第百四十四話 ちょっと寄り道② お約束とは、予定調和である。
温泉地イヴスキー。
今も昔も、湯治客や観光客で賑わう、一大温泉リゾートである……らしい。
ロゼ・マリスからは程近く、直通馬車で丸一日程度。
大規模ホテルから奥地の秘湯宿まで、数多くの宿泊施設が揃い、観光客を見越した商業施設も軒を連ねている。
なんつーか……ラスベガスと渋温泉を混ぜこぜにした感じだ。
「へー。ここがイヴスキーね。初めて来たわ」
両側に土産物屋が立ち並ぶ通りをきょろきょろと見渡しながら言うアルセリアは、年相応の少女の表情をしている。
この勇者、確かにポンコツなところはあるが、責任感だけは人一倍。バカやっているように見える時でも、どこか気負いがあると言うか張り詰めたところがあると言うか。こんなに気が抜けた姿を見るのは、初めてかもしれない。
アルセリアだけではない。ベアトリクスもヒルダもそうだ。「この三人が“神託の勇者”一行です」と言っても俄かには信じられないくらい、周りの観光客に馴染んでいる。
ディアルディオとエルネストは、どうだろう……?
「ねね、あれ何?」
「あれは……射的ですね。玩具の弓矢で、景品を狙うゲームですよ」
「何それやりたい!」
………うん、満喫してるね。
こいつらも、これで高位魔族なんですって言っても、誰も信じてくれないね。
あー、今度、臣下たちを連れて慰安旅行なんてのもいいかも。いつも苦労をかけてばっかりだからな。
「はいはい皆さん、お店を見るのは後にしましょう。まずは予約してある宿に行きますよ」
何故か添乗員役のエルネストが、土産物屋で足を止める五人を呼んだ。なお、今回の二泊三日の旅程に関して、全ての手配をしたのは彼である。
………妙なところで頼りになる奴だな。
俺たちが泊まることになっているのは、イヴスキーの中でも一番奥地にある、一軒宿。繁華街の喧騒からは離れた、いい塩梅に鄙びた秘湯の宿だ。
どことなく和風建築を彷彿とさせる歴史ある建物に入ると、女主人が出迎えてくれた。ここで着物美人じゃないのは残念。飾り気のない、黒の女中服。
「ようこそおいで下さいました。ごゆっくりどうぞ」
案内されたのは、和とも洋ともつかない折衷の部屋。ルシア・デ・アルシェであてがわれたのと同じタイプで、中央にリビング、それを囲むように各々の寝室。ただしキッチンはなし。
やたらと豪奢だったルシア・デ・アルシェとは異なり、落ち着いた感じの調度品が飾られている。
なかなかに、いい部屋だった。
「夕飯までは時間がありますし、早速温泉にでも行きましょうか」
ベアトリクスの提案に、異議を唱える者はいない。
当然のことながら、三人娘は女風呂へ。俺たち魔界組は男風呂へ。
今はシーズンオフらしく、俺たちの他に客は見当たらない。もともと部屋数の少ない宿とは言え、貸し切り状態とは実に贅沢な話だ。
「あ、こらディアルディオ、走るんじゃない」
脱衣所で服を脱ぎ捨てると、勢いよく浴場へ走り出すディアルディオ。なんでこいつはこう、落ち着きがないのかね。
しかも、身体を洗わずに湯船にダイブしようとしている。
「待て」
首根っこを捕まえて、それを止める。
「きちんと身体を洗ってからだ」
公衆浴場では、しっかりと身体の汚れを落としてから入浴するのがマナーである。これは、世界が違っても譲ることは出来ない。
「えー…いいじゃないですか、僕たちしかいないんだし」
「そういう問題じゃない」
そう。他に人がいないとか、そういう問題ではないのだ。
三人並んで身体を洗い、三人揃って湯船へ。勿論、その前に掛湯も忘れない。
「ふへーーーーー」
肩までゆっくり湯につかると、自然と口から気の抜けた声が漏れた。
なーんか、この世界に戻って来てから、こんな風にゆっくりしたことなんてなかったなー。
短い間に色々なことがありすぎて、結構疲れが溜まっていたのかもしれない。
「はーーーー。いいお湯ですねぇ」
「広いですねー。泳げますよ」
「だから泳ぐなって。………なるほどナトリウム塩化物泉か」
「……なと?」
「すまん、気にするな」
こうしてのんびりお湯に身を委ねていると、普段あれこれと考え込んでいるのが馬鹿らしくなってくる。
魂の洗濯、とはよく言ったもんだ。あれ、命だったっけ?まあどっちでもいいや。
内湯で身体を温めたあと、露天風呂へ移動した。
「すごい!広い!!」
内湯以上の広さを誇る露天風呂にディアルディオのテンションは頂点へ。止めたにも関わらず、また泳ぎ始めてしまった。
「あーーー、もう。泳ぐなって」
そう言いつつ、女風呂ではきっとヒルダも泳いでいるのだろうな、と思ってみたり。
「……マナーと言えば」
そんなディアルディオを見つつ、エルネストが
「もう一つ、重要なマナーがあるのを陛下はご存じですか?」
とか言い出した。
ほうほう、温泉大国で生まれ育ったリュウト=サクラバにそれを問いますか。
そりゃ、温泉のマナーっつったら、
湯船につかるのは身体を洗ってから。
髪の毛は湯に付けないようにする。
タオルも湯に付けない。
染髪禁止。
泳がない。
ってところだろ。なお、掛湯は身体への負担を減らすためのものだから、マナーとはちょっと違う。まあ他にも、おむつの取れていない乳児は不可だとか、石鹸等の備品を持ち出さないとか、温泉以前に基本的なマナーってのもあるけど。
「マナーと言うか、お約束……のようなものですが」
「んん?」
「……隣には、女風呂があります」
………ちょっと待てい。
「だから何だ。マナーとは関係ないだろうが」
「ならば、男の浪漫と言い替えましょう」
「言い替えんでいい!!」
俺とて男だ。……いや、まぁ、生命体じゃないんでしょと言われてしまったらそれまでだが、しかし主観として、そして肉体的には男だ。エルネストが何を言わんとしているかくらいは、分かる。
伊達に、男子高生を経験しているわけじゃない。
「しかし……我々は男で、すぐ横には女風呂があるのならば、為すべきは唯一つ……」
「大人しく風呂に浸かって大人しく上がるだけだろが!」
おいおいおいおい、キャラ変わってませんか、エルネスト?
第一、そんなことをしようものなら……
「あのな、お前…そんなにあいつらに俺を殺させたいわけ?」
「いえいえまさか。ただ、そこを含んでの、お約束と言いますか………」
含むな!頼むから含まないでくれそこは!!
そういう世俗的なことには興味がなさそうな(つーか神官じゃん)エルネストをしてここまで言わしめるとは、温泉恐るべし。
だが、期待してくれている諸兄には悪いが、俺はそんなお約束に殉ずるつもりはない。
「いいんですか?せっかくの機会なのに」
「いいも悪いも、それ犯罪じゃねーか」
「何を仰ってるんですか、魔王陛下なのに」
………いや、出歯亀の魔王なんて、嫌だよ。俺が臣下でも、そんな主君嫌だよ。絶対尊敬してもらえなさそうじゃん。威厳とか皆無じゃん。
「……そうですか。残念です。しかし陛下、まだ明日一日ありますからね。大丈夫です」
何が残念で何が大丈夫なのか、まるで分からない。
もしかして、エルネストは内心で俺を恨んでたりするんじゃないだろうか……そんな懸念が、胸をよぎったりした。
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俺は、紳士である。
したがって、如何なる状況においても、女性の入浴を覗き見たりするような真似はしない。
何故か俺を覗き魔にしたがっているエルネストの誘惑を断ち切り、俺たちはほどほどのところで風呂から上がることにした。
「まぁ、そうですよね。陛下はその気になれば魔界中の美女を侍らすことも出来るのですからね。今さら女体になど執着はしないのかもしれませんが」
「女体とか言うな。つか、まだ続けるのかよ」
「しかし、シチュエーションというものは非常に」
「その辺にしとこうか、エルネスト」
この調子だと、三人娘の眼の前でも平気でこの話題を出してきそうだ。頼むからそれだけは勘弁。
「へいかー。なんかふわふわするぅ」
そんな不毛な会話を続ける俺たちとは対照的に、ディアルディオは子供らしさ全開である。
「のぼせたんだろ、だから泳ぐなって言ったのに」
まぁ……具合が悪くなさそうだから大丈夫だろう。と言うか、のぼせてダウンする六武王とか、どうよそれ。
部屋へ戻って一休みしていると、やがて三人娘も戻ってきた。うっすらと上気した肌が、いやに艶めかしい。
「ほらほら陛下。後悔してるんじゃないですか?」
ここぞとばかりに突いてくるエルネスト。だが、その手には乗るか。
「え?なに、後悔って?」
耳ざとくアルセリアが反応するが、当然疚しいことのない俺は平然と、
「あー、何でもない何でもない」
と、躱すことが出来た。
さてはて、一っ風呂浴びたことだし、お次は夕飯ですな。
この世界に帰ってきてからというものの、食に関してはもどかしい思いをすることが多い。旅行の楽しみと言えば食事も大きなウェイトを占めているのだが……果たしてこの宿はどうだろうか。
期待半分不安半分で食事処(ここは部屋食ではない)へ。案内された席につき、食事を開始した俺たちだったが。
こ………これは……!
前菜を口にした時点で、俺は確信していた。
ここの料理人は……本物である、と。
丁寧な仕事。下処理から味付け、盛り付け、そして配膳のタイミングに至るまで、精緻に計算し尽された、芸術的職人技。
白身魚のカルパッチョに使われているソースは、芳醇な酢(おそらくバルサミコのような)をベースに、バターでまろやかさをプラスしている。ケッパーと……これは柑橘の果汁か?レモンとは違う、もっと角のない酸味………魚にも、新鮮な野菜にも非常に良く合う。
それからソラマメのムース。俺も以前、野菜のムースを作ったことがあるが、この一品を比べてしまうと実に恥ずかしい限りだ。コクがあるのに、まったく重くない。
スープは、シンプルなコンソメ。だが、ここまで透き通った雑味のないコンソメを作るのは、相当の手間仕事である。
お次は……なんと、牡蠣グラタンである。これ、悠香が好きだったんだよなー…。しかも……ソースが普通じゃない。これ……まさか、燻煙で香りを付けてたりする?
マジかー。この発想はなかったわ。まろやかな味わいのソースに薫香を付けることで、強い味付けに頼らずにアクセントを利かせている。ソースの中の、砕いたフライドオニオンの食感も素晴らしい。
「ちょっと、マジでここのご飯すごく美味しいんだけど。アンタより上じゃない?」
俺に負けず劣らず夢中になっていたアルセリアが言う。
俺は、自分の料理の腕に少なからず自信を持っていたりするのだが、
「当然だ。こいつは脱帽だな」
ここまで格の違いを見せつけられたら、潔く負けを認めるしかあるまい。
しかし……食に無頓着なこの世界で、ここまで味を追求する料理人が存在していたとは。ほんと、世界って広いな。
メインは、火蜥蜴の香草焼き。ラム肉に似て野趣溢れる火蜥蜴の肉を、香草が品よく仕上げている。
この世界では、普通ハーブ類は薬品扱いで、料理に使うことは想定されていないのだが……ここに、その有用性を理解する料理人がいるとは。
この出会い、無駄にすることは出来ない。
デザートを食べながら、俺は一つの決心をしたのだった。
良くも悪くも、エルネストは常識人ですので。良識人ではありませんが。




