第百二十六話 蚊帳の外から出来ることなんてたかが知れている。
「な…馬鹿なことを言うな。神託の勇者ってのは、聖教会の切り札なんだろう?こんな辺境の問題に、そんな凄い人物が出てくるなんてありえない!」
安請け合いしたベアトリクスに、レントは驚いたようだ。
え……なにその評価。アルセリア、買いかぶられ過ぎじゃね?
ざわつく若者たちに、ベアトリクスはにっこりと笑った。
「心配ご無用です。彼女に来てもらって、周辺の集落の説得をお願いすることにしましょう。……いかがですか?」
教会の承諾を得たわけではないが、おそらくベアトリクスはゴリ押しするつもりだ。そうでなくとも、アルセリアがこの状況を知れば、自分からその役を買って出るに違いない。
いくら教会が止めたとしても、親友の頼みと自分を頼るしかない人々の存在があれば、あの単細胞は地の果てでもすっ飛んでくることだろう。
まあ、それでこの問題が解決するのであれば、教会も否やとは言わないんじゃないかな。
「本当に、勇者さまが連中を説得してくれるって言うなら………攻撃は中止する。…結果が出るまで、そう長くは待てないが」
苦悶の表情でレントは絞り出す。
それまでの憎悪や怒り、鬱積した思いは理屈ではどうにでもならない。解決策があるからと言って、敵を簡単に許すことなど、出来ないのだろう。
だが同時に、このままでは最悪の結果になるということも分かっている。
それならば、一縷の希望に賭けてみるという彼の決断は、リーダーに相応しいものだ。
「では、早速連絡を取りたいのですが……ここに、大きめの鏡はありますか?」
遠距離念話のために、鏡を借りようとしたベアトリクスだが。
レントたちは顔を見合わせる。
どうやら、男所帯のこの場所には、念話術式に利用出来るような鏡はないらしい。
「……アンタらが、本当に俺たちを助けてくれるつもりだって言うなら…………俺たちの村も、見て欲しい。そこなら、鏡もある」
どうやら神託の勇者と知己であるらしい(どころか幼馴染なんだけど)ベアトリクスに警戒を少し解いてくれたのか、レントの表情が少し和らいだような気がする。
「それと……アンタが神官なら、治してほしい奴がいるんだ」
「病人ですか?」
「……分からない。多分、そうだと思う……」
レントの表情からすると、治してほしい、というのは彼にとって大切な人物なのだろう。快諾しておけば、さらに友好関係を築けそうだ。
「分かりました。とりあえず、その方を診せてください」
そうして、次の俺たちの行き先が決まった。
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「ここが、俺たちの村だ」
拠点の程近く。レントたちの村は、ハガルの村とよく似た光景だった。建物の感じや位置関係、畑や広場の配置など。
無意識のうちに、模倣してしまっているということか。やはり、生まれ故郷には愛着があるんだな。
「こっちだ。見てもらいたいのは」
そう言って彼が俺たちを誘った住居は、小さいながらも居心地の良さそうな温かさに満ちていた。
素朴だが、心が和む調度品。小奇麗に整頓された室内。あちこちに、野の花が花瓶に生けられている。
そして、部屋の奥で横になっていたのが……
「あら、お客様?珍しいのね、レント」
柔らかい表情で彼に話しかけたのは……
え?あれは…
「ソニア?なんでここに………って、違う…?」
ベッドの上にいたのは、確かにソニアだった。
赤茶色のくせっ毛も、一対の角も、鳶色の瞳も、ソニアと瓜二つの…
「ソニアをご存じですか?私は、双子の姉のタリアといいます」
双子!どうりでそっくりだと思った。
幾分、ソニアよりもお淑やかそうに見えるが、パッと見ただけでは判別がつかないくらいそっくりだ。
「タリア、具合はどうだ?」
俺たちに対するのとは打って変わって、気遣わし気にタリアの元へ向かうレント。
「ええ、今日はとても気分がいいの。それに、お客様だなんて嬉しいわ」
タリアはふんわりと笑った。
……姿はソニアと同じなんだけど…なんでだろう、受ける印象が正反対だ。
ソニアが陽なら、タリアは陰。或いは、太陽と月。気丈な妹と比べると、姉の方はひどく儚げで、弱々しい。
「なぁ、神官ってのは、治癒の術が使えるんだろう?こいつを診てやってくれないか」
レントの求めに応じて、ベアトリクスがタリアの元へ。
「初めまして。聖央教会の、ベアトリクス=ブレアと申します。少し、失礼しますね」
そう言ってタリアの手首に触れるベアトリクス。
「私、タリアです。神官さまがこんなところに来てくださるなんて、嬉しいです」
無邪気に身をゆだねるタリアは、本当に嬉しそうだ。客人が嬉しいのか、信仰心が強いのか。
具合の悪い箇所はどこなのか、どういう症状が出るのか、いつ頃からなのか、等々を訪ねながらベアトリクスはタリアの様子を診ていく。彼女は医者ではないはずだけど、多少の心得はあるのかな。
しばらくタリアを診た後で、ベアトリクスは立ち上がった。
「どうだ、治せるのか?」
すかさずレントが詰め寄る。
だが、ベアトリクスの表情は晴れない。
「身体が弱っているみたいですが……残念ながら、それ以上のことは私には分かりません。治癒術式で多少体力を回復させることは出来ますが、根本的な治療と言うと……」
彼女の反応からすると、タリアも呪いや術の影響を受けて体調を崩している、というわけではなさそうだ。
「リュートさん、ちょっといいですか」
手招きされて、俺もタリアのところへ行く。
ベアトリクスの時と違って、レントが露骨に嫌そうな顔をするが……何も、取って食ったりしないっての。
タリアは俺に対してもにこやかだ。
「こんにちは。一日に三人もお客様だなんて、今日はすごい日ですね」
「そっか。そう言ってもらえると光栄だよ」
俺もまた、ハガルの村でやったようにタリアの身体を診てみる。
……うん、彼女も同じか。
「どうですか?」
ベアトリクスもだいたい想像出来ているのだろう。疑問と言うより、確認に近い。
「ああ。やっぱり理が歪んでる。根治はちょっと……難しいな」
本人を目の前にして言うのも酷なこととは思うが、離れたところでコソコソやられてもそれはそれで不安を掻き立てるだけだ。
「また理ですか……。リュートさんなら、どうにか出来ないんですか?」
「無茶言うなよ。この世界はあいつの領域だって知ってるだろ?“霊脈”の澱みなら浄化出来るから、そうすれば今後生まれてくる世代に関しては理は正常に戻ってるはずだけど……」
歪んだ理を戻すことは出来る。だが、歪んだ理によって既に誕生してしまった生命に関しては、それが「正常」な姿なわけで、俺にはどうにも出来ない。
つくづく、この世界は、創世神の縄張りなのだと実感。ある意味で俺は、壮大な蚊帳の外だったりするのだ。
こんなことなら、もう少し世界に関わっておくべきだったかなー……いやでも、そうしていたら、そもそも俺は“魔王”になんてなってなかっただろうな。
「おい、何とかならないのか」
うだうだやってる俺たちにしびれを切らして、レントの口調が荒くなってきた。余程タリアが大事なのだろう。期待を持たせてしまったことは悪いと思う。
「うーん……とりあえず、対処療法でよければ、症状を和らげる…って言うか、少し楽にさせられると思うけど」
「リュート様まさか」
「お前は黙ってろって。比喩的な意味じゃないから」
またもやエルネストが口を挟んできたので即座に黙らせる。
楽にさせられるって、息の根を止めるって意味じゃないから!どんな鬼畜だよ。
…にしてもなー。歪んだ理のせいで妙な先祖返りを起こしてしまったのはタリアだけじゃない。ソニアもレントも、ここの若者みんな同じだ。
なんでタリアだけ、こんなに衰弱してるんだろう。
「なら、私が【癒しの光】を使いましょうか。一時凌ぎではありますが…」
「ああ、それなら俺が」
「……え?リュートさん、治癒術式使えたんですか?」
めちゃくちゃ意外そうなベアトリクスの声。なんかディスられているような気がしなくもないけど……ついでに、【癒しの光】は今まで何度も見てるから使えないことはないけれども、
「そうじゃなくて。まあ、ちょっと気合を注入…ってね」
「……ああ、そういうことですか…」
レントたちの手前、具体的呼称は控えさせてもらったが、ベアトリクスは察してくれたみたいだ。
「ではリュートさん、私はアルシーへ連絡を入れてきますので、その間彼女をお願いします」
「りょーかい」
俺は、再びタリアのベッド脇へ腰を下ろす。
「あの…ええと、リュートさん…とお呼びしてもいいですか?」
そう言われて、俺は彼女にも名乗っていないことを思い出した。
「あ、うん。構わないよ。よろしく、タリア」
「…はい。……あの、理が歪んでるって……どういうことなんですか?」
あ、やべ。不安にさせてしまったか。
「ああ、ええと……なんて言うか、自然の流れが乱れてる…みたいな感じに思ってもらえれば」
「私……治らないんですか?」
単刀直入に聞かれ、一瞬言葉に詰まる。
タリアは、厳密に言えば病気ではない。
歪められた理の上に生まれてきてしまったために、身体の様々な場所がバランスを崩してしまっているのだ。
彼女の場合、異常は呼吸器と循環器に見られた。
タリアとレントの話によると、時折発作を起こし、喀血することもあるらしい。そうでなくても、少し無理をするだけで寝込んでしまうので、今では一日のほとんどをベッドの上で過ごしているのだ、と。
俺に、彼女の理を変えることは出来ない。尤も、ルガイアやエルネストのように存在そのものを完全に書き換えてしまうのならば話は別だが、流石に彼女にそんな決断をさせるわけにはいかない。それは即ち、永劫に俺の僕として魂を縛られることに他ならないのだから。
因みに、あらゆる怪我や病を完治させる霊薬、そしてその上位版である神露を用いても彼女を癒すことは出来ない。
タリアは、今の状態が「全」なのだ。これ以上、回復させることは不可能。
だから俺は、彼女に加護を与えることにする。それも、少し強めに。
加護によって、身体機能や免疫が向上すれば、それだけ発作に耐える力も増す。少しくらい起き上がる余裕も出るだろう。
彼女を根本的に癒すことは出来ないが、所謂QOLというものは飛躍的に上がるはずだ。
気休めに過ぎないし、自己満足と言われてしまえば反論は出来ないが…それでも、俺が彼女にしてやれるのは、これくらいしかない。
都合がいいことに、彼らには加護と術式の区別など出来ない。俺は、なんとなくそれっぽい感じで彼女の額に手をかざすと、彼女の霊素に直接働きかけてそれを活性化させる。
加護ってのは、無意識に働くこともあれば意識して施すことも出来る。
俺の場合、知らず知らずのうちに手料理で三人娘(とか魔王崇拝者とか)に加護を与えてしまったりしたし、例えば手料理でなくても、俺がある程度好意を持った相手には、半自動的に加護が働いてしまう。
魔族たちもそうだし、俺が最も目をかけていた武王たちにも特に強く加護は働いている。多分…三人娘もそうだろう。
そして、今回は意識的に、タリアに加護を与えるわけだ。
実際には一瞬で終わることなのだが、それだと治癒術っぽくないので、わざと長めに時間を取ったりして。
適当なところで、俺は彼女から手を離した。
「これで、少しは楽になると思う。ただし、治ったわけじゃないから、無理は禁物だぞ」
「……息苦しさが、消えた気がします!」
呼吸機能の向上のせいだろう。感覚的には、かなり楽になったはず。彼女は、驚きと喜びで満面の笑みを見せてくれた。
「ありがとうございます、リュートさん」
無邪気に感謝を伝える彼女だが、俺としては自分の不始末のせいでこうなってしまったと分かっているわけで、素直にそれを受け取りにくい。
「いいって。大したことは出来てないし」
そんな風に、照れ隠しを隠れ蓑に気まずさを誤魔化すしかなかった。




