第百四十七話 ちょっと寄り道⑤ キノコとみゆきと中野と俺。あと勇者。
早朝である。
まだ、日が昇る前である。
三人娘は、まだ眠っている。
いや、別に、あいつらと顔を合わせるのが怖いとか気まずいとか、そういう理由で早起きをしたわけじゃない。
俺は今日、なんとしてでもヒマガリタケを見つけ出さないといけないわけで、こういうのは早朝勝負だからこその早起きなんだってば。
………俺、誰に言い訳してるんだろう………?
「おはようございます、陛下!」
「おはようございます。随分と早起きをされるのですね」
しかし、魔族二人は俺が起きるとほぼ同時に目を覚ましてきた。どうも連中は、俺よりも長く寝ていることがないようだ。
「おはよ。俺は今から出かけるけど、あいつらのことはよろしくな」
よろしくと言っても、魔族である彼らに勇者の面倒を見てもらうつもりはないが、昨夜の件もあるし、なんかあいつらを野放しにするのは危険な気がする。
「ええー、僕も陛下と一緒に遊びたいです」
「いや、遊びに行くんじゃないんだって」
ディアルディオは、俺の目的を遊びだと思っている。
が、連れて行っても全く面白くないだろう。
「今日は、山に入ってとあるキノコを採取してくる。地味だし面倒だし、多分退屈だぞ?どうせなら、昨日見てた店とか行った方が面白いだろ」
「………陛下がそう仰るなら…そうしますけど………」
不満そうながらも、ディアルディオは頷いた。
「では陛下、いってらっしゃいませ」
にこやかに言うエルネスト。けど、昨日あいつらに俺を売ったことは忘れてないからな、この野郎。
朝っぱらから問い詰めるのもなんだから勘弁しといてやるけど、後できっちり話をつけるとしよう。
「じゃ、行ってくるわ」
俺は宿を出て、裏山へ。ちょうど、条件に合う断崖絶壁がちょいちょいあったりするロケーションなのがありがたい。
目指す標高があまり高くないのも助かる。目的地に着くだけで時間を取られてたら、探す時間がなくなっちゃうからな。
「さて、こっからが問題…だな」
最初に辿り着いた絶壁を上から見下ろしながら、俺は思案する。
ここから、ザイル等を用いて降下しながらヒマガリタケを見付けようと思うのだが……以前にも言ったが、俺はクライミング系は素人である。
前回はそれでも、足場に恵まれていたおかげでなんとかなったが(つっても落っこちたけどさ)、今回は足場と言えるようなものはほとんどない。
容赦なく90度に切り立った、絶壁。懸垂降下は何度か経験してるけど、大抵登山仲間と一緒だったし、単独行では実は初めてだったりするのだ。
ロープは崖の縁に生えてる木に結びつけるとして……ただ、闇雲に降りるだけでは意味がない。時間も限られているし、出来れば目標を視認してから動きたいんだけど……
ここからじゃ、崖の全貌がよく見えない。崖とは言っても、ところどころに植生もあるわけで、そういうところにヒマガリタケが隠れてたりする可能性だって、あるんだよなー。
………どうするか。
ヒマガリタケの平均的な大きさは、15~30センチ程と聞く。一旦下へ降りて、崖を見上げてみたとして…見つかるだろうか。
そもそも、この崖に確実に生えてる保証もないわけだし。
なんとか、ささっと確認出来るいい方法はないものかね。
うむむー。思いつかないな。そういや、浮遊術式をベアトリクスに教えてもらおうと思って忘れてた。こんなときに空が飛べたら、すごく助かるよね。
……空。空…かぁ。
霊脈を、ちょこっと開いてやれば、重力なんて簡単に操作出来るんだけどなー………
…って、ダメだダメだ!極力魔王として地上界に干渉しないって決めてるだろう、俺。しかも、試練なのにそんなズルしてたらダメじゃないか。
ああ、でも……せめて、“天の眼地の手”が使えたらなー……ちょっくら魔界に戻って、起動させてこようかなー………
……いや、だからダメだってば、俺。なんでそう、楽な方へと行こうとするかなー。
ここは、自分の手と足を使って、探し出すべきだろう!
こうして、俺のヒマガリタケ捜索は始まった。
断崖を探し、見付けたら命綱を付けて下りながら隈なく目標を探す。登ったり下りたりを繰り返すので、やけに時間がかかる。
時に地面に這いつくばり、時に崖にへばりつき、土まみれ汗まみれでひたすらキノコを探す……もう、頭の中のBGMは中島〇ゆきである。プロジェクトなXである。
食事を取るのも忘れ、日が傾きかけた頃。
一体いくつめの断崖か、俺は、とうとうヤツを見付けたのだった。
「………見つけた…間違いない……」
カエンダケを彷彿とさせる朱色のカサ。白い斑点が、キノコらしさを主張している。茎(ってキノコは茎って言うのか?)は太め。
正直、見た目はあまり美味しそうじゃない。と言うか、すこしグロテスク。
しかし、俺の視線の先に、食材辞典で見たスケッチと同じ姿のキノコが、確かに生えていた。
見つけてしまえばこっちのもの。あとは、ヤツが生えているところまで降下していって、採取するのみ!
あー、途中で雨が降ってこなくて助かった。
俺は空を見上げる。
まだ日暮れには早いが、思いのほか遅くなってしまった。今から採取して宿に戻ると、夕方になってしまう。
せっかく師匠に弟子入り出来たのに、ほとんど教わる時間が残っていない。ここでモタモタしていたら、その残された僅かな時間もなくなってしまう。
グズグズしている暇はないな。すぐに取り掛からなきゃ。
俺は手早く近くの大木にザイルを結びつけると、慎重に、ゆっくりと降りていく。
逸る気持ちを落ち着けながら、冷静に、冷静に。焦ってもいいことはないからな。つか、焦ったらまた落ちそうだし。
よし。もうちょっとで、手が届く………
目と鼻の先にヒマガリタケが。もうここまで来たら、ミッションは完了も同然。俺は、ヒマガリタケに手を伸ばし…………
ふいに、キノコがブルブルルッ…と震えた。
え?今、風吹いたっけ?
にしては、いやに不自然な動きだったような……
なんだろう。根本に虫でもいたのかな?まぁいいや。毒蛇とかじゃなければ…
思い直して、引っ込めた手を再び伸ばす。
その瞬間。
ぎゅるり。という擬音語が聞こえてきそうな動きで、ヒマガリタケが、俺の方を振り向いた。
…俺を……見た。
………って、え?見たって……キノコが、こっちを………見てる!?
うわわわわ、キモ!キモい!!
黒目がちな瞳と、にやけたような口(に見える亀裂?)が、ちょっとしたホラー!
え?え?ヒマガリタケって、キノコじゃなくてキノコ型魔獣なわけ?キノコに扮して近付いてきた獲物を捕らえるとか、そういう生態?
いや、確かに植物型魔獣は時折いたりするけど……でも目の前のプルプルしてるキノコからは、魔獣特有の魔力が感じられないよ?
これ、魔獣じゃなくて、動くキノコ……?
だったら、その方が不気味だ………!
ヒマガリタケは、ふるふるしながら俺を見詰めている。つぶらな目は、可愛くなくもなくもなくもない…けど、感情が見えないのと、そのくせニヤニヤしているような口が怖い。
えー……これ、俺、取って帰らなきゃいけないの?なんつーか、すごく抵抗を感じるんだけど。
いや…しかし、立ち止まるな、俺。こいつを採取しなければ、俺の野望は…師匠への弟子入りは、なかったことになってしまう。
キノコには悪いが、俺の野望のため、その礎になってもらおう!
意を決して手を伸ばした俺だったが。
ひょい。
ヒマガリタケは、俺の手を躱した。
そして、地面から足(のように見える二股の茎)をずぼ、と引き抜いて、立ち上がった。
………マジか!
こいつまさか、二足歩行のキノコだったりする!?
俺が呆けている間に、ヒマガリタケは再びブルブルと身震いして身体の土を払い落とし。
………崖の下へ、ダイブした。
「えええええ?ちょ、マジかよ!そんなんあり!?」
ヒマガリタケは、あっという間に俺の視界から消える。眼下の茂みが、ガサガサゴソンと動き、ヤツの逃走経路を俺に示す。
なんてこった!このままじゃ、逃がしてしまう!!
俺は考えるより早く、同じように飛び降りた。崖の中ほどから、下へと。
飛び降りた後で、後悔した。もう少し、熟慮してから行動するべきだった…と。
何せ、茂みのせいで下までどのくらいの高さがあるのか分からない。崖下が、どんな風になっているのかも見えない。
「いてっいだだだだだ!」
茂みに突っ込んで、枝やら何やらに思いっきり引っかかれながら落ちていく俺。だがそれも一瞬のことで、すぐに地面が迫りくるのが見えた。
「こん……じょーー!!」
気合を入れながら、衝撃を少しでも和らげられるように両手足で、着地。俺の脳内イメージでは、高いところから落ちた猫のように華麗に着地する予定だったのだが。
……鈍い音がした。
続いて、右足の脛あたりに、いやーな痛みが走る。
だが、その痛みを無視して、俺は顔を上げた。
ヒマガリタケは、まだそこにいた。逃げ遅れ、と言うよりも、俺の様子を窺っている。足を負傷している人間はもう自分を追ってはこないだろうと、タカをくくったような、あざ笑うような顔で、ユラユラしながら俺を見ている。
ふっ。舐めないでもらおうか。
この程度の痛みが何だ。足の一本や二本、折れたぐらいで何だ。そんなことで、俺の迸る情熱は消えたりしない!
油断しているヤツの不意を突くために、俺はワザとうずくまってみせる。痛みに耐えかねているかのように。
そして呼吸を整えると……獲物に襲い掛かる猫よろしく、ヒマガリタケに飛び掛かった。
俺のまさかの行動に慌てふためくヒマガリタケだったが、紙一重で俺の手から逃れた。
そして、一目散に走り出す。
「逃がすかぁ!」
骨折なんざ、走っているうちに治るだろう。俺は痛みを無視してそれを追う。
くそ。思いのほかすばやい。木々が生い茂り足場も不安定な山の中では、小回りの利くヤツの方にアドバンテージはある。
ひょいひょいひょいと、木の根をくぐりあるいは飛び越え、軽快に走るヒマガリタケ。
じりじりと、俺との距離が開いていく。
だが……ここまで来て諦めてたまるか。こいつを逃せば、多分もう二度と見付からないだろう。なんとしても、このチャンスをものにしないと!
走る。走る走る。脳内BGMはいつの間にか爆風〇ランプに変わっている。流れる汗もそのままなのである。身体にまとわりつく枝を払いのけ木の根に躓きそうになり斜面を転がり落ち、なおも走る。
ヒマガリタケは、持久力に自信がないのだろうか。最初は開くばかりだった俺との距離が、だんだん縮んできた。
よし、いいぞ。このままいけば、追いつける。
もう少しだ……あとちょっと………手を伸ばせば……!
ヤツを射程圏内に捉え、俺は目いっぱい手を伸ばす。
指先が、ヒマガリタケのカサに触れそうになったところで、
突然、足場が消えた。
いや、正しく言えば、消えたのではない。走るのに夢中になっていたせいで、俺も、そしてヤツも、自分たちの足元が切り立った崖になっていることに、気付かなかっただけだ。
まるでアメリカの子供向けアニメーションのように、空中を数歩進んでからの、自由落下。
「わ、わわわわわ!!」
結局また落ちるのかよ!もう、ぜったい重力操作の術式を習得してやる。落ちながらそう決意を新たにした俺だったが、今はそれどころではない状況で。
ばっしゃーーーーん。
派手な音と水しぶきと共に、俺は熱いお湯の中に落ちた。
………って、お湯?水じゃなくて?崖下だと、川とか流れてるとばかり……
幸い、崖からの高さも水深も大したことがなかったので、俺はお湯から顔を出して辺りをキョロキョロ。
………あれ?ここ、俺たちが泊まってる宿の露天風呂じゃん。
なんだ、走り回っているうちに、いつの間にか宿の近くにまで来てたってわけ………
あ!あああああ!
しまった!キノコ!ヒマガリタケは?ヤツはどうなった?
水が弱点って…濡れると溶けてしまうって、それお湯でも一緒なんじゃ………
慌ててヤツの姿を探す俺の目に、しゅわしゅわしゅわわーと、まるで入浴剤のような音と見た目で、お湯に溶けていくヒマガリタケの姿が………
あーーーーーーー、やっちまったーーー。せっかく見付けたのに。せっかく、捕まえられるところだったのに。
溶けてしまったら、「採取」とは言えない。今までの努力が、文字どおり水の泡だ。
どうしよう。もうこれから他のヒマガリタケを探しに行く時間なんて残ってない。俺は、師匠に課された試練を乗り越えることが、出来なかったというのか……俺の、料理に対する情熱と根性は、この程度だったというのか…………!
「……ちょっと…リュート。アンタ……」
悲嘆に暮れ、天然かけ流しナトリウム塩化物泉の中でがっくりとうなだれる俺の背中に、聞きなれた声。
なんだよ、アルセリアかよ。放っておいてくれ。俺は今、自分の無力に打ちひしがれている真っ最中なんだ。
「一体どういうつもり…………?」
どうもこうもない。キノコ一つまともに取れなくて、これでよく天下取りを目指せたものだよな、二千年前も。今思えば、恥ずかしい限りだ。あの頃の俺に、言ってやりたいよ。「お前はキノコ一つに翻弄される程度の魔王なんだ」って。
「………なるほど随分いい度胸してるじゃない」
あーーーーもう、煩いな。少し一人にしてくれよ。今は、お前に付き合ってる余裕なんて……
………………。
…………………………。
…………………………………………。
……ん?
…………あれ?
ここは……露天風呂…………だよな?
で、この声は、アルセリアのもので……………
露天風呂に、アルセリア。
この時の最適解としては、彼女に背を向けたまま走り去ることだったと、後になって思う。だが俺は、咄嗟のことに思考をうまく働かせることが出来ず、こともあろうに、後ろを振り返ってしまった。
声がした方を。
俺は、紳士である。
したがって、女風呂を覗いたりなんかしない。
現に、今だって覗いているわけじゃない。
これは、事故。そう…事故なのだ。不幸な事故。不可抗力。ここに俺の意志は介在していない。
が。まぁ、お恥ずかしながら、一瞬…ほんの一瞬だけど、見惚れてしまったことも白状しよう。
つい先だってツルペタン呼ばわりした相手ではあるが、そしてギーヴレイにも貧相呼ばわりされてはいたが、なかなかどうして、魅力的な光景ではあった。
所謂、女性の魅力という点ではまだ未熟と言わざるを得ない。だが、絶え間ない鍛錬により無駄な贅肉の削ぎ落された、それでいてネコ科肉食獣を思わせるような、しなやかな肢体。滑らかな肌に、戦いの最中に負ったのであろう傷跡も、寧ろ神々しく見える。
控えめな胸も、細い腰も、性的と言うよりも、機能美の極致。
うん。これはこれで………悪くない。
じゃ、なくて!!
ままままま、マズい!マジマジと見てしまった以上、言い訳が出来ない!
けど、このままでは、全てが終わってしまう!!
怒りと羞恥で真っ赤になった彼女は、ふるふると震えている。当然、寒いわけじゃない。怯えているわけでもない。
何か……何か言わないと。身の潔白を……いや、潔白とは言えないかもしれないが、これが不可抗力だったということだけは、分かってもらわないと!
「あ……あの…さ、その………なんて言うか……………わ、ワザとじゃ…………」
だが、俺が言い終えるよりも早く。
「こ…っの、エロ魔王ーーーーーーー!!!!」
怒れる勇者の拳が、俺の顔面にヒットした。
エルネストの思惑通り?になってしまいました。




