第百四十話 臣下の想い
「魔王…って………」
まるで疑問を抱くことなく断言するソニアに、俺はどう答えればいいのか。
「何を馬鹿なこと言ってるんだよ、お前」
だが、ディアルディオは大人しく聞き逃すつもりはさらさらないようで、早速それに噛みついた。
「魔王陛下がそんなこと言うはずないじゃん。だって陛下はここ……」
俺はそんなディアルディオを手で制して、ソニアに話の続きを促した。
「そいつが、お前に名乗ったのか?自分は魔王だ…って」
エルリアーシェの名を騙るのも容認し難いが、この俺を騙るのはさらに赦せない。どこのどいつだか知らないが、魔王を名乗るその大罪、どう贖ってもらおう。
「いいえ?でも、魔王さまに祈ったら返事をしてくれたんですから、それは魔王さまのお言葉でしょう?」
「魔王に…祈った?」
彼女が祈ったのは、村が祀っていたのは、守護神像……創世神エルリアーシェではなかったのか?
彼女は、さらに重要な秘密を打ち明けるように、その必要もないのに声をひそめて。
「これは、代々のお役目にしか告げられない秘密なんですけどね」
勿体ぶるように、一呼吸おいて。
「ご先祖さまは、創世神の像とは別に、魔王さまの像を、作ったんですって。創世神の像は、カモフラージュってとこみたいです」
カモフラージュ………天使族や廉族の追手の目を誤魔化すため……か。
「彼らが本当に敬愛していたのは、魔王さまで、でもバレたら大変だから、村人にさえ内緒で創世神の像と一緒に祠に安置して、お役目以外にはその存在を隠したままで祈り続けていたそうです」
……………地上界に取り残された魔族。
創世神に見棄てられ、拾い上げてくれたはずの魔王にさえ見向きもされず、敵地に置き去りにされた彼らは、それでも魔王への畏敬を忘れることがなかった。
その証として、密かに像を作り、祈り続けた…………
馬鹿馬鹿しい。愚かにも程がある。
そんなことをしても、全くの無意味、無駄じゃないか。
魔王は、彼ら一兵卒になど、なんの注意も払わなかった。彼らがどんなに忠誠を尽くそうと、そのためにどれだけの犠牲を払おうと、それを当然のように受け取るだけで碌に報いようともしなかった、ろくでなしの恩知らずだぞ?
そんな奴のために、追手の目に怯えながら、祈りを捧げて一体何になる?
「しかし、だとすると魔王陛下の像は一体何処に?」
俺が、魔王のろくでなしさ加減に何も言えないでいる間、エルネストが問いかけた。
「襲撃者たちの村には、創世神の像しかありませんでしたが……」
「魔王さまの像は、しばらく前に祠から持ち出してあったんです。……タリアが、レント兄さんたちと共に村を出る際に」
………ああ、そういうことだったのか。
一体は、妹の所に。もう一体は、自分の手元に。
分かたれた、一対の像。
「そのことを知っていたのは、私とタリアの二人だけでした。父さんも、レント兄さんも知らないことです」
「お前は……その、魔王像に祈ったんだな。そして、声を聞いた……」
それは断じて魔王の声ではない。しかし、魔王像に向かって祈りを捧げ、声が聞こえてきたならそれは魔王のものであると勘違いするのが当然だろう。
レントとタリアを殺した連中が、それを神の声と勘違いしたのと同じように。
ソニアは、それはそれは嬉しそうに笑った。
「はい!魔王さまは、私の祈りに応えてくださったんです。私に力を与えてくださって、好きにしてもいいんだよって。だから、私はこうすることにしたんです」
その瞬間、ソニアの足元から風が舞い上がった。
風は彼女の周囲の木々を揺らし………
「……やはり、魔導ではない…か」
呟く俺の眼前で、風が触れた途端、木々は見る間に枯れていく。水分を失い干からびて、組織を保つことすら出来なくなり砂のようにパラパラと、風に乗って崩れていった。
枯れ木が風化していくのを、超高速の早回しで見ているようだった。
この現象、確かに魔力は働いているが、術式の構築が見られない。魔導術式であるならば、たとえ詠唱を破棄もしくは省略していたとしても、必ずそこには人為的な法則が存在する。
だが、彼女の周りを囲むように吹く風には、そういった秩序は感じられなかった。
そして俺の目には、それの正体がはっきりと映っていた。
魔導にも、風化の力を持った術は存在する。風と火、そして土属性の複合術式で、非常に高度な技術を要するものだが、熱風で対象の水分を奪い去り砂に変えてしまうというもの。
そういった術は、云わば結果として風化をもたらすものであるのだが、彼女の風は違う。
対象の理に直接働きかけ、その存在を「風化した状態」へと書き換えている。
…………まるで、俺が武王たちに与えた権能と同じだ。
そして、他者にそんな力を与えることが出来る存在など、本来であれば俺たち以外には有り得ないはず。
だが…事実、彼女の力は、風は、村を、家族を、乾いた砂へと変えてしまった。
……一体何者だ、彼女にこの力を与えたのは。
彼女の力そのものは、俺やディアルディオにとってはそれほど脅威ではない。それが、彼女に力を与えた「何者か」の限界なのか、或いは廉族である彼女の限界なのかは分からないが、俺が武王たちに与えたそれぞれの権能に比べると、随分と干渉力が弱い。せいぜい、権能の劣化版といったところ。
だが、問題は力の強弱ではない。
理に干渉する力を持った者……彼女にそれを与えた者が、存在するということ。
「ソニア……そいつ…魔王…は、他に何か言っていなかったか?」
何でもいい。それの正体に繋がるようなヒントがあれば……
だが、俺の期待は空振りに終わった。
「いいえ?好きにして、楽になっていいんだ…って私の背中を押してくださっただけです。何かを命じられたわけでもないし、求められたわけでもありません。これは、私自身の望みなんですから」
流石に、おいそれと尻尾を出すような真似はしないということか。
「ねぇリュートさん。リュートさんは良い人だから、私を手伝ってくれるなら殺したりなんてしませんよ。一緒に行きませんか?」
ソニアは、ちょっとそこまで散歩に行かないか、と誘うような気軽さで、俺に手を伸ばす。
「手伝うって、何を?」
何となく想像は出来ているが、それでも訊ねてみる。
「全部、砂にしちゃうんです。こんな不条理だらけの世界なんて、要りません。何もかも無くなってしまえば、きっとそこに新しい世界が作られるって…魔王さまが作ってくださるって、思いませんか?」
……なんてこった。それはまるで、“魔王崇拝者”の台詞じゃないか。魔王を崇めているという時点で、彼女もそうだと言えるのかもしれないが。
「…悪いけど、俺は今のこの世界、結構気に入ってるんだ。今のところ、新世界なんてものに興味はないね」
第一、もしその気があれば、とっくにそうしている。二千年前の天地大戦のときから既に、俺には世界そのものを滅ぼす意志はなかったのだ。
「そう…ですか。とても、残念です。それならせめて、邪魔をしないで見ていてほしいんですけど」
本気で残念そうに肩を落とすソニア。だからと言って、このまま大人しく引き下がるつもりはなさそうだ。
彼女は、理性を保っているようで、既に正気を失っている。本来ならば、いくら自暴自棄になったとしても、悲しみや憎しみに囚われたとしても、父親を含め、何の罪もない村人たちを皆殺しにするような奴じゃない。
彼女は、救いを求めて、救われたいと思って、俺たちを村へ導いたのだ。そんな彼女が、自分の意志で滅びを望み、邪魔だからというだけの理由で大切な人々を殺めるなんて。
「……陛下、どうなさいますか?」
エルネストが、俺に耳打ちする。
「出来ればあの娘を救いたいと思っていらっしゃるのでしょう?」
ズバリと、俺の内心を言い当てて。
しかし。
「……残念ながら、あれはもはや手遅れのように思えます。よしんば正気に返ったとしても、己の所業を目の当たりにして耐えられるとも思えません」
……エルネストの言うことは尤もだ。
廉族の身で理に干渉した時点で、彼女自身は後戻り出来ないほど本来の在り方とは違う領域へ足を踏み入れている。
仮にあの妙な風の力を奪ったとしても、こちら側へ戻ってくることは……出来ないだろう。現に、彼女の姿は徐々に変貌してきている。
彼女を構成する、霊素の形も。
……どうする?
ルガイアのように、一度命を奪ってから再構築すれば、表面上は彼女を救うことが出来る。
だが……彼女が、それを望むだろうか?
それが、彼女の救いに、なるだろうか?
……答えは…否、である。
なら、俺に出来ることは一つだけだ。彼女を、解放してやることだけ。
本当は、助けたかった。生きていてほしかった。彼女にまで死なれたら、俺は結局、過去に彼らの先祖に対して犯した罪を、何一つ償えないことになる。
そんなのは、嫌だ。
だけど、俺のそんな我儘で、彼女に形ばかりの救いを押し付けるなんて、そんな最低なことは出来ない。
だったら………腹を括ろう。
出来るだけ、苦痛や恐怖を与えないように。可能ならば、彼女が自分の死を自覚する暇もないままに。
そう思い、“星霊核”と接続しようとしたとき。
「陛下、お願いがあるんですけど」
唐突に、ディアルディオが言った。
「ちょっと前に、陛下言いましたよね、何でも我儘聞いてくれるって」
……ああ、そう言えば、そうだった。三人娘ばかりを贔屓していると思われて、癇癪を起こしたディアルディオに俺は、我儘を言うことを許したんだった。
「…今回は、僕にやらせてください」
ディアルディオは、ソニアを見据えたまま。その表情からは、戦いや殺戮を望んでいるとか嗜虐心に火が付いたとかいう感じは見て取れない。
「…お前に……?」
「はい。陛下は絶対手を出さないで下さいね。そんなことしたら本気で陛下のこと嫌いになりますから」
「…………!」
思いもよらなかった言葉がディアルディオの口から飛び出し、俺の心臓を締め上げた。
こいつらにまで嫌われたら…見棄てられたら………俺は、どうしたらいいんだ?
「だけど、これは俺の問題で……」
「陛下」
ディアルディオを下がらせようとした俺の肩を、エルネストが掴んだ。
「陛下の問題は、則ち我ら臣下の解決すべき問題です。主君のために力を振るうことは、我らの誇りであり、望みでもあります。それを無下に取り上げると仰せであれば、貴方には主たる資格はない」
……………………。
エルネストの言葉が、俺の中に突き刺さる。
立場的にも能力的にも存在的にも、遥かに劣るはずの彼の言葉に、俺は無礼を咎めるどころか反論すら出来ない。
「もう少し、我ら臣下をあてにしていただきたい……ということですよ」
そんな俺に、エルネストはそう言って微笑んだ。
………そっか。そんな風に思われてたのか。
そんな風に、思わせてたのか。
俺は今まで、創世神に見棄てられた魔族たちを拾い上げたのが魔王だから、それで無条件に崇拝してくれているのだと思っていた。
彼らは、俺に恩を返すために俺を喜ばせようとしているだけなのだ、と。
勿論、そういった側面は強いだろう。
けれど、それだけじゃない。
魔王の臣下として生きること、戦うことは、彼ら自身が望んだ彼らの生き様。彼らの矜持。彼らの選んだ在り方。
それを否定することは、たとえ魔王であっても、赦されない。
似たようなことを、しょっちゅうギーヴレイに言われていたはずなのに。
俺は、その言葉の本当の意味に、全く気付いていなかったんだな。
「……分かった。ディアルディオ、お前の好きなようにするといい。権能も行使して構わない」
「御意」
ディアルディオは、一歩前へ進み出た。
それまでの、どこか斜に構えた気だるげな少年の表情ではない。
どこまでも、冷たく、静謐。
その表情に相応しい声で、魔王軍六武王が一人、ディアルディオ=レヴァインは目の前の少女に告げた。
「…知らなかったんだから、お前は悪くないと思うよ。けど、お前は大罪を犯してしまった」
何を言われているのか理解出来ない様子で、しかし只者ではなさそうなディアルディオの気配に気圧されて、ソニアが一歩後ずさった。
そんな彼女を追い詰めるように、もう一歩前へ出るディアルディオ。
「だから、お望みどおり、終わらせてあげるよ」
はい、ディアルディオ出撃!です。リュートにソニアを殺させたくないので(そのせいでリュートが傷つくのがイヤ)、我儘言ったフリをしてる健気な子です。そこのところ、リュートは分かっているのかいないのか……。




