第百五十四話 事実と真実は似て非なるものである。
……問題は、どうやって説明するか…だった。
俺たちは、王都へと戻ってきている。ヴァーニシュには聖骸はなかったことを、国王に報告しなければならないのだが、そこで一つの問題にぶち当たったのだ。
そもそも、聖骸地と言うのは半分伝説じみたものであって、「本当にそうである」という認識を持っている者なんてどれだけいることやら。
日本の場合で言えば、例えば神社などで門外不出に保管されているご神体…とか。神話の時代から存在すると言われるそれの姿を見たことがある人間が果たしているのかどうかも分からないし、本当にそれが存在するのか…過去にはあったが現存しているのかどうかも含めて…誰も(少なくとも一般人は)知らないし、それを知る術も与えられない。
ただそこにあるのは、「ここにそれがある」と言われている、という事実のみ。
創世神の聖骸と言っても、「確かに世界各地に散らばっている」と聖教会の公式見解ではそうなっているし、敬虔な信徒はそれを信じている。
しかし聖骸地アルブラでは、ご大層な神殿と祭壇、創世神の像まで作っておきながら、誰の目にも留まらずに転がされている石ころが、実は聖骸だった。神官たちでさえ、そのことに気付いていない。
彼らにとって重要なのは聖骸の真実ではなく、「ここが聖骸地である」という事実のみ。
しかし、その「事実」というのが非常に厄介で。
「真実」とは違い、「事実」とは結局のところ、認識によって確定されると言っても過言ではない。
実際に聖骸があろうとなかろうと、「ヴァーニシュは聖骸地である」という認識さえあれば、それで条件は満たされる。
尤も、「ヴァーニシュには聖骸はない」という事実が聖教会に認識されれば、ヴァーニシュの聖骸地認定は覆されるだろう。
前述の問題は、聖骸の有無ではない。
何故俺たちが聖骸の実在性を証言することが出来るのか……ということに尽きる。
まあ、それだけであれば“神託の勇者”であるアルセリアであれば自然な説明が可能だ(信じてもらえるかどうかは別として)。が、そのまま話を下手に進めてしまうと、彼女の巡礼の目的が参拝ではなくて聖骸の入手にあると国王たちに知られてしまう恐れもある。
いくら“神託の勇者”と言えども、国の認可の下に堂々と聖骸を横取りすることは難しい。
……ヴァーニシュにちゃんと聖骸があれば、こっそり持ち出せたのにさ。
そして案の定。
「ほっほっほ。何を仰せですかな、勇者殿。あそこは確かに聖骸地ですし、聖教会にもそう認めていただいておりますぞ」
好々爺然とした国王は、笑顔でそう言った。
「陛下、私は“神意”により選ばれた勇者です。その私が、あの地では創世神の気配を感じることが出来ませんでした。あの地が聖骸地であることが確かならば、聖骸が何者かによってそこから持ち去られたと考える他ないのですが」
それが事実であれば、フォルヴェリアにとってとてつもない大事件である。信仰の対象が奪われたなどと、聖教会の耳に入れば簡単な咎めでは済まない。
「そうは仰いましても……大変失礼ながら、勇者殿が御神の気配を感じることが出来る…ということ自体、我々には信じがたいのですがねぇ。その、勇者殿の勘違い…ということもありませんかな?」
「確信がなければ、このようなことご報告出来ません」
国王は、アルセリアの言葉を信じるつもりがなさそうだ。否、それを真実だと認めるつもりがなさそうだ。
……しかし、国王の表情を見ていると、どうも胡散臭い。
仮に、彼女の言葉を信じないとしても、だ。いきなり、「お宅の聖骸、なくなってるんだけど」なんて報告を受ければ、少しは取り乱すのが普通じゃないか?
彼女の言葉を信じていない…と言うよりは、まるで最初からそのことを知っていたかのような……。
多分、アルセリアも同じことを考えたのだろう。
「陛下、聖骸は別の場所にあるのではないですか?」
ヴァーニシュから聖骸が失われたことを国王が知っている、そしてそのことを指摘されても落ち着き払っている…ということは、国王自身その行方に心当たりがあるのではないか、と。
それでも、俺たちに確証はない。国王が、何にも動じないマイペースな性格の持ち主なだけかもしれないし、そもそも国王自身が、聖骸の実在性に関して懐疑的な意見を持っているのかもしれない。在ると思っていないモノを「無い」と言われても、焦るはずがない。
だが、そこに割り込んできたレティシア王女の言葉と態度は、俺たちの推測を限りなく確証に近付けることになった。
「勇者さま。いくら勇者さまと言えども、そのような虚言は容認出来ません!」
鷹揚とした父王とは違い、ややムキになって食ってかかってきたのだ。
「ヴァーニシュは、確かに御神の聖骸が眠る聖地です。それを否定するなど、神への冒涜とも受け取れます。ましてや、外部に持ち出されたなどと、一体何の確証があって申されるのですか!?」
余裕たっぷりにこちらを見下してくる態度が特徴的なレティシア王女の、憤慨した顔。
「聖骸は、祭壇の地下深くに安置されていると伝わっています。気配を感じられないというのも、そのせいなのでは?」
「そうであれば、是非拝見させていただきたいのですが…」
「何故ですか?聖骸地巡礼は、物見遊山ではありません。聖骸をその目にしなくても、その地で祈りを捧げれば御神には伝わります!」
…確かにそうだ。一般的な聖骸地巡礼の目的ってのは、聖骸の眠る地で主に祈ること。聖骸そのものを見ることは、さほど重要なことではない。
「もしや、我ら王家が持ち出した…などと、お疑いなのではありませんよね!?」
さらに続けようとする王女だったが、傍らに控えていた宮廷魔導士イヴラ(相変わらず俺を睨み付けてる)に制されて、仕方なく黙り込む。
その彼女の代わりに前へ進み出たイヴラ。
「何か、誤解や認識の齟齬があるのかもしれませんね、勇者殿。ただ……このような重大な案件に関し、憶測で物を言うのはおやめいただけませんか?」
彼の仮面から覗く表情はにこやかで、口調も柔らかいが、その響きは反論を許さない強さを持っている。
「……分かりました。浅慮をお詫び申し上げます。しかし、私も当てずっぽうを申しているわけではありません。陛下には、どうかこの件に関して慎重な調査をしていただきますよう、具申いたします」
これ以上は、時間の無駄のようだ。国王、王女、筆頭宮廷魔導士の態度と場の空気からそう判断し、アルセリアは話を打ち切った。
「それでは、失礼致します」
深々とお辞儀をし、退出するアルセリアと、それに続く俺たち。
……去り際に、一層鋭い視線が背中に突き刺さったような気がした。




