第百二十二話 澱み
翌日。
俺たちは、村の中央にある大広場にいた。
村人たちに、集まってもらったのだ。
病気や高齢で動けない者を除く全員。総じて、二百余名。
正直、意外だった。
寂れた村の様子から、なんとなくだが、勝手に廃村寸前の日本の過疎地の様相を思い描いていたからだ。尤も、二百人という住民数は、決して多いとは言えない。
ざっと見渡すと、高齢者が五分の一、青壮年が五分の一、年若い者たちが残り五分の三、と言ったところ。年齢別の人口分布として適切なのか否かは、俺の知識では分からない。若者が多いからいい方じゃないのかとも思うが、働き盛りの人数がやや少ないような気もする。その理由は、後ほど明らかになるのだが。
集まってもらったのは、彼らの身体の異変を調べさせてもらうためだ。それこそ、呪いなどの外的要素により変貌してしまったのであれば、その痕跡があるはず。そして、そうであった場合は彼らを直す方法が必ずあるはず。
症状の程度別に、グループを作ってもらった。何か法則性があるかとも思ったが、特にこれといったものは見当たらない。
症状が重い者だと、もう完全に魔族にしか見えない。最もその特徴が強く現れるのが、瞳。虹彩の形が、廉族と魔族では違うのだ。
実際、魔族と廉族の姿の差異と言うのは、はっきりと線引き出来るようなものではない。
例えば、俺の側近である武王たちは、姿においてはほとんど人間と変わらない。一人二人、角や翼を持つ者はいるが、隠してしまえば人間に成りすますことも可能。
ただ瞳の虹彩だけが、廉族が真円であるのに対し、魔族は縦長。眼を覗き込めばそれと分かるが、そうでもしない限り、見分けることが出来ない姿の者もいたりする。
ただし、縦長の虹彩を持つということは、その者が魔族であることを意味する。そういう意味では、そこまで症状が進んだ村人は、全体の約一割程度だった。
それ以外の外見的特徴に関しては、千差万別。
ハガルのように、一瞥しただけで異形だと分かる者もいれば、ソニアのように一部だけは魔族の特徴…角や翼など…を持つが、それ以外は人間と変わらない者も。
そうした症状別に、俺たちは村人を調べてみた。
ベアトリクスは、法術的観点から呪いの痕跡を探る。念のため、状態異常を治癒させる術式も試してみた。
だが、変化はなし。
「術式反応は、見られませんね。何者かが、特定の術を行使した…というわけではなさそうです」
残念そうに首を振りながら言うベアトリクス。癒しのエキスパートとしては、悔しい結果に違いない。
俺は、彼らの理に異常がないかを見る。
うーーーん……なんだろう。特に異常がある…ようには感じないけど…
「何かございましたか?」
首を傾げる俺に、エルネストが問いかけた。
「んー。なんかなー。具体的には言えないんだけど、なんっか不自然なような気が……」
「不自然……とは?」
「この人たちの、理…がさ。なんか歪な感じがする」
あまり聞かせたくないことなので、村人たちからは離れたところで俺とエルネストは話す。
「歪な理…ですか」
「他に表現のしようがないんだけど……言うならそんな感じ…かな」
言いながら俺は、不穏な気配が心中を占めていくのを感じていた。
歪な理。理が、歪んでいる……。
創世神の構築した、秩序と統制。世界を形作る法則。万物の存在を定義する定め。それが歪んでいるというのは、一体何を意味するのか。
それが何者かの手によるものなのだとしたら、ゆゆしき事態だ。
俺とエルリアーシェ以外に、理に干渉出来る存在がある、ということ。
だが、そんなことがありうるのだろうか。
そして、それが人為的なものでなく、自然に起こった現象なのだとしたら……事態は、もっと深刻である。
世界の根幹を成す理が、歪み始めている。
それは、崩壊の序曲。
仮にそれが事実だとすれば、そう遠くない未来に、この世界は消滅する。
最悪の終末を想像した俺は、思わず身震いした。
「リュート様?」
怪訝そうにエルネストに声を掛けられて、俺は我に返った。
「ああ、すまん。ちょっと、考え事」
まだ、そうと決めつけてしまうのは早い。結論を出すのは、とことん調べてからだ。
……あ、待てよ。
理に干渉……俺たち以外で、それが可能なモノ………
もしかして。
「なあ、ハガル村長。この辺で、やたらと獣が多かったり実りが良かったり、昔から特別だと言われていたりするような場所はないか?」
突然の俺の問いかけに、ハガルは驚いた顔をした。
「特別な場所…ですか。確かにありますが……何故お分かりになったのですか?」
「その場所に、案内してもらえないか?」
ハガルの問いには答えず、俺は自分の仮説を確証に変えた。
「多分だけど、そこに原因がある」
それは、村の最奥にある祠だった。
村の…と言っても、中心部からはそれなりの距離がある。切り立った崖に囲まれた狭い渓谷を通りぬけ、辿り着いた先に、祠があった。
祠の傍らには、村の裏手にあるものよりもさらに小さな泉が湧き出ていて、そこから渓谷を通り、村へと小川が流れていた。
「この祠には、村の守り神が祀られています」
ハガルが説明する。
「いつからあるのかは分かりませんが、守り神のおかげで、この痩せた土地でも、我々は命を繋ぐことが出来ました。こんなことになるまでは、近隣で最も大きな集落として栄えてもいたのですよ」
明るかった過去を思い出して、ハガルの口調は湿っぽくなる。
「この近隣では、リュートさんの仰るとおり、獣が多く、また、畑を作れば常に豊作……私たちは、何不自由なく過ごすことが出来ていました。それを妬む他の集落もありましたが、争いを好まない我々は彼らと友好関係を築き、ちょっとした交易のようなことも行っていました」
彼の言葉は、全て過去形。
「で、最近はどうなんだ?村に異形の子供たちが生まれるようになった頃から、その実りは?獣の数は?」
「それは……」
「多くなり過ぎた。……違うか?」
断定した俺に、ハガルは絶句する。正解だ、ということだ。
「どうしてそこまで分かるのですか?」
「ここが、“霊脈”だからだ」
俺の勘は、当たっていた。
この地は、“星霊核”から流れ出た霊素が流れる地。霊脈のほとり。命が溢れ、土地に豊かな実りを与え、繁栄をもたらす星の命の具現する場所。
「“霊脈”ってのは、一言で言えば、ものすごく強いエネルギーを持った場所ってことだ。その土地では、豊かな繁栄が約束される。今までの、アンタらのように」
魔族の末裔という、最悪の枷に囚われた彼らの祖先が、それでも生き延びることが出来た要因。ここが、彼らが落ち延びた先が“霊脈”でなければ、彼らは命を繋ぐことは出来なかっただろう。
「でも、だったらどうして」
どうして今はこうなってしまったのか。彼の疑問は当然だ。
「…澱んでしまってるんだよ、ここは」
「……澱み…ですか?」
ハガルは、今一つピンときていないようだ。水の流れと違って、霊素は目に見えないものだから仕方ないか。
「“霊脈”も、理の中で自然の摂理に従って流れてるものなんだ。ただ、川の流れが、ときに澱んでしまうことがあるように、“霊脈”にも時折、澱みってのが発生してしまう」
澱んで停滞してしまった水が濁るように、流れから取り残されてしまった霊素もまた、徐々に濃度を高め、そして濁っていく。
本来の姿とは、かけ離れていく。
「“霊脈”が澱んでしまうと、どうなるのですか?」
そう訊ねたのは、ベアトリクス。
「果実が熟れ過ぎるようなものかな。獣はやたら多くなるし、畑の作物はすぐに腐れてしまう。子供が生まれる数も増えるけど、病で死んでいく数も増える。全てが、活性化され過ぎるってのは、そういうことだ」
「では、彼らの姿がこうなってしまったのも、その澱みのせい…と?」
「うーーん……それは、どうなのかなー……」
煮え切れない俺の返事に、訊ねたエルネストが首を傾げる。
「違うのですか?」
「違うっていうか……それだけじゃないと思うんだよ」
確かに、澱みが生じると、世界に様々な悪影響が現れる。だが、それだけで理が歪められるなんてことは、普通有り得ない。そんなことがあれば、世界各地で理が歪められまくって、それこそ世界は崩壊まっしぐら、だ。
「澱みのせいもあると思うけど、それだけじゃない。それに絡んで、何か別の要因が……」
考え込んだ俺の思考は、途中で遮られた。
「……これは…」
「何の声ですか?」
「………敵対部族の、襲撃です!」
村を取り囲むような、鬨の声によって。
なかなかストーリーが進んで行ってくれなくて困ります。どうも、ハガル村長たちはあまり動いてくれないんですよねー……。




