第百六十六話 再戦へ
約束の日がやって来た。
アルセリアは、七日間に亘る死線を見事に超えてみせた。
……と偉そうに言ってみるが、ほとんど見ていないから状況はちょっと分からない。
「……ありがとうございました、アスターシャさん」
「うむ。貴殿の成長には驚かされたわ。まさかここまで耐えてみせるとはな。今の貴殿なら、地上界で負けることなどないだろう。胸を張るがいい」
……アスターシャとの遣り取りを見たところ、成果はあったようだ。
………にしても、なんかアルセリアのアスターシャへの態度が、随分と礼儀正しいっつーか敬ってるっつーか、魔王に対してはすっごくぞんざいなのに、なんなのそれって感じなんですけど。
俺、アスターシャより偉いはず…なんですけど。
これから再び地上界、フォルヴェリア王国へ向かうのだが、見送りに出てきているのはアスターシャとディアルディオ、エルネストのみ。
当然のことだが、他の武王の姿は見えない。廉族…勇者一行に対して、複雑な思いを抱いているのだろう。
「…陛下、ちょっといいですか?」
“門”を開こうとしたところで、ディアルディオに呼び止められる。
彼にしては、真剣な表情だ。
「……少し、フォルディクスの動向について、注意しておいた方がいいかもしれないです」
三人娘とは離れたところで俺に耳打ちするディアルディオは、冗談を言っているようには見えなかった。
「……何かあったか?」
彼がこんなことを言い出すなんて、珍しいことである。いくらフォルディクスとはウマが合わないにしても、根拠もなくこういう進言をするタイプじゃない。
「いえ……はい、まぁ……ちょっと」
気まずげな表情。さては、また揉めたか。
今までも、ディアルディオとフォルディクスは何かにつけて反目することが多かった。大抵は、ギーヴレイかルクレティウスの仲裁で事なきを得ていたのだが。
「フォルディクスは、現在の陛下の方針に疑念を持っています。それを、僕たちに隠すこともしていません。何か、腹に決めていることがあるような印象も受けました」
………腹に決めている…か。
「…分かった。このこと、ギーヴレイは……」
「承知しています。ギー兄も、気にしていました」
他の武王にも取り繕う気が起こらないほど、俺のやり方が気に入らないのか。流石に俺に直接言ってくることはなかったが、どうせならそうしてくれた方が良かったのに。
…こっちから話を持ちかけても、いっつもはぐらかされるしなー…。
「ギーヴレイが気付いているならば、奴に任せておけ。指示があれば従うように」
「分かりました」
ディアルディオが気にするのもわかるが、現状ではそれ以外の方法はない。そもそも、魔族であれば廉族に敵意を持つのは当然のことで、ディアルディオやエルネスト、アスターシャが例外と言ってもいいのだ。
その上、主がそんな廉族を贔屓しているとなれば、心中穏やかではいられないだろう。
その不満を表明した程度で臣下を咎めるようなことはしたくないし、腹に一物抱えているとは言え、それが何なのかも分かっていない状態では、やはり罰するわけにもいかない。
とは言え、彼らの不満をそのまま放置するわけにもいかないしな。
「俺も、フォルディクスのことは注意しておこう。魔界へ戻る回数も増やすつもりだ」
俺がそう言うと、ディアルディオは
「それなら、しばらくこちらへ留まっていただくことは出来ませんか?勇者たちを放っておけないお気持ちは分かりますけど、あいつらだって勇者なんだし、少しくらいは大丈夫なんじゃ……?」
戸惑いながらも、本心を打ち明けてくれた。
……実を言うと、それも考えた。アルセリアとレティシア王女の再戦を見届けたあと、しばらくは魔界のことに専念しようか、と。
しかし……
「すまないが、そうするわけにもいかなくなった」
俺の脳裏にあるのは、天界の不可解な動き。
地上界への干渉の痕跡と、それを隠蔽する流れ。
存在そのものを抹消された筆頭天使。
そして……
ソニアを唆し、謎の力を与えた「何者か」。
天使族に、理を操作する力があるとは思えないが、無関係だと断じてしまうには引っかかることが多すぎる。
それに、他にも気になる点はいくつか。
魔界にいたのでは天界との断絶が深すぎて、様子を窺うことも、何かあったときに即応することも難しい。
注意しなくてはならないことがあっちにもこっちにも多過ぎて、身が一つでは足りないくらいだ。
幸い、地上界と魔界との行き来は瞬時に可能なので、俺が頻繁に動いて対処するしかないだろう。
「……そうですか、分かりました」
俺がそう言った理由を問うこともなく、ディアルディオは頷いた。
ここ最近で、随分物分かりが良くなったような気がする……勇者一行と関わった影響か?
「後は頼んだぞ」
恭しく頭を垂れる三人の臣下にそう言い残し、俺は“門”を開く。
「…行ってきます」
「武運を祈る」
アルセリアとアスターシャは、すっかり師弟関係を確立してるし、
「お世話になりました」
「じゃ、ディオっち、エルン、またね」
「お気をつけてくださいね」
「次は、もっと面白いとこ連れてってやるよ」
ベアトリクスとヒルダ、ディアルディオとエルネストは気の置けない友人のような遣り取り。
そんな彼らを見ながら、どうして世界はこんな風に簡単にいかないのだろう、という思いがよぎった。
…考えても、仕方のないことなのに。
それはともかく、エルネストまで愛称で呼ばれているとは何事か。
…次に戻って来たとき、問い詰めてやる。
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「お待ちしておりましたわ、勇者さま。悪あがきは上手くいきましたでしょうか?」
約束の時間、約束の部屋の前で。
開口一番に憎まれ口を叩いてくれたのは、言うまでもなくレティシア王女。
今回も、自分の勝利を疑っていないのだろう。その態度と表情には、余裕と愉悦がありありと浮かんでいた。
しかし。
「はい、おかげさまで。今回は、王女のご期待に沿えると思います」
挑発をさらりと躱し、にこやかに答えるアルセリア。自信のようなものさえ、漲っている。
七日の間に、四十八回(アスターシャ申告)も文字どおりの意味で死にかけて、何か精神的に悟るところもあったのか。
……つか、やり過ぎだろう、アスターシャ。
勇者が変な方向に目覚めたりしたらどうしてくれるんだ。
そんなアルセリアの堂々とした佇まいを不審に思ったのか不満に思ったのか、レティシア王女の表情が一瞬曇る。
だが、それを瞬時に隠すと、王女は妖艶な笑みをいっそう深めて。
「では、今度こそ心ゆくまで楽しませていただきましょう。……こちらへ」
舞踏場の扉を開き、アルセリアを誘う。
招かれるまま、歩を進めるアルセリア。大丈夫、変な気負いもないし、リラックスしているように見える。
修行風景もまともに見ていないのに断言するのはアレだが、そんな勇者を見ていると敗北なんて有り得ないような気がしてくる。
何せ、アルセリアは“神託の勇者”。この魔王の宿敵。そして魔界一の剣豪“氷剣のアスターシャ”に手ほどきを受け、その身に宿す聖骸の力を存分に引き出すに至ったのだ。
勝負の前から安心するのは尚早な気もするが、それでも俺は心配していなかった。
ベアトリクスとヒルダを見ても、俺と同じ気持ちのようだ。アルセリアの勝利を疑っていない表情。
レティシア王女とアルセリアが部屋の中へ。その後をベアトリクスとヒルダが追う。
俺は二人に続いて扉を抜けて。
誰もいない空間へ、足を踏み入れた。




