第百二十話 過去の自分をぶん殴ってやりたくなるときってないだろうか。
「先ほど貴方は、私の親か、あるいはその親が魔族なのかと聞きましたね」
ハガルの表情と口調からは、俺に対する不信や警戒はすっかり消えていた。会ったばかりの若造にすらすがりたくなるほど、彼らは追い詰められていたのだろう。
「しかし、私の両親も祖父母も、あるいは曽祖父母も、魔族ではありません」
「え……?でも、混血なんだろ?」
血が混じってなきゃ、混血じゃないじゃん。このおっさんは、何を言ってるんだ?
「……私たちは…この村は、天地大戦の折、地上界に取り残された魔族たちの末裔なのです」
………………。
……………………えええ!?
何それ、末裔?取り残されたって………二千年前の、天地大戦で!?
俺の驚愕の意味を勘違いしたハガルは、さもありなん、と頷く。
「信じられないのも無理はありません。私たちとて、こんなことが起こらなければ、御伽噺程度にしか思っていなかったことなのですから」
ベアトリクスが、
「地上界に取り残された魔族………そんなことが、あったのですね」
ちらり、と俺を見て言う。俺は、何も言えない。
だってだって、そんなこと考えたこともなかった。地上界に取り残された魔族がいたなんて……。
ああ……でも、考えてみたら充分にあり得る話…なのか。
魔族には、“門”の技術はない。魔界と地上界の行き来は、完全に俺の力に頼るしかなかった。
そしてあの時の俺は、自分の配下のことを…側近である武王たちはともかくとして、ほとんど顧みることがなかった。
俺の気まぐれに振り回されて、それでも必死に後をついてこようとする彼らを振り返ることなんて…なかった。
俺が創世神に敗れてこの世界から放逐された後、“門”が消滅するまでに多少の時間的猶予はあったはず。
だが、地上界に侵攻した魔族の大軍のうち、全てが帰還出来るだけの余裕があったとは……思えない。
主を失い、逃げ遅れた彼らのほとんどは、おそらく天使軍に掃討されたのだろう。そして、逃げ延びた僅かな残党たちは、地上界で生きていく道を選ばざるを得なかった。
天界と地上界の目から逃れるように、ひっそりと、息をひそめて。
「それは……何て言ったらいいのか、ちょっと分からないけど………」
想像しか出来ないけど、彼らはきっと、過酷で悲惨な環境を生き延びてきたに違いない。何せ、周囲は全て敵なのだ。
天界と地上界を支配しようとした魔族に、地上界の住人が慈悲を与えるはずもない。見つかれば、間違いなく殺される。
そして彼らの主は、必死の思いで命を繋ごうとしていた彼らの存在など、知る由もなく。
絶え間ない恐怖に耐え続けてきた彼らの苦悩に、想いを馳せることもなく。
……我ながら、最低な主だ。
当然、俺の内心をハガルが窺い知ることはない。彼は、俺が彼らの境遇に同情していると思っている。
「当時の話は、村の言い伝えとして、代々の長老に受け継がれてきました。村人たちは、ことあるごとにそれを聞かされてきましたが……正直、半信半疑だったんですよ」
…それは、どういうことだろう。どう見ても魔族的な外見のハガルならば、その話を信じそうなものなのに。
「言い伝えによると、生き延びた魔族…我々の祖先は、ほんの数人だけだったそうです。多くの仲間が追手に狩られ、命からがらこの地へと逃げ延びたのだ、と」
天使族の攻撃の苛烈さは、俺もよく覚えている。彼らは感情が希薄な分、全体の統制を乱そうとするもの、異質なものに対する拒絶がとんでもなく強いから。
「そして、生きるために人間に擬態し、人間の社会に溶け込もうとした魔族が、人間との間に子を成し、それが我々の先祖である…ということらしいです」
彼らは、約二千年前の先祖に、魔族を持つということか。
「でも…それにしては、アンタらの姿はその、人間から離れすぎてやしないか?」
それだけ時間が経っていれば、魔族より人間の血の方がずっと濃くなっているはず。遠い遠いご先祖に魔族がいたからといって、これほどまでにその特徴が色濃く現れることなんて、あるのだろうか。
「そう思うのも当然です。ですが、我々も、生まれたときからこんな姿だったわけでなないのですよ」
苦しげに言うハガル。横にいるソニアも、悲しそうな顔をして俯いている。
「それは、どういう……?」
「私は、今の姿からは想像してもらえないでしょうが、ついこの間までは普通の人間と何一つ変わらない姿でした。自分の先祖に魔族がいるという話を聞かされても、年寄りの与太話だと思い込むほど、普通の人間でした」
確かに、そう言われても想像出来ない。今の彼は、魔族以外の何者にも見えないほど人間離れしている。
「村人たちも、普通の人間にしか見えませんでした。誰一人、自分が魔族の末裔だなんて実感を持っていなかった。しかし……異変が現れたのは、今から二、三十年ほど前からでした」
「異変……?」
「村で、異形の子供が生まれるようになったのです。角のある者、翼を持つ者、明らかに人間とは異なる特徴を持つ子供たちが」
俺は、思わずソニアの方を見る。彼女は、辛そうに目を伏せるばかりだった。
「徐々に、そんな子供たちの数が増えていきました。ただでさえ人口の少ない村ですが、いつのまにか若者たちはほとんどが魔族のような外見を持った者たちばかりになってしまい………私たちは、先祖返りではないかと結論を出しました」
……先祖返り…か。なくはないだろうけど………いくらなんでも、二千年もたった今、しかも複数人にその特徴が現れるなんて……あるのか?
「先祖返りという現象は、非常に稀なものだと聞いたことがあります。そんな短期間にこれだけの例が見られるなんて、不自然ですね」
ベアトリクスも同じことを考えたらしい。首を捻って疑問を口にする。
「…自然に起こった現象と言うよりは、なんらかの外因があったりするのでは?」
確かに、偶発的な自然現象と考えるよりは、人為的な要因が絡んでいると見たほうが理解出来る。
それに、今の話だけでは分からないことが、目の前に一つ。
「なら、アンタのその姿は?生まれたときは、人間と変わらなかったんだろ?」
それこそ、一部魔獣のように生育過程で変態する種族であれば、それをきっかけに先祖の血が表に現れることもあるかもしれない。
だが、生まれたときは人間で、途中で魔族の姿に変貌するなんて、どういう原理だ?
「はい。私の姿は、後天的に変化したものです。確か…二年前でしょうか、自分の身に起こる異変に気付いたのは」
どこか自虐的に自分の腕を、岩の塊のようなそれを見つめるハガル。
「最初は、手足が強張るような感覚をおぼえただけでした。そのうちに、皮膚が硬くなり…盛り上がってきて、それが腫れ物や怪我ではなく、岩だと気付いたときには、ほぼ全身がこうなっていました」
生まれたときから異形を背負うのも苦しいことだろうが、自分の身体が徐々に変化していくのをただ見ているしか出来なかった彼の絶望を思うと、いたたまれなくなる。
多分、これも俺のせいで起こった悲劇……なんだろうから。
「こういう変化を遂げたのは、私だけではありません。今では、半数以上の大人が同じような症状に見舞われました。現在、この村で人間と変わらぬ姿をしているものは、一割もいません」
なるほど、村に入ったときに姿を隠したまま俺たちのことを窺っていた村人たちは、出てきたくても出てこれなかったというわけか。
「近隣の集落からは、時折激しい攻撃があります。……我々を、化け物だ、と」
「国に助けを求めることは……出来るはずがないか」
「おそらく、我々の方が討伐対象となってしまうでしょうね」
ハガルたちの状況は、将棋で言えば詰み、だ。ただでさえ諍いの絶えない地域で、周囲からは敵視されている。魔族然とした姿では、国に訴えることも出来ない。
「つまり、アンタらはその状況をどうにかしてほしいってわけなんだな?」
救いと言えば、彼らが好戦的ではない、ということか。見てくれは確かに厄介だが、先祖返りは彼らの責任でも罪でもない。丁寧に状況を説明すれば、グリードは理解してくれるだろう。彼らの保護も、請け負ってもらえそうだ。
今の話からすると、この近辺で目撃された魔族の群れというのは、彼ら自身のことに違いない。数も数十人だったというから、計算も合う。
思いのほか、平和的に解決できそうだな、これは。
俺はベアトリクス、エルネストと目配せし合う。二人とも、最悪の事態……魔族vs.廉族の大規模戦闘…が避けられて、安堵の表情を見せていた。
しかし、ハガルの話はそれで終わりではなかったのである。
「確かに、教会に取りなしてもらえればとても助かります。しかし、それだけでなく……止めてもらいたい者たちが、いるのです」
「止めてもらいたい…って……?」
「周囲から集中的に攻撃され続けることが我慢ならなくなった一部の若者たちが、村を離れました」
ああ、まぁ、気持ちは分かるかな。自分たちの責任じゃないのに理不尽に責められて、堪忍袋の緒が切れるってこともあるだろう。血気盛んな若者ならばなおさら。
家出息子&娘を連れ戻してもらいたい…っていう頼みだろうか。
そのときの俺は呑気にそんなことを考えたのだけども、どうも事態はキナ臭い方向へと向かいつつあった。
「その若者たちは、その……過激な思想に染まってしまい………今や、周囲の部族を全て滅ぼそうと見境なく戦を起こしているのです」
なな、なんと。過激派ですか。
「先祖返りのせいか、我々の体力や魔力は、普通の人間たちよりも優れています。そのため、彼らは周辺で破壊と収奪行動を繰り返しており……このままでは、国に報告がいって軍が動き出すのも、時間の問題かと………」
あーーーーー、それは面倒。面倒なことになりそう!一旦国が動き出したら、俺たちだけでは収まりがつかなくなるぞ。
さてどうする。彼らに敵意がないのなら解決も難しくない話だったが、過激派連中はそうではないだろう。
ルーディア聖教が、いくら自分たちの境遇を恨みに思ってのこととは言え、破壊活動に勤しんでいる連中に赦しを与えて受け容れるとは、ちょっと思えない。
教会は、そこまでお人好しな組織ではない。
「どうなさいますか、リュート様」
エルネストに訊ねられても、即答が出来ない。
彼らの窮状は、魔王の責任でもあるのだから、どうにかしてやるのが筋ってものだが……。
「そう、だな。まずは問題を二つに分けて考えよう。一つは、この村の人たちを保護すること。これは、そんなに難しくないと…思う。俺からグリードに話はつけるし…お前も手伝ってくれよ、ベアトリクス」
仮に教会の面子がどうのという話になっても、魔王と勇者の仲間の取りなしがあれば、多分なんとかなる。
問題は…
「その…過激な若者たち…?については、もう少し情報が欲しい。彼らが本当に何を求めてるのか、話し合いの余地はないのか、彼ら自身が、自分たちの危機的状況に気付いているのか…とか」
話し合いが可能なのであれば、こちらも平和的解決が可能かもしれない。既に犯してしまった罪は仕方ないが、情状酌量の余地はあるのだから。
「陛下が、彼らを引き取ってしまえばよろしいのでは?」
耳元で、エルネストが囁いた。
「いや…それは出来ない。彼らは、姿こそ魔族だが中身はほぼ人間だ。魔界に適応は出来ないだろう」
俺もまた、他者に聞こえないように声を潜めて答える。
エルネストが魔界で受け容れられたのは、混血といってもハーフという血の濃さと、その片親が魔界のエリートであるという出自、そして今や俺の懐刀として兄と共に重用されているという事実ゆえのこと。
ただでさえ、魔族には廉族に対する憎悪が強い。見てくれだけ魔族の人間が魔界に来たりすれば、それこそ虐殺事件の勃発である。
何より、魔族としての自覚がない彼らが、魔界での生活に適応することは不可能。
「まずは、もう少し調査を進めてみよう。この村に関しては、もし姿を元に戻す方法があるのなら一件落着なわけだし」
俺の提案に、ベアトリクスも賛同してくれた。エルネストは、もとより俺の意向にケチをつけるつもりはない。
「……感謝します、旅の人」
ハガルが、肩を震わせながら頭を下げた。
正直、気まずい。俺には、彼の謝意を素直に受け取ることが出来ない。
アンタらが今大変なことになってるのは、二千年前の魔王がとんだ大馬鹿だったからなんだよ。
そんなことを言えるはずもなく、俺はそわそわと頷くしかなかった。




