第百三十五話 冷たい怒り
そこには、地獄があった。
燃えながら崩れ落ちる建物。
重なり合って倒れる人々。
怒号と、悲鳴と。
「………あーぁ。こりゃもうダメだね」
それらの光景を前に、俺を含め皆が絶句する中、ディアルディオが感情の伴わない声でぽつりと呟いた。
………ダメ……って………………それじゃ、レントやタリアは………?
考えるより先に、村の方へ走り出す。
急がなければ。レントはまだ戦っているのだろうか。タリアは、あの身体で逃げることなんて出来そうにない。
だったら、どこか村の中に避難出来る場所のようなものは………
気が急く俺の目の前に、人影が飛び出してきた。
一瞬、生き残った人がいてくれたのか…と思ったけど、様子がおかしい。
それは、若い男。
確かにこの村は、ハガルの元を飛び出してきた若者が中心になって作った場所。だが、その男の血走った眼と狂ったような表情、禍々しい気配は、襲撃を受けて逃げてきたようには見えなかった。
となると、この男は襲撃者の側か。
しかし…………
「お……おまエ…ら…ァ………こ●✕は■オ✕●✕✕」
完全に、正気を失っている。
その姿に、ホラー映画のゾンビを思い出した。あんな風に腐乱してはいないけど。
「おい……お前ら、なんでこんなことを………」
その様子から、返事を期待して問いかけたわけではない。案の定、男はぎょろり、と俺に視線を移すと…
って、怖い!怖い怖い!!
なんか白目むいてるんですけど!
「あ✕✕が■●✕ァ✕☐●●✕……!」
ゾンビモードの男が俺に掴みかかろうとして………
横から、瘴気で形作られた黒く巨大な爪に切り裂かれて吹っ飛んでいった。
「………下郎が。陛下に汚らわしい手で触れようなどと………」
………こっちのがもっと怖い。
形相を変えたエルネストが、憤怒を隠すつもりもなさそうで既に臨戦態勢に入っていた。
先を越されたディアルディオは、名誉挽回とばかりに他のゾンビもどき達の方へと向かっていった。
あー………鏖スイッチONですか。まぁいいけど。
どのみち、襲撃者達に理性など残っていそうになかった。
俺は、袈裟懸けに胴体を両断された襲撃者の元に歩み寄る。絶命しているその顔を見て、
……やっぱり、俺たちに見返りを要求してきたクソじじいの所の若者である。あの、俺たちを射殺す勢いで睨み付けていたうちの、一人。
あの爺、若い連中の暴走を止められなかったか。危惧していたとおり、彼らは自分たちの「正当な権利」とやらを行使して、この村へと襲い掛かってきた………
なら、この異様な状態はなんなのか。
何より、戦闘能力的に勝っているはずのレントたちが、ここまで一方的にも見える蹂躙を受けているのは?
「彼らが、聖骸を盗み出した犯人…というわけでしょうか」
いつの間にか俺の後ろに来ていたベアトリクスが、同じように死体を見下ろしながら言った。
「証拠なんてないけど、まぁそうだろうな」
変質した聖骸を、結界で守られた祠から持ち出したりするから、あてられるんだよ。
肉体は異常な成長を見せ、その代わりに理性が消滅している。
「聖骸に……こんな力があったなんて」
茫然と呟くのは、アルセリア。自分が抱えているもののヤバさに初めて気付いた…みたいな表情。
だが、
「安心しろ。お前の中の聖骸は安全だ。こいつらは、霊脈の澱みのせいで変質した聖骸の狂気にあてられてこんなになっちまったんだ。………寧ろ、今まで何ともなかったことの方が不思議だけど」
或いは、力を得ようと何か余計なことをした……のかも。
「可哀想な気もするが、こいつらはもう駄目だな。………ディアルディオ、エルネスト。襲撃者たちを全員始末してこい」
『御意』
いちいち命令するまでもなく彼らは既に行動に移していたりするが、俺の命令を受け、これで心置きなく虐殺に専念出来ると安堵さえ滲ませて、再び攻撃を開始した。
襲撃者の相手は二人に任せることにして、俺はタリアの家へと急いだ。
頼むから、避難していてくれ。
言いようのない不安と焦燥に駆られながら、小さな家の玄関……扉は既に破壊されていて……をくぐる。
あんなに居心地の良かった部屋は、花瓶は割れ床に踏みにじられた花々が散り、
血の……匂いが。
ベッドの上に、タリアはいなかった。
タリアがいたのは、その脇の床の上だった。
まるで、レントを庇うように、寄り添うように、手を繋いだ状態で。
…………二人は、眠っているようにも見えた。
「……リュート」
背後から、アルセリアが声を掛けてくる。何かを、警戒しているみたいに。
「………大丈夫。あの時みたいに、みっともなく取り乱したりはしないよ」
彼女はきっと、俺が怒りに任せて暴走することを怖れていたのだろう。
“魔王崇拝者”のときのように。
心配しなくても、もうあの時みたいに感情に我を忘れて無様を晒すことはしない。
だけど………けじめは、つけさせてもらわないと。
「なぁ、二人を頼めるか?」
俺は三人娘にそう言い残すと、タリアの家を出た。
外では、ディアルディオとエルネストによる殺戮は完遂していた。
「……村人の中に、生存者は?」
「わずかですが、息のある者もおります。ですが、ほとんど全滅のようなものです」
エルネストの報告にも、もうそれほど心が動かされることはなかった。
「そうか。そいつらはあの三人に任せるとしよう」
そう言って歩き出す俺に、二人は無言で追従する。俺が何処に行って何をしようとしているのか、すでに理解しているのだろう。
さて。
勇者でも何でもないたかが廉族風情が。
この俺の片割れを、私欲で利用しようとしたその罪、償ってもらうことにしよう。




