第百五十三話 からっぽの祭壇
聖骸地ヴァーニシュは、フォルヴェリア王国の西に広がる不毛の地である。
常に強い風が吹き荒れ、砂嵐が頻発し、凶悪な魔獣も多く生息する厳しい環境は、人々を寄せ付けようとしない。
時折、命知らずの冒険家が踏破に挑むが、帰ってきた者はごく少数。しかも、砂漠の果てで息も絶え絶えのところを現地住民に発見される…というオチが付く。
当然、地元民は決して立ち入ろうとはしない地帯、それがヴァーニシュだ。人々は畏怖と教訓を込めて、そこを「人食い砂漠」と呼んでいる。
そんな場所へ赴くのだから、準備は念入りにしなくてはならない。砂から体を守る外套や日差し除けのターバン、往復で最低五、六日かかるため野営道具も揃える(当然、宿泊施設などはない)。勿論、飲み水と食料は多めに。
砂蜥蜴がいなければ、とても自分たちだけで運べるような量じゃない。
ちなみに、砂漠地帯で重宝されている乗り物であるところの砂蜥蜴だが、コカトリスの近縁らしい。で、毒も持っていない。
したがって、食べると非常に美味なのだろうと推測されるが、ここでは貴重な移動手段なので間違っても「砂蜥蜴食べたい」なんて口にしない方がいい。
俺たちは、砂蜥蜴に乗ってヴァーニシュを目指す。オアシス地帯である王都近辺は、砂漠と言えども植生も見られ、生物の気配も多い。所々に小規模なオアシスと集落も点在している。
だが、王都を離れるにつれて風景は様変わりしていく。徐々に緑が消え、生物の気配も薄れ、水場も見ることがなくなり、赤茶けた土が剥き出しの深い谷を抜けた辺りから、急に風が強くなってきた。
いよいよ、ヴァーニシュに突入である。
なお、ここまでの道中、俺たちの間には今までになく気まずい沈黙が漂っていた。
これまでも、三人娘が腹を立てていたりすることはあった。だが、今回はそういうわけでもないので、逆にとてもやりにくい。
弁明とか誤魔化しとか逆ギレとかでお茶を濁せる状況は、案外大したことではないのだと、痛感した。
だが、危険地帯に入ってなおこの状態なのはいただけない。意思疎通の不足によって引き起こされる窮状というのは多いものだ。
「この辺から、魔獣の出現率が高いらしいからな。警戒しとけよ」
…俺は、いつもどおりに振舞えているだろうか。口調に、不自然さがなければいいけど……。
「そうですね。特に、砂牙虎と大角蜘蛛が危険だそうです」
俺の意を汲んだベアトリクスも、さりげない感じでアルセリアに話しかける。
「……うん、そうだね」
流石に空気を読んだのだろう。アルセリアも、いつもどおりとは言い難いが素直に頷いた。
「まぁ、アレだな。魔獣ってよりも、風の方が厄介だったりするよな」
この砂漠において生態系の頂点に立つ砂牙虎と大角蜘蛛であるが、強さで言えば中の上と言ったところ。創世神と魔王の両者から加護を受ける勇者一行が後れを取るような敵じゃない。
とは言え、それは普通に戦ってのこと。前へ進むことすら難しい程の強風に煽られ、容赦なく照り付ける日差しに灼かれ、体力と気力を消耗しきったところを襲われれば、充分に強敵たりえる。
一瞬、霊脈を操作して少し風と陽光を和らげてやろうかと思ったが、すぐに思い直す。魔王と共にあることに疑問を抱き始めた勇者に対してそういうお節介を焼けば、その疑問はさらに大きく深くなってしまうだろう。
仕方なく、俺は吹きすさぶ強風の中、当り障りのない忠告をするに留めるしかなかったのである。
しかし、俺の心配は杞憂に終わった。
確かに環境は過酷極まりない場所である。が、この世界は科学技術が未発達な分、魔導技術が進んでいる。
まともに動けないような砂嵐の中で魔獣に遭遇したとしても、まともに動かずに強力な攻撃をぶち込むことが出来るわけだ。
特に、無詠唱のプロフェッショナルであるヒルダが大活躍だった。
因みに、無詠唱と言ってもいくつかパターンがある。
本来なら詠唱は必要ないけど、発動を安定させるために普段は詠唱している場合もあるし(ベアトリクスはこれにあたる)、詠唱があってもなくても変わらない安定性で術式を発動出来る魔導士も、ごくごく稀にだが存在する(そしてヒルダがこれにあたる)。
で、普段ヒルダは術式名だけを唱えているのだが、本人曰く、これは気合を入れるためだけのものであって、実際はその必要もないらしい。
現に、荒れ狂う砂礫の中で目も口もまともに開けられないような状況で彼女は、風の影響を受けにくい氷雪系術式で次々と敵を屠っていった。
遭遇と同時に一撃で仕留めるので、正直、他の三人(俺も含む)は全くの役立たずである。
もしかしたら…ヒルダは、今回の件でもどかしい思いを抱いていたのかもしれない。彼女の奮闘ぶりは、まるでその鬱憤を晴らすためであるかのようにも見えた。
ヒルダが、最終的にアルセリアの決定に従うということは分かっている。が、一瞬でも天秤にかけてもらえただけでも、俺は感謝しなければならない。
だからと言って、どういう結果になろうと納得出来るというわけでもないのだけれど。
ヒルダの大活躍のおかげで、俺たちは消耗も少なく(と言ってもヒルダのみ魔力の消耗が激しかったが、いつぞやと違いまだ余裕はあるもよう)、聖骸地だと伝えられる岩山へと到達した。
ヴァーニシュに入って、三日目のことである。
その岩山は、フォルヴェリアの先住民から「果ての祭壇」と呼ばれているという。確かに、何物も寄せ付けない地の果てとも思われるような地に悠然と聳え立つ様は、その呼び名に相応しかった。
「では、行きましょうか。気を付けてくださいね、みなさん」
普段だったら、こういう号令はアルセリアの役目だった。だが、彼女がいつになく無口なため、仕方なくベアトリクスがその役を買って出る。
そのことに違和感を抱きつつも、何も言えず俺たちはそんなベアトリクスに続いた。
岩山の岸壁に、大きな穴が黒々と口を開けている。ここから先が、「祭壇」への道だ。
ベアトリクスが光の術式で俺たちの行く先を照らす。足元は問題ない明るさになったが、道の先は暗闇に覆われて何も見えない。
また、自然特有の凹凸の激しい岩壁はイヤな具合に陰影を生み、側道などの存在を俺たちから隠してしまう。
そこから敵の奇襲を受けたりしたら、結構面倒な目に遭うだろう。
…これまた普段なら、こういう場面ではいつだって俺の腰にしがみついてくるヒルダだったが、今回は裾を掴んでくることすらせずにただ俺の後ろを歩くだけである。
……多分、ヒルダなりのけじめというか、分別だったりするのだろう。そして俺にとっては非常に寂しいことだったりする。
が、彼女の気持ちを思うと、それを大人げなく口にするわけにもいかず。
いつもと違うことだらけで戸惑いながらも、俺たちは先へ進む。「外」よりも頻繁に魔獣の襲撃があるが、風の無い洞窟内では勇者一行が後れを取る要素など一つもない。
でもって、いつもは姦しいアルセリアが無言で敵を屠り続ける姿には、戦慄すらおぼえる。足跡の上に夥しい魔獣の死骸を積み重ねながら前進する彼女は、勇者というより修羅と呼ぶに相応しかった。
やがて辿り着いた最下層、最奥の一角、文字どおりの「祭壇」。
そこは、遥か昔一人の聖人がこの不毛の地で己が命を賭して七日七晩祈りを捧げ続け、神の祝福の声を聞きながら果てたと伝えられる場所らしい。
壁には、像と呼ぶにはあまりにお粗末な女神の似姿(と言ってもやっぱり似てない)が、直接彫り付けてあった。
その技術は稚拙で、素人目にも未完であることが分かる。おそらくその聖人が、飲まず食わずで祈りながら彫ったものなのだろう。
ここが、聖骸地ヴァーニシュの中心地。すなわち、聖骸の眠る場所
………の、はずなのだが。
「………妙だな」
俺は思わず、呟いた。
ベアトリクスとヒルダが、耳ざとくそれを聞きつける。アルセリアは、俺と同じことを考えていたのだろう、無反応だ。
「妙、とはどういうことですか?」
魔王や勇者とは違い聖骸の気配を感じ取ることが出来ないベアトリクスは、首を傾げる。
「あ、いや……何も感じないんだよ。………お前もだろ、アルセリア?」
こういうことって、補佐役が説明してもいいのかな、と思いつつ、アルセリアが何も言わないので代わりに答え、ついでにアルセリアにも同意を求める。
「……うん。ここに、聖骸はないと思う」
小さな声で、だがきっぱりと断言する勇者。
「でも……ここが聖骸地で、間違いないのですよね?前みたいに、どこかに転がっていたりするのではないのですか?」
ベアトリクスの質問に、アルセリアは首を横に振る。
「それはないわね。だって、何も感じないもの。ここは、からっぽの祭壇よ」
確かに、彼女の言うとおりだった。
この部屋に、創世神の気配は全く感じられない。例え休眠状態であっても、俺が感覚を研ぎ澄ませば必ず聞こえてくるはずのアイツの声が、聞こえない。
「最初からなかったのか、途中で失われたのかは分からないけどな」
と、俺も付け足す。
仮に最初から聖骸がこの地になかったのならば、フォルヴェリアが聖教会に偽りを言ったか聖教会が誤ったかのどちらかだし、途中で失われたのであれば、聖骸泥棒が存在するということ。
先日のオーウ地方の件のように、そうとは知らず聖骸を持ち出すのとは訳が違う。古くから聖骸地として有名なヴァーニシュから聖骸を持ち出すとなれば、重罪どころの話じゃない。
さらに、聖骸が存在しない以上、ここを聖骸地と呼ぶことは出来なくなる。領土の中に聖骸地を抱えるという事実だけで聖教会に対する大きな発言権を持つことが出来ていたフォルヴェリアにとっては、これからのパワーバランスを左右する大問題である。
どちらにせよ、見なかったフリは出来そうにない。
「王都へ戻って、国王陛下にこのことを報告しましょう。それと、グリード猊下にも相談しなきゃ」
少しだけ勇者らしさを取り戻したアルセリア。その姿に、何故だか安堵してしまうのは俺だけだろうか?
それにしても、聖骸ってのはなんでこう行方不明になるのが好きなのかね。エルリアーシェの落ち着きの無さが、その残骸にまで宿ってるっていうのか。
そして俺たちは、おそらく報告すれば厄介な国際問題に巻き込まれそうな事実を抱え、フォルヴェリアの王都へ戻るのだった。
リュートと三人娘のいつもの掛け合いがないと、なんだか調子が狂います…さっさと仲直りしないかなこいつら。ってケンカじゃないけど。




