセリアが、目を見開く。
砕け散った刀身の代わりに、光の刃がレティシア王女の手の中にあった。
……聖骸の力を刃状に形成した王女の剣に、アルセリアは警戒を強め、戦い方を改める必要があると感じた。その刃に触れた場合、自分の剣…聖教会からは神授の聖剣と聞かされているが…が無事でいられるとは思えない。
王女の剣を受け止めたり受け流したり…は、不可能になると考えていい。
レティシア王女の狙いも、そこだろう。防御を奪われ、回避しか許されない状況は、アルセリアの戦力を大幅に制限するはず。
「どうされたのですか、アルセリアさま。先ほどから、受けてばかりではありませんか」
再び余裕を取り戻し、微笑と共に挑発を投げかける王女。技量がほぼ互角…今やアルセリアの方が僅かに上かもしれないが…である以上、装備の差が勝敗に直結すると、彼女は確信していた。
…自分は、天使に…聖骸に認められた特別な戦士なのだという誇りと高揚が、彼女の嗜虐心に火を付ける。
「さあ、全力でいらしてください。神託など、この私が否定して差し上げますわ!」
彼女の高らかな宣言に導かれるように、アルセリアは地を蹴った。
その動きは確かに、前回よりも速くなっている。だが。王女にとって対応出来ない程ではない。
レティシア王女は、思わず舌なめずりをしていた。短期間で見事な成長を遂げてみせた勇者は、どのように攻めてくるのか。
真向勝負…?いや、武器の性能差が大きすぎるため、それは有り得ない。いくら速くても、真っ向からの攻撃を見切れない王女ではないと勇者も理解しているはず。そして、攻撃を受け止められ自分の剣が砕かれてしまえば、勝負はそこで終わりだ、ということも。
ならば確実に、自分の虚を突いてくる。
そう思ったレティシア王女だが。
アルセリアは、まっすぐに王女へ向かった。愚直とも思える、上段の型。
並みの戦士であれば目で追うことすら出来ない、しかし恩寵を受けたレティシア王女であれば見切ることは不可能ではない速度で、剣を振り下ろす。
愚かなことだ…とは思わなかった。勇者は、正攻法を用いることで自分の虚を突こうとしたのだ。そして、幾たびか刃を交えその本質が限りなく純粋なものであると感じていた王女にとって、勇者の動きは実に理解し易かった。
だが…
勇者の動きに意外性を感じはしたが、それで隙を作るような王女ではない。その時点で、彼女の勝利は確定した…はずだった。
鋭いアルセリアの斬撃を、レティシア王女の光の刃が迎え撃つ。
力が拮抗したのは、ほんの一瞬。
柄を握る手にもほとんど反動がないくらいあっさりと、アルセリアの剣が砕けた。
……終わりだ。
その一瞬、砕け散る刃の破片が視界に広がる中、レティシア王女は自身の勝利を確信した。武器がなければ勇者に打つ手はない。
あとは、得物を失い失意に暮れる勇者をどう料理してやろうか、どうすればより屈辱を与えることが出来るだろうか、そう考えながら、最後の一撃を叩きこむ。
そして、光を反射しながら空中を舞う刃の欠片の向こうに、勇者の瞳を見た。
そこにあるのは、驚愕でも失意でも屈辱でもなく。ただただ、冷静な瞳。揺るぎない光。
しまった、と思った。自分は、勇者の策に乗せられたのだと。だが、気付くのが遅すぎた。
既に止めることが出来なくなった王女の攻撃を、アルセリアは半身で躱す。ほんの僅かな動き、戦闘中とは思えないさりげないステップで。
そして次の瞬間には、アルセリアの左手に握られていた小さなナイフ…掌に収まるほどの、ちっぽけな黒塗りの…が、レティシア王女の首筋にぴたりと触れていた。
「……………………そんな………」
アルセリアの動きがあまりにもさりげなさすぎて、レティシア王女は、何が起こったのかを正確に理解することが出来なかった。
ただ分かっているのは、自分がアルセリアの武器を破壊することに勝機を見出していたことを、勘づかれていたこと。それを逆手に取られたこと。
勇者が、神授の聖剣を犠牲にして、銘もなさそうなちっぽけなナイフで自分から勝利を奪ったのだということ。
膝をつくのは、レティシア王女の方だった。




