第百五十六話 剣姫たちの競演
ダンスホールの中、ダンスには相応しくない動きやすそうな服装と装備で佇むレティシア王女は、俺たちがここに現れたことにまるで驚きを見せない。
それどころか、余裕の表情で、
「まさか、皆さまでダンスの練習ですか?それならば、お手伝いいたしますよ」
などと、軽口まで叩いてくる。
だが、勿論彼女の意図はそこにはない。何しろ、彼女が身に纏っているのはどう見ても軽鎧。腰には剣が吊られている。
そして。
「……!レティシア殿下、その剣…………!」
王女の持つ剣に目を留めたアルセリアが、絶句する。
おそらく全て心得ているのだろう、王女はわざとらしく首を傾げた。
「この剣が、どうかしましたか?」
「それ……それが聖骸です!!」
剣を指差し叫ぶアルセリアに、王女は肯定も否定もしなかった。ただ、その笑みを深めただけ。
「アルシー、本当ですか!?」
聖骸の気配を捉えられないベアトリクスが、思わず問いかける。
…が、事実だ。正確には、あの剣そのものが聖骸なのではなくて、剣の中に聖骸を組み込んであるもよう。
刀身……いや、おそらく鍔のあたりだろう。
「レティシア王女、その剣が聖骸です。ご存じだったんじゃありませんか?」
王女の態度からすると、それは間違いないだろう。今も、否定せずに微笑んでいる。
「勇者さまが何を仰っているのか分かりかねますが……もしそうなら、どうなさるおつもりですか?」
「お願いです。それを、譲っていただけませんか?」
アルセリア、直球でお願い。
もともとコイツは、口八丁で相手を言い負かすなんて出来るタマじゃないからな。それに、そうしたところでこの王女が大人しく渡すとも思えない。
尤も、率直に頼んだからといって承諾してくれるとも思えないが。
それに……さっきの遣り取りの後、まるで待ち構えるかのようにダンスホールにいて、しかも夜中に関わらず戦闘準備万端の格好。
これは……最終的な目的は分からないが、王女が何を求めているのか、すぐに分かるってもんである。
しかし、アルセリアは直球を投げ続ける。
「殿下、私は、魔王を打ち滅ぼす力を手にするため、聖骸を必要としているのです。創世神の聖骸は、勇者たる私に大いなる力を与えてくれるものであり、それを持って悲願を成就するのが私の宿命であり、望みです」
魔王を目の前にして平然と言ってのけるコイツの胆力には脱帽だよ、ほんと。
それを聞いたレティシア王女は、少しだけ目を見開いた。おそらく、聖骸と勇者の関係については、初耳だったのだろう。
しかし、彼女は首を縦には振らなかった。その代わり、腰の剣を抜き放つ。
「この剣が、聖骸である……と?」
ちらりとアルセリアを見やる視線は、挑発の香りをふんだんに含んでいた。
「そうです。そして私は、“神託の勇者”として、フォルヴェリア王家に聖骸の譲渡を依頼します」
アルセリアの言葉に、レティシア王女はそこで初めて頷いた。ただし、
「成程、お話は理解致しましたわ。けれど…」
理解した、と言いながらも俺たちの言い分を呑むつもりはなさそうだった。その証拠に、手にした剣はこちらに向けたままだ。
「これは、我がティーヴァ王家に代々伝わる秘宝。例え“神託の勇者”様であろうと、無条件でお渡しするわけにはいきません」
……なんとなく、この流れは予想出来ていた。それは俺だけではないようで、
「……なら、その条件ってのを教えていただけるかしら?」
勇者もまた、彼女の狙いに気付いたようだ。
「もう、お分かりいただいているのでは?」
微笑を浮かべて問い返す王女と、
「そうね。これ以上、まどろっこしい真似はやめましょうか」
不敵な笑みを浮かべた勇者。
初めから、王女の狙いはそこだったのか。彼女はアルセリアと戦いたがっている。
間違いなく、自分の腕に自信があるのだろう。そういう者ほど、強者との戦いを望むものだ。まして王女ともなれば、普段はなかなか戦いの場に出してもらえないはず。
戦いを求める者にとって、これは千載一遇の好機。
「条件を、付けましょう。私が負けたら、この剣は差し上げますわ」
勝負の前から余裕たっぷりなレティシア王女に、アルセリアは負けじと、
「で、殿下が勝った場合は?」
「この剣は、諦めてもらいます。…貴女方の不躾な行為に関しては不問にして差し上げますので、どうぞご安心を」
「それはそれは、なんてお心の広いこと」
対峙する二人を、濃密な剣気が渦を巻いて取り囲む。
そして、二人の剣舞が始まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二人は、ほぼ同時に動いた。
数度の剣戟を交わし、再び距離を取る。
……俺は、内心で舌を巻いていた。
今の、たった数秒間の遣り取りで十分に分かる。
レティシア王女の、技量の高さたるや。
はっきり言って、アルセリアに勝るとも劣らない………否、アルセリアよりも余裕がある。
「……おいおい、王女サマだろ?」
二人の決闘中に関わらず思わずつぶやいた俺に、レティシア王女はご丁寧に反応を見せた。
「ふふ。お褒めの言葉と受け取らせていただきますわ。これでも私、この国で一番の剣士と言われてますのよ」
余裕を見せるレティシア王女とは対照的に、アルセリアの表情は険しい。
追い詰められているという程ではないが、廉族でありながら自分と互角に渡り合う王女を警戒している。
確かにアルセリアはポンコツだけれども、戦闘中に限って言えばそうでもなかったりする。仮に、勇者である自分に王女が勝てるはずないとタカをくくっていたりしたならば、初撃でやられていただろう。
こりゃ、勝負は分からないな。
次は、レティシア王女が先んじて動いた。
再び剣戟を繰り返した後、まるで本当に踊っているような優雅さで、一瞬のうちにアルセリアの背後へ回り込む。
……速い。しかも、まるで剣舞のような動きが、非常に読み辛い。
なんとか反応したアルセリアは、背中への一撃を辛うじて躱すと、大きく後ろへ飛ぶ。が、王女は即座にそれを追い、アルセリアの着地を待たずに斬りかかった。
アルセリアは、その攻撃もなんとか受け流そうと剣を振るう。
だが……態勢が整っていない。足元がおぼつかない状況で、王女の攻撃を受けきれるのか!?
次の瞬間。
息をするのも忘れて攻防を見守る俺の目には、一瞬、レティシア王女が崩れ落ちたように見えた。
防戦一方のアルセリアではなく、優勢なはずのレティシア王女が。
しかし、それは間違いだった。
王女は態勢を崩したのではなく、アルセリアへの攻撃をキャンセルして屈んだのだ。
いや…キャンセルじゃない。攻撃は、フェイントだった。アルセリアの目には、王女の姿が突然視界から消えたように映ったことだろう。
そうじゃないと気付いた時には……
完全に虚を突かれ無防備同然のアルセリアの喉元に、膝立ちのまま突きを繰り出したレティシア王女の刃の切っ先が、ぴたりと突きつけられていた。
「…………!」
硬直するアルセリアに、
「勝負ありましたわね」
勝利を宣言するレティシア王女。
残念だが、アルセリアの完敗だ。傍から見ていた俺たちの目にもそれは明らかで…
「そんな……もう一度、もう一度だけチャンスを下さい!!」
そしてアルセリア自身が一番良く理解しているだろう。しかし、諦めきれないのか思わずそう叫ぶ。
それを聞いたレティシア王女は、やれやれといった風に嘲笑を浮かべた。
「まぁ、勇者さま。それは少々狡くありませんこと?」
「……そ…それは…………」
確かに、レティシア王女の言うことは道理だ。二番勝負、三番勝負と最初から決められているならばまだしも、そうでないかぎり決闘は一度きりというのが常識。
アルセリアは負けた。
勝負の条件を承諾した上での敗北なのだから、ここは大人しく引き下がるしかない。
「……でも………私は…………!」
そんなことは言われるまでもなく分かってはいるのだろう。その証拠に、アルセリアの口調にはいつもの歯切れがない。
一度負けておきながら再戦を申し出ることがどれだけ厚かましいことか、理解しながらも聖骸を諦めきれないのか。
気持ちは分かるが、ここは諦めるしかないだろう。
そもそも、聖骸は出来るだけ多く入手することが好ましいが、全てを手に入れなければならない必要は何処にもない…というか、本当の意味で全ての聖骸を見つけ出し入手することなど、どのみち不可能なのだから。
今回は諦めよう。
そう声をかけようと思ったのだが……
いや、違う。
俺は、自分の勘違いに気付く。
アルセリアは、聖骸を諦められないんじゃない。
強く噛みしめた唇から、血が滴っている。
………こいつは、敗北が悔しいだけだ。
廉族基準では最高レベルにある勇者だ、敗北の経験もほとんどないことだろう(魔王とか竜人とか一部例外を除く)。しかもその相手が、同じ廉族であり、王族という恵まれた地位にいる人物であり、そして自分と然程年齢の変わらない女性であるという事実は、彼女に尋常じゃない対抗心を生ませているに違いない。
自分が負けるとは思っていなかったのに、負けた。おそらく、魔王に敗北した時とは比べ物にならない屈辱。
「………ふぅ。仕方ありませんわね」
何も言えず、しかし諦める様子を見せないアルセリアの姿に、レティシア王女もその内心を察したようだ。
「もう一度だけ、チャンスを差し上げてもよろしいですわ」
……マジか!
余程寛大か、余程自分の方が上だという自信があるのか。
もともと、負けたとしてもアルセリアが失うものは少ない勝負だったのだ。それなのに、再戦の機会まで与えてくれるなんて。
「私も、念願の勇者さまとの勝負がこんなに拍子抜けで、つまらないと思っていましたの。次こそは、私を楽しませてくださいませね?」
……違った。この王女、単に戦闘ジャンキーなだけか。
強い力を有する者はそれを振るいたがるのが常だが、一国の王女にしては、随分と好戦的だ。
再戦しても自分が勝つという自信は揺らがないのだろう、余裕の表情のままレティシア王女は、
「ただし、私もそう暇な立場ではございませんので……そうですね、七日後に、またこのホールで…というのは、いかがです?」
「………いいのですね?」
明らかに情けをかけられていると理解したアルセリアは、屈辱を呑んでその申し出を受ける。
「ええ。尤も、七日で何が変わるとも思いませんが……少しは修練を積んで、今日よりもマシな戦いを見せてくださいませ」
アルセリアのプライドを砕く、容赦のない言葉。
我儘を言っているのはアルセリアの方なのだ、そのくらいは耐えなくてはならない。
「………分かりました。ご厚情、感謝します。この次こそは、殿下を満足させられる戦いをご覧に入れてみせます」
感情を排した声でアルセリアが告げる。
それを聞いたレティシア王女は満足げに頷いた。
「では、七日後に。それと、チャンスはあと一度きりですから。この次に貴女が再び負けたならば、この剣は諦めていただきます。……次も腑抜けた戦いをするようでしたら、貴女がたの振舞いに関しても問題として聖教会に抗議させていただきますので、そのおつもりで」
そう言い残すと、膝を屈したまま俯くアルセリアの脇を通り過ぎ、俺たちには見向きもせずにレティシア王女は部屋を出て行った。
屈辱に震えるアルセリアと、そんな彼女を何も言わずに見守る二人の仲間。
俺は、彼女らに何て声をかけたらいいのか分からず、ただオロオロするばかりだった。




