第十二話 副官、頑張る。
ギーヴレイ=メルディオスが生を受けた頃、魔界は混乱のただ中にあった。
創造主に見捨てられ、その威光も恩恵も届かない不毛の地。秩序も規律もなく、強きが弱きを蹂躙し、あるいは駆逐する、それに異を唱えたくば、さらに強くなるしか方法のない、そんな世界。
いくつか国を称する集団はあったが、それは地上や天界で言う“国”のような体制を整えたものではなく、ただ強者が弱者を従え、私利私欲の道具としてのみ使役するだけのもの。
それゆえに、いくつもの国が生まれ、即座に滅び、そしてまた生まれ…。
常に、争いと奪い合いの絶えないそんな世界にあって、彼の属する部族は珍しく穏健派が主流だった。
もともと、魔力こそ強いが肉体的には魔族の中でも特に脆弱な部類に入る彼らは、生き残るために他者と争うよりも共生することを選んだのだ。
同じように戦いに向かない弱小部族と同盟を組み、味方の数を増やすことで外敵から身を守る戦略。
それは確かに、少しの間は上手く機能していた。その数を物ともしない、強大な力を持つ敵が現れるまでは。
彼らの平穏は、ギーヴレイが物心つく頃にあっさりと終焉を迎えた。たった一人の、強力で好戦的な魔族の気まぐれで、一族は皆殺しにされたのだ。
その理由は知らない。理由などなかったのかもしれない。幼い彼が覚えているのは、ある日突然自分の仲間が、家族が、惨たらしく殺されていく光景。
一族の長である彼の父は、息子だけでも逃がそうとした。それは一族の再興を賭けてのことか、或いは親としての情ゆえか。
敵の眼を誤魔化すために、彼は塵芥捨て用の穴倉へ放り込まれた。
暗闇と腐敗臭の中で恐怖にうずくまりながら、彼は同胞の断末魔を聞き続け、屈辱と、絶望と、己の無力を知った。
幾時間たったのか、或いは幾日たったのか、永遠に続くかと思われた虐殺の喧騒も、気付けば静寂へと変わっていた。それでもしばらくは動くことも出来ず、幼いギーヴレイが穴倉から出てきたのはそこから二回目の朝日が昇った頃だった。
茫然と集落を彷徨いながら、父の、母の、友の死体を探した。だが、辺りに転がるのはどれもほとんど炭と化した物体ばかりで、誰が誰だかまるで判別出来ない。
辛うじて焼失を免れた遺物のおかげで、おそらく母であろう死体は見つかった。だが、首から上は見当たらず、本当にそれが母だったのかも確信が持てない。
その時点で彼の心は半分以上麻痺していた。穴倉の中で全ての涙を流し尽くしたのかもしれない。これ以上ここにいても仕方ない、と判断した彼は、両親と同胞の死体を弔うことすらせず、その場を後にした。
そこからの道のりは、悲惨としか言いようのないものだった。ただでさえ弱肉強食の魔界において、後ろ盾どころか両親も保護者も身寄りもない、脆弱な幼子が一人で生きていくのは並大抵のことではない。
ありとあらゆる手を使った。卑怯な手段を取ることも厭わなかった。勿論、研鑽を積むことも忘れなかったが、簡単に強者になれるほど甘い世界ではない。
死に物狂いで鍛錬を重ね、「まっとうな手段」で魔界を生き抜くことが出来るようになるまでは、どんな手段を用いてでも生き残ることだけを考えて過ごした。
そうやって地に這いつくばり泥水をすすり屈辱にまみれ、何のために生きるのかという根本さえ考えることもなく、幼かったギーヴレイはいつしか魔界でも屈指の魔力を誇るようになっていた。
そして出会ったのだ。彼が主と仰ぐ存在、彼の生きる理由を。
創造主に見捨てられた地に降臨した、もう一人の“神”。それは、瞬く間に魔界を平定していった。
その力は、強いとか弱いとか言う次元ではない。自分たちの尺度では決して測ることの出来ない圧倒的な存在。
いつしかその“神”は“魔王”と呼ばれるようになり、“魔王”に心酔する魔族たちはその足元へ身を捧げるようになっていった。
最初から、全ての魔族が魔王に服従の意を見せたわけではない。多くの魔族が、国が、抵抗の意志を見せて滅んでいった。
彼は、保身のために“魔王”へと形だけの忠誠を誓った。そうしなければ生き残ることは出来ないと分かっていたから。
やがて彼は、“魔王”の下でも頭角を現した。魔王の信を得て、その名の下に魔界に秩序を構築することを許された。
それは、かつて幼かったギーヴレイが切望しながら、叶うことのない夢…のはずだった。だが魔王は、全面的に自分を信頼した。力では遥かに劣る、虫けら同然の自分を評価し、認め、信頼し、決して少なくない部分の政を彼に一任した。
その時の魔王の言葉は、今でも覚えている。きっと、永遠に忘れることはない。
「ギーヴレイよ、其方の手腕を我は信じている。その理想、我が下で実現させてみるがいい」
その時、彼は泣いた。穴倉の中で枯れ果てたとばかり思っていた涙が、蘇った瞬間だった。
そしてそれが、ギーヴレイが魔王へと真の忠誠を誓った瞬間でもあった。
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二千年の眠りから目覚め、再び彼らの元へと戻ってきた魔王は、どことなく今までとは違っていた。
何故か侵攻してきた勇者一行に手出しを禁じたり、いきなり御厨に籠って手ずから料理を始めてみたり、それ以前に自分たちに向ける態度が違っていた。
芯の部分こそ変わりないようだったが、明らかに、それまでは決して彼らに見せたことのない面を見せるようになっていたのだ。
二千年前までは、どこか一線を引いているような感じだった。
それは当然だ。魔王は主であり、彼ら魔族はその臣下。同じ場所へ立つことなど恐れ多い。魔王と直接言葉を交わすことが許されているのは、最高幹部である六武王と一部の高官のみであり、そして彼らが魔王に謁見するときは、視線を合わせることすら許されていなかったのだ。
魔王もそれを当然と受け止めていたし、常に高みから彼らを睥睨していたものだ。
だが、今は違う。
魔王はまっすぐにギーヴレイを見つめ、封印前は決して見せることのなかった温かみのある笑顔で彼に誓ってみせた。
魔界が自分の還る場所であり、魔族が自分の守るべきものである、と。
主が変わってしまったことに対する不安は、その瞬間に霧散し、代わりに強く感じたのは、それまで以上の崇拝の念。
魔王のためならば、たとえ幼いころ以上の屈辱にまみれることがあったとしても、一向に構わない。その望みを叶えることこそ、自分の喜びである。
狂喜にも似た高揚と共に、ギーヴレイは主の望みを叶えるべく行動を開始した。
現在魔王が望んでいるのは、地上界への行幸。ただし、魔界として干渉はしないとも言っていた。と言うことは、これはお忍びの視察、である。
本来であれば、偉大なる魔王陛下が地上界へと顕現されるのだ、相応の準備でもって送り出すのが当然だろう。
しかし、今の魔王が好む傾向を考えると………
彼は即座に宝物殿、そして倉庫へ行き、魔王の望むものを揃える。お忍びということは、間違いなく人間へと扮して赴くのだろう。ならば、それに相応しい装束を。
とは言え、みすぼらしい恰好をさせることだけは、耐えかねる。不自然ではない程度に上質な、旅装束。
さらに、主は「しばらくの間」と言っていたから、ある程度の期間を費やすはず。実際に長期間の旅に必要と思われる装備も整える。
幼い頃から魔界各地を放浪していた経験が役に立った。おかげで、旅に必要なものなら大体想像出来る。それだけでも、自分の屈辱の過去は無駄ではなかったと思えた。
衣服の他に、脚絆に、外套。それから、実は伝説級なのだが見た目だけは地味な魔剣(なぜ見た目が地味なのかは誰も分かっていない)。
後は、簡易的な調理道具。調理にも暖を取るのにも使えるコンロと燃料。実のところ、“神”であり生物ではない魔王は食事の必要はないはずだが、ここ最近なぜか料理にハマっている主のことだ、きっと必要としているだろう。ついでに、食器と水筒。
出来ることなら寝泊りは上等な宿にしてほしいと願うギーヴレイだが、何となく、今の魔王の性格からすると野営も厭わないような気がする。したがって、寝袋と簡易天幕も追加。
それから、ある意味で一番重要と思われるのが、路銀。弱肉強食が基本の魔界においてさえ、貨幣経済が優勢を誇っている。地上界ならばなおさらだろう。
しかし、魔界と地上界では、流通している貨幣が異なる。裏ルートで両替が出来なくもないが、それには時間がかかる。
仕方なく、宝物殿の中から換金性の高い宝石や魔石、金貨(貨幣というより純粋に金として共通の価値を持っている)を持ち出す。何故か地上界の通貨もいくばくかあったので(おそらく過去の侵略で得たものだろう)、勿論それを加えることも忘れない。
これで、主は地上界で不自由することなく過ごすことが出来るだろう。
詳しいことは何一つ指示されていないにも関わらず、淀みなく準備を進めるギーヴレイの心中は、今までにはなかった奇妙な充実感で満たされていた。
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俺は、驚愕を隠し切れなかった。
目の前には、ギーヴレイが揃えてきた旅道具一式の山。
何が驚いたって、俺はただ「地上界へ行く」と言っただけで、何が必要なのかもまだ伝えていなかったのだ。それなのに目の前に積まれた品々は、正に俺が必要だと考えていたものばかりで。
いや、ギーヴレイが優秀だってことは、分かっていたんだよ?
いつだってこいつは俺の意図を正確に読み取って、俺の望みどおりの結果を出し続けてきた。
ただ、今の俺との付き合いなんてせいぜい半年程度のもの。かつての俺とはだいぶ変わってしまったと自覚もしているが、こいつは、見事に今の俺の求めているものを正確に察してみせたというわけだ。
つくづく、得難い人材だと痛感する。
さてさて、せっかくギーヴレイが揃えてくれたのだから、俺も準備に取り掛かるとするか。
まずは、見た目をどうにかするべきだよなー。何というか、今のままだと絶対悪目立ちするに決まってる。この肉体は結構手間暇かけて作ったものだし、骨格まで弄るのは面倒だから、見た目の時間を少し巻き戻すとしよう。目安は…生前の、日本人だったときと同じくらいでいいかな。
背も少し低くしておこう。で、髪も短くしようかな。色は…まあこのままでいいや。
で、ギーヴレイが用意した旅人風の服に着替える。
…て、背も低くなってるはずなのになんでサイズがピッタリなわけ?
不思議に思い、後ろに控えるギーヴレイをちらり、と見やると、心得ております的な表情で頷いてる。
え?何?そこまで想定してたの?俺のちょっとした思い付きまで?
……………ギーヴレイ、恐るべし。
で、最後に、俺の力の源でもあり、ある意味で俺の本体とも言える“星霊核”との接続を遮断して…っと。
そうすることで今まで抑えきれずに俺の周囲に漏れ出ていた神力もすっかり消えて、何て言うか、オーラみたいのがなくなっただけでも人間に近付いた気がする。
支度を終えた俺は、姿見に映る自分の姿を確認。
おお…いいじゃないか。これなら人間たちに自然と溶け込めそうだ。
得意になった俺は、ギーヴレイにも同意を求めてみる。
「どうだ?これでどこからどう見ても平凡な旅人と言えるのではないか?」
「は。…人目を惹くことには変わらないとは思いますが……魔王陛下と気付かれることはないかと…」
なーんか歯切れが悪いような気もするが…まあいい。
よーし、それじゃ早速行ってみようか、地上界へ!
俺は、まだ見ぬ新世界(と言うと大げさだが)に胸を躍らせながら、地上界へと繋がる門をくぐり抜けた。
自分の中のギーヴレイの印象が、最初はシェパードだったのにだんだんゴールデンレトリバーになってきました……。




