第百二十一話 散歩は年寄り臭いシュミだと誰が言った?
ハガル村長の話が終わる頃には、すっかり日も暮れていた。
本格的な調査は明日から開始することにして、俺とエルネストは村の空き家に泊めてもらうことになった。
空き室はあるのだから、自分の家に泊まってもらえばいいのに、とソニアは父に進言していたが、年頃の娘がいる家に見知らぬ…会ったばかりの…男を泊めるという行為はよくない、と父に反対されていた。
当然である。
どこぞの勇者一行のように、嫁入り前の娘が警戒心もなく恋人でもない男性と一つ屋根の下に就寝するなど、言語道断である。
両者の合意があれば、そういうことも許容されていいとは思ってる。が、あくまでもそういう合意があれば…の話。
あいつらに、それがあるのかと言えば、多分ないだろう。
勇者の周囲の大人たちが、そんな基本的なことも教え込んでくれていなかったおかげで俺はエライ目に遭ってばかりなわけだが、ハガルのような常識的な大人がいてくれると、非常に安心である。
え、ベアトリクス?
そりゃ、彼女が泊まるのは、ハガルの家。ソニアは、自分と一緒の部屋に寝てもらうのだと、なんだか少しはしゃいでいた。同年代の友人があまりいないらしい。
で、ハガルの家で夕飯をいただいて、エルネストと俺は用意された空き家に引っ込んだ。
「とりあえず、今までの流れをルガイアへ伝えといてもらえるか?」
「御意」
まだ断言するには尚早だが、今のところ、「魔族による地上界侵攻」の可能性は低くなった。それを伝えるだけでも、彼らを安心させることが出来るだろう。無論、だからと言って気を抜くようなギーヴレイではないと分かっているからこそ、なのだが。
エルネストがルガイアと話している間、俺は夜の散歩に出ることにした。
余談だが、この散歩という行為、魔王ヴェルギリウスと桜庭柳人の、共通の趣味だったりする。
魔王だった頃は、主に夜が好きだった。
冷えた空気と静寂、その中で奏でられるわずかな物音。草を踏む音や、木々の揺れる音、虫の声。なんの統一性もないはずなのに、妙にしっくりくる組み合わせを聞きながら、何も考えずに気の赴くまま歩くのが好きだった。
桜庭柳人が好きだったのは、早朝の散歩。
太陽が昇る直前から歩き始め、徐々に降り注ぐ量が増えていく日光を浴びながら、夜露で少し湿った空気を吸い込んで歩く。コースはいつも同じ。家を出て、河川敷を歩き、途中の自販機で缶コーヒーを買って、近所の公園でコーヒータイム。で、そこから帰宅。
朝の支度の都合上、毎日は無理だったが、夏のように日が長い時期はしょっちゅうそうして朝の時間を過ごしていた。
したがって、今の俺も当然、散歩が好きである。時間はいつでもいい。夜でも朝でも日中でも。何も考えずに歩いていると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。
ただ、散歩と言っても、村の中をウロウロするのは、少々憚られる。村人たちからしてみたら、俺は得体のしれない余所者に過ぎないのだから。
あまり、警戒を与えるのは好ましくなかった。
で、俺は村の周囲を散策して、俺たちが来た方向とは反対側に、小さな泉があるのを見つけた。
湖と言うには小さく、沼と呼ぶには澄み切った水をたたえている。水面には月が浮かび、木々のシルエットが映し出されてなかなかに幻想的だ。
静かだなー……。
この近辺が物騒な地帯だなんて、ちょっと信じられないくらいだ。
泉の景観が気に入って、周囲をぐるっと回ってみようと思った俺だったが、歩き始めてすぐに足を止めた。
そこに、ソニアがいたからだ。
「リュート…さん。どうしたんですか?」
ソニアは、こんな夜更けに俺がいることに驚いたようだが、それを言うならこっちも、である。今はもう夜半を過ぎている。俺のように、諸事情でそれほど長く寝なくても差し障りがないのであれば別だが、彼女はそうではないだろう。
「アンタこそ。寝なくてもいいのか?」
イライザと違って、夜更かしは美容の敵だぞ、とか言っても彼女のようなタイプは困らせるだけだろうから、そこは言わないでおく。
「…ええ。なんだか、眠れなくて」
「そっか」
彼女の不眠の原因が、良いものなのか悪いものなのか。自分たちの将来を不安に思うあまりに眠れないのならば不憫だし、俺たちの出現にわずかでも希望を見出して興奮しているのであれば、安心して寝なさい、と言ってやれる。
俺は、なんとはなしに彼女の横に並んで腰かけた。
「あの…リュートさんは、教会の偉い人なんですか?」
「……え?」
いきなり、変なことを聞いてくるんだな。そんなわけないじゃないか。
俺、教会の偉い人じゃなくって、魔界の偉いヒトです。
…とも言えず。
「いやいや、俺はしがない雇われ兵士だよ。偉いって言ったら…ベアトリクスは、司教だからそれなりの地位にはいるんだろうけど」
俺の返事に、彼女は不思議そうな顔をする。
「そうなんですか?なんだか、皆さんの遣り取りを見ていたら、リュートさんが主導権を持ってるみたいに見えたんですけど。もう一人の…エルネストさん、でしたっけ?あの方なんて、リュートさんの家来なのかなって思えたし」
う。けっこう鋭いな、この子。まあ、エルネストの態度を見ていれば勘づくか。
「あー、あいつは…ね。確かに、俺の部下と言うか何と言うか…なんだけど、俺自身は聖職者じゃないからねー……」
「でも、リュートさんは私たちを助けてくれるんでしょう?」
始めの頃は気付かなかったが、このソニアという娘、なかなか芯の強そうな顔をしている。今も、懇願と言うよりは、再確認の響きが強い。
「ん、まあ…な。正直、どうなるかは分からないけど、出来る限りのことは…」
「なんで?」
………んん?
「いや、なんでって…助けて欲しいって言ったのは、そっちじゃないか」
「それはそうだけど、なんで?」
………あれれ?
なんで、彼女は詰問調なんだ?俺、何か彼女を怒らせるようなことしたっけ?
「…えー…と、さ。何か気に障ったならゴメンなんだけど……」
だが、俺が恐る恐る訊ねてみると、彼女は途端に表情を変えた。
「ご、御免なさい!そうじゃなくって、その、私……」
慌てて言い繕おうとするところが可愛らしい。
「…本当はね、半信半疑だったの。教会の人って言っても、こんな小さな村のために動いてくれるなんて思わなかったし、その、最初はね、教会に、私たちの窮状を伝えてもらえれば御の字かなって。私たちは何も悪いことをしていないんだって分かってもらえて、支援を受けられればいいな…程度で」
彼女が、教会や国を信じられないのは当然だ。ディートア共和国において、ここのような辺境に点在する集落は、ほぼ国の保護下からあぶれてしまっている。
ここだけに限った話ではないだろうけど、国の福祉政策とか、彼女らが恩恵を受けることはなかったのだろう。
「でも、貴方はそれ以上のことをしてくれるつもりなんでしょう?」
彼女は、俺の目をまっすぐに見つめて言った。口調こそ疑問符が付いているが、そこに疑問を感じている様子はない。
「貴方の様子を見てると…言ってることとか……なんだか、私たちを根本的なところから救おうとしてくれているみたいに感じる。……私の、気のせいかしら?」
……やっぱり鋭い。
俺は、彼女らを助けることを請け負いはしたが、どの程度まで、とは言っていない。断言するには情報不足だということもあるが、それでも自分の中では、自分のせいで生まれてしまった混血児たちに救いと安息の日々を与えなければ、との意志を固めていた。
それを、彼女は感じ取ったということか。
「気のせいじゃ…ないよ。俺は、対処療法でお茶を濁すようなことはしたくない。教会に、アンタらが無害だって報告しても、アンタらの境遇が良くなるとも思えないし」
教会や国の討伐は避けられるだろうが、ただでさえ上の指示より独自のルールを優先させる周囲の部族からの敵意が失われるわけではない。
「正直言って、どうすれば完全に解決出来るかってのは、まだ分からない。けど、少なくともアンタらが、毎日を平和に過ごすことが出来るようになれば…って思ってる」
今回の件には、民族問題とかの政治的要素が絡んでくることは間違いない。俺はそういうことに関しては門外漢で、力尽くでどうにか出来る問題ではない以上、非常に無力だ。
が、だからといって自分の不始末の結果をこのまま放置することはしたくない。
まずは、彼女らが無害であるとルーディア聖教会に報告するのと、ハガルが言っていた過激派との融和工作は最優先であるとして、それ以降のことに関しては、グリードと、そしてギーヴレイの知恵を借りるつもりだ。
他力本願なのは情けないが、素人が知った顔で踏み込むにはデリケートな状況だ。彼らならば、きっといい解決策を考えてくれるだろう。
「そう、そこなのよ」
「ああ、そこなの……って、え?何が?」
ソニアが、俺の目を見つめたままで頷いた。
なんか、アルセリアたちとは別の意味でペースを乱してくるな、この娘。
「確か、貴方たちは修練の旅の途中なんでしょう?通りすがりに会った私たちのために、そこまで考えてくれるのは何故?」
まっすぐに問いかけられて、俺はどう答えたものか悩む。
答えあぐねている俺に彼女は、
「エルネストさんは、私たちと同じ混血だって言ってたから、まだ分かるのよ。でも貴方は違うんでしょう?」
「あ…ああ。俺は、そういうわけじゃないけど……」
俺は魔王だけど、魔族でも混血でもないからな。正確に言うと、生命体ですらなかったりする。
「だったら同情?でもそんな風には見えないのよ。なら正義感?……やっぱりそういうタイプには見えないのよね」
……うーん。どう答えたものか。
確かに、彼女の言う通り、同情でも正義感でもない。自分で言うのもなんだが、今の俺はけっこうお人好しだと思うし、情や正義感で動くこともある。魔王としてそれはどうなんだって、自分で自分にツッコみたくなる程度には、ある。
だが、今回はそうじゃない。
本当は、恩着せがましく「助けてやる」なんて言える立場じゃないんだ。
俺がもっと思慮深く行動していれば、自分の配下に目を向けていれば、彼女らがこんな風に苦しむことはなかったわけで。
結局のところ、陳腐な言い方だが、罪滅ぼし…と言うのが正解なんだろう。
「そういうわけじゃないけど、何?」
ソニアはなかなか容赦してくれない。俺を信じていないわけではなさそうだが、納得いかないことを放置することが出来ない性格なんだろう。
「えーと…さ。その…昔のことなんだけど、自分の不始末で、他人にすごく迷惑をかけちまったことがあってさ。その状況が、アンタらと似てるんだよ」
上手い言い訳を思いつけないので、事実を適度に脚色するしかあるまい。
「私たちと似てる……?こんな非常識な事態が?」
「あ、いや、詳細とか具体的な事情は勿論違うよ?ただ、状況が、ね」
つくづくソニアは鋭い。下手なことを言うとボロが出そうだ。
「で、結局俺は、その後始末をつけないままで……もう今さらどうにも出来なくなっちゃってさ。それで、似たようなアンタらを放っておけない…のかもしれない」
「かもしれない…って、自分のことなのに煮え切らないのね」
「あはは……手厳しいな」
随分と粗の目立つ説明ではあるのだが、完全な嘘ではないせいか彼女には受け容れてもらえたみたいだ。詰問調だった態度が変化する。
「その人たちに、罪悪感を抱いているの?」
「うーん…そういうことになるのかな。だからさ、アンタらを助けるって言ったのも、そいつらの代わりにアンタらを助けて、その罪悪感を少しでも和らげたいっていう気持ちが強いって言うか………自己満足、なんだろうな、結局」
ソニアたちを救えば、彼女らに対する贖罪は果たせるのかもしれない。だが、彼女たちの先祖…俺が見棄ててしまった魔族には、今さら償おうと思っても術がない。
でも、だからこそ、彼らの子孫であるソニアたちは、何としてでも救わなければ。
これは、魔王の責任問題である!
「…お人好しなのね」
「……それは、よく言われる」
苦笑すると、ソニアも笑顔を見せてくれた。それまでずっと沈み込んだ表情だった彼女の笑顔は、花のように自然だった。
本来は、沈んだ顔よりもこっちの方がよっぽど…
「アンタには、笑顔の方が似合うな」
素直なところを口にしたら、ソニアは真っ赤になってしまった。
「な、何を言うのよ急に。変な人ね!」
……照れてる。可愛いな。
こんな境遇でなければ、きっといい出会いがあって、幸せを手に入れることも出来ただろう。
だったら、今からでもきっと遅くはない。
「ま、自分で言うのもなんだけどさ。こう見えて俺、けっこう出来る男だよ?大船に乗ったつもりで、どんと任せなさい!」
自分への決意も込めて、出来る限り明るくそう言って見せる俺に、彼女は吹き出した。
「それ、泥船じゃなきゃいいんだけど」
「え、なにそれ酷い!」
不満げに言うと、彼女はさらにクスクスと笑う。
なんかいいな、こういうの。
他愛無い遣り取り。平凡な日常。
きっと、アルセリアが守りたいと思っている世界って、こういうもののことを言うんだろうな。
ここにはいない勇者の心中を想像して、俺は勝手に共感出来たつもりになっていたのだった。
リュート氏を三人娘以外の女性と会話させると、なんでか必ずタラシになりますな。グリードが危惧するのも分かります…。




