第百十九話 異形の村
森の中で、俺たちの前に現れた女性。
彼女は、山羊を思わせる一対の角を有していた。
「アンタの、その角………「お願いしたいこと」ってのは、それに関係してるわけか?」
俺の問いに、女性は怯えたように身を竦ませた。
あれ?俺、別にそんなにキツく言ったつもりはないんだけど…………
「リュートさん、怖がらせたら駄目じゃないですか」
……ベアトリクスに叱られた。
「そうですよ、リュート様。女性には、もっと丁重に接するものです」
………エルネストまで、そんなことを言う。
なんかこの二人、妙にウマが合いそうで俺は怖い。
「あの、私………!」
女性が、意を決したように声を上げた。だが、
「まあまあ。こんなところでも何ですし、まずは貴女の村へ連れて行っていただけませんか?」
ベアトリクスが、にこやかながら有無を言わせぬ調子で遮った。
「あ…は、はい……」
正体不明の威厳に押し切られる形で、女性は頷く。
……俺なんかより、ベアトリクスの方がよっぽど怖いと思うのは、俺だけか?
色々言いたいことはあるのだが、今はそれどころではないし、どうせ言っても聞いてもらえないだろうから、諦めることにして。
俺たちは、女性の案内で彼女の住む集落へと向かった。
焚火跡から少し進んだところに、その村はあった。
決して大きくはないし、豊かにも見えない。
葦のような植物で葺いた屋根と、土壁の住居。
狂ったように同じ場所を回り続ける家畜。腐敗した畑の作物。
余所者である俺たちが珍しいのか、建物の中からこちらを窺ういくつもの視線に気付いた。敵意や害意と言うよりも、警戒と恐怖が色濃く感じられる。
「……こちらです」
女性が、一軒の住居の前で足を止めた。その建物は、粗末さこそ他の建物と大差ないが、少しばかり大きい屋敷で、おそらく村の権力者…との言い方が大げさならば責任者…の住まいであることが想像された。
「私の父は、この村の村長でもあります。……父と、話をしていただけないでしょうか」
お願いしておきながら気乗りのしないような表情が少し気になったが、俺たちは招かれるままに住居へと足を踏み入れる。
建物の中は、外見から想像されるとおりの質素な造りだった。
広さだけはそれなりの居間の中央には囲炉裏があって、その部屋を囲むように幾つかの部屋があるようだ。
女性は、そのうちの一つの扉を覗き込んで、
「……父さん、お客様なのだけど……具合はどう?」
中にいるであろう人物に、声をかけた。
言葉こそ父親を心配している内容だが、その声はどこか冷たく強張っているように聞こえた。
「……客、だと……?」
扉の向こうから、掠れた声が聞こえる。
「何を考えているのだ、ソニア。すぐに帰ってもらいなさい」
弱々しいのだが、拒絶の声色だ。
どうやら、村長さんは俺たちの訪問を歓迎していないらしい。
女性の異形を考えれば、無理もないことだとは思うけど……。
「それがね、父さん。司教さまなのよ。もしかしたら、私たちを助けてくれるかもしれない。それに、タリアやレント兄さんだって………」
「ソニア、彼らのことは諦めろと言っただろう」
「だって、父さん……まだ、方法はあるかもしれないじゃない!」
「彼らは、我々とは別の道を行くと決めたのだ、出来ることなど残っていない」
「父さん!」
……あのー……何やら事情がおありのようですが、俺たちを放置して親子喧嘩はやめて欲しい。
しかも、そのうちの一人は姿すら見せていないし。
ベアトリクスもしびれを切らしたのか、扉の向こうへ向けて、
「失礼いたします。私は、ルーディア聖教聖央教会の特任司教、ベアトリクス=ブレアと申します。何かお困りでしたら、お話を聞かせてもらえませんか?」
そう、呼びかけた。
彼女の狙いは勿論、人助けではない(それも少しはあると思いたいが)。
この近辺で目撃された魔族の群れ。
出会った、異形の角を持つ女性。
関係ないはずが、ないだろう。
彼女が人間なのか魔族なのか。外見は魔族に見えるが、俺たちに対する態度といい、ルーディア聖教に対する態度といい、どうも魔族だと片付けてしまうにはおかしい点が多い。
何らかの術や呪いなどで姿を変えられてしまった人間…という線も、考えなくては。
そしてもし彼女がそうであるならば、目撃されたという魔族たちもまた……。
ベアトリクスの呼びかけに、返事はなかった。
そんな父親に、ソニアと呼ばれたその娘は懇願するように、
「父さん!このままじゃいけないって、父さんだって分かってるでしょ!?」
必死に食い下がる。
だが………
「…だとしても、これは我々の問題だ。余所者に介入されるわけにはいかない」
男の意志は、強かった。
あーーーー、もう。面倒くさい。
こっちだって、遊びや酔狂で来てるわけじゃないんだ。魔界にも聖教会にも、何らかの結果を報告しなきゃならないんだよ。
なんか怪しい村があったけど村長が会いたくないって駄々をこねるからそれ以上調べられませんでした。
なんてお粗末な報告書、出せるはずもない。
もういいや。強引にでも、話を進めさせてもらおう。
他者の干渉を拒みたい村長さんには悪いが、こっちも慈善活動をやってるんじゃないんだ。
俺は、断りも入れずに居間を横切ると、ずうずうしさに驚いたソニア嬢にも構わず、村長の部屋へ入った。
背後で、呆れたようにベアトリクスが溜息をついたのが分かったが、それは無視する。
「な、なんだね君は!」
自分が拒んでいるにも関わらず、無断で部屋に入り込んだ俺に、村長さんが抗議の声を上げるのも当然だ。だが、彼の心情もこの際、無視させてもらおう。
……なるほど。拒む気持ちも、よく分かる。
娘の方は、フードでどうにか隠せる異形だった。
だが、父親はそうもいかない。部屋に籠る以外に道はなかったのだろう。
岩。
それが、彼を見た時に思い浮かんだ言葉。
比喩表現ではない。そのまんまの意味である。
彼の姿は、構成こそ人間だが、材料は岩石だとしか思えない。一言で言えば、岩人間。
二メートルを軽く超える巨体は、ゴツゴツとした岩に覆われている。辛うじて肌の色が見えるのは、顔面と手先くらい。
うん、こんな感じの魔族、俺の臣下にもいるわ。
俺に姿を見られたことに狼狽し、それまで床に座っていた村長は立ち上がった。高めに作られた天井に、頭が付きそうになっている。
「お客人よ…ちと、不躾ではないですかな」
村長の声色に、怒りが混じり始めている。俺の非礼に対してか、見られたくないものを見られたことに対してか。
ソニアは、どうしたものか分からずにオロオロするばかり。
エルネストとベアトリクスが、何が起こっているのかと俺のところまでやってきた。
「リュートさん、どうしたのですか………って、ああ……」
「……これはこれは、また何とも…」
二人とも口々に、あーなるほどねーみたいな感じに言う。
そこに、恐怖も嫌悪も感じ取れないことに疑問を抱いたのか、村長の態度が少し変化した。
「……恐れないのですか?人々は皆、私の姿を見て逃げ出すというのに」
俺たちが平然としていることに、疑問と警戒と、ほんのわずかだが期待も込めて、村長は問いかけてきた。
「あー、うん。まぁ、そう珍しい光景でもないっつーか」
正直、この男程度の姿にビビっていたら、魔王なんて務まらないっての。
「ねぇ、父さん。話だけでも、聞いてもらおうよ」
そんな俺たちの態度に力づけられたように、ソニアが再び父親に懇願する。
村長は、悩まし気な表情でしばらく思案し…
「分かりました。お話ししましょう。ただし……私は、貴方がたのことを、完全に信用したわけではありません。少しでも妙な動きを見せれば……」
「あー、分かった分かった。まずは、聞かせてくれよ」
村長の脅しは、何の意味も力も持たない。そんなことに無駄な時間を使うのは勿体ないので、話をさっさと前へ進めることにしよう。
俺の態度に、自分が軽んじられている気配を感じたのか、村長の表情が険しくなる。が、俺からすれば、彼に気を遣う理由などないのだ。
いくらなんでも、あまり長い間ディアルディオをルシア・デ・アルシェに放置しておくのはよくない。アルセリアたちと気が合っているようなので少しは安心だが、他の廉族たちと接触した場合はどうなることやら。
なので、調査は必要最低限の時間で終わらせたいってのが本音だったりする。
「………そこまで言うのなら、いいでしょう。聞いた後で、後悔されても知りませんがね」
嫌味なのか最後にそう付け足すと、村長は自室から出てきた。
囲炉裏の前に腰を下ろし、俺たちも誘う。
そしてしばらく、何かを考え込んでいたが、娘を含め全員が座ったところで、口火を切った。
「まず始めに、貴方がたに聞いておきたい。ルーディア聖教の司教と言ったが……私たちのことを、教会に報告するつもりですか?」
ルーディア聖教は、分かり切ったことだが創世神エルリアーシェを唯一神と崇める宗教。魔族はその敵として認識されている。
彼の懸念は、尤もなものだ。
「それは…せざるを得ない、というのが私たちの立場です」
ベアトリクスが正直に答える。
「ですが、貴方たちが救いを求めるのならば、主の名のもとにお力添えをしたいとも思っています」
当然のことながら、彼女の言葉はルーディア聖教の総意ではない。仮に、この親子が人間で、何も悪事を働いていないとしても、教会が彼らを「魔族」であり、「悪」であると断じれば、彼らは討伐対象にされてしまう。
だが、腐っても“神託の勇者一行”でもある彼女ならば、そうならないように上手く話を持っていくことも出来るかもしれない。
ベアトリクスの返事に、村長は眉間に皺を寄せながら考え込む。
全てを話して助けを求めるべきか、俺たちを拘束して何もなかったことにするか、迷っている。
だが、その迷いはそう長くは続かなかった。
「…まだ、名乗っていませんでしたな。私は、この村の長で、ハガルと言います。そしてこれは私の娘、ソニアです」
ハガルと名乗った村長は、弱々しい声からして病人かとも最初は思ったのだが、どうもそうではないようだ。喉周りの岩石のせいで声帯が圧迫されているだけなのか、声は小さく掠れているが、動きには弱々しいところは全く見当たらない。
「そして、これは信じてもらえるか分かりませんが……私たちは、魔族ではありません」
自分の身体と、娘の角を悲しげに見遣ると、ハガルはそう告白した。
信じてもらえるか分からない……その言葉は、姿故に彼らが受けてきた困難を、俺たちに想像させた。
「てことは、やはりアンタらは人間…ってことか」
ならば結論は一つだろうと思ったのだが、
「……いいえ、そう言い切ってしまうことも、出来ません」
早速、ハガルに否定されてしまった。
……ん?魔族じゃないなら、人間なんじゃないの?それとも、獣人とかエルフとか、他の廉族だって言いたいのか?
その差異はこの場合、どうだっていいだろう。
要は、何らかの原因があって、魔族のような姿になってしまった人間…って解釈で、間違ってる?
「ああ、やはりそういうことですか」
首を傾げる俺の横で、エルネストが頷いた。
え、なになに?そういうことって、どういうこと?なんでこれだけの遣り取りで、エルネストには分かるわけ?
が、続く彼の言葉に、俺もまた得心がいった。
「貴方がたは…人族と魔族の、混血…なのですね」
なーる。だからこそ、同じ混血であるエルネストには感じるものがあった、と………
………って、ええ!?
いや、マジで?エルネストのケースが、めちゃくちゃレアなんだと思ってたんだけど?
そんなに、廉族と魔族の混血って、ほこほこと誕生してたりするわけ??
ハガル村長の驚きは、俺のそれとは比べ物にならなかった。
「な…何故、お分かりになったのですか!?」
自然な反応だ。俺ですら、地上界の住人である人族と、魔界の住人である魔族が交わることが出来ると知ったのはつい最近、それこそエルネストの一件があったからこそ。
ましてや、地上界においてはそんな情報、明らかになっているわけはないのだから。
驚く村長父娘を前に、当のエルネストは涼しい顔で、
「簡単なことです。私も、そうですから」
と、それ言っちゃっていいのかなーという自身の出自を、あっさりとカミングアウト。
ますます、父娘二人を驚かせるのだった。
「ま、待ってくれ!それじゃ、魔族との混血でも、ルーディア聖教の神官になれるのですか!?」
それは、魔族の姿から、迫害や粛清を怖れている二人にとってはこの上ない救い。神官になれるくらいならば、教会は混血を受け容れてくれるはず。
だが、
「それは、どうでしょうか。私の場合は、少しケースが特殊と言うか…神官になったのも、出自を偽ってのことですし……」
父娘をぬか喜びさせてしまったことに罪悪感を抱きつつ、事実を告げるしかないエルネスト。
「今も正体を明かしているわけではないのですが…それ以前に、教会における私の身分って、今どうなってるんでしょう?」
いや、俺に向かって聞かれても…知らないよ、そんなの。
「で、実際どうなんだ、ベアトリクス。ルーディア聖教って、魔族のマの字も見たくないって感じ?」
俺は、答えようのない代わりに、ベアトリクスに訊ねてみる。
が、問われたベアトリクスもまた、答えようがないみたいで
「正直、分かりません。教会の教え自体に、混血という概念は存在しないので……ただ、教会は信徒には寛大ですが、それ以外となると、その」
だんだん口調が怪しくなってくる。
あー、確かに、異端審問という名の弾圧行為を行うための機関(例えば七翼のような)まで抱えてたりするくらいだもんな。それこそ、「異端者」には容赦がないと考えた方がいいのかも。
「そんな……それでは、教会が我々のことを知ったら……」
絶望の面持ちで、ハガルが呻くように絞り出す。
「いや、結論を出すのは早いって。アンタらは、助けを求めてるわけだし、教会に敵意や害意を持ってるわけじゃないんだろ?状況を詳しく説明すれば、なんとか出来るかもしれない」
そう言ったのも、気休めだけじゃない。
他の連中は知らないが、枢機卿筆頭であるグリードは非常に合理的な思考の持ち主だ。立場上、必要とあらば異端審問も魔女狩りも厭わないだろうが、それによって得られる利ともたらされる害のバランスによっては、それを阻止できるかもしれない。
と言うか、俺ならば可能だ。
本当に彼らに、魔界と、そして地上界に対する悪意がないのであれば、俺は彼らを救ってやりたいと思う。そしてグリードが俺の反感を買ってまで殺害を強硬しなければならないような価値は、おそらく彼らにはない。
結局のところ、重要なのは「俺にとって彼らが害になりうるかどうか」に尽きる。
エルネストも、そして多分ベアトリクスも、俺が考えていることを察したのだろう。ベアトリクスは少しハラハラしたような表情で、エルネストは満足げな表情で、それぞれ頷いている。
「なんとかって……貴方がたが、なんとかしてくれると……?」
疑い深く、ハガルが問う。どう見ても只の若造でしかない俺が言っても、説得力がないのか。そこへエルネストが、
「安心してください。貴方がたが、リュートさまに忠誠を」
「…って待てい」
危険なことを口走りそうになったので、慌てて遮る。
なに忠誠を誓わせて魔界にスカウトするつもりだよ。
視線で、妙なことを言うんじゃない、と釘を刺されたエルネストは、残念そうに引き下がる。
「あー、なんだ、その。アンタらが悪いこと企んでなければ、どうにでもなるんだよ。で、その…混血ってことは、アンタの親とか、その親?魔族は、まだこの村にいるのか?」
魔族と人間の寿命の差からすれば、ありうることである。
ハガルもソニアも、その質問には答えなかった。二人は互いに顔を見合わせてから、
「リュートさん…と言ったか。私たちは、貴方を信用してもいいのだろうか?」
「信じる信じないは、そっちの問題だ。ただ、アンタらが信用に値すると俺が判断すれば、俺はアンタらを裏切らない。それだけは、約束する」
俺の言葉は、存外に彼らに深く刺さったようだ。そんなに慈愛溢れた台詞ではないはずなのだけど、気休めの優しさよりも、そんな断言が欲しかったのかもしれない。
「分かりました。全てを、お話しします。そして、どうか私たち一族を、助けてください」
そう言うハガルの眼差しからは、先ほどまでの疑念は完全に消え、必死に生きようとする者特有の強さと、未来への希求が宿っていた。




