第百二十九話 消えた守護神
過激派の説得は、レントに任せることにして。
俺たちは、朝一番でハガルの村へ戻った。
「リュートさん、ご無事で良かったです!」
タリアと同じ顔で、けれどタリアにはない力強さを持って、ソニアが出迎えてくれる。
「もし皆さんに何かあったら、レント兄さんの所に殴り込みをかけようかと思ってました」
あっけらかんと言うあたり、敵に回すと怖いタイプだ。
「ソニア、もう一度、祠のところに行きたいんだけど」
「祠へ…ですか?別に構いませんけど……」
特に嫌がる風もなく、ソニアは了承してくれたので、俺たちは祠へ、霊脈の澱みへと急いだ。
「あの、ここに何が………?」
訊ねるソニアに答えるのももどかしく、俺は祠の扉に手をかけた。
「あ!ダメです、そこには守り神さまが……」
言わば、ご神体に無遠慮に触れようとしているのだから、ソニアが制止しようとするのも当然。だが、こちらも戯れでやっていることではないので、勘弁してほしい。
構わずにそのまま扉を開ける。
しかし………
「何も、ありませんね」
俺の後ろから覗き込んだエルネストが呟いた。
「ええ!?そんなはずは……」
その呟きを聞いたソニアが、慌てて自分も覗き込む。そして……
「そんな……いつの間に…」
茫然として言った。
祠は、お地蔵様が入りそうな程度の大きさで、木製。
おそらくそこに、守護神像が祀られていたであろう場所には、変色した跡があるだけで、中はからっぽだった。
内部の壁の古びた護符と、床には、掠れかけた魔法陣のようなもの。
簡易的なものだが、おそらく結界だろう。
「……ソニア。この守り神って、どんなやつなんだ?」
「石で出来てて……創世神さまのお姿の。大きさは、このくらい……」
言いながらソニアは、自分の腕で像の大きさを示す。
全長はおそらく、90センチ程度。石製となると、かなりの重さになりそうだ。
誰かが悪戯で持ち出すにしては、重労働である。
石魔像とかなら、自分でどこかに飛んでいく…なんてことあるのかも、だけど。
「これのことは、村人全員が知ってるのか?」
「はい。小さい頃に、由来とか…皆教えられますから」
「由来?」
「この場所へ流れ着いたご先祖さまが、不思議な力を持った岩を見付けたそうです。その岩で、創世神さまの像を作ってお守りにした…って」
………不思議な力…か。
魔族である彼らが創世神の像を作った…というのは、追手から正体を隠すための隠れ蓑…といったところだろう。
彼らが、どんな思いで憎き敵の像を作ったのか……想像するだけで、胸が締め付けられる。
「具体的にどんな力だった…って聞かされてないか?」
「そこまでは………すごく昔の話ですし」
そりゃそうか。彼女らからしたら、御伽噺みたいなものだろうしな。
「何処か別の場所へ移動させることってのはないのか?」
「私の知る限りは、ありません。守り神様のお世話も、決められた人間しか………」
言いながらソニアの表情が怪しくなってくる。
何と言うか、宿題をサボったのがバレた子供のような………
「それ、ソニアとタリアの役目だったんだって?」
俺が問うと、ますます気まずそうに目を逸らした。
ふむふむ。これは………
「ソニア………サボってたんだろ」
「ううう!」
痛いところを突かれたように、ソニアが呻いた。この様子だと、
「タリアが村を出てからは、ソニアだけがそのお役目だった…のかな?」
「うう………はい」
「で、きちんと手入れしてた?」
「ううう……いいえ」
ソニアの声がだんだん小さくなってくる。
タリアが心配していたとおり、ソニアはお役目をサボっていたわけだ。が、そのこと自体を責める気にはならない。寧ろ、そんなところが親近感を持てる。
「その……ほんとのこと言うと、私、あまり守り神様のご利益とか……信じていないんです……あ!父には内緒にしてくださいね!」
ソニアのカミングアウト。
「だって、守り神さまって言っても、何もしてくれないじゃないですか……不思議な力ってどんな力よ?って昔から思ってたし」
他の村人たちは、盲目的にそれを信じていた、とソニアは言う。
だが、彼女は信じ切ることが出来なかった。
もし守護神に自分たちを守る力があるのなら、そしてその意志があるのなら、何故自分たちはこんな異形に生まれてきてしまったのか。
「試練だなんて言われても……不公平じゃ、ないですか」
苦難があったときに、神の試練だ…と自分に言い聞かせるのは、俺もあまり好きじゃない。そう信じている人には申し訳ないが、だったら何故、自分が辛い目にあっているときに平気で笑っていられる人間が存在するのか、と思ってしまうのだ。
創世神だって、一人一人の運命にまで関わっていられない。勇者のような特殊ケースはともかくとして。
幸不幸の総量は同じだとよく言われるが、それは世界全体で見ればの話だろう。個々人で見れば、恵まれた境遇で何不自由なく生きて惜しまれながら死ぬ者もいれば、生まれながらにどん底の境遇から抜け出せずに失意と孤独の中で死んでいく者もいる。
それを、本人の努力不足と切り捨ててしまうには、世界はあまりに不公平だ。
だから、村人たちが守護神と崇めるそれを、彼女が否定的に見るのも理解出来る。
「……リュートさん」
ベアトリクスと目が合うと、彼女は頷いた。
そうだな、タリアとソニアの違いは、タリアだけが身体に変調をきたしたのは、やはりここが原因だ。
その昔、この地には正常な霊脈が通っていた。そして、そんな地に落とされた、創世神の欠片。普通の聖骸なんかより、余程強い力をもたらしたことだろう。
だが、この地の霊脈は、徐々に澱んでいった。霊素は滞り、濁り、濃度を増すと共に変質し、その影響は聖骸にも及んだ。本来ならば、時間的に休眠状態になっているはずの聖骸も、霊脈から力を受け続けていればその限りではない。
村人は、澱んだ霊脈と変質した聖骸の悪影響で理を歪められた。それだけでも悲運としか言えないが、さらに聖骸に近付き過ぎたタリアは、それだけでは済まなかった。
「なあ、アンタらの前の、祠の担当って誰だった?」
「私たちの、母ですけど」
ソニアの表情でなんとなく察しはついたが、
「今はどこに?」
念のため訊ねてみると、やはりと言うか、彼女は俯いた。
「母は…私たちを生んですぐ、亡くなりました。若い頃から病弱で、タリアの身体が弱いのも、母に似たんじゃないかって言う人もいて……」
ほら、やっぱり。
村に異変……異形の子供たちが生まれるようになったのが、二、三十年くらい前からだとハガルは言っていた。
ソニアたちの母親もまた、彼女らと同じように幼い頃から祠の手入れを任されていて、それが彼女の短命に繋がった……と考えてもいいんじゃなかろうか。
タリアの事情は分かった。
ここに、おそらくだが聖骸があったことも。
だが、現在最も重要なのはそこじゃない。
問題は、聖骸は何処にいったのか、ということ。誰が、何の目的で持ち出したのか、ということ。
「最後に守護像を見たのはいつですか?」
聞き込みの刑事みたいに、エルネストがソニアに問う。だが、ソニアは、
「分かりません。その……私、手入れを怠ってばっかりだったので……」
やはり気まずげに首を振るばかり。
怠ってばっかり…と言うよりは、多分全然手入れしてなかったんだろうな。
朽ちかけた祠と彼女の様子を見るに、それは確かだ。
だが、彼女にとっては、図らずもそれが正解だった、と言える。そうでなければ、彼女もまた母親やタリアと同じようになっていただろうから。
「像を動かすことは、普段あるのですか?」
空振りに終わったエルネストが、諦めずに追加の質問。けど、それ俺もさっき聞いたじゃん。
「いいえ、それはありません。私やタリア、父でさえ、用もなく祠の扉を開けることは禁じられてましたから」
……まぁ、ご神体みたいなものだろうから、そんなものだろうな。
「……ひとまずは、村へ戻りましょう。レントさんたちと話し合った結果も、ここのことも、知らせないといけませんし」
ベアトリクスの提案には賛成だ。アルセリアが到着するまでに、三日はかかる。なら、その間に出来る限り聖骸の行方を調べておかなければ。
触れる者に悪影響を与えるそれを、放置しておくことは出来ない。
俺たちは、逸る心を落ち着かせながら、村へと戻った。




