第百四十五話 ちょっと寄り道③ ディアルディオ、ちょっとビビる。
「あの……お客様、困ります………」
言葉どおり、宿の女主人は困り果てている。
だが、俺とて簡単に引き下がるわけにはいかない。
「そこをなんとか!アンタの料理は本物だ!ほんの少しでいい、その神髄を、見せて欲しい!!」
俺が必死に頼み込んでいる相手は、女主人ではない。
その横で、仏頂面と言っても差し支えない無表情で、黙りこくっている初老の男性。
そう、この宿の、料理長(と言っても料理人は彼一人しかいない)である。
夕飯を終えて他の連中が部屋へ戻る中、俺は一人厨房へ行き、後片付けの真っ最中だった彼に、頼み込んだのだ。
どうか、弟子入りさせてほしい……と。
とは言っても、明後日にはここを去らなければならない。そんな短期間で学ぼうなどと、彼ほどの料理人に対して非礼極まりないことは分かっている。
分かっているが、諦めることも出来なかったのだ。
勿論、彼の技を伝授してもらおうなどと思っているわけではなく、ただ傍で彼の料理を見て、少しでも盗めるものがあればと思ったのだ。
「アンタの料理には、魂がある…確固たる信念が!俺は、それを見たいんだ!!」
まっすぐに目を見つめて懇願する俺に、やがて料理長は根負けしたかのように溜息をついた。
「仕方ねーな。一日程度じゃ、何が分かるってもんだが……お前さんがそこまで言うなら、好きにすりゃいい」
「ありがとう!…いや、ありがとうございます、師匠!!」
感極まって俺は料理長…師匠に深々と頭を下げた……のだが。
「ただし…一つ条件がある」
師匠が、そんなことを言い出した。
「……条件、ですか?」
「ああ。まずは、お前さんの根性と、料理への情熱ってのを見せてもらう」
……根性と、情熱?
なるほど師匠は、俺が自分の弟子に相応しいかの試験を行おうというわけか。
いいだろう、受けて立ちましょう!
こう見えても二千年前、天界・地上界連合軍を相手に引けを取らずに渡り合った魔王ですぞ、ちょっとやそっとの試練なんかじゃ、怯むはずがない。
「お前さんには、ヒマガリタケを採ってきてもらう」
…………。
……………………。
……………………………………!
「ヒ…ヒマガリタケって、あの……?」
「おう、そうだ」
ここ最近、この世界の食材についていろいろと知識を集めている。地球と共通しているものからよく似ているが異なるもの、地球にはないもの、地上界或いは魔界特有のもの…などなど。
そうして得た知識の中には、珍味・レアを通り越して幻とまで言われる食材の情報もある。
ヒマガリタケも、その一つ。濃厚な味と芳醇な香りは全食材中一、二位を争うとされ、しかし生息地域や栽培条件は謎に包まれた、「幻のキノコ」。
学者の中には、そんなものは実在しない、と言う者までいる。
その、ヒマガリタケ。
……って、
「え?ヒマガリタケって……本当にあるんですか?まさか、この地域に?」
決してメジャーとは言えないその名を出したということは、この地方の特産品だったりする?
だが、俺の期待は虚しく、
「おうよ。だが、俺も自生しているところは、見たことがない。偶然手に入れた連中が、たまに市場に卸すくらいだな」
師匠は、何故か自信たっぷりに首を横に振った。
「……え…じゃあ、それどうやって………」
「そこをなんとかするのが、お前さんの根性と情熱だ」
「…………………」
そんな、無茶苦茶な。
だが……超々レア食材が「偶然手に入る」ということは、確かにこの地域には自生しているのだろう。無いものを探せと言われたらどうしようもないが、有るものを探すのならば、不可能ではない。
根性と、情熱。そして、知識があれば。
調べ込んだ食材情報が、非常に役に立ちそうだ。
そして何より、この俺が……第三等級遊撃士であり、また世界の頂に座する魔王であるこの俺が、ヒマガリタケ如きを入手できないはずがない!
「……分かりました。必ずや、ヒマガリタケを採取してきます!」
まさかのクエスト発生、である。ここに来てキノコ採取をする羽目になるとは思わなかったけど……これはこれで、楽しいかもしれない。
ヒマガリタケ……一度も食べたことがない。松茸みたいな感じだろうか?でも松茸なら季節になればスーパーにも普通に出回るしなー…。
それよりも珍しい……ポルチーニとか…みたいな?扱ったことがないからよく分からないけど。
何の知識もなければ、きっと怖気づいていたに違いない。だが、俺には知識がある。食材辞典によると、ヒマガリタケの生息地域は標高400~500メートルの山地、風通しと日当たりの良い断崖絶壁を好む(キノコのくせに日当たり……)と書いてあった。旬は、春と初秋。タイミング的にはベストである。
ただし、問題が一つ。
ヒマガリタケは、水に弱いのだ。なんでも、水に触れると溶けてしまうらしい。
日当たりの良い断崖絶壁って、絶対雨風に晒される場所だと思うんだけど……それなのに水に弱いって……雨天の日はどうするんだよ、ヒマガリタケ。
しかし「幻のキノコ」だけあって研究も進んでおらず、流石にその原因や理屈は分からない。だが、少なくとも、雨が降ってしまっては大ピンチだ。
もう日が落ちてしまっているので、勝負は明日一日。幸い予報では晴天だが、山の天気は変わりやすい。気温が上がる午後には雲が厚くなる可能性も高いし、そうなったら平地では晴れていても山の上は雨…ということもあり得る。朝早くから動くことにしよう。
俺は、明日に備えて早めに就寝することにした。
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魔王が宿の料理長に弟子入りを志願していたその頃。
一足先に部屋へ戻った勇者一行と魔王の配下たち。
「……どう思う?」
切り出した神託の勇者に、
「今のところは、上手くいっているのではないかと」
魔王の配下である神官が答える。
「時折考え込むような素振りをお見せになることはありますが、良い気分転換にはなっているでしょう」
「まったく、ほんとに世話の焼ける奴よね」
呆れたように言うアルセリアに、反論する者はいない。
そう、今回の温泉旅行は、先日のオーウ山地での一件で落ち込んでいる(と思われる)リュートを元気づけようと、残りの五人で画策したものだったのである。
「ああ見えて、リュートさんって結構繊細なところがありますしね」
と、ベアトリクス。傍らのヒルダも、頷いている。
本人は表に出していないつもりのようだが、様子を見ていれば分かる。彼が、救えなかった魔族の末裔たちに対して罪悪感と負い目を抱いていることは確かで、努めて平気そうに振舞っているのが逆に痛々しい。
そこで、今回は逆にリュートの世話を焼いてやろうと思い立ったわけだ。
「その…以前からそうだったのですか?」
昔の魔王を知らないエルネストが、ディアルディオに訊ねる。
「んー……正直言うと、よく分からないんだよね。以前の陛下は、ご自分の内心とかまるで僕たちに見せてくださらなかったし…」
長く魔王に仕えてきているディアルディオでさえ、かつての魔王の心情を推し量ることは出来なかった。
そういう意味では、魔王と臣下の間には厚い壁があったと言える。
「でも、今はいろんなことをお話してくださるしね、ちょっと嬉しいかな。…だいぶ、以前の印象とは違ってきちゃってるけど……」
「それは……六武王の皆様としては、どうなのですか?」
エルネストが疑問に思うことの一つが、現在の魔王は果たして側近たちにどう思われているのか、ということ。
かつての魔王は、冷酷無比にして絶対の君主。直接言葉をかけることすら畏れ多い、超常の存在だったと聞かされている。はっきり言って、彼の知る「魔王リュート」とは、同じ存在とは思えない。
そんな完璧な君主に従っていた側近たちは、現在の魔王の変化に対してどのように感じているのだろう、と。
「さぁ?僕は今の陛下の方が親しみやすくて好きだけど。ギー兄は陛下がどうであれ忠誠は変わらないみたいだし、ルク爺も多分そうじゃないかな。アス姉はなんか…面白がってたけど…忠誠とかは、分かんない。問題はフォル……………や、なんでもない」
最後に何かを言いかけたディアルディオだったが、途中で何故か口ごもる。
「……?そうですか……。ところで、今陛下はどちらに?」
それが気になるエルネストだったが、なんとなく聞くのが憚られる空気に、この話題を終わらせることにした。
「ああ、なんか厨房に用があるって言ってたわよ。どうせ、料理絡みのことじゃない?ご飯の時やけに感動してたから、弟子入りしたいとか我儘言ってたりして」
いい加減リュートの行動パターンは読めてきているアルセリアが、ずばり言い当てる。
「あら。それでは、リュートさんのお料理がますます美味しくなるのですね。それはとても素敵です」
「……お兄ちゃんのゴハン………レベルアップ?」
どうも補佐役を料理担当と勘違いしている節のあるベアトリクスとヒルダ。一方のディアルディオは、
「えー。そしたら明日一日陛下に遊んでもらおうと思ってたのに、それはどうなるのさ」
不満げに口を尖らせる。
「遊んで……って。あいつ、貴方たちの主なんでしょ?」
「だって、魔界に戻ったらいっつもギー兄が陛下にベッタリだしさ」
「その、ギー兄って………?」
「ん?ギー兄はね、陛下の右腕って言われてんの。で、陛下のこと超々大好きだから、いっつも陛下のお傍にずーっといるのさ」
魔界一の魔導士であり智将でもあるギーヴレイ=メルディオスをこう表現するのは、魔界広しと言えど、ディアルディオくらいなものである。おかげで、三人娘の彼に対する印象は、「魔王バカ」程度のものに留まっている。
「あ!もしかして、この前“門”を使って魔界経由でロゼ・マリスに行ったときに、リュートさんを出迎えた方ですか?」
ベアトリクスが思い出す。
「あの、髪が白くて真面目そうな雰囲気の………」
そこで、アルセリアも思い出す。とても、重要なことを、
「ああ………私たちを貧相呼ばわりしてくれた、アイツね………」
こともあろうに自分をリュートの愛妾と勘違いしたばかりか、貧相な小娘だから相応しくないとまで言われたことを、思い出す。
ギーヴレイの印象に、「ムカつく奴」が追加されることになった。
「え、何?お前ら、ギー兄に、貧相なんて言われたの?…いやー、ギー兄も言うねぇ」
女性に対する「貧相」という言葉が具体的に何を指し示すのかをイマイチ理解していないお子様なディアルディオだが、それが貶し文句であることと、そしてギーヴレイが何故そう言ったかの理由については簡単に想像することが出来た。
「ま、気にすることないと思うよ。多分、ギー兄は、お前らが陛下に特別扱いされてるのが面白くなかっただけだろうから」
「……それは、嫉妬ということでしょうか、ディアルディオ様?」
「そーゆうことじゃない?」
「なるほど。……………ああ、そういうことですか!」
いきなり、ぽん、と手を打つエルネスト。
「ギーヴレイ閣下は、彼女たちが陛下の愛妾だと勘違いを………なるほどなるほど、道理で…」
一人で納得しているエルネストが気になるアルセリアが、
「ちょっと、何?何がなるほどなの?」
何故そんなことが気になるのかが自分でも分からないまま、訊ねる。
「いえいえ。少し前に、ギーヴレイ閣下から変わった指示を受けまして」
「変わった指示?」
「はい。陛下の夜伽の相手を見繕うようにということだったのですが」
「……………………ほう?」
部屋の空気が変わった。
無表情のまま、アルセリアから絶対零度の凍気が立ち上る。
だが、エルネストはそれに気付かないのか……否、おそらく気付いていながら構わず続ける。
「それ自体は然程珍しくないと思うのですけどね」
「へ……へーぇ。珍しくないんだー……」
「ただ、その時は選ぶ対象に随分細かい条件が付けられてまして」
“戸裏の蜘蛛”の一員となった兄と違い、それほどの戦闘力を持たない代わりに色々と器用なエルネストは、魔王やギーヴレイの便利屋の様に使われることが多い。
ある日ギーヴレイから、魔王に献上する娘たちを集めるようにと命じられた彼は、リュートがそういうことを好むのだろうか疑問に思いつつも、支配者とはそういうものなのかと妙な納得もしたのだが、不可思議なのはその娘たちの条件。
年齢や外見的特徴、体格、髪型などが、指定されていたのだ。
王に献上する女性たちである以上、厳選するのは当然だ。家柄・容姿・才覚、全てが最高水準であることが求められるのは分かる。
だが、ギーヴレイが挙げた条件は、それとは別の方向性で。
「今思えば、貴方がたに良く似た女性ばかりを陛下にあてがおうとされてたんですね、閣下ってば」
いやー妙だとは思ってたんですけど疑問が解けましたー…などと呑気に頷いているエルネストの横で、ディアルディオは寒気を感じた。
魔界の最高幹部である六武王の一人であり、魔王より“滅びの権能”を与えられた彼が、今まで感じたことのない怖気に身を震わせる。
「……あ、あのさ……お前ら、なんか………」
「何かしら?」
「いや……なんでもない……けど……………」
彼にとって虫けらにも等しいはずの廉族の少女の眼光に、ディアルディオは惨劇の予感。
「それにしても、閣下があんな指示を下されるということは、皆さまは陛下とはそういう……」
「エルネスト。ちょっと、黙った方がいいと思うよ………」
全身から怒気を立ち上らせる三人の“勇者”を前に、ディアルディオはこの後主君が被ることになる災難に関しては自分に一切非がないことを、余計なことをベラベラと話したのはエルネストなのだということを、全力で主張しようと自分に言い聞かせるのであった。
お遊び回ではあるんですけど、この六人の組み合わせは書いてて楽しいです。




