第百二十八話 女神の視線
「お待たせしました。タリアさん、お加減はいかがですか?」
報告を終えたベアトリクスが戻ってきた。
「はい。リュートさん、すごいんです。こんなに具合が良くなるなんて、病気になる前以来ですよ」
「それは良かったです」
「随分時間がかかったんだな」
「はい。アルシーを呼ぶだけじゃなくて、猊下にも色々と説明を……」
やや疲れ果てたようなベアトリクスの表情で俺は察する。
アルセリアを呼び出すためにグリードを説得するのが、思ったより重労働だったわけだな。
「あー……お疲れさん」
「いえ、これも仕事の一環ですから」
なるほどー。俺に対しては好き勝手やってるように見えるベアトリクスだが、グリード相手にはけっこう苦労人だったりするのかも。
「そう言えば、レントさんは何処へ?」
ベアトリクスがレントの不在に気付いた。
「ああ、武装解除に関して、他の連中を説得しに行ってる」
「そうですか……上手くいけばいいのですが」
彼女の表情が晴れないのも分かる。
この村において、レントがどれだけの権限を持っているかは知らない。だが、見たところ独裁状態ではないようだ。
彼はここで最年長でもなさそうだし、おそらくその強さやリーダーシップから、まとめ役を請け負っているのではなかろうか。
過激派と言うのは、文字どおり過激な思想を持っている。自分たちの置かれた危機的状況に気付かずに暴走している者もいるだろうが、中には気付いていながらその道しか残されていないと開き直っている者もいるだろう。
そんな連中が、いきなり現れた余所者の提言に大人しく従うだろうか。寧ろ、反発して余計に暴走…なんてことになったら、俺たちのせいで彼らは分裂することになってしまう。
本当は、一刻も早くハガルの村へ戻って確認したいことがあったのだが、こういう状況でここを後にするのは気掛かりが過ぎる。
戻るのは、レントの結果を待ってからにしよう。
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世間話をしながら待つこと数時間。
すっかり日も暮れた頃、ようやくレントが戻ってきた。
「…悪い。ちょっと揉めてな」
かかった時間と困憊した彼の表情から、言われなくても想像出来た。そしてその結果も、おそらくは。
「で、どうだった?」
一応は、質問してみる。
「……まだ、納得してくれない連中がいる。そいつらの意向を無視するのはちょっと難しくてな」
「…幹部とか、派閥の有力者ってとこか」
言い当てた俺に、険しい視線を向けるレント。心配しなくても、組織の実情を暴こうとかいうつもりはないんだけどな。
彼は俺には答えずに、ベアトリクスに向かって
「すまないが、もう少し時間をもらえないか。なんとか説得はしてみせる」
…………俺に向ける態度とはずいぶん違うのが気に喰わない……。
「そうですね……教会には、掛け合ってみます」
ベアトリクスの返事は冴えない。
時間も何も、彼女が彼らに与えているわけではない。どんなに彼女が快諾しようと、教会が彼らの討伐に乗り出してしまえばどうにもならないのだ。
あのー…ほんとはさぁ、そうなったときに頼りになるのって、多分ベアトリクスじゃなくて俺ですよー。もう少し俺にも丁寧にしてくださーい。
そう思ったが、口には出さないでおいた。
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その夜。
もう少し時間が早ければハガルたちの村へ戻ろうと思っていたのだが、完全に日が暮れてしまったので今夜はレントのところに泊めてもらうことになった。
ここには余分な部屋などないので、居間で俺とエルネストが、タリアの部屋でベアトリクスが寝る。流石にエルネストがいるここでは、さらに言うとこんな状況では、ベアトリクスが妙な行動に出ないと思うからちょっと安心。
なんで俺、寝る度にこんなこと気にしなくちゃいけないんだろう……。
「レントさん、ここの人たちとの交渉、上手くいくでしょうか」
就寝前の作戦会議。
気掛かりそうに言ったベアトリクスに、
「もし上手くいかなければ、勇者殿にそれもお任せしてしまえばいいのでは?」
呑気かつ他力本願なエルネストの発言。
確かにそれは尤もな意見ではあるのだが、魔王の配下としては、勇者を当てにするとか、どうなの?
……俺も他人のこと言えないか。
「明日はひとまず、ハガルのところに戻ってみよう。少し、確かめたいことがある」
「霊脈の、澱み…あたりのことですか?」
他に気になりそうなものはあそこにはなかったので、ベアトリクスはすぐに見当を付ける。
「ああ。単に澱みだけじゃないものがあるかも」
この段階で断言してしまうのも躊躇われたのだが、
「もしかして、聖骸が絡んでたりなんて……しませんか?」
おおお!?ズバリ言い当てられた!!
「え……なんで分かった?」
俺は、聖骸の「せ」の字も出してないよ。匂わせるような発言も……したっけ???
「いえ、なんとなく、と言うか……ストーリー的に」
「ストーリーとか言うな!」
「あらすみません。そうじゃなくて、なんかこう……主のお導きのようなものがあるのではないか…と、最近考えることがありまして」
ベアトリクスにしては珍しく、歯切れの悪いことを言う。
「お導き?今回の件に?」
「今回の……と言うより、私たちの歩む道筋に、です」
それはなんだか……本当なら、複雑な気分だ。
「それは何か?俺たちが、あいつの掌の上で踊らされてるっていうこと?」
「そんなことを言ってるわけじゃありません。そうじゃなくて、常に主が見守っていて下さるのではないか…と、ふとした瞬間に感じることがあるのです」
若干気分を害したようにベアトリクスが語気を強める。神官の彼女からすると、創世神がまるで悪巧みしているかのような俺の表現は容認し難かったか。
見守っていて……かー。
「どう思う、エルネスト?」
魔族とは言え、この世界の住人。何か思うことはあるだろうか。
「特に感じたことも気にしたこともございません。我らにとって必要なのは、かの神ではなく陛下のご加護ですから」
……いや、まったくなかった。
「まあとにかく、澱みだけじゃ、タリアだけ弱ってるって状況に説明がつかない。あそこにあった祠、その中身の守護像あたりが怪しいんじゃないかなーってさ」
然程の根拠もないのだが、仮に聖骸でないとしても、そのあたりに原因が潜んでいることは半ば確信している。
「分かりました。では、明日一番に戻ることにしましょう。アルシーの到着も、明後日か明々後日になるそうなので、それまで出来ることは済ませておきたいですしね」
「え、何?そんなに早くあいつ来るの?やっぱヒポグリフの馬車?」
「馬車というか、ヒポグリフに直接騎乗して来るって言ってましたよ」
何その強行軍。勇者、パねぇ。




