第百五十七話 押してみよう、やる気スイッチ。
ダンスホールでの決闘の直後。
勇者一行と別れ、自室へと戻ったレティシア王女は、筆頭宮廷魔導士イヴラと向かい合っていた。
「……これはどういうことだ?」
イヴラが、不機嫌さを隠そうともしない態度で、レティシア王女に詰め寄る。
臣下であるはずのイヴラが、王族であるレティシアに対して。
しかし、レティシアがイヴラの不敬を気にする様子は全くない。それどころか、彼女はイヴラの足元に傅いている。
それは、決して他者のいる前では見ることの出来ない光景。
「私に無断で勇者に関わるなと、言ってあったはずだ。しかも勝手に勝負したばかりか、再戦まで許すとは…何を考えている?」
一見、イヴラが主でレティシアが臣下のように見えるが、レティシアはイヴラの懸念を意に介していないようだ。あっけらかんと、
「心配は御無用ですわ、イヴラさま。勇者さまと私では、力量差は明確。何度戦ったとしても、結果が覆ることはございません」
何かを心配するイヴラにそう言ってのけた。
「貴様は“神託の勇者”を舐め過ぎだ。七日も猶予を与えて……」
「たった七日で何が出来るというでしょう。尤も……少しは頑張っていただかなくては困りますが…せいぜい付け焼刃で対抗策を練るのが限界では?」
レティシアとて、アルセリアをそこまで見くびっているわけではない。自分よりは弱いが、廉族として最高レベルの強さにあると認めてもいる。
イヴラと出会う前の自分であれば、確実に勇者の方が強かっただろう。
だが、今の彼女にはイヴラがいる。
そして、強くなればなるほどその代わりに伸びしろが縮小していくことも、「砂漠の剣姫」と呼ばれ国随一の剣士として名を馳せる彼女には分かっていた。
勇者に、たった七日で自分との差を埋めることなど、不可能。
「だったら、再戦などしなければいいだけのことだろう?」
「それでは、私がつまらないじゃありませんか」
普段とは打って変わって、嗜虐心を隠そうともしないレティシアの表情だが、イヴラは全く動じない。彼女の本質がそこにあると理解しているからだ。
「私は、もっともっと高みに昇りたい。そのためには、もっともっと強者との戦いが必要なのです。けれども、私と渡り合える猛者など何処にもいない……ならば、勇者にその役を求めるのは当然でしょう?」
恍惚と望みを語るレティシアに、イヴラは溜息をつき、
「……どのみち、再戦を約束してしまったからには仕方ない。絶対に後れを取るような真似は許さないぞ。貴様に与えたそれは、決して他者の手に渡ってはならない秘宝だ」
レティシアの手の中の剣を見やりながら言う。
「それと、例の男……奴にはこれ以上関わるな」
「あら、よろしいので?イヴラさまは、あの補佐役をとても警戒してらっしゃったでは…」
「だからこそだ。奴に関しては、私が対処する。何者かは分からないが……妙な気配がする」
イヴラの懸念は、勇者ではなくその補佐役だという少年の方にあった。
魔族と深く関わることになってしまった人物……勇者一行からはそう聞かされた。時間稼ぎと探りを入れる目的(あと罠の意味も含めて)で遣わしたレティシアからの報告でも、特に怪しいところはなかったという。
だが……それを鵜呑みにするのは危険だと、彼の本能が告げていた。
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部屋に戻った俺たちは、今後の作戦を立てることにした。
……と言っても、何をどうすればいいのか、皆目見当がつかない。
何しろ、与えられた猶予はたった七日間。未熟な者であれば鬼シゴキで多少改善が見られるかもしれないが、レベルカンストの勇者ともなれば、生半可な修練で急激な成長など見込めるはずもない。
そして何より、肝心の勇者本人が。
「……アルシー、いつまでそうしているんですか?」
ベアトリクスが、やや厳しめの声で、ベッドにうつぶせになったままのアルセリアに問う。
優しい声で慰めを口にしても、今のアルセリアの助けにはならないと分かっているのだ。
突き放すのがベアトリクスの役目なら、寄り添うのがヒルダの担当のようだ。アルセリアのベッドの端に腰かけて、無言で彼女の背中をポンポンと優しく叩いている。
この辺りの役割分担は、付き合いが長いからこそか。ベアトリクスもヒルダも、何も示し合わせていないが自然と自分の役割を演じていた。
……じゃあ、俺はどうするべきか。
ここは……建設的な意見提示…かな。
「なぁアルセリア、ベアトリクスの言うとおりだ。このまま不貞寝してても、時間が無駄になるだけだぞ?」
あまりキツい言い方にならないように気を付けながら、そう告げる。
「………そんなこと言ったって……七日しかないんじゃ、どうすりゃいいのよ」
枕に顔をうずめたままのアルセリアは、絶望しているというより、いじけているようにしか見えなかった。
「お前が再戦を望んだんだろ?王女はせっかくそれに応じてくれたんだから…余裕か嫌味か知らんけど…せっかくのチャンスを生かさなくてどうするんだよ」
「……………………」
あーあ。完全にいじけモードだ。これ、明日の朝には治るのか?このモードになるアルセリアを見るのは初めてだから、ちょっと判断出来ない。
「なら、このまま負けでいいんですね?」
俺とは違いそこのところ分かっているであろうベアトリクスが、あっさりと言った途端。
「いいわけないじゃない!!」
がば!と身体を起こして、アルセリアは叫んだ。
そしてすぐさま俯くと、枕を抱きかかえた。
「……私は、勇者なんだから……強くなきゃいけない……強くならなきゃいけないの。そんなこと、分かってる。………けど、どうすればいい?」
基礎を完全に収めた後の勇者がこれ以上強くなるには、もう実戦しか残されていない。それこそ、自分以上の強敵……竜種や上位魔獣との戦いを繰り返せば、成長は見込めるだろう。
だが……流石に時間が足りない。
……いや、ちょっと待てよ。だったら………
「方法なら………心当たりあるけど」
いじけながらも、アルセリアは必死に光明を探していたのだろう。俺の言葉に、急に顔を上げた。その瞳には、疑念と希望が入り乱れている。
「それ……本当!?」
だが、安心したまえ。この魔王が、適当な嘘をつくわけがないだろう。
「ああ。思ったんだけどさ、お前は、聖骸を二つも宿してる割に、ちょっと弱すぎなんじゃないかって」
「あ!?それどういう意味よ!」
あ、ヤバい。怒らせた。けど、怒る余裕は出てきたってことかな。
「悪い悪い。お前が弱いって言ってるわけじゃないよ。ただ、欠片とは言え聖骸を…しかも活性化してるヤツを持ってるんだから、その力を生かせばもっと強くなれるはずなんだけど」
創世神の意思の体現者である、“神託の勇者”。その彼女が、創世神の欠片を本当の意味で自分の力に変えることが出来れば、それこそ廉族の中には並ぶ者がいなくなる。
上位魔獣や、竜種……流石に古代種は無理かもだけど……であっても、単独で互角以上に戦えるようになるだろう。
いくら聖骸付きの剣を持っているとは言え、ただの人間にすぎないレティシア王女に負ける要素など、何一つない。
しかし彼女は負けた。
原因はただ一つ。
アルセリアは、自分の中の聖骸を生かしきれていない。
だったら。
「自分の中の聖骸の力を引き出すことが出来れば、お前は王女に勝てるよ」
俺は、断言する。
レティシア王女は、アルセリアの体内に聖骸が宿っていると知らない。確かに彼女は魔王を斃す力を得るために聖骸を集めていると王女に話したが、まさか体内に宿しているとは夢にも思わないだろう。
もしそれに思い至るのであれば、魔王の存在にも気付かなければおかしい。
聖骸のことさえなければ、今のアルセリアに急激な成長は有り得ない。王女はそれを見越して余裕たっぷりに再戦を承諾したのだろうが、甘かったな。
聖骸を…創世神の欠片を力に変えれば、成長どころの話じゃない。彼女は、上位種に匹敵する力を得ることになる。
成長と言うより、進化に近い。
「私の中の、聖骸の……力?」
呟きながら、胸に手を当てるアルセリア。そこにある何かを感じ取っているのだろうか。
「けれどリュートさん、引き出すと言っても、どうやって?」
うん、そこなんだよ。
活性化させたというのに宿主にほとんど影響を与えていないことから、このまま放っておいても聖骸がちゃんと働くことはなさそうだ。
言うなれば、目は覚ましたけどやる気スイッチが入っていないようなもので。
だったら、スイッチを入れてやればいい。
「刺激を与えてやればいいんじゃないか」
事も無げに言った俺に、ベアトリクスが呆れた顔を見せた。
「……刺激って、そんな単純な……そもそもどうやって?」
「前にも、お前らが急成長したことあったろ?そのときは聖骸は関係なかったけど」
俺のヒントに、
「…前に?」
「ありましたっけ……?」
「………知らない」
三人娘は次々に首を横に振る。
……おい。忘れるとは何事だよ、俺たちの運命(?)の出会いを。
「何言ってるんだよ。魔王との対決の後、お前らやたら強くなってたじゃねーか」
答えを教えてやったのに、未だに三人は要領を得ない表情。
「アンタとの対決の後……ああ、ヒュドラとか、エルネストとかを相手にしたとき?」
「そうそう。明らかに、俺のところに来たときのままじゃあんな楽勝じゃなかったはずだろ」
そう言われて、アルセリアはようやく思い出したようだ。
「そう言えば……でも、それってアンタの加護のせいじゃないの?」
「それもあるとは思うけどさ。それだけじゃお前らの成長具合に説明が付かないんだよ」
俺の愛情たっぷりのご飯によって魔王の加護を得たとは言え(って何言ってるのか不明な字面だ)、無意識に働く程度の加護であそこまで急激に成長するのは不自然。
だとすると、
「アンタとの戦いで、私たちが成長した……ってこと?」
「俺との…って言うか、生死ギリギリラインの崖っぷちでの戦いで、お前らの潜在能力が開花したんじゃないかと、俺は思ってる」
「激闘」なんかじゃ生温い。文字通りの、「死闘」。生きるか死ぬかの極限に追い込まれて初めて、彼女は勇者に相応しい能力を目覚めさせた。
「で、またアンタと死闘を繰り広げろと?」
今さらなんだけど…というような表情で尋ねるアルセリアに、俺は首を振った。
「いや、それもダメじゃないけど……どうせなら、剣術の方も鍛えてもらおうぜ」
その提案に、三人娘は揃って首を傾げた。
「剣術も鍛えてもらう…って、どういうこと?」
「リュートさんじゃ、ないんですよね……?」
「お兄ちゃん、剣はあんまり強くない」
……うう、ヒルダ、そんな率直に言わないで。傷つくから。
「うん……俺じゃないよ?俺だと、アルセリアに剣じゃ勝てないからね……」
………言ってて悲しくなってきた。
「俺の臣下に、まさに打ってつけの適役がいるんだけど……どうする?」
一応、アルセリアの意志を確認する。
俺の臣下ということは、魔族に決まってる。勇者として魔王と慣れ合うのがなんとかかんとか言っていた彼女が、拒否反応を見せる可能性もあるからな。
果たして彼女の反応は……
「……それで、私は強くなれるのね……?」
探るような声のアルセリアに、
「少なくとも、今よりはな」
俺は、力強く頷く。
「……なら、やるわ。自分の弱さを痛感したんだもの、四の五の言ってられない」
彼女の迷いは、ほんの一瞬だった。




