第百三十二話 説得工作
出だしは、実に順調だった。
俺は改めて、この世界における“神託の勇者”の存在が如何に大きいかを認識させられることになったのだが、オーウ地方のような辺境(失礼)にまでその名と功績が広まっているなんて、正直思っていなかった。
最初に訪れた集落では、アルセリアが名乗った途端に大歓迎を受けた。村人総出で手厚い歓待を受け、名高い勇者を一目見ようと、それはもうすごい騒ぎだった。
これが、勇者の名を騙る不届き者だったりしたら…とか考えないのだろうか、と思うのだが、ベアトリクス曰く、
「確かに、その気になればいくらでも勇者を騙ることは出来ますね。その後、異端審問の追跡・拷問・処刑のフルコースが待っていることを覚悟さえすれば」
とのお言葉を頂戴した。
どうやら、これまた俺の想像以上に、この世界の人々にとって勇者は侵されざる神聖な存在であるらしい。
あとついでに、異端審問官(要するに七翼)がやたら怖れられてたりする。
その相乗効果たるや。
ディートア共和国の首長が言っていたとおり、確かにこの周辺にはルーディア聖教の信徒が多い…無論、この世界においてそうでない者の方が圧倒的に少なかったりするのだが…。
そんな彼らの前に現れた“神託の勇者”…神威の代行者。
彼らは、思いもかけずアルセリアと会えたことに歓喜するが、その勇者からの依頼には当然躊躇する。
異形の村人たちは、ルーディア聖教の敬虔な信徒であり、無害な者であるため、攻撃を控えてほしい…と。
事態がこれほど悪化する前であればそうでもなかったのかもしれないが、既に彼らは異形の者たちを幾度となく攻撃し、そしてその際に自分たちにも被害が出ている。
ハガルやレントたちからしてみれば、自業自得だと言いたくもなるだろうが、彼らは彼らの立場で、自分たちの身内を傷付けた異形の化け物を許せない…との思いを強く持っている。
それでも、ルーディア聖教の中でも特別に尊い存在である勇者たっての頼み。無下に断ることも出来ない。
穏健派は、大人しくその指示に従おうとするが、「化け物に復讐を!」と声高に叫ぶ反対派を如何に黙らせるか。
そんなタイミングで、ベアトリクスがさらりと七翼の騎士の話を持ち出す。
勇者の意向は教会の意向であり、従わない場合は異端審問官が動くこともあり得るのだ…と。
あくまでも、さりげなく。貴方たちはそんな愚行は犯しませんよね?と言外に、有無を言わせぬ聖女の微笑と共に、伝える。
それで、一丁上がり、だった。
そして、稀にルーディア聖教ではなく土着の信仰を守っている部族に対しては、勇者の存在よりも異端審問官の存在の方を強調するとよかった。
普段から、異教徒として目を付けられる恐怖を感じていた人々に対し、今回の件で協力してくれれば身の安全と信仰を守ると、ベアトリクスが(勝手に)約束してしまったのだ。
もともとルーディア聖教ではないので、彼らの魔族に対する忌避感は、聖教徒ほど大きくない。ルーディア聖教と異形の村人の脅威がなくなるとなれば、すんなりと首を縦に振ってくれた。
そんな調子で数日のうちに、次々と周辺部族の協力を取り付けていくアルセリア。
はっきり言って、こいつのこんな有能ぶりは初めて見るし、こんな有能ぶりを見られる日が来るとも思っていなかった。
しかし、そんな快進撃がいつまでも続くわけもなく。
「それで、儂らがあの化け物どもから手を引いたらば、どんな見返りをご用意下さるのかな?」
四番目だか五番目だかに訪れた集落で、厄介なクソじじ……あいや、ご老体が俺たちの前に立ち塞がった。
その部族は、かねてよりハガル達の村とは犬猿関係にあるところだった。
「これは、見返りだとか利益だとか、そういう問題ではありません。このまま争いを続けていれば、双方に取り返しのつかない結果が訪れることになる、と言っているんです」
見てからに欲の皮の突っ張ったクソじ…ご老体……もうクソじじいでいいや…に、アルセリアは表情を引きつらせながらも辛抱して食い下がる。
本当は、んなこと言ってる場合じゃないだろ馬鹿!と側頭部を張っ倒したくなっているに違いない。だが、勇者としての品位と威厳を保つためにも(こいつにそんなものがあったとは)、その衝動を抑えつけている。
流石は勇者、猫かぶりはベアトリクスの専売特許ではないようだ。
「彼らは、貴方たちと何一つ変わらない敬虔な信徒です。不幸な事故で姿形があのようになってしまいましたが、心は善良なままです。貴方たちに、彼らを傷付ける理由なんて、本当はないんです」
「そうは仰いましても……先だっても、うちの若い衆が連中の棲み処で殺されましたじゃ。それについては、どのように償ってもらえると?」
先だって…というのは、俺たちも遭遇した、こないだの襲撃のことか。
自分たちから攻撃しておいて、いけしゃあしゃあと言うクソじじぃに、俺は思わず口を挟む。
「それは、そっちが攻めてきたからでしょう?正当防衛じゃないか」
レントたちが、その「若い衆」とやらを殺さなければ、ハガルの村の人たちがそいつらに殺されていたのだろうから。
クソじじいは、俺の方をちら、と見る。明らかに、軽んじている表情。
「…お若いの。アンタさんは何も分かっておらんようですな」
………イラっ。
「儂らはただ、自分たちの身を守るために、恐ろしい化け物を退治しようとしただけですわい。それのどこがいけないと?」
………イライラっ。
「そうは言っても、「退治」される側の気持ちってのを考えたことはあるのかよ」
クソじじいは、初めからハガルたちと歩み寄るつもりなどないらしい。道理は自分たちの側にあると、そう信じている。
「ほっほっほ。これまたおかしなことを。相手は化け物ですぞ?なぜ我々がそんなことを考えなくてはならんのでしょうか」
それは、魔獣退治に赴く人間たちの気持ちと似通っているのかもしれない。
例え被害が出ていないとしても、いつか襲われるかもしれないから予防的に魔獣を退治しておこう。そう考える人間は少なくない。
無論、人間としては、それは正しい選択である。どのみち、理性を持たない魔獣は人と相対すればそれを食い殺そうとする。殺られる前に殺れ、というのは非常に乱暴な理屈ではあるが、被害を事前に防ぐという意味では正しい。
しかし、ハガルたちは魔獣ではない。心も通じれば言葉を交わすことも、互いに手を取り合うことだって出来るはずの隣人。現に、こんなことになるまでは他部族と交易を結んでいたというのだ。
意思疎通出来る相手の気持ちを一切考えようとしないクソじじいの態度には、薄ら寒いものを感じさえする。
自分たちを守ることではなく、ハガルたち異形の者を殺すことそのものが、彼の望みなのではないだろうか…と。
「彼らは、化け物ではありません。貴方たちと同じ、人間です」
ベアトリクスも、黙っていられなくなったのか参戦。一度でも言葉を交わせば、少しでも分かり合おうするならば、ハガルが如何に温厚な人物であるかはすぐに分かるはずなのに。
「ご冗談を。あれらが人間などと……神への冒涜ですわい」
「貴方が神の意を語るのですか」
アルセリアの声の温度が下がった。流石にクソじじいは慌てて言い繕う。
「いえいえ、とんでもございませんです。ただ、儂らは神の忠実な僕として、魔族の手先などを容認出来んのですよ」
「んなこと言ったら勇者はどうなのさ」
ボソッとディアルディオが呟く。因みに彼とヒルダは、アルセリアに二日遅れて合流した。
「ディアルディオ。ちょーっと黙っとこうか」
「………御意」
小さな声だったのでクソじじいに聞き咎められることはなかったようだ。よかったよかった。
そりゃ、魔族の手先どころか魔族の長となあなあにやってる勇者なんだけどさ。
「そもそも、連中が棲み処にしているあの土地は、化け物なんかには勿体ない場所ですじゃ。本来手に入れるべきだった我々が取り戻そうと思うのも、分かっていただけますかな?」
…………え。いや、分かって差し上げるわけないじゃん。てか、何言ってるんだ、このじじいは。
ハガルたちの村近辺は、確かに霊脈の影響で豊かな土地だ。澱みのせいで近年は豊かどころか「豊か過ぎてやばい」土地になってしまっていたが、昔から実り多い地だということは知られていたのだろう。
だが、それにしたって、自分たちが本来手に入れるべきだった……って。
要は、あいつらだけいい土地に住んでるのはズルいから横取りしてしまおう…って、そういうことじゃないか。
「……村長さん。誰も、他人の家を奪っていい権利なんて持っていないんですよ」
アルセリアのこめかみが、そろそろピクつき始めた。
「取り戻すって、もともと貴方たちの土地だったわけではありませんよね?」
しかしクソじじいは、アルセリアの変化には気付かない。
「ですから、あの連中が牛耳っているせいで我らはあの土地に手が出せなかったのですよ。最近はようやく、他の集落の連中にも協力してもらってあの土地を取り戻そうとしていたというのに……勇者さまがそれを邪魔されると言うなら、相応の見返りを求めるのは当然でしょう?」
「当然…って、そんなわけないでしょう!!」
とうとう、アルセリアが爆発した。
「なんなの貴方たち。自分たちさえ良ければそれでいいの?他人はどれだけ傷付けても平気?で、それもこれも彼らが住んでる土地を横取りしたいから?化け物じみた考えをしてるのはどっちかしら!?」
“神託の勇者”のエライ剣幕に、さしものクソじじいも恐れをなして口ごもる。だが、伊達に長くは生きていないようで(ってせいぜい数十年程度なんだけどさ)、
「これはこれは……いくら勇者さまでも、それはちと失礼な物言いではありませんかな?我々は、正当な権利を主張しているだけですぞ。それとも勇者さまは、我々よりもあの化け物どもの肩を持つのでしょうか」
「……少なくとも、アンタらよりは向こうの肩を持ちたいわね」
アルセリアの口調から敬語が取れた。もう、目の前の老体に敬意を払う必要はないと判断したらしい。
さて、クソじじいは厄介だが、これ以上アルセリアを興奮させるのはマズい。本性を現したら、一体何をやらかすやら口走るやら、分かったものじゃない。
俺は、ベアトリクスと目配せし合った。
「…ところで村長さん。見返り…と仰いましたね。一体何をお求めでしょうか」
頭から湯気を出しそうなアルセリアを(半ば強引に)後ろへ下がらせて、交代したベアトリクスは例の聖女の微笑みで問いかける。
「おお、お考えいただけるので?」
「見返りの内容が分からなければ、私の一存では何ともお答えしかねますが」
期待に身を乗り出したクソじじいをさらりと躱すベアトリクス。
「ですから、先も申し上げたでしょう。豊かな土地を諦めろと仰るなら、それに見合うだけのモノをいただけなければ村の者も納得出来ませんわい」
クソじじいが求めているモノが何なのか、当然ここにいる全員が分かっている。分かっていながら、ベアトリクスはワザと恍ける。
「豊かな土地に見合う代償…ですか。そうですねぇ……ああ、そうだ。農業博士をこの村に派遣しましょう」
「…………は?」
素っ頓狂な声を漏らすクソじじい。何とぼけていやがるんだ、と内心で毒づいているのは間違いない。
「そして農業講習を開くのですよ。痩せた土地でも効率的に収穫出来る品種や、栽培方法。それらが根付けば、数十年後にはここもきっと、負けないくらい豊かな実りを得ることが出来るに違いありません!」
「……いや、あの、ちょっと」
「そうと決まれば、早速グリード枢機卿猊下に連絡しなければ。そうそう、派遣する博士の滞在費用は教会持ちですから、ご心配なく」
「いやいやだから、そうじゃなくて!」
とぼけたままで話を進めようとするベアトリクスに、とうとうクソじじいもその嫌味ったらしい笑顔を崩した。
「そんなまどろっこしい真似で、納得出来るはずないでしょう!もっと手軽に、儂らが生活に困らんようにおあしの都合を付けてもらわんと!」
ベアトリクスは、きょとんとした顔で首を傾げる。
「おあし……と、言いますと………ああ、金銭のことですか?」
「だから、先ほどからそう言っているでしょうが!」
「なーんだ、そうだったんですか」
ベアトリクス、この日一番の笑顔。
「聖教会の意向に従う対価として、お金を求めていたんですね。もう、それならそうと、早く言ってくださいよ」
どうやら意図を理解してもらえた、とクソじじいは一安心したようだ。
「……話の流れで汲んでくだされば……いえ、まあ、分かっていただけて結構。で、金額なのですが」
「ああ、どうしましょう」
金額の提示をしようとしたクソじじいを遮るように、ベアトリクスはさも困ったかのように言った。
「聖教会の代表としてここにいる神官に、金銭を要求するなんて……」
彼女の視線を受けて、俺もそれに乗っかった。
「ああ。こりゃアウトだな。教典第二十四巻十三条の第四項、『自らの利を求むるところとして教会との間に相互利益の供与を提示してはならない』。聖職者相手の贈収賄を禁じる条項に、思いっきり抵触してやがる」
それを聞いたクソじじいの顔色が、みるみるうちに血の気を失っていった。
「な……何を言って……そもそもそちらが言い出したこと…」
「農業博士の派遣は提案しましたけど……まさか、聖職者に対して教会の意向に従う見返りで金銭を要求するなんて……ルーディア聖教会、そして創世神に対する冒瀆ですね。……ところでリュートさん、第十三条の五項には、なんて書いてありましたっけ?」
おお、ベアトリクスの奴、とことんクソじじいを追い詰めるつもりか。
まあいい。付き合ってやるよ。
「おいおい、特任司教さまが忘れたってのか?仕方ないな。『前項の振舞いを為す者、悪しき異端の者である』…だよ」
「ああ、そうでしたそうでした。邪教徒と信徒を見分けるための、重要な基準の一つでしたね」
クソじじいの顔は、すでにこれ以上ないくらいに真っ青である。
「ま、待ってくだされ!儂らはずっと昔から、神の忠実な信徒として…」
「ちょっと待った。ねぇリュート」
わたわたと言い逃れようとするクソじじいの言葉を遮るように、アルセリアが俺に向かう。
「いくらアンタが七翼の騎士でも、この場で審問はなしよ。まずは宗教裁判にかけてから。で、猊下から許可が出れば好きにすればいいじゃない」
あらら。アルセリアまで乗っかってきちゃったよ。
わざと、俺が七翼であると暴露して、クソじじいの動揺をさらに煽ろうという腹か。
「あー、まぁそうだな。宗教裁判ったって、略式でいいんだろ?とりあえず俺が判事役やるからさ」
「まままま、待ってください!どうか、どうか!!」
形相を変えて、クソじじいがベアトリクスに縋り付く。俺にじゃないあたりが、助平心なのか。
で、縋り付かれたベアトリクスはと言うと、まるで嫌そうな顔を見せずににこやかに、
「あら、安心してください。きちんと待ちますよ。いくら略式でも、それなりの準備がありますからね」
と、非常におやさしーい言葉をかけてくれたり。
「いえ、そうではなく、分かりました!分かりましたから!儂らは、あの村から手を引きます、今後一切関わりませんから、どうぞお目こぼしを……!」
俺たちと駆け引きをしようなどと無駄なことだ、理解したクソじじいは、ようやく期待どおりの返事をしてくれた。
「あら、そうですか。教会に不当要求なんて、なさるおつもりはないということですね?」
「当然です当然です。儂らは何も求めませんです。そんな畏れ多いこと、決して致しませんです!」
……うん、流石に可哀想になってきたわ。
勇者と異端審問官(非公式だけど)がよってたかって年寄り苛め…ってのもな。
こいつが、他人の土地を横取りしようと企んでいるからこそ、ここまでやっても罪悪感はないが、言ってることは要約すると、「言うこと聞かないと村中皆殺しだからな」ってことだもんな。
まぁ、教典の第二十四巻あたりは異端者狩りのために恣意的に用いる目的で編纂されたものだし、今はすっかり形骸化してるらしいけどさ。
……脅しには、よく使えそうだなー……。二十四巻まるまるこんな感じだし。
ルーディア聖教、やっぱえげつない。
「村長さんの深い信仰に、感謝致します。神のご加護がありますように」
お決まりの台詞と共に、ベアトリクスが締めくくった。
こうして、一番厄介だった集落も、勇者とベアトリクス…ほとんど異端審問への恐怖…のおかげで、なんとか片付いたのだった。
今日はこれから明々後日まで出かける予定なので、更新出来るか不明です。ので、ちょっと早めに次話投下、でございます。この後どんどん展開が不穏なものになってきちゃいます。




