第百三十八話半 幕間 理想と現実
ぼへー。
俺は、村を見下ろす小高い丘で、草の上に寝っ転がって空を見上げていた。
ハガルの家では今、マスグレイヴ枢機卿とハガルたちとの間で、これからのことが話し合われている。三人娘も、同席している。
俺も、ここまで首を突っ込んだのだから立ち会うのが筋かと思ったのだが、この状況になったら自分に出来ることは何もないし……と言うより、こんな役立たずの魔王より枢機卿たちに任せた方がずっと上手く事が運ぶような気がしたから、余計な口を挟むことはやめたのだ。
……という理由で、逃げてきたわけなのだけど。
「なーんかさ……俺って、何にも出来ない魔王だよなー」
普段だったら、絶対に臣下には言わないような弱音が、自然と口から零れ出た。
ここには、ディアルディオとエルネストの二人もいるっていうのに。
「陛下、何を仰せですか。陛下は、超常にして今や唯一神格を抱く存在……」
「結局何も出来てないんだよ」
エルネストがまるでお約束のように話すのを遮って、俺は溜息を追加。
「考えてみればさ、二千年前のことからして………俺、アルシェに負けてるじゃん?」
無気力モードになっているせいか、久々にエルリアーシェのことを愛称で呼んでいた。彼女をそう呼ぶことを許されているのは、俺だけだ。
「前も余計なことして助けられなかった奴がいるし、今回も似たようなこと繰り返すし。……この世界じゃ、俺って結構無力だよね」
「陛下がお望みになれば、不可能なことなどありません」
エルネストの声色が、若干怒っているように聞こえるのは、気のせいか?
「そのおつもりがあれば、世界を書き換えてしまわれることさえ可能なのでしょう?」
「書き換える……つーか、再構築は……な」
確かに、理を書き換えてしまえば、全ては俺の望むままの世界が出来上がる。
誰も傷つかない、苦しまない世界を創ることだって、可能だ。
けれど……それはすなわち、現在のこの世界の終焉を意味する。
旧い世界の破壊と、新世界の構築。
ディアルディオもエルネストも、ギーヴレイ始め六武王も魔族たち全員も、三人娘もグリードも七翼の連中もみんな、消え去った世界。
そんなのはもう、その時点で「俺の望む世界」なんかじゃない。
いつか遠い未来、そういう選択をするという可能性もなくはないが、少なくとも今は違う。
俺は、エルリアーシェの守ったこの世界を大切にしたいと思う。思うからこそ、ままならないことが多い。
ジレンマ、である。
「…………ねぇ、陛下」
それまで黙っていたディアルディオが、ためらいがちに、しかしきっぱりと、
「もう、いいんじゃないですか」
「いいって……何が?」
唐突に問われて、俺は返事をし損ねる。
見ると、ディアルディオは不貞腐れたような、拗ねているような、あるいは困り果てているような…奇妙な表情をしていた。
「地上界なんかに構ったって、ロクなことはないと思います。魔界なら、陛下に嫌な思いをさせる輩なんていないし、いたとしても僕たちが排除するし、それでいいじゃないですか」
………そう言われて、咄嗟に何て返せばいいのか分からなかった。
エルネストも、まったくもってそのとおり、という感じに頷いている。
彼らがそんな風に考えてくれているのは、有難いと思う。だけど。
「……ありがとな。けど……そういうことじゃ、ないんだよ」
嫌な思いをしたくなくて、思うとおりに振舞いたくて、それで俺は地上界に執着しているわけじゃなくて。
「俺はもう少し、この世界にきちんと関わるべきだったんだよ。それこそ、創世期の頃から。なのに、無責任にエルリアーシェに丸投げしちまってさ……魔界のこともそうだけど、地上界も……難しいかもだけど天界に関しても……今からでも少しずつ取り戻せないかなって」
始めは、興味本位で世界を見るだけのつもりだった。
けど、それだけじゃダメなのかもしれない。
これは……何て言えばいいのだろうか。
強いて言うなら、子供のことや家庭のことを嫁に任せっきりで何もしてこなかったダメ夫が、嫁の死後今さらながら家族に向き合うことになった…………みたいな?
「魔界があって、魔族たちがいてくれるから、地上界でどんな思いをしても、俺は平気だよ」
本来は俺の居場所ではないはずの魔界。けれども、彼らは俺を主として受け入れてくれた。だから、俺の帰る場所は決まっている。
「まあ、あれだ。随分情けない姿見せちまったけどな。…ガッカリしたろ」
俺の問いに、二人はブンブンブンブンと勢いよく首を横に振った。
「僕は、ギー兄みたいに了見狭くないですからね!陛下がどんなでも、僕はガッカリなんてしません!つか、ちょっとくらいそういう感じがあったほうが、面白いと思うし」
ディアルディオ、本音が出てる。
「寧ろ、魔界でももう少し今のようなお姿を晒された方がよろしいのでは?」
と、エルネストの提案。
「陛下は、どうも気を使いすぎて自滅するタイプのお方とお見受けいたします」
ううう、何か見透かされてるっぽい?
「って…今のような……かぁ。こんなだらしないところ見せたりしたら、ギーヴレイなんて卒倒するんじゃね?」
「卒倒と言うよりも……陛下の素を拝見出来た私たちを嫉妬するのではないかと」
あーーーー、有り得る…かも。
「んー……まぁ、そのうちな。俺だって、お前たちの前でくらいカッコつけたりしたいもんなんだよ」
「それは……既に遅いと申しますか………」
あれ?言外に、カッコ悪いって言われてる?
「ま、あれだな。ケセラセラ…ってやつな」
神様がそれ言っちゃ駄目でしょって台詞だが、嫌いな言葉じゃない。と言うか、寧ろ理想。
そんな風に本気で思えるようになりたいと、思ってしまうわけだ。
則ち、現在はとてもその心境には至れていないわけで。
「そろそろ……話し合いも終わった頃かな」
「そうでしょうね。話し合いと言っても、実際には枢機卿からの一方的な伝達でしょうし」
俺の不始末で生まれてしまった魔族の末裔たちは、無事に幸せを掴めるのだろうか。ルーディア聖教がバックについていてくれるのなら安心だとは思うが、それは対外的な問題に関してであって。
これから先、周辺の部族を、自分たちの肉親を殺した相手を、許すことは出来るのだろうか。復讐を、諦めることが出来るのだろうか。
「ハガルもソニアも……辛いよな、これから」
「そりゃ、そうでしょうね。仇が近くにいるのに、手出ししちゃいけないっていうんですから」
マスグレイヴ枢機卿は、彼らの保護の条件として第一に、一切の武力闘争を禁じた。
これは当然のことである。彼らが他者を害することがあれば、聖教会の大義名分が成り立たなくなってしまう。
「彼らが敬虔な信徒であるならば、心配いりませんよ」
エルネストは、流石に(元?)神官だけあって、自信ありげに言う。
「神の教えは、赦すことを始めの一歩としています。怒りはともかく、憎悪や復讐といった感情・行為はルーディア聖教では御法度ですからね」
ほー、そうなのか。
まぁ、仇討ち上等!みたいな宗教も怖いけどさ。
「でもそれじゃ、やったもん勝ちって感じだよな」
それは、フェアじゃないような、被害者側に寄り添っていないような気もする…のは俺が未熟だから?
「ご不満でしたら、陛下が彼らの代わりに襲撃者たちへ制裁を与えればよろしいのでは?」
エルネスト、穏やかな笑顔で物騒なことを言い出したりする。
「それが魔王陛下のご判断であれば、咎めることの出来る者などおりませんでしょう」
「いや、やめとくわ。んなことしたら、あの三人に何言われることやら……」
多分、スマキじゃ済まない。
「……………………」
「……ん?どうしたディアルディオ」
なんだか、ディアルディオがさっきよりも不貞腐れた顔になっている。
「……ズルいです」
「え?何が?誰が?」
「ズルいです!あいつらばっかり!なんで特別扱いなんですか!陛下は僕たちだけの陛下なのに!!」
………癇癪を起こされてしまった。
「あいつらの我儘ばっかり聞いてるんでしょ陛下ってば!」
「い、いや……そんなことはない…ぞ?………多分……と、思う……」
嘘である。
確かに、俺はあいつらの我儘と傍若無人ぶりに、振り回されている。
「ズルい!ズールーいぃ!僕たちにも優しさを下さいーー!」
………とうとう駄々を捏ね始めた。
何だろう……外見年齢が近いせいか、騒がしいヒルダみたいな感じだ。
「あー、分かった分かった。我儘言ったっていいぞ?どうしてほしい?」
彼らは俺の大切な家族。多少の我儘………常識的な範疇であれば……くらい、聞いてやろうじゃないか。
子供のおねだりを聞き届ける親のような気持ちで、俺はディアルディオに言ってみたのだが。
「え………えと…。いえ………その……」
いきなり、モジモジし出した。
「別に……これといってお願いがあるわけじゃなくって…………その、ちょっと…言ってみたかっただけ…です」
可愛いなコイツ!
「そっか。じゃ、思い付いたら言いなさい。世界滅亡とか生贄五千人欲しいとかいうんじゃなければ、なんだって聞いてやるから」
「……陛下…その甘やかしっぷりで、勇者殿にも接しているわけですね………」
何やらエルネストが呆れているが、それは否定出来ない。
あ、そうか。俺がこうだから、あいつらが我儘になる……のか?
あれ?それじゃ、あいつらのポンコツぶりの一因は、俺にもあるということ!?
それは……それは、流石に認めがたい!
俺は、もう少しあの三人娘に対しても毅然とした態度を取るべきだと、自分に強く言い聞かせてみた。
……実行可能かどうかは、別として。
ちょっと重たい感じの展開が続いたので(しかもまだ続くし)、箸休め的に魔界組のおしゃべり話を挟みます。




