第百四十一話 滅びを司るもの
「終わらせるって……貴方が?どうやって?」
正体不明の恐怖に後ずさりながらも、ソニアはまだ状況を理解してはいない。
自分が、一体何と対峙しているのか。
「知る必要はないと思うよ。…どうせ、理解出来ないだろうからさ」
ディアルディオ、もう一歩前へ。
じりじりと追い詰められていくソニアは、自分でも御しきれない恐怖を振り払うように、
「そ…それ以上、来ないで!!」
叫びと共に、風を呼ぶ。
一際激しい、滅びをもたらす突風を。
しかし。
「……どうして…………」
掠れる声で呻くソニアの目の前のディアルディオは、まるで涼しい顔。触れたものを風化させてしまう彼女の風は、ディアルディオに届く寸前に、掻き消えていた。
その背後にいる俺たちにも、当然、届いていない。
「ありがとうございます、ディアルディオ様。陛下はそうでもないのでしょうが、私ではこの風、防ぐことが出来ませんでした」
俺の横のエルネストが、ディアルディオに礼を言う。確かに、戦闘向きではない彼の耐性では、彼女の権能もどきを防ぎきることは難しかっただろう。
この力、外部からダメージを与える魔導とは違い、理に直接干渉する性質のものであるため、たとえ“星霊核”との接続を切った状態であっても、魔王には何の影響も与えることは出来ない。
そして、似たような系統でありながら格の違うディアルディオの権能の前にも、まるで用をなさない。
裏を返せば、そのレベルではないと太刀打ちできない程の力だ…ということ。
六武王や高位天使レベルであれば、その存在値ゆえに彼女の力は無効化されるだろう。こういった理を操作する権能タイプの攻撃効果は、一かゼロしかありえない。半分だけ効くだとか、少しダメージを与えるとか、そういう類の力ではないのだ。
耐えうるならば、一切通じない。耐えられないならば、死ぬ。
RPGとかである、即死性の魔法のようなものと言えば分かりやすいか。
効くか効かないかは、ひとえに彼女の干渉力と対象の存在値のどちらが勝っているかによって変わるわけだが……
つくづく、彼女に出くわしたのが三人娘でなくて良かった。
神託の勇者だろうが救国の英雄だろうが不世出の傑物だろうが、廉族が耐えられるような力じゃない。
単に、戦闘力がどうのという次元ではないのだ。
「なんで………?どうして効かないの?この力があれば、消せないものは何もないって、魔王さまは……」
これまで多くの人々を砂に変えてきて、おそらく初めて力が通用しない存在を知り、彼女の恐怖ははっきりとした形を取る。
最強の力を手に入れたと思ったのに、そんな自分をまるで歯牙にもかけない、格の違う敵を目の前にして。
「なんでって、決まってるじゃないか。そいつが、嘘をついているからだよ」
ディアルディオは、冷たく言い放つ。
「その程度の力じゃ、全てを消すことなんて出来ないし……そもそも消すんじゃなくて風化させてるだけの力だし、何よりそいつは、魔王陛下じゃない」
彼女にそれを言ったところで何の意味もないと俺は思うのだが、ディアルディオにとっては無視できない重要事項のようだ。
「僕たち魔族の主はね、廉族程度にそんなケチな力を与えて操るような小物じゃないんだ」
「……………貴方たち……魔族………?エルネストさんだけじゃなくて、貴方も、魔族の血を」
「血を引いてる…んじゃなくて、僕は純粋たる魔族だよ。混じり物と一緒にしないでほしいな」
魔族たちは、かつて創世神に冷遇されていた歴史からか、劣等感の反動で、自分たちが魔族であるということに非常に強い誇りを持っている。それが、他種族、特に脆弱な廉族に対しては強く現れる。
ディアルディオは比較的そういった考えからは自由でいる魔族だが、それでも譲れないものはあるようで。
「純粋な……魔族………………」
ディアルディオの外見は、人間とほぼ変わらない。だから、そんなのは出鱈目だと言ってしまうことも可能なはずだが、ソニアは信じたようだ。
尤も、自分の力が通用しない時点で、相手が人間だと考えるよりも納得出来るのだろう。
「なんで……魔族が、ここに…………?」
当然の疑問を、彼女は口にする。
そして、それに対するディアルディオの答えも、ある意味では当然のもので。
「決まってるだろ。僕たち魔族が誰に付き従ってるのか、知らないはずないでしょ」
魔族が従う主。魔界を統べる者。
「僕は、陛下の……魔王陛下の忠実な臣下だからね。だから、陛下にわずかでも害意を見せた者を、絶対に見逃しはしない」
「陛下………魔王、陛下……?」
何かを思い出したかのように、ソニアは硬直する。そして視線だけを動かして、ディアルディオの後ろを見た。
そこに立つ、俺を見た。
「………リュート…さん?」
彼女の声が、震えている。
恐怖だとか絶望だとか、俺にはよく分からない感情で埋め尽くされている。
「……ソニア」
俺は、極力穏やかに語りかけた。彼女が、冷静な判断を…自分の本当の望みを口にすることが出来るように。
「俺は、お前に二つの選択肢を与えることが出来る。………これからも生き続けていくか、ここで死ぬか。………ソニアは、どうしたい?」
最愛の者を失い、身内を殺し、全てを敵に回し、それでも生き永らえることを彼女が望むのであれば、構わない。彼女がそれを本当に望むのであれば、絶望と後悔を背負いながら永劫の生に囚われる覚悟があるのなら、俺は彼女の望みを叶えよう。かつて、エルネストにそうしたように。
無駄だとは、半分以上分かっている。一度は、決断したつもりだった。けれども、諦めきれなくて。最後の最後で、彼女がやっぱり生きていたいと、そう言ってくれることを願って。
けれども、彼女の答えは。
「……信じない。貴方は、魔王さまなんかじゃない。だって…………魔王さまなら、なんであいつらをやっつけてくれなかったのよ!?」
泣き出しそうな勢いで叫ぶ彼女に、俺は答えることが出来ない。
「私は……私が従う魔王さまは、あの方なの!魔王は、二人も要らない!!」
悲痛な叫びと共に、それまでとは桁外れに鋭い風の刃が、俺を襲った。
だが、見えない刃は俺に届くまえに霧散する。彼女の風は、俺の髪一筋揺らすことはなかった。
「え……あれ………?なんで………」
ありったけの力を振り絞った一撃を無効化され、ソニアは茫然と呟く。そして、自分と俺の間に立ち塞がるディアルディオを見た。
「もう一度だけ、訊く。お前は、俺の下で生きていくことを、望むか?」
最後通告を兼ねて、二度目の質問。
彼女の答えは、簡潔だった。
「……嫌よ。私は、私の自由意志で私の望みを叶えるの。……貴方が誰であろうと、とやかく言わせない」
きっぱりと、まっすぐ俺の目を見て言う。
その眼差しには揺るぎがなくて、魔王を騙る何者かに踊らされているようには、とてもじゃないが見えなかった。
唆されたのは間違いないだろう。
けれど、それで操られるようなタマじゃないのかもしれない…ソニアという少女は。
「………そっか、分かった。……………ディアルディオ」
もうこれ以上、彼女と問答を続けるつもりはない。俺は、己が忠臣に短く命じた。
「分かりました」
ディアルディオが答えるやいなや。
変化は、一瞬だった。
周囲の環境には、何の影響もない。
炎や雷が起こるわけでも、あたりが凍り付くわけでもなく、音もせず。
断末魔もなく、そしておそらく苦痛もなく死の自覚すらなく。
ソニアは、消滅した。
彼女の使う、風化の力とは一線を画する、正真正銘の「滅び」。
それが、俺がディアルディオに与えた権能。
彼女の理に直接干渉し、その存在に滅びを与える。
風化とは違い、彼女の肉体と魂は一瞬で霊素の粒子へと分解され、空に溶けた。
たった一言の、別れもなく。
ディアルディオの権能はエフェクト的に地味なので、描写に困ります。




