第百六十三話 やらなければならないことがあるときに限って他事をしたくなるのってなんでだろう。
勇者の魔界修行、三日目である。
「あれ、あの二人は?」
俺は、ベアトリクスとヒルダの姿が見当たらないことに気付いた。
なお、昨日一日は二人して稽古風景を見学している。アルセリアが比喩抜きで死にかける度に、ものすっごい顔してたっけ。
で、あんな状態の親友の姿を目の当たりにしたわけだし、今日も心配して張り付いているとばかり思ってたんだけど……。
「ああ、お二人でしたら、ディアルディオ様と何処かへお出かけです」
ここにはいない三人の代わりに、エルネストが返答。
……って、嘘だろ?
あの二人が?修練とは言え何度も殺されかけているアルセリアを置いて、まさか魔界観光?
初日は仕方ない。俺だって、アスターシャのしごきがここまでトンデモ内容だとは思ってなかった。
けど、昨日一日でそのヤバさを知ったわけだし、俺ですら心配で仕事が手に付かずこうして傍らで見守ることにしたくらいで(いや、決して書類仕事から逃げ出してきたわけではない。断じてない)。
なのに、勇者の幼馴染で親友で盟友で運命共同体の二人が、こうもあっさり他人事を決め込むって、どういうことだ?
そりゃ、あの二人がここにいても何の役に立つわけでもないし、「随行者」でしかない彼女らはアルセリアと違って、死にかけたからって限界突破出来るわけでもないんだけどさ。それは、聖骸を身に宿した“神託の勇者”だからこそ可能な荒療治なのであって。
でも……だからと言って、血まみれ傷だらけで死にかけてるアルセリアを尻目に、観光気分になれるもんじゃないだろう。仮に、アスターシャや俺を全面的に信頼しているとしても…だ。
「……私が言ったのよ、二人には」
とは、休憩中のアルセリアの談。
「ずーーーっと心配そうな顔して張り付いてられても、逆にこっちの気が引けちゃうのよ。二人にあんまり格好悪い姿見せたくないし。だから、気が散るって言って、別行動してもらうことにしたの」
……なるほど。二人を心配させたくないアルセリアと、心配する姿を見せることで重荷になりたくない二人の思惑が一致したというわけか。
分からなくはないが……よくあの二人が納得したものだ。
「…って、今さら格好つける必要もないだろうに」
そう言いながら、疲労回復の加護を目一杯効かせたハーブティーを、アルセリアに差し出す。エルネストの術では外傷しか治せないから、消耗した気力精神力はこいつで充填してもらおう。
「ま、それはそうなんだけどさ。あの二人、私が無茶やる度に自分が死にそうな顔するから」
「あーーーーー、なんか分かる」
俺なんかよりもよっぽど長い付き合いの三人だからな。今までにも、似たようなことはあったのかもしれない。
「……アンタもなんだけど」
「はい?」
ジト目で見られて、思わず硬直。
「昨日もそうだけど、一日中周りをうろちょろするの、やめてよね」
な、俺をストーカーみたいに!
「アンタは魔王なんだから、自分の仕事もあるんでしょ?サボってないでそっちに戻りなさいよ」
………バレてた!
「その件に関してのみ、私も勇者と同感です」
うわ!吃驚した!!
いきなり背後から恨めしそうな声がして、俺は飛び上がる。
恐る恐る…声の主は分かってるけど…振り向くと、そこには何とも言えない沈痛な表情で佇むギーヴレイが。
アルセリアは、どうもギーヴレイを苦手としているようで…ギーヴレイとしても、彼女らにどう接したらいいのか決めあぐねている…、お茶を飲み干すとその場から離れていった。
多分、俺を見捨てたわけではないのだと思う。そう思いたい。
「……陛下」
「わ、分かった。すぐ戻る」
ドナドナばりに悲しそうな瞳で見つめるギーヴレイがそれ以上何か言う前に、俺は立ち上がった。まあ、昨日は一日サボれたわけだし、今日は諦めてお縄につくことにしよう。そうじゃないと、本気でギーヴレイを泣かせそうだ。
余談だが……ギーヴレイは、酒席での出来事をばっちり覚えていた。あれだけ酔っぱらっておきながら、記憶を失わないのは驚きである。
しかし何が驚きって、覚えているにも関わらず平然としてること。あそこまで興奮して熱弁を振るうなんて普段のギーヴレイからしたら考えられないことなのに、どうやら彼の中では特に恥ずかしいことでも忘れたいことでもなかったらしい。
「陛下を敬愛申し上げている率直な心情を吐露しただけです。恥ずべきことなど何処にありましょう」
そう、真顔できっぱりと言われてしまった。
やっぱりギーヴレイ、恐るべしである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その夜。
「ただいま帰還しましたー」
呑気なディアルディオに連れられて、
「ただいま戻りました」
ベアトリクスと、
「……ただいま」
ヒルダが戻って来た。
夕飯の直前である。
「おう、お帰り。……で、今日は何処に行ってきたんだ?」
俺の質問に、
「え?ええ……今日は、郊外の方を色々と…案内していただきました」
何故か歯切れ悪く答えるベアトリクス。
……歯切れが悪い原因は、なんとなくだがすぐに分かった。
「そっか。……だいぶ疲れてるみたいだし、夕飯はもう少し消化のいいものの方が良かったか?」
俺にそう言われて、これまた何故だか慌てる二人。
「いえ、アルシーが疲れているのは分かりますが、私たちは別に………」
「……ボクたち、元気」
「………随分疲れてるよな?」
俺に遮られて、二人して黙り込む。
こいつらを目にした時点で、すぐに気付いた。魔界観光なんて、嘘であると。
見たところ、怪我はなさそうだ。だが、ひどく魔力を消耗しているのは確か。無理して元気そうに振舞っているが、この魔王の目は誤魔化されない。
「……ディアルディオ」
黙り込む二人の代わりに、ディアルディオに問いかける。
「は…はい」
「この二人を、何処に連れて行った?」
「え……ええと………」
言い淀むディアルディオ。バツが悪そうだ。
「郊外と言っていたな。……叱らないから言いなさい」
宿題の存在を隠していた子供を相手するみたいに再び問うと、ディアルディオは観念したように
「今日は……エシエネ峡谷…に、行ってきました……」
と、素直に白状してくれた。
……って。
エシエネ峡谷かーーーーー。
よりにもよって、なんつー所に人間である二人を連れてくんだよコイツは。
そう思ったが、叱らないと言った手前、声高に責めるわけにもいかず。
「……観光にしては、随分と剣呑な場所だと思うが………?」
一応、目的を確認しておこう。
「ええと……その、ええと………」
俺が魔王城にいる間、ベアトリクスとヒルダの面倒を任せられているディアルディオとしては、二人の身の安全確保は最優先事項。それなのにエシエネ峡谷なんて魔界随一の危険地帯に二人を連れて行ったことに対して、どう説明すれば俺の叱責から逃れられるのか、必死に考えているようだ。
「あの、リュートさん」
冷や汗ダラダラで言い訳を考えているディアルディオを庇うように、ベアトリクスが前へ出た。
「私たちがお願いしたんです。その……アルシー一人に辛い思いをさせるのなんて、耐えられないですし」
「え?何?どゆこと?」
一人、何がなんだか分かっていないアルセリアは頭の上に疑問符を浮かべている。
「で、自分たちも修行したいって?」
「…………はい」
あーーーー、まぁ、アルセリアをほっぽって遊び惚けているよりはよっぽどらしいと言えばそうだ。
アルセリアのような荒っぽい方法は無理にしても、少しでも強い敵と戦って自己研鑽を積みたい…と。それで、強力な魔獣……地上界では遭遇出来ないような……が闊歩するエシエネ峡谷に行って……
「……って、魔獣退治?エシエネ峡谷で?大丈夫だったのかそれ!?」
あの付近に生息する魔獣は、それこそオロチ程度なんか話にならない高レベルである。悪いが、ベアトリクスとヒルダにどうにか出来る相手とは思えない。
アスターシャがきちんと管理している(と思いたい)アルセリアの稽古と違って、本気で死んだら洒落にならない。
「ええ。ディアルディオさんが、手を貸してくださいましたから」
「……助かった、ディオっち」
ああ、そういうことか。ギリギリまで二人に任せて、本当に危険な状況になったらディアルディオにスイッチするっていう戦法ね。
それなら、死ぬ心配はないわけだけど……
そんなことより。
ちょっと待て。
今、何か…………聞き捨てならない言葉が、聞こえなかったか?
「……ヒルダ。今…ディアルディオのこと、何て呼んだ……?」
「…?ディオっち?」
……………………………!
何それ!羨ましい!つか、可愛すぎる!!
「ディオっち」って。「ディオっち」って!!
なんつーうらやまけしからん呼ばれ方をしてるんだディアルディオってば!
「あの………陛下……?」
一人悶える俺に、ディアルディオが恐々声を掛ける。
「いや……何でもない、気にするな」
くそう!羨ましいな!魔獣の群れの中でカッコいいところヒルダに見せて、「ありがとディオっち」とか言われてたわけか!羨ましすぎる!
……だが、魔王の沽券もある。そんなことで臣下に嫉妬してるなんて、知られるわけにはいかない。
それに……ヒルダに可愛く礼をされて赤面するディアルディオなんてのも、これまた想像するだに可愛いだろ!
あーーーーー、見たかったな。明日は俺もそっちに同行しようかな。
一瞬、煩悩に負けそうになる魔王であった。
勇者一人を強くしちゃうとパーティーバランスがちょっとなー…と思いつつ、残りの二人をどうしようか迷ってます。




