第百六十五話 改竄
「……陛下、どうなされたのですか?」
執務室で一人考え込む俺に、ギーヴレイが気遣わしげに尋ねた。
彼の手には、追加の書類。気を遣うならそっちの量を減らしてくれればいいのに。
「………いや、大したことではない」
俺は、大嘘をつく。
いや、今のところは、確かに「大したこと」ではないのかもしれない。と言うか、情報屋“灰衣のミルド”から得た情報の中には、然程の緊急性を孕むものはないかのように思えた。
「特に、変わったことはない」
始めに、ミルドもそう言っていた。
「天界は、何百年も変わっていない。いや、天界が創造されて以来だから、もっともっと長い時間、ずっと同じままだ」
…そうも、言っていた。
「尤も、トップである創世神は不在だが、四天使がしっかりと秩序を保っている。現在の四天使は、“火”がセレニエレ、“風”がグリューファス、“水”がリュシオーン、“地”がジオラディア。この中では、“水”が最古参だな」
「……四天使…?」
「創世神の代理として天界を治める四人の最上位天使だ。天地大戦でも、創世神の懐刀として相当暴れまわった化け物だよ。……まあ、当然代替わりは重ねているが…どのみち化け物なことには違いない」
ミルドは、自分の言葉に何の疑いも抱いていない。ずっと昔からそうだったのだと、それが真実なのだと。
「その四人…の中で、最高権力者ってのはいるのか?」
「いや、四天使は横並びだ。誰が優れているとか勝っているとかはない。奴らは、「お手々繋いで仲良く」が大好きな連中だからな」
その表現には笑ってしまうが、俺は素直に笑えなかった。
その他にもちょいちょい天界の情勢について聞いたのだが、些末なことだ。
そんなことより……
一人、足りない。
「ギーヴレイ、五権天使どものことを覚えているか?」
「勿論にございます。あの忌々しき女神の腰巾着共、結局優劣を付けずじまいだったことは、慙愧の念に堪えません」
即答するギーヴレイ。
彼ら六武王にとって、ライバルと言えるのが五権天使。創世神の側近にして天使たちの頂点。
なのに。
……四天使。
ミルドは、そう言った。四人の、最上位天使……と。天界創造以来、ずっと変化はない……と。
だったら……
「お前は、“央天使”と随分反目しあっていたな」
「…思い出すだけでもはらわたが煮えくり返りそうです」
「それは、お互い様だと思うがな」
五権天使の筆頭にしてまとめ役である、“央天使”。
その存在が……すっぽりと、抜け落ちている。
初めから、いなかったものであるかのように。
六武王も、現在は五人である。いずれ欠員補充をするか、そうでなければ五武王とでも呼称を改めなければならないだろう。
だが、かつてルドゥールという忠臣がいたことを、俺は忘れてはいない。彼の存在は、魔界の歴史にしっかりと刻んである。
魔王復活の礎となった、誇り高き臣。
「…ギーヴレイ、どうやら天界は、“央天使”の存在を抹消したいようだ」
「それは……どういうことでございますか?」
俺は、ミルドから聞かされた話をそのままギーヴレイに伝えた。その中には勿論、彼の耳に既に入っている内容も含まれてはいるだろうが、まさか筆頭天使の存在が消されているとは流石のギーヴレイも思わなかったのだろう。盲点と言えば盲点だ。
「現在の天界を牛耳るのは、火・風・水・地の四天使。“央天使”などという者は、今も昔も存在しないようだ」
「……成程。天使どもも、創世神の庇護を離れ利己心を芽生えさせたということですか」
ギーヴレイは、俺の拙い説明であらかたのことを察したようだ。
「権力争いの結果…でしょう。奴らも随分と世俗に染まったものですね」
「…やはり、そう思うか」
「欠員ではなく、存在そのものを抹消ということならば、間違いないかと」
……だとすると、かなり徹底したやり方だな。
単純に“央天使”が死去ないしは失脚して欠員のままになっている、とかそういう単純な話ではなさそうだ。
まぁ、世界の天秤を自称するあの連中が、裏でどす黒い権謀術数を繰り広げていようが、そんなことはどうでもいい。奴らが、互いに潰し合ってくれているのであれば。
だが……天使どもに欲望が芽生えたとすると、警戒が必要だ。
…天使。天界の住人。創世神が最も目をかけた種族。それゆえ、最もその加護と恩寵を受けた連中。
その行動原理は、秩序と統制。感情がないわけではないが、希薄。個々の感情や欲求よりも、種族全体の利を追い求める。そのためには、個の犠牲はまるで厭わない。
なんというか…群体のような印象。種族全体で、一つの生命体…のような。
そのせいか、見た目も似たような感じだし、個性というものがほとんど見受けられなかった。
同じような顔に同じような表情を浮かべ、同じようなことを考えて同じように動く。
天地大戦では、その連携に手を焼かされた。種の合理性で動くため、数を減らされてもそれに見合うだけの…或いはそれ以上の…結果をもぎ取っていく機械のような連中。
特に、個々の我が強い魔族にとっては、非常に厄介な相手だ。
だが……そんな秩序と統制、そしてその維持が全てだと考える連中が、まるで魔族や廉族のような権力争いのドロドロ劇を繰り広げるようになったのだとすれば。
……天使たちに、変化が現れている。個々の欲望に無頓着だった連中の中に、権力を欲する感情が芽生えている…ということか。
それが、魔族にとって吉と出るか凶と出るかは分からないが、楽観視するのは危険だと、俺の中で警告を発する声が響いていた。




