第百六十二話 話が通じそうで通じない程度の酔っ払いってのが一番厄介。
久々に酒を酌み交わすことにした……とは言っても。
実際、俺がギーヴレイと酒席を共にしたことは、ほとんど…いや、多分一度もない。他の臣下たちともそうだ。それだけ、俺と彼らとの間には高く厚い壁があった、ということで。
なので、今回もギーヴレイは、俺の傍に控えてただ酌をするだけのつもりだったらしい。
「構わぬ。お前も飲め」
俺が着座を促してそう誘うと、飛び上がらんばかりに驚いた。
「何を仰せですか、陛下。私めが陛下と同じ席に座するなどそのような不遜な…」
「いいから。我の酒が飲めぬか?」
「……!い、いえ、滅相も………………うぅ…はい…………………」
呑みニケーション奥義、「俺の酒が飲めないのか」。
上司にこれを言われて断れる猛者はいないと聞いたことがある。
なんか、無理矢理感がなくもないけど、こうでもしないとギーヴレイは永遠に遠慮し続けるだろうし。
ギーヴレイが俺のために用意したのは、魔界の葡萄で作られた葡萄酒。血のような鮮やかな赤が特徴的だ。
俺たちは、しばらく他愛のない話をしながら、盃を進めた。
そうそう、今はちゃんと、“星霊核”と接続してる。この俺が酔っぱらって他人に絡むなんて、そんなことはあるはずがないのだが、一応…あくまでも一応、万が一のための策である。
そう……万が一臣下の前でそんな醜態を晒したりなんかしたら、もう恥ずかしくて魔界に居られない。
「………陛下は、お変わりになられましたね………」
何杯目のグラスを空にした頃だろうか、ギーヴレイが、ぽつりと呟いた。
「そう思うか?」
「………はい」
ギーヴレイの表情からは、それをどう思っているのかはよく分からない。が、今日はその本心を聞き出すための飲み会なので、このまま話を進めてしまおう。
「……確かに、そうだな。我は変わった。今の我は、かつての…天地大戦以前の我とは、明らかに異なった面も持つ…と、自分でも思っている」
かつての俺。かつての、魔王ヴェルギリウス=イーディア。
冷酷無比で、傲慢で、残忍。僅かにでも叛意を見せた者は一切の容赦なく消し飛ばし、例え忠実な側近であろうと便利に利用出来る手駒程度にしか認識せず、彼らに歩み寄ろうとも、彼らの忠義に報いようとも、思ったことがない。
それが、復活後はまるで一転したのだ。積極的に彼らに語りかけ、彼らを労い、叛逆者に情けまで与えたりする始末(マウレ兄弟とか)。
ギーヴレイが、臣下たちが戸惑うのも、当然。
「……このような我では、不満か?」
「いえ!決してそのようなことはございません!!」
彼らに気に入られたくてやっていることではないのだが、それでも嫌われるより好かれた方がいいに決まっている。気になって訊ねた俺に、ギーヴレイは食い気味に答えた。
「私は、陛下がどのような振舞いをなさっても、陛下への敬愛を失うことは決してございません。それは、他の魔族全てにおいて、同様でございます」
ギーヴレイはそう言うが、実際はそうでもないだろう。現に、ルガイア=マウレは俺のヌルいやり方が気に入らなくて、食ってかかってきたくらいだ。
かつての暴君に怯えていた者が少なくなかったのと同じように、今の魔王の態度や方針が受け容れがたい者も、少なくないはず。
まぁ…ギーヴレイは本心から言ってるようだし、ルクレティウスは戸惑いながらも俺の変化を受け容れてくれてるみたいだし、ディアルディオとアスターシャは、どう見ても面白がってる。
フォルディクスは……正直、面白くなさそう。面と向かっては言ってこないが、俺に向ける目に疑問と失望が少なからず込められているのを、最近はよく感じる。
……と言うか、復活後ほとんど俺に会いに来ないし。
………嫌われちゃったかなー。
「ただ……陛下、質問を、お許しいただけますか?」
「……ん、何だ?」
一人だけ毛色の違う武王にこれからどう接するべきか悩みかけた俺の意識を、ギーヴレイの問いが引き戻した。
「……陛下の御身に、何があったのですか?」
聞いてもいいのだろうか、と逡巡する様子を見せつつも、ギーヴレイは尋ねる。俺の目を、まっすぐに見つめて。
「……我が、封印されていた間に…という意味か?」
「左様でございます。陛下がお変わりになられたのは、お目覚めになってから。その間に、何か陛下のご心情を変えるような出来事があったとすれば……どれほどの事件があったのか、と……」
ギーヴレイの勘違いに、俺は微笑ましくなってしまった。
彼は、余程重大な出来事があって俺が考え方を変えるに至った、と思っているのか。
まあ確かに……魔王の価値観を変えるような出来事なんて、相当の大事件だと思うよな、普通。
「何もなかった」
けれども俺は、正直に答える。
「何も…ですか?」
「ああ。何も……取り立てて述べるようなことは、何もなかった」
意外そうなギーヴレイの顔。それこそ、世界の命運を賭ける大冒険的な、そんな話を予想してたか?
「お前たちには、詳しく話していなかったな。我は、封印されこの世界を放逐されていた間、異世界で人間として生きていた時期がある」
「それは……お戻りになった直後、お伺いした記憶がございます」
あ、そうか。ギーヴレイには、本当にかいつまんで要点だけを話したことがあったんだった。
「そうだったな。それで、そこでの生活のことはどうだったか」
「いえ…そこまでは」
首を振るギーヴレイ。
俺は、彼に桜庭柳人の話を聞かせることにした。
桜庭柳人。何の変哲もない人間。穏やかで満ち足りた毎日…些細なトラブルはあったものの…を送っていたこと。血を分けた肉親がいて、それらを大切に思っていたこと。
妹がいたこと。妹がものすごく可愛くて、可愛くて、可愛かったこと(聞いているギーヴレイの表情が引きつっていたのは見て見ぬフリ)。
友人がいて、他愛のないことで泣いたり笑ったり悩んだりしたこと。
こともあろうに、見ず知らずの他人を助けて命を落としたこと。それについて、後悔はしていないということ。
魔王として世界創造から天地大戦まで経験してきた身からすれば、文字どおり「何もなかった」に等しい、ちっぽけで無価値でありふれた人生だったこと。
そんな人生が、まんざらでもなかったということ。
そしてそのちっぽけでつまらない人生で得たものが、現在の魔王の価値観を少なからず支えているということ。
アルセリアたちにさえ話していなかったような些細なことまで、包み隠さず俺は話した。話している間、ギーヴレイは何も言わずに黙って聞いていた。
「……と、いうわけだ。結局今の我は、魔王でありながら人間の部分を大きく引きずっている。そういう意味では、お前たちの望む「完璧な魔王」ではなくなってしまったと言えるな。……失望したか?」
…………。
………………あれ?返事がない。
もしかして、酔っぱらって寝ちゃったとか?
ギーヴレイの方を見ると……いや、寝てはいない。ただ静かに、俺を見ている。なんだか、とても安堵したような顔で。
「……ギーヴレイ?」
「………安心いたしました」
胸に手をやって、そう答える。
……って、安心?何が?頼りない主君で安心出来る??
「無礼な物言いを、お赦しください。……私は、いえ我々臣下は、これまでずっと、陛下の御心をお察しすることが出来ずにいました」
……いやいやいやいや、充分にお察しいただいてたと思うけど…………
俺の戸惑いに構わず、ギーヴレイは続ける。
「陛下のお望みを叶えたいと思っても、本当に我らの行いが陛下にお喜びいただけているのかも、確信がなかったのです」
「お前たちは、かつても今も、充分に尽くしてくれているではないか」
思わず言うと、ギーヴレイは目を輝かせた。普段はヒルダ以上の無表情なのだが、俺の前でだけはとても表情豊かなんだよな、コイツ。
「勿体ないお言葉にございます。……この度、陛下は初めてお心の内をお見せくださいました。私にはそれが無常の喜びであると共に、これから陛下にお仕えする指針ともなりました」
…………んんん?どゆこと?
要するに、俺の価値観とか好みとかが分かったから、安心した……?
……いや、それだけじゃないな。
多分、俺は彼らを不安にさせていたのだろう。
そりゃそうだ。二千年ぶりに目覚めた主が、いきなり態度を変えてきたら、不安になるに決まってる。その理由が分かって、それがギーヴレイには納得出来るものだったから、それで安心したんだ。
……フォルディクスあたりだと、こんな話聞かせたら余計に俺への不信感を募らせそうだけど。
そう言えば、ギーヴレイは幼少期に村ごと家族を失ったんだったな。以前に聞いたことがある。彼の故郷は、一族は、魔界の中でも特に温厚で平和を好んでいたと。
彼の口振りから、幼いギーヴレイは家族の愛情に包まれて育ったのだということも容易に想像出来た。
愛情を知り、それを失った経験を持つ彼だからこそ、それが持つ力の大きさも知っている……それが、神である“魔王”さえ変えてしまえる程の力だ、ということも。
「……そうか。我が変わってしまってもお前たちが変わらぬ忠誠を示してくれるのならば、我は今まで以上にお前たちの誇りたりえる主君にならなければ…な」
ギーヴレイのグラスを満たしながら言う。ふと視線を上げると、ギーヴレイの目がウルウルしているのが見えた。
「そのようなお言葉をいただけること、身に余る光栄にございます!」
顔色は普段と変わらないけど……やけに、テンションが高い。
………俺の前限定で表情が豊かとは言っても………
もしかして、やっぱり酔っぱらってたりするのか?
今まで一緒に酒を飲んだことなかったから、ギーヴレイが強いか弱いかなんて知らない。勝手に、それなりに飲めるだろうと想像していたのだが………
「陛下!私は、初めて陛下にお会いしたときから自らの運命を悟っておりました!」
「うん?」
唐突に熱く語り始めた。
「私は、陛下にお仕えするためにこの世に生を受けたのだと!一族の滅亡も、その不条理な厄災も、全ては陛下の元へ私を導くためのものだったのです!」
「え、あ……そう…なのか?」
ギーヴレイ、ここでグラスを一気にあおる。
……これ以上、継ぎ足さないほうがいいよな、絶対。
「天涯孤独の身となったとき、私は己が身の不運を嘆きました。世界の不条理を、不公平を呪いました。しかし、陛下にお仕え出来た幸運は、そのような不運を相殺して余りあるもの!今私は、一族を滅ぼした襲撃者に、礼を言いたいくらいです!!」
「いや……それはいくらなんでも…………その襲撃者とは、何者か分かっているのか?」
「はい。見つけ出して、既に一族の無念を果たしてあります」
………無念を果たして……って。
「……既に殺害しているのだな?」
「当然にございます!奴の墓前……墓などは作っていないので何処か適当に、礼を言うことにします!」
「いや…別に無理に礼を言う必要はないのでは………?」
あーーーーーーどうしよう。
俺、他人が酔っぱらったときの対処法なんて知らないよ?
魔王の目の前で酔っぱらうなんて今まで誰もしなかったし。
桜庭柳人は未成年だったから、飲み会に行ったこともないし。
「いえ、そうもいきません。憎き相手とは言え、奴のおかげで今の私があるのですから、それはそれということで私は奴への感謝を示さずにはいられません!!」
なんだろう。すごくしっかり話してるし、興奮してるところを除けばそんなに酔っぱらってるようには見えないんだけど……
「…しかし、仇なのだろう?」
「仇であっても、です!それほどに、私は陛下にお仕え出来ることが幸せなのです!幸福です!無常の喜びなのです!奴に礼が言えないのならば、この思いを何処にぶつければよいのでしょう!?」
知らないよそんなの!
「……ギーヴレイ、少し落ち着け、お前らしくもない」
「……私らしい?」
……あ、やべ。なんかスイッチ押しちゃったかも。
「私らしさとは、何でございましょう陛下?」
「え?あ、いや……いつでも冷静沈着で何があっても動じない……とか」
「過分な評価、ありがとうございます!!しかしながら陛下、それは私がそうあるべくして己に課している姿にございます」
……どうしようどうしよう。なんか、ギーヴレイの目が座ってる。
もしかして、俺、絡まれてたりする?
「私の思う私らしさとはですね」
「う…うむ?」
「…………………………」
ギーヴレイ、いきなり黙り込む。
なんだなんだ、お次は何を言い出す?
「……陛下」
「…………何だ?」
「私は、陛下を敬愛いたしております」
「ああ……それは十分に伝わっている」
伝わってる。伝わってるから、ちょっと落ち着いてくれないかな。
「それこそが、私らしさなのです!!」
ごめんなさいもうちょっと何言ってるのか分からない!
「私の、陛下への想いがすなわち私自身であり私らしさであり私の存在意義であり価値であり」
「分かった!分かったから少し落ち着け」
ここまで思ってくれていて主君冥利に尽きるところだが、ちょっと重い。あと、怖い。酔っぱらった状態で言われると、なんか怖い。
なので、とりあえず話を終わらせようと頑張ってみたのだが。
結局、この後四時間ほど、俺は魔王が如何に素晴らしい主君で如何にギーヴレイが魔王を敬愛し崇拝し妄信しているかを、延々と聞かされる羽目になったのだった。
教訓。
酒は呑んでも呑まれるな。
あと、差し呑みはやらないほうがいい。片方が暴走すると片方が困るから。
ラディ先輩の遺言を思い出しつつ……俺は、決してこんなではなかったと、思いたい。
自分で言うほど酷い魔王でもないんですけどね、ヴェルギリウスさんは。部下の認識はまた違うと言うか。
で、ギーヴレイも絡み酒タイプだと判明しました。残りの面子はどうなんでしょう。




