第百五十二話 魔王の戸惑い
いやー、参った参った。
レティシア王女さんは、実にしつこかった。色仕掛けには引っかかるまいと抵抗する俺を、あの手この手で誘惑しようと、しつこいことこの上ない。
そのくせ、東の空が白み始める頃、いきなり掌を返したようにあっさりと、「では私はこれで」とか言い残し、茫然とする俺を尻目に立ち去っていった。
……え、何なの?ただの嫌がらせ?俺の睡眠時間を奪おうっていう、幼稚な嫌がらせですか!?つか、なんで俺が王女サマに嫌がらせを受けなきゃなんないわけ?
その疑問は、三人娘の部屋を訪れたときに解消した。
「よーっす。お前ら、起きてるかー?」
朝日が昇るタイミングで、俺は三人娘の部屋へ。ちなみに、俺は一睡も出来ていない。
揃いも揃って熟睡型の勇者一行であるからして、彼女らが良く眠れたかどうかなんて普段は気にする必要もないのだが、今朝は少し様子が違った。
「………どうした?」
気持ちの良い朝とは思えない重い表情のアルセリアを見て、夢見が悪かったのかと心配になる。
が、しかし原因はそうではなかった。
「昨晩、宮廷魔導士のイヴラ殿が私たちを訪ねてきまして」
なかなか口を開かないアルセリア(非常に珍しいことである)の代わりに、ベアトリクスが説明する。
「イヴラ……って、あいつか!」
昨日から、やたらと俺を睨み付けてきたあの魔導士。俺のいない間に、三人に何を吹き込んだのやら。
あ、もしかして……
昨日のレティシア王女は、俺を部屋に足止めするために来たのかもしれない。
「で、何だって?」
「その……どうも、リュートさんの正体について何か嗅ぎ付けているみたいで………」
「……!マジで!?」
まさか、正体がバレた?なんで?
俺、結構上手く人間に化けてると思うんだけど!
「と言っても、リュートさんが魔王だとまでは思ってないみたいです。魔族の臭いがするから、魔族と通じているんじゃないかって言われました」
「げげ……結構イイ線捉えてるじゃねーか」
奴がそこまで辿り着いていないのも、単純に魔王がこんなところにいるなんて常識的に有り得ないと思っているからで、そうでなければ俺の正体を看破されてもおかしくなかったりするんじゃないか?
「あー、こりゃ参ったな。グリード経由だったら問題ないけど、他の枢機卿連中の耳に入ると、厄介だったりするよなー…」
さてどうするか。下手すると、俺自身が討伐対象になりうる?
いや、まぁ、それに関しては別に構わないんだけどさ。ただ、三人娘とグリードには迷惑をかけてしまうだろうな。
「一応、出来るだけ誤魔化してはおきましたが……この先、追及を受ける可能性がありますので、そこは何とかしてくださいね」
「え、なんか他人事っぽくない?」
「他人事…と言いますか、リュートさんの事情ですしね」
「あー……うん、そうだよねー………」
ベアトリクス、冷たい!けど、確かに事実だから反論が出来ない!
「リュートさんは、とある事情で魔族と深い関わりを持つことになってしまった人間……という体で話してありますから」
ご丁寧に、口裏合わせまでしてくれるベアトリクス。
「奴はそれで納得したのか?」
「納得はしてないみたいでしたけど、確証を持って反論してくることもなかったので、しばらくはそれでゴリ押し出来ると思います」
ゴリ押しって……何言われようと、自分は魔族と関わったことはあるけど善良な人間です…って馬鹿の一つ覚えのように繰り返しておけばいいのかな。
「まぁ……こうなったら、なるようにしかならないな」
俺に魔族の臭いを嗅ぎつけて、わざわざそれを勇者にチクりに来て、しかも王女まで足止め役で一枚噛んでいるわけで…奴の狙いが何なのかが分からない以上、下手に動くと泥沼に嵌まりかねない。ただ単に「こいつ魔族の関係者のくせに勇者に近付いてるぜー」とか、「人間のくせに魔族と関わるなんて何て奴だ!」とか、そういう幼稚な正義感を振りかざしているだけならば可愛げがあるのだが。
この情報をネタに、俺たちやグリードを強請ることを考えているのかもしれないし、或いは聖教会の正統性に疑義を唱えるかもしれない。
奴の動き次第で、対処の仕方も変わってくる。
だったら、下手に構えるよりも自然体でいた方がいいだろう。こうなったらとことんしらばっくれてやる。
「で、お前はなんか別に悩みでもあるわけ?」
気になるのは、アルセリアの表情。
さっきからこっちを気にしつつ、そわそわしている。
「……別に、悩みとかそういうんじゃないんだけど………」
と言いつつも、口ごもる。なんだろう、こいつがこんな風に言いたいことを言わないのって、初めてじゃないか?
「ただ………さ。私たち…このままで、いいのかなって……」
「……はぇ?」
ななななな、なんで別れ話みたいなノリになってんの?付き合ってすらないのに。
「このままって……どういうことだ?」
だけど、返す言葉もまるで別れ話に狼狽える彼氏みたいになっちまった。
「他者から見た際に、勇者と魔王がまるで慣れ合っているように受け取られるのでは、とアルシーは危惧しているのですよ」
言いにくそうなアルセリアを再び代弁するベアトリクス。
……確かに…まぁ、慣れ合ってると言われればそれも事実のような気もするけど………。
「勇者として、それが容認しがたい…ってわけか?」
今まで、彼女がそんな風に考えてたなんて、思ってもみなかった。いや、本来なら考慮して当たり前のことなのだろうけど、いつも自然体のこいつらに、そういう葛藤があっただなんて。
「決して、リュートさんのことが信じられないというわけではないんです。私もアルシーも、勿論ヒルダも、貴方のことは信頼しています。ただ、改めて他者に指摘されると、現状に疑問を持ってしまった…と言いますか………」
ベアトリクスの歯切れもだんだん悪くなってくる。言いにくいことを、言おうとしているのか。
もしそうなら、俺の方から言い出してやるべきなんだろうな。
……それなのに。
だったら、ここからは別行動にしよう。
ただ一言で済むはずなのに、そのたった一言が上手く出てこないことに、我ながら驚く。
別に、大したことじゃない。
三人娘のように昔からずっと共にいた間柄でもなく、というか宿敵同士で殺し合わなければならない関係で、そもそも俺としても、こいつらと一緒に行動する予定ではなかったんだ。
今からでも遅くはない。このなあなあな腐れ縁を解消して、それぞれのあるべき道へ進めばいいだけじゃないか。
俺たちの、然るべき関係性を取り戻せばいいだけ……じゃないか。
それでも切り出すことに躊躇している俺を見て、ベアトリクスは空気を変えるように口調を改めた。
「まぁ、今すぐどうしようというわけではないんですよ。ただ、そういう考えもあるって気付いただけの話です。結論は、ゆっくり考えてから出せばいいのではないですか?」
彼女が問いかける先は、俺だけではなくアルセリアも含まれている。
ベアトリクスも、アルセリアも、決めかねている…ということだろうか。悩む必要なんてないはずなのに悩んでいる、という事実に関しては、俺は少々己惚れてもいいのかもしれない。
……ヒルダは、どうなんだろう?
俺は、ちらりとヒルダを見た。相変わらず無表情だが、あまり思い悩んでいるようには見えない。だが、仮にアルセリアが俺との決別を選んだならば、彼女もまたそれに従うのだろう。
「……そっか。分かった、この件は、俺も考えてみる。いずれは、はっきりさせなきゃいけないことだしな」
出来る限り平静を装ってそう答えたのだが、内心はものすごく揺れていた。理由は、自分でもよく分からない。
分からないが、少なくともこんななし崩しにこいつらとの関係性を終わらせたくはないと思っていることは確かだ。
もしこいつらと離れることになったら、則ち、「勇者一行とその補佐役」の関係でなくなってしまったら、俺たちはただの「勇者と魔王」に戻ってしまう。
互いに、相容れない存在に。
ああ……駄目だな、俺は。
自分で、いずれははっきりさせなければ…と言っておきながら、その覚悟が出来ていない。内心で、このままの状態をズルズルと続けてもいいじゃないか、という声が聞こえたりもする。が、きっとそれは一番の悪手なんだろう。
「まずは、今日の目的を済ませてしまいましょう。イヴラ殿と国王陛下の動向も気になりますし。この件は一旦お預けということで、いいですね皆さん」
気まずい空気が流れる中、ベアトリクスが無理矢理に話を纏めた。
普段はその強引さに辟易することも多いが、今回ばかりはそれを有難いと思う。
俺たちは、ぎこちなくも支度を進め、フォルヴェリアの聖骸地、ヴァーニシュに向けて出発することにした。
出来ればこの道中で、結論が出ることを半分期待し、半分怖れながら。
おはようございます(って早すぎる)。昨日は、人生初の歯医者へ行ってきました。二十年以上も苦楽を共にしたヤツ(虫歯)と、とうとう決別する意志を固めまして。ちょちょいと削ってレジン塗って終わりでした。麻酔すらなし。どうやら、二十年間ヤツは何ら成長することなくくすぶっていたようです。情けないヤツめ。今日はこれから釣り行ってきます。最近ショアジギ始めました。キャストが出来ません(泣)。




