第百六十四話 情報屋
魔都イルディスは、魔界で最も人口の多い都市である。
一度、ギーヴレイに命じて人口調査をさせたのだが、決して精度の高い調査とは言えないまでも、少なくとも二百万ほどの民が居住しているということが分かった。
調査に協力しない下層階級の住民も少なくないことを考えると、実際の人口はそれよりも多いと思われる。
そして、それだけ多くの魔族たちがひしめき合っているということは、それだけ多くの生活がそこにあるということ。
身分の差、貧富の差、地域的環境、職群。
分類すればキリがないが、おおよそ似たような層の民が同じ場所に固まるという点は、地上界も魔界も、あるいはエクスフィアも地球も変わらない。
魔王城を中心としたエリアは、行政区。ただしそれほど大きくはない。大戦以前は、完全に魔王の独裁体制だったため、省庁などはおまけに過ぎなかったからだ。
中心区の周囲には、上流階級の生活エリア。魔族の階級制度というのは少々面倒で、地上界と同じように家柄や階級、財産等で「貴族」と称される血族と、純粋に強大な力を持っている「上位魔族」とは、完全に一致しているわけではない。
勿論、上位魔族が爵位を得て貴族となるパターンが多いため、その関係はイコールで結ばれることが一般的だが、実際に平民から上位魔族が生まれることも稀にだがある。
そういった者は、かつてであれば戦で名を上げ上へ昇るという道があったが、(一応は)平和な現在はどうなんだろう……優秀な者の道が閉ざされるようなことは、あってはならないんだけど。
今度ギーヴレイに、官吏登用制度について確認してみようか。
で、上層エリアのさらに外側には、商業・工業区が広がる。ここがイルディスで一番活気のある場所と言ってもいい。
上流階級向けのお上品な高級店から、下町っぽさ全開の店、市場、研究所、学問所や病院、娯楽施設も。イルディスの経済のおよそ八割は、ここで回っているといっても過言ではない。
商業区の向こうは、下町エリアである。
必然、商業区の中でも上層エリアに接している地域は上流階級向けの店が整然と立ち並び、下町エリアに近付くにつれて庶民的な店構えが増えていく。
俺は今、その商業区の下町寄りを歩いていた。
一人である。三人娘もいなければ、臣下も連れていない。
勇者の修行も五日目に入った。既にアスターシャに任せきりにしているので(様子を見に行こうとすると、アルセリアが嫌がるんだよ…)進捗具合は分からないが、夕飯時の即席師弟の表情を見るに、なかなか悪くないんじゃなかろうかという気はする。
自分自身の書類仕事も、ある程度は一段落を迎えた。これ以上詰め込まれると俺の頭がパンクしそうなので、ギーヴレイが手心を加えてくれたということもある。
と、いうことで、俺は一人城を抜け出して、胡散臭そうな人や胡散臭そうな店でごった返す雑踏を進んでいるわけだ。
言っておくが、観光ではない。息抜きに遊びに来たわけでも、暇つぶしに来たわけでも、ましてや一時の夢を見に来たわけでもない。
俺が歩いているのは、お世辞にも綺麗とは言い難い狭い路地。昼間っから飲んだくれた中年や、目つきばかりが鋭い子供たちの訝しむような視線をやり過ごし、一つの扉の前で足を止めた。
まるで裏口のように見えるその扉を開くと、そこは雑貨屋だった。薄暗く黴臭い店内には、子供の玩具から怪しげな魔導具まで、何の法則性もなく乱雑に並べてある。
それらには目もくれず、店の奥のカウンターへ。
客が入って来たにも関わらず、まるで興味なさそうな気だるげな顔で頬杖をつく老人が一人、座っていた。
特徴的な風貌。
若かりし頃はなかなかに好男子であっただろう顔は、右半分に引きつれたような傷跡が走り、右目は完全に潰れている。残った左目は酷く無機質な光を帯びて、見る者に不吉な印象を与える、陰気な男だった。
俺が目の前まで行くと老人は、視線だけを上げて一瞥。しかし、すぐにまた視線を戻してしまう。
「…アンタが、“灰衣のミルド”か?」
俺が訊ねると、そこで彼は初めて反応らしい反応を見せた。
「……何の用じゃ、小僧」
つっけんどんな口調。“灰衣のミルド”と呼ばれる老人は、俺を値踏みするかのように不躾な視線をぶつける。
…俺が、自分の顧客に相応しいかを、見極めようと。
「欲しい情報がある」
単刀直入に切り出す俺。
俺がこの店に買いにきたのは、怪しげなガラクタではない。
そう、この店の本当の商品は、情報。ぶっきらぼうな老人は、知る人ぞ知る情報屋なのである。その取扱い量と精度は、おそらく魔界一。“戸裏の蜘蛛”とはまた違ったアプローチで様々な裏事情に通じていたりするので重宝するのだと、ギーヴレイから聞かされてやって来たのだ。
「……小僧に売るような情報はない。さっさと帰れ」
……すげなく断られてしまった。
ミルド老人は見たところ二百歳超え。彼の目に、俺はさぞヒヨッコに映っているに違いない。
だが、これも想定内。この程度で諦めて帰るつもりなど、さらさらない。
「そう言わないでくれよ。ベントやルバーゼの店じゃ扱ってないって言われちゃってさ」
俺がそう言った瞬間、ミルド老人の瞳がギラリと光った。ベントもルバーゼも、隠語である。それなりのツテはあるのだということを示している。
「………何が知りたい」
ミルドは、俺を睨み付けながら言った。詮索してはこないが、どうやら認めてもらえたらしい。
「現在の、天界の勢力図について、出来るだけ詳しく」
「……………………!!」
俺の注文に、ミルドは目を見開いて絶句した。
「……小僧、自分が何を言っているのか分かっておるのか?」
このとき初めて、ミルドがちゃんと俺のことを見てくれたような気がする。かなり警戒されたっぽいけど。
「勿論。興味本位でこんなこと聞くはずないだろ」
ミルドの警戒を解こうと明るく言ってみるのだが、彼の表情は変わらない。
こいつとは、関わり合いにならない方がいいかもしれない……という心の内が透けて見える。
「……魔界全土に出された御触れを、知らんわけではなかろう?」
「まあ、そりゃあね」
「他次元界への干渉は、強く禁じられているはずだ」
「まあ……そりゃあね」
知らないはずがない。だって、他ならぬ俺自身が出した勅令だもん。
如何なる者であろうと、如何なる方法であろうと、地上界そして天界への干渉の一切を禁じる……と。
詮索もまた、干渉と受け止められかねない。そしてその場合、魔王の勅令に背くことになる。
魔界において、魔王の命に背くこと……それは、赦されざる大罪。
それが、魔界に住まう魔族たちの共通認識なのだ。
反社会的なスラムの破落戸でさえも、その法からは逃れられない。
であれば、裏社会の情報屋である“灰衣のミルド”であっても、俺の依頼を拒否するのは当然。干渉の幇助をしただけでも、厳罰に処されると思うのだろう。
しかし同時に、「罰せられるから答えられない」とは即答出来ないのは、彼のプロとしての誇りゆえである。
「そんなことを知って、どうするつもりだ?」
普通は、情報屋が客に対し情報の用途を訊ねることはない。あるとすれば、厄介な案件に巻き込まれそうな場合のみ。
そしてそれを訊ねたということは、返答如何では情報を提供する意図がある、ということ。勿論、その逆もまたあり得るわけだが。
「どうする…っていうか、天界の動きがちょっと気になるんだよね」
“天の眼地の手”による観測。天界からの地上界への干渉とおぼしき流れと、回りくどい隠蔽工作。
明らかに、何かを企んでいるだろう。その目的が分からない以上、俺としても今後の方策が立てられない。
俺が知る天界は、二千年前のものである。当然、その頃とはあらゆる面で変化しているだろう。創世神の腰巾着である五権天使の面子も変わっているはずだし、どういう奴がどういう方針で天界を統治しているのかも、今の俺には分からない。
「……天界の動き…とな」
「うん。アンタなら、もう少し詳しく知ってるんじゃないか?」
「………………」
“灰衣のミルド”は考え込む。俺が、一般には知られていない情報を既に得ていることも分かっている。その上でさらなる詳細を求めている、その必要性がある人物である…ということも、推察しているのだろう。
「……知っていると思うが、仮にお前さんの所業がお偉方の耳に入れば、只では済まされんぞ」
ミルドの警告。脅しではなく、最終確認といったところか。
「わーかってるって。そこんところは、心配しなくてもいいよ。アンタが罪に問われることもない。それについては保証するからさ」
俺の保証が彼にどれほどの安心を与えられるかは知らないが、自信たっぷりにそう言うと、ミルドは観念したように溜息をついて。
「……天界の、勢力図……だったな」
本来ならば魔界に住まう民が知り得るはずのないことを、語り始めたのだった。
情報屋さんは、特殊スキル持ちの元・天使さんです。若い頃色々あったそうですよ。




