第百五十一話 彼女の迷い
「失礼致します。勇者さま、少しよろしいでしょうか」
リュートがレティシア王女を相手にしてアタフタしている真っ最中。同じような台詞と共に、勇者一行の部屋を訪れたのは、宮廷魔導士筆頭、イヴラ=ダーナ。
「はい、どうぞ。………なんでしょうか?」
イヴラを招き入れながらも、警戒は解かないアルセリア。彼女自身も、イヴラがリュートに対し敵意のようなものを抱いていることには気付いていた。
「……皆さまに、お伺いしたいことがあります」
ひどく真面目な様子で、切り出すイヴラ。そして、彼の口から紡がれた言葉はアルセリアたちに驚愕を与える。
「………貴女がたは、あの補佐役…確かリュート…とか言いましたか…あの者の正体を、ご存じなのでしょうか?」
「…………!え、それって…………」
「一体、何のお話ですか?」
思わずボロを出しかけたアルセリアを遮って、代わりにベアトリクスが訊ねる。
「……私は、故あって他人よりも邪悪な気配に敏感でして……あの者からは、微かにですが、悪しき存在の臭いがします」
イヴラの告白に、息を呑むアルセリア。ベアトリクスは、表情を変えず。
「悪しき存在、とは?」
「魔族、と呼ばれる者共のことです」
イヴラの言葉に、警戒を強める三人。まさか、リュートの正体に勘づく者が現れるとは。
いや、そう決めつけるのは尚早だ。
ベアトリクスは、考え直す。
理屈は分からないが、イヴラはリュートに魔族の気配を感じている。だが、彼自身は魔王であって、魔族ではない。となると、リュートの身体に染み付いた魔界の臭いを嗅ぎつけているだけかもしれない。
イヴラは、リュートの正体に気付いているのではなくて、彼を魔族だと勘違いしているのではないか?
そもそも、“魔王ヴェルギリウス”がここにいると気付いたのならば、こんなに平然としていられるはずもない。
ここは、慎重にいかなければ。
ベアトリクスはもう少し探ろうと試みる。
「イヴラ殿は、私たちの補佐役が魔族だと仰るのですか?」
肯定も否定もする前に、質問を返す。
「彼は、グリード=ハイデマン枢機卿の推薦を得ている人物ですが」
「いえ、魔族だと言っているわけではないのです」
ベアトリクスの態度に自分への警戒を感じ取り、イヴラは慌てたように付け足した。
「魔族というには気配が薄すぎます。ただ、その臭いがすることは確かで、私は彼が魔族と何らかの関わりがあるのではないかと思うのです」
「関わり……ですか」
ベアトリクスは、そうと悟られないように思案する。やはり、彼はリュートが魔王であるという答えには辿り着いていない。
しかし、全否定は寧ろ危険。何かを隠しているのでないかと勘繰られ、さらに猜疑心を深めることにもなりかねない。
で、あれば。
アルセリアは、何も言わずにベアトリクスに一任している。自分が下手にしゃしゃり出るより、ベアトリクスの方が上手く対処してくれると分かっているのだ。
だからベアトリクスは、
「……確かに、イヴラ殿の仰ることも間違いではありません。……彼、リュート=サクラーヴァは、とある事情で深く魔族と関わることになってしまったと聞かされております」
心置きなく、嘘八百を並べることが出来る。
「しかし、彼自身は実直で裏表のない人物です。少々お人好し過ぎるのではと思うことさえあるくらいで」
そこは事実なので、嘘をつく必要はない。
「ですが、魔族と関わりがある者など、もし何か企みを持ってたりすれば……」
「それはありえません」
理由としては、リュートが企みを持つ必要性など皆無だ…というだけなのだが、そこのところは割愛。
「私たちにとって、信頼出来る補佐役ですよ」
「……“神託の勇者”が、こともあろうに魔族の関係者と手を結ぶと?もし、彼が魔族と通じていたら、どうなさるおつもりですか!?」
それまでの人を小ばかにしたような冷静な態度から一変、ムキになって食い下がるイヴラに、それまで黙っていたアルセリアが口を開いた。
「イヴラ殿。私は、私の意思と判断において彼を信頼すると決めました。全ての責は、私が負います」
それは、他人がとやかく言うんじゃねーよ、ということだ。
言葉数は少なかったが、きっぱりと断言してみせた勇者を前に、これ以上何を言っても無駄だと悟ったのだろう。イヴラは、
「………貴女がそう仰るのであれば、ご自由になさればいい。しかし、仮に私の懸念が実現した場合、事は貴女がただけの問題ではなくなることは、ご承知いただきたい」
そう言い残し、納得出来ていない表情で、部屋を出て行った。
「…………ふぅ」
イヴラが部屋を出てしばらくは、三人とも黙ったままだった。
やがて、アルセリアが溜息をついてベッドにドサッと腰を下ろす。
「驚きましたね。まさか、リュートさんのことを嗅ぎつけられるとは」
ベアトリクスも、アルセリアよりはやや上品に、自分のベッドに腰かける。
なお、今までの遣り取りの間、ヒルダはずっとベッドの上でゴロゴロしていた。
「今回はなんとか誤魔化せた……のかな?」
イヴラは、どう見ても納得していなかった。これで終わりだとは、思えない。
それはベアトリクスも同感のようで、
「……そう、ですね。彼の動向は注視しておいた方がいいかもしれません。流石に、教会に報告…とはいかないと思いたいですが」
神官ではない宮廷魔導士が仕えるのは、国家であって聖教会ではない。彼がまず報告するとすれば、教会ではなく…
「王様にチクるくらいは、するかもね」
かも…と言うより、まずはそうするだろう。否、もう既にしているかもしれない。
そうなると、次はイヴラだけでなく国王や下手をすると高官たちも誤魔化す必要が出てくる。もういっそ、グリードを直接問い詰めてくれればいいのに、とベアトリクスは他力本願にそう思ったりした。
「…………アルシー、どうしましたか?」
次の手を考えようとしたベアトリクスは、アルセリアが何か別のことで考え込んでいる様子なのに気付いた。
「……ん?いやー、ちょっとね。改めて、考えさせられるなぁ…って」
少しバツが悪そうなアルセリア。落ち着かないように、膝を両手で抱えている。
「考えるって、何をですか?」
「んー、まぁ、アイツとの関係とかさ、対外的にはどうなのかなぁ」
アルセリアは、自信なさげに瞳を伏せる。
「アルシーは、彼が信じられないと?」
先ほどイヴラに断言してみせたことから、それはないだろうと思いつつ、ベアトリクスは思わず訊ねた。
「いや、信じてはいるよ。私はね。たださ、勇者が魔王……魔族の関係者とツルんでる状況ってのは、褒められたものじゃないんだなぁって、今さらながら思っちゃってさ」
アルセリアの意外な告白に、ベアトリクスは戸惑う。彼女がリュートに不信感を抱いていたのは、出会ってばかりの頃だけで、それ以降は疑いも警戒もまるで無く、無防備に全てを委ねていたではないか。
「…確かに、今さらな話ではありますね」
ベアトリクス自身には、アルセリアのような葛藤はない。誰かさんに似て非常に合理的な思考パターンの持ち主である彼女は、過度な期待をしない代わりに不要な心配もしない。自分の眼で見た事実だけを材料に、物事を判断する。
リュートは魔王だ。それは事実。そして、底値無しのお人好しである。それも事実だ。他にも、ヘタレだとか天然タラシだとか意外に詰めが甘いところがあるとか、今まで幾度となく彼に助けられたとか、それらも全て事実。
かつての魔王は知らない。だが、現在のリュートが、彼女たちを謀り何かを企むなどということは、正直言って全く想像出来ない。
「……ヒルダ、貴女はどうですか?」
一応、ヒルダにも訊ねてみる。だが答えは勿論、
「……お兄ちゃん、優しい。ゴハン美味しい………」
ブレない評価。
「うん。それは…分かってるんだけどね」
歯切れの悪いアルセリア。彼女の迷いは、そこにはないのだろう。アルセリアとて、リュートを信頼していることに変わりはない。
「……ただ、立場的に、どうなのよって感じ……かな」
普段は自由奔放なくせして、勇者としての責任感だけはやたらと強いアルセリアだからこそ、悩むのだろう。
何も考えていないヒルダと、合理主義者のベアトリクスは、自分自身さえ納得していれば他者の眼など気にならないのだから。
「アルシーの気持ちは分かりました。それで、貴女はどうしたいのですか?」
結局重要なのは、その点だ。
「このまま彼と行動を共にすることに抵抗を感じているのであれば………」
「や、そういうんじゃないから!」
慌てて遮るアルセリア。だが、すぐに語気を弱めると、
「……そんな、急にどうこうしようって思ってるわけじゃなくって……ちょっと、考える時間が欲しい…」
その選択肢も論外ではないのだと、遠回しに白状する。
確かに、今の状況が非常に不自然なものであると、ベアトリクスも理解している。
勇者が、魔王の助けを受ける。それだけでもありえない話なのに、魔王を滅ぼすための力を得るために魔王の助力を求めているのだ。矛盾である。
ベアトリクスとしては、現状が上手く進んでいるのならば構わないだろうと思うのだが、勇者であるアルセリアがその不自然さを是としないのであれば、彼女の判断に従うつもりでいる。
リュートにべったりなヒルダでさえ、同じ思いだろう。だからこそ、アルセリアには焦って答えを出してもらいたくないと、ベアトリクスは願った。




