第百五十九話 ギリギリラインって、考えてみたらギリギリセーフかギリギリアウトか分からない。
「このままでいいのかい?」
魔王が勇者一行を(何故か)魔界に連れ込んで丸一日経った。
魔王の命により“神託の勇者”に稽古を付けているアスターシャと、魔王が廉族と慣れ合うことにやたらと乗り気なディアルディオは、ここにはいない。
今、この場にいるのは六武王のうちの三人。
「…いいも何も、陛下が決められたことならば我らに従う以外の道はない」
内心では納得していないことは明らかだが、そうは決して言い出せないギーヴレイ=メルディオスと、
「…うむ。陛下にも何かお考えがあるのだろう」
納得とまではいかないが、ギーヴレイほどには疑問を持っていない、ルクレティウス=オルダート。
そして。
「それにしたって、廉族ふぜいに、随分ご執心じゃないか。陛下ともあろうお方が、一体何を考えておられるのやら」
その疑問を隠そうともしないのが、フォルディクス=アゲート。“変幻のフォルディクス”との異名を持つ六武王の一員。長身痩躯、飄々とした風貌の男だ。
「フォルディクス、それは不敬だぞ」
ギーヴレイの叱責にも、
「アンタらだって、同じこと考えてるんだろ?今の陛下には、魔族たちよりも廉族の方が大事なんじゃないかって」
不満げに、堂々と言い返す。
「フォルディクスよ、お主…陛下の仰られることに叛意を示すと?」
低い声をさらに低くして、ルクレティウスが凄む。が、睨み付けられたフォルディクスは、意に介さない。
「叛意だなんてとてもとても。……ただ、疑問を持つことさえ許されないのかな?」
馬鹿馬鹿しい、という態度を隠しもせず、肩をすくめてそうボヤく。
「……疑問を持つならば、陛下に直接申し上げたらどうだ」
ギーヴレイが、感情を抑えた声で言う。
「かつてならばそうでもなかったが、今の陛下であれば貴様の不遜もお許しいただけるかもしれんぞ」
「じょ、冗談じゃないよ。そんな不敬な真似、出来るわけないじゃないか。一番の腹心であるアンタならまだしも、俺がそんなことしたら殺されちまうよ」
慌てて首をふるフォルディクス。殺される…と言っても、「魔王に」なのか「ギーヴレイに」なのかは、定かではない。
ギーヴレイ自身は、魔王の決断に異を唱えたことは一度たりとてない。ルクレティウスにしても同様だ。
だが、仮に不敬を働いたとしても、叛逆やそれに類するものでない限り、魔王はあっさりと赦してしまいそうな気がしている。
封印前の魔王であれば、絶対に有り得ないことだったろう。僅かな叛意、不服従の一切を許容せず、口答えをしようものなら即座に処断されていた。
その変化が、封印前と覚醒後の間に挟まれた空白期間のせいであることは、ギーヴレイも薄々気付いている。
だが、魔王が「異世界で人間を経験した」ことから生じた具体的な結果が何であるかまでは、分からない。
ギーヴレイは、魔王のそれを、「寛容」だと思っている。それは一概に間違いではないのだが、全てでもない。
それが、魔王の魔族に対する愛情から生じたものであると気付くには、彼自身その感情に疎かったからである。
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「次は、こちらの嘆願書にご署名をお願いいたします」
「う……うむ」
執務室である。
机仕事である。
ギーヴレイが、次から次へと、持ってくるのである。
あーーーーー、めんどい。面倒臭いよう。
せっかく久々に我が家に帰って来たってのに、こんなに地味で地味に面倒な書類仕事に忙殺されるなんて、不幸以外の何物でもない。
だって…だってさぁ。
アスターシャにしごかれて文字どおり死にかけてるアルセリアと、机の前で書類の山に圧し潰されそうな俺を差し置いて、ベアトリクスとヒルダってば、呑気に魔界観光なんてしてやがるんだよ!
ちょっと、何それ。勇者の随行者としてどうなんですか!?
いくら修練とは言え、死にかけてる盟友をほっぽって、遊び惚けるとか、どうなんですか!?
ベアトリクスなんて、出掛ける前に白々しく、「…私は、信じていますから。アルシーも、リュートさんも」なーんて、なんか良さげな雰囲気のこと言ってたけどさ。
いや、確かに、“神託の勇者”たるアルセリアがこの程度の試練に打ち勝てないとも思えないし、俺の命令がある以上アスターシャが本当にアルセリアを殺してしまう恐れなんてないわけだけど(まぁ事故的な不運は置いといて)。
でもでも、やっぱ納得いかない!
仕事で大変な仲間を、傍で見守るとかいう選択肢はなかったんかい!!
「陛下、お手が止まっていらっしゃいます」
「…………すまん」
そしてなんだかギーヴレイが冷たいし!
……いや、原因は分かっている。分かり過ぎるほど、分かっている。
コイツは、俺がまたしても三人娘を魔界に連れてきたことが面白くないのだ。
それでも前回は、ほんの一瞬だったからまだいい。
だが、今回は七日間も滞在させる上、六武王であるアスターシャに稽古相手まで命じているわけで。
もう、俺が三人を特別扱いしているということに、疑念の余地はないだろう。
俺だって、博愛主義者じゃない。廉族なら誰でもこんな扱いをするなんてことはないし…と言うか、アルセリアたちでなければこんな風に面倒を見るなんてことは有り得ない。
ギーヴレイもそこのところ何となく分かってるんだろうな。だからこそ、面白くない。が、俺に直接文句を言うことも出来ずに、悶々とした気分を持て余している…のだろう。
で、持て余したモヤモヤを俺の執務で発散させている……ような気がするのは、俺の考えすぎでもあるまい。
「この次は、こちらの報告書をお願いいたします」
一つの仕事が終わると、息付く暇なく次の書類が差し出される。先ほどから、ずっとこの繰り返しだ。
俺がなかなか魔界に帰ってこないものだから、仕事が溜まりまくったということもあるだろう。が、今までであればもう少し、俺を労わったペース配分を心掛けてくれていたはず。
「……ギーヴレイよ」
「何でございましょう」
「…………いや、何でもない」
ほらぁ!なんか、俺への返事もトゲトゲしいもん!
でも、なんか怖いからそれ以上何も聞けない俺は、どうせヘタレ魔王ですよ。
とりあえず、今は目の前に積み上がった書類を片付けるのに専念するのが一番だな。遊びに行ってるベアトリクスとヒルダは置いといて、アルセリアの様子は後で見に行くことにしよう。
「陛下、お手が止まっていらっしゃいます」
指導二回目入りました!
なかなか手が進まない俺と、サボらせてくれないギーヴレイの地味な攻防は五時間ほど続き。ようやく、鬼宰相も手綱を緩めてくれる気になったようだ。
「それでは、このあたりで小休止といたしましょう、陛下」
「……ああ、そうだな」
なんで臣下が俺の仕事配分を決めるんだって思わなくもないが、ここは大人しく従っておく。下手な事を言うと、この貴重な休憩もお預けになってしまう。
片付いた書類の山…束ではなくもはや山…を抱えて、ギーヴレイが執務室から退出していく。俺は彼の背中を見届けたあとで、執務室から直接城内のとある一角に移動した。
それは、円形闘技場。御前試合とかが行われる、大規模なものだ。ここで、アルセリアはアスターシャに稽古を付けてもらっている。
修練場も考えたが、そこは他の魔族たちも使用するし、耐久度もそれほど高くない。アスターシャはその能力的に、大規模破壊を得意とするわけではないが、それでも“神託の勇者”をギリギリまで追い詰める過程であちこち壊されてはたまったものじゃない。
ということで、多重結界による防護壁が張り巡らされた闘技場を、修練の場に指定したわけだ。
さーて、二人の様子は…っと。
「これは陛下、このような所にお運びいただかなくとも、お命じ下されば馳せ参じましたが」
「ああ、いや、勇者の修練の様子を見てみようと思って……………って」
……………………。
………………………………!
なんてこったい。
これ、大丈夫……なのか?
俺は、自分の臣下を信じている。アスターシャに、「ギリギリ死なない程度の稽古」を命じた以上、彼女が「ギリギリ死なない程度」を厳守するであろうことは、分かっている。
……が。
「お…おい、アルセリア。…………………生きてる?」
思わずそう問いかけたくなるくらいに、勇者は死にかけていた。
「…………リュー……ト…?」
ああ!なんかマズくない!?
めっちゃ息も絶え絶えなんですけど。残りHP1って感じなんですけど!
「ご安心ください、陛下。そのために彼が控えておりますので」
アスターシャが言うと同時に、後方で見ていたエルネスト(ディアルディオと一緒に遊びに行ったのかと思ってた…)が前へ進み出た。
「ほんと、閣下は人使いが荒くていらっしゃる」
そうボヤキながら、エルネストは治癒の光をアルセリアへ注ぐ。
瞬く間に、アルセリアの傷が塞がっていった。
千切れかけていた左肩は綺麗にくっつき、折れた骨が露出していた右脛部も、傷跡一つ残さずに元通りに。
出血が続く腹部の裂傷も、あっと言う間に塞がった。
……って、マジ?
開放骨折まで瞬時に治すって、そんなんアリ?
痛みやら出血やらを和らげる従来の治癒術式とは、明らかにレベルが違う。
「エルネスト……お前、めちゃくちゃ治癒のエキスパートじゃないか」
感心しきりの俺に、エルネストは、
「いえいえ、お恥ずかしながら、これしか取り柄がないもので………」
とか謙遜するが、全然恥ずかしくなんてないぞ。
確かに攻撃方面ではやや力不足の感が否めないエルネストではあるが、まさか高位天使並みの治癒力を持っているなんて。
回復限定、ということを差し引いても、ものすごく有用な戦力じゃないか。
なるほど彼が神官に扮していたのも、こういう理由だったんだな。
「………もう一度、お願いします」
一見全快したように見えるアルセリアだが、かなりふらつきながら、やっとのことで立ち上がる。
肉体の損傷は治せても、失った血液や消耗した体力が戻るわけではないのだ。
「……ほう。見上げた根性だが…しばし休息といこう。いくら貴殿でも、これ以上連続で死にかけるのは少々危険だ」
満足げに言うアスターシャの表情からすると、アルセリアは彼女の期待には沿えているようだ。
けど……
これ以上連続で……って、まさか。
「お前ら、さっきからこんなこと繰り返してるのか?」
「ええ、それはもう凄まじい光景でしたよ」
答えたのは、アスターシャでもアルセリアでもなくエルネスト。ニコニコしながらも、
「アスターシャ閣下は容赦なくアルセリア殿を切り刻むし、アルセリア殿も何度斬られても立ち上がるし、なんだかあまりに現実味の無い光景で、お芝居でも見ているかのようでした」
と、なんとも恐ろしい稽古風景を説明してくれたりする。
「き…切り刻むって…………」
「閣下から、すぐ傍に控えているようにと言われたのですが、正解ですね。即座に治療しなければ、アルセリア殿は少なくとも五回は死んでいたでしょうから」
…………怖い!
なんか、想像を超えてた!
いや、確かに「生死ギリギリライン」を命じたのは俺だけども!
勇者に限界を突破させるために、その限界に何度でもぶち当たってもらおうと思ったけれども!
ここまで文字どおりに「死にかけ」させるとは、流石に思ってなかったって言うか……もう少し緩やかなものを想像してたって言うか……
これ、限界の壁にぶち当てると言うよりは、壁に叩きつけて壁ごと破壊しようとしてるみたい。
「……アルセリア………お前、大丈夫か…?」
隅の方で石壁にもたれてぐったりしているアルセリアに、恐る恐る話しかける。
傷は塞がっているが、消耗具合が酷い。
「大丈夫……とは言えない…けど、言えてたら意味がないってことくらい、分かってるわ」
弱々しいながらもはっきりした声。いくら稽古とは言え、五回も殺されかけて心が挫けないってのは相当の精神力だ。
………正直、俺だったら挫けてたかも。
「ええと……何か、俺に出来ることはないか?」
稽古に関してはアスターシャに一任しているので、余計な手を出すつもりはない。だが、ここまで頑張っているアルセリアを見ていると、何かをしてやりたいという気持ちになるのは当然だろう。
「…………ご飯」
案の定と言うか、予想どおりと言うか、アルセリアの口から出てきたのは聞きなれた要望。
「美味しいご飯、食べたい。………アンタが最初に作ってくれた、あのスープがいい」
「よっしゃ、任せとけ」
アルセリアの口から「肉」という単語が出てこなかったことに驚きつつも(そこまで消耗しているのか……)、俺は腕によりをかけて最っ高の「にんたまポタージュ(くどいようだが忍者の卵、ではない)」を作ってやろうと心に決めた。
アスターシャの稽古は、もはや稽古ではなくほぼ拷問ですね。詳しい描写はヤバいので割愛です。




