第十一話 落とし物
きっかけは、一人の女官の言葉だった。
「陛下…その、少し宜しいでしょうか…………?」
勇者一行を地上界へ強制送還して数日がたったある日、女官長がおずおず、恐る恐る、といった調子で尋ねてきたのだ。
二千年前であれば、武王と僅かな上位幹部しか魔王に直接声をかけることは許されていなかった。と言うか、許すも何も皆ビビりまくってそんなことが出来なかった訳だが、復活後は極力部下とのコミュニケーションを図る新米上司みたいに心掛けているためか、女官長クラスであれば何とか俺と直接会話が出来るようにはなっていた。
けっこうこのコミュニケーションってのが厄介で、ただ単に「構わぬ、思うところを述べてみよ」なんて鷹揚に言ったところで「そんな、畏れ多い!」と平伏されるのがオチだし、意識してフレンドリーな空気を醸し出してみたりなんかもしたのだけれど、それだけで彼らの主に対する態度はそうそう変わるものでもなく。
仕方ないので、とりあえず「(伝承にあるような)二千年前の我とは違いますよー」ということを察してもらうために、二千年前とは違う行動を取ってみたり。
具体例としては、今が正にそうなのだが、城の御厨(と呼ばれる要するに調理場)で地球料理の再現に勤しんでたわけだ。
……………まあ、単純に地球の、日本の味が恋しいだけです、はい。
で、ちょうどビーフシチューもどきがそろそろ完成、といったタイミングで、女官長がやって来たのだった。
未だに俺が御厨にいることが理解出来ないといった感じで、全身から疑問と戸惑いを放出しまっくてはいるが。
「そなたは確か、セリュネ…だったか。どうした?」
「……!嗚呼、私如きの名をお呼び下さるとはなんという光栄………」
「いいから用を言ってみろ」
こいつら、忠誠を尽くしてくれるのは有り難いんだけど、イチイチ反応が大袈裟過ぎるのだ。
「も、申し訳ございません!………それで、その、これなのですが………………」
慌てて彼女が俺の前に差し出したのは、掌にすっぽり収まる程の大きさの、木彫りの円環。輪の中に、鳥のモチーフが配置されている。
「これは…聖円環か?何故城内に…?」
聖円環は、地上界で最も多くの信者を抱える、ルーディア聖教のシンボルであり、祈りの際に用いられる……地球で言うところの十字架のようなものである。
ルーディア聖教とは、俺の宿敵であり片割れでもある創世神エルリアーシェを唯一神と崇める宗教であり、即ち俺と魔族の対極に位置すると言ってもいい。
そんな宗教のシンボルがこの魔王城にあること自体、不可思議だ。
しかもこの聖円環、手彫りじゃないか。お世辞にも精巧とは言い難い、稚拙な造り。不器用な素人の手によるものだと一目で分かる。
万が一、魔族の、この俺の臣下の中にルーディア聖教を隠れて信仰するような輩がいて、これはそいつが落としたものだとすれば…………厄介だな。
いや、俺自身はいいんだよ?信教の自由って大事と言うかセンシティブな問題と言うか、あんまりそこに深く踏み込むつもりはないし(踏み込むには相当の覚悟がいる、と思う)、反乱とか起こさず俺に付き従ってくれるのならば他者への信仰くらい目を瞑ろう。
てか、そもそも魔族だって本来はエルリアーシェの作った世界の住民なんだし、そういった点では創造主を崇めるのは自然な行為ではなかろうか。
では何が厄介かと言うと、何のことはない、ギーヴレイ始め幹部たちの反応だ。絶対、怒り狂うに決まってる。裏切り者の叛逆者を探し出せ‼とばかりに大騒ぎして宗教狩りとか始めちゃうに決まってる。
城中を、下手すると魔界全土を巻き込んでの騒動になりそうな予感。
女官長も、もしかしてそれを危惧して俺に直接持ち込んだのか?
「どこで見つけた?」
「はい、玉座の間の、扉付近の壁際に落ちておりました。今朝方清掃に入りましたところ、発見した次第でございます」
………………………………あ、なーんだ。そゆことか。
女官長の答えを聞いて、即座に納得。確証はないが、確信はある。
これ、こないだの勇者一行が落としてったんじゃね?
神託の勇者なら、当然ルーディア聖教徒に決まってる。壁際に吹っ飛ばした際に落としたんだろう。
「ふむ、あの廉族の小娘どもが落としていったものであろうな。まあよい、我が預かっておこう」
女官長にしたっていつまでもこんなもの持っている訳にもいかないだろうし、俺が引き取ってしまうのがいいだろう。
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うーむ。
これ、返してやるべきだよなー………。
執務室にて。勇者一行が落としていった(と思われる)聖円環を手の中で転がしつつ、俺は思案に暮れていた。
捨ててしまおうかとも考えたのだが、妙に気になるのだ。
聖教会に遣わされた神託の勇者。創世神の意志を継いだ救世主。それが勇者の立ち位置だ。当然、教会での地位もそれなりに高いはず。
だったら、神の遣いに相応しく、高価な材質で精緻に作られたものを持ってたっておかしくない。多分教会から与えられてるだろうし。
護りの効果を付与された魔導具として使えるような、高級品を。
だったら、この安っぽ……もとい素朴な、ガラク……じゃなくて手作り品は何だろう。教会や諸国王からの下賜品には思えない。
となると、それ以外の誰かからの贈り物、と考えるのが自然じゃないか?
………まあ自作ということもありえるのだが。
しかし材質の木はだいぶ年期が入って黒光りしつつ磨耗している。大切にされているだろうことは想像に難くない。
大切な相手からの大切な贈り物……てとこじゃないのかな。
だったら、返してやりたいな、と思うのが人情というものだろう。魔王は人間ではないが、16年間人間として生きてきた桜庭柳人の持つ人情だ。
………………………。
……………………………………………。
……………………………………………………………………………。
よし、返しに行ってやるか。
俺は暫くの思案の後、そう決心した。正直、この間の罪滅ぼし的な意味合いが強い。だが同時に、地上界の様子を見てみたいという欲求にかられたのも事実だ。
何しろ、俺がこの世界、エクスフィアを放逐されて二千年の時が経過している。地上界もだいぶ様変わりしていることだろう。……と言うか、そもそもほとんど地上界には行ったことがなかった…。
以前は単純に興味がなかっただけだが、今はそうでもない。どころか、興味津々だったりする。どんな種族がどんな生活をしていて、文化レベルは、社会的成熟度はどれほどなのか、何が流行っていたりするのか、などなど、気になるところは多々ある。
魔界統治も、料理研究に勤しむ余裕が出てくる程度には一段落したことだし、自分自身の休暇も兼ねて地上界見物と洒落込むのも乙である。
あ、違う違う、第一目的は、勇者たちにこの聖円環を返してやることだった。
とりあえず、善は急げと言うことだし、準備に取り掛かろう。
そう決めた俺は、早速ギーヴレイを呼び出し、一言。
「これよりしばしの間、我は地上界へ赴くことにする」
この第一声に、知将ギーヴレイ、こいつは俺の言葉足らずなところを補って余りある解釈力を持っているのだが、流石に勘違いをしたようで、
「なんと!いよいよ地上界へ攻勢をかける時なのですね!!」
……………うん、仕方ないことだとは思うけど、完っ全に見ている方向が違うね、俺ら。
「そうではない、地上界へは干渉しないと最初に言ったはずだ」
「も、申し訳ございません。短慮でございました」
いや、まあ、魔王の立場でこういう言い方をすれば勘違いして当然だよね。
「我は今、地上界に興味を持っている。だが、干渉はしないと決めた以上、あちらからの働きかけがない限りは魔界として動くことはない」
「では、どのようなご用向きで…?」
素直に「勇者に落とし物を返しに行って、そのついでに観光してくる」とは流石に言えない…。
「…創造主であるエルリアーシェは、我が片割れでもある。すなわちこの世界は、その忘れ形見とも言える。己が半身が作り上げた世界がどのようなものであるのか…あれが滅び去った今、純粋に興味が湧いてきてな」
嘘ではない。エルリアーシェが、なぜ創世期に世界と深く関わることを選んだのか、生命のどこに惹かれたのか、自分自身を削ってまで、何を残したかったのか。
俺は、純粋にそれを知りたい、と思う。
しかし、俺のその言葉に、ギーヴレイは複雑そうな表情を見せた。反論したくても出来ない、というような。
こういう表情は珍しいな。忠義の塊であるギーヴレイは、仮にそれが本当に魔王と魔界にとって利にならないことであれば、俺の判断が最終的に俺自身の害となるのであれば、俺の反感を買うことを恐れずに進言するはず。
と言うことは、理屈ではなく感情の面で、俺に反対したがっている…?こいつに限って、それはとても意外なことのような気が………。
「何か言いたいことがあるのならば言ってみよ」
黙りこくっているギーヴレイに、出来るだけ威圧的にならないように尋ねてみる。
ギーヴレイは、少しの間逡巡するように言い淀んでいたが、やがて
「…………陛下、陛下には、この魔界がございます。我ら魔族がお仕えしております。我らが忠義のみでは、御身には物足りないと仰るのですか…………?」
ぽつりぽつりと吐き出したのは、いつも冷静なギーヴレイの、生の感情。
「我らには、陛下だけが支えであり、希望なのです………」
ああ、そういうことか。
創造主に見捨てられた魔界と魔族。捨てる神あれば…とばかりにそんな彼らを拾い上げたのが魔王だった。それなのに今、自分たちだけの“神”だと思っていた俺が、外の世界へと敵意以外の目を向け始めている。
こいつらからするとそれは、俺にまで見捨てられるかもしれないという可能性に他ならないわけで。
ギーヴレイの、捨てられた仔犬のような目を見て何とも言えない気分になる。実際、俺は“魔王”とは言っても彼らの創造主ではないし、そういう意味では天界も地上界も魔界も、そこに住む全ての生命も、等しく「片割れの忘れ形見」でしかないのだ。
それでも、俺を主と慕って無邪気に追従してくれる魔族たちは、俺にとって特別に可愛い存在であることは確か。
例えて言うなら、天界と地上界は親戚の子ども(甥っ子とか姪っ子とか)で、魔界は自分の子ども(ただし血のつながりはなし)…と言ったところか。
ここは、彼の不安をぬぐってやらないといけないだろう。
「何を恐れている、ギーヴレイ?」
「いえ………私は何も…………」
「我の関心が地上界へと移ることが不安か?」
「…………………それは……それが陛下のご意志であるのなら……」
表情は思いっきり拒絶を示しているのだけれど、口でははっきりそう言えないみたいだ。実にギーヴレイらしい。
「ギーヴレイよ、案ずるな。我がいかに地上界や天界と関わりを持とうとも、我の還る場所は魔界であり、我が守るべきはお前たちのみだ。行く当てのなかった我を受け入れ、忠義を尽くしてくれたお前たちよりも優先するものなど、ありはしない。これまでもそうだったし、これからも、だ」
そんな忠臣を励ましてやるべく、俺はそう誓う。
ギーヴレイの表情を見るに、俺の意図は十分に伝わったようだ。
「ああ…………なんと有難いお言葉……身に余る光栄とは正にこのことでございます………!」
見ると、うっすらと目尻に光るものが。
おいおい、これで涙ぐんでしまうのか、ほんとにこいつはしょうがない奴だな。
だがこれで、俺も改めて確信した。ギーヴレイに言ったとおり、これから俺がどのように行動しようと、どこで誰と関わりを持とうと、俺にとっての“一番”は魔界だ。それを決してはき違えることのないようにしよう。
さて、誤解も解けたことだし、早速地上観光の……じゃない、お忍び視察の準備に取り掛かるか。
俺はギーヴレイに命じ、必要なものを揃えさせることにした。




