第百十八話 森の少女
ディートア共和国。
その名が示す通り、共和制を採用する国家である。
が、その実態は、今回のようなケースにおいては厄介極まりない事情を抱えていたりする国だ。
これらは全て、担当官とベアトリクスから聞かされたことなのだが。
ディートア共和国は、他民族国家としての顔も持つ。だが、その実情は「他民族共生」とは程遠く、それは歴史的背景と地理的問題のせいであるのだが、様々な民族が幾多もの部族を作り、互いに交流することはほとんどなく自分たちだけの独自性を保っているのだと言う。
首都のある中央近辺は、それでも近代国家の様相を呈してはいる。
が、辺境に行けばその力が届くことはなく、部族同士での小競り合いも絶えない。
国全体が、山岳地帯だということが大きいだろう。それゆえに、それぞれの集落間での交流が起きにくく、排他的な空気が醸成されてしまった。
国教こそルーディア聖教だが、当然、それを信仰しない部族も少なくない。そのため、ルーディア聖教の勅命があろうがなかろうが、それをひけらかして大っぴらに活動することは困難。
一応は、国から調査許可が貰えた俺たちだったが、今回の調査地域…オーウ山脈付近へ立ち入ったならば、その後は自己責任でお願いしますと言われてしまった。
「許可が頂けただけでも、良しとしなければなりませんね」
呑気に言うベアトリクスだが、その表情はいつもほど晴れやかではない。
「どのみち、陛下は国の力など借りるおつもりはないのでしょう?」
こちらは正真正銘に呑気なエルネスト。地上界のゴタゴタに関しては、完全に他人事だからだ。
あ、そうそう。
「ところで、エルネスト。俺のこと、「陛下」って呼ぶのここじゃ禁止な」
思慮深い(と思いたい)エルネストのことだから心配はいらないと思うが、一応念を押しておく。聞かれた相手が廉族だとしても地上界の魔族だとしても、面倒なことになるからな。
俺の指示は、当然のことであり分かり切ったことでもあるのだが、どことなくエルネストが残念そうな表情を見せたのは何故だろう。
「では、何とお呼びすれば……」
「別に、リュート、でいいってば」
そもそも、最初に会ったときはそう呼んでたじゃん。今さら尻込みする必要もないだろ。
「しかし……御身を、そのようにお呼びするなど……」
うーん。変なところで遠慮するな。
「でも、陛下とかヴェルギリウスとか、地上界でそんな呼び方されたら、俺が困るんだけど」
因みに、普段臣下と接するときには出来るだけ支配者然とした態度を取るようにしている俺だが、主従関係になる前に桜庭柳人の本性を見せてしまっているエルネスト相手には、その限りではない。
「しかし……いえ、承知いたしました、リュート様」
……様…って。ま、多分極力妥協してのことだろうから、そのくらいは目を瞑るか。
俺たちは今、ディートア共和国へ向かう馬車の中である。流石にルーディア聖教の尖兵として動いているので、教会から馬車を出してもらえたのだ。
とは言え、前述の事情もあるので、馬車で行けるのはディートア共和国の首都近辺まで。ルーディア聖教の紋章をデカデカと晒した馬車で……仮に紋章がなかったとしても……辺境に乗りつけるなんてしたら、いらぬ反感や警戒を抱かれる可能性も無きにしも非ず。
で、馬車を曳くのは、馬ではなくヒポグリフ。グリフォンのように空を飛ぶことは出来ないが、馬よりも速く、そして何より体力がある。ほぼ休み無しで目的地まで走り続けることが出来るのだ。
緊急事態だから、一刻の無駄も惜しまれる…といったところか。
一瞬、またもや“門”を使ってしまおうかとも考えた。だが、余りに早く向こうに着いてしまうと、その後の報告でボロが出る可能性もあったし…何より、前回グリードに釘を刺した手前、自分からそれを破るのも憚られた。
「リュートさんって、変なところで律儀ですよね」
そのことをベアトリクスに話したところ、そんな反応が返ってきた。
うん、まあ…自覚はあるんだけどね。
そんなこんなで、馬車の旅は問題なく進んだ。何しろ、馬車を曳くのがヒポグリフなので、下手な魔獣や野盗では怖がって手を出してこないのだ。
俺たちが、ディートア共和国の首都に着いたのは、ロゼ・マリスを出て三日後。普通の馬車であれば五日~七日ほどかかる道程なので、かなり短縮されたと言える。
非常に役に立ってくれたヒポグリフたちに別れを告げて、俺たちはひとまず、ディートア共和国の首長に面会することになった。
恐縮しきりで小さくなっている首長からは、然程の有益な情報は得られなかった。
オーウ山脈近辺は、共和国の中でも特に排他的な集落が多く、国の役人でさえも思うようには動けないらしい。
「私共が行くよりも、聖教会の方々の方がきっと快く迎えてもらえるはずです。あの付近は、ルーディア聖教徒が多くを占めていますから」
などと首長は宣っていたが、それだけではないだろう。厄介な案件を、俺たちに押し付ける気満々なのが、その卑屈な姿勢から隠しようもなく滲み出ていた。
それを指摘するのも大人げないし、何より俺たちとて最初からその目的で来たのだから、異論はない。ないのだが……もう少ししっかりしてくれよ、と思わなくもない。
結局、共和国側からは、近辺の詳細な地図(と言ってもどれだけ正確かは不明)と物資の補給のみを受け、俺たちは早々に首都を出た。
さあ、いよいよ敵(仮)の本拠地へ侵入である。以前の潜入捜査と似ていなくもないが、それより気楽なのは、一人ではないからだろう。
「危険度に関して言えば、今回の方が危険かもしれませんよ?」
ベアトリクスには、そう釘を刺された。
「もし、本当に魔族の軍勢がいるとすれば、私たち侵入者は間違いなく敵だと認識されるでしょうからね」
……確かに。魔族からすれば、ルーディア聖教の使者なんて、敵以外の何物でもないだろうな。
「もういっそ、へい…じゃなかった、リュート様が正体を現してしまえばよいのではありませんか?」
エルネストの提案も尤も。俺も一瞬、それが一番早いかなーとも思ったんだけど……
いや、ルーディア聖教側に、説明しようがないじゃん。
魔王として、魔族たちを大人しくさせました。なんて、報告出来るはずないじゃん。
それに、
「でもなー。魔王の言うことに従うんだったら、最初から地上界で挙兵なんてしないだろ」
そもそも、俺は地上界への干渉の一切を禁じているのだ。それを無視して兵を挙げるからには、俺に対する忠誠なんてものはないと思われる。
「ま、あくまでも「魔族の群れが挙兵した」っていう状況なら…だけどな」
今の段階では、何者かが魔王の命令に背いて地上界へ侵攻したのか、何かの拍子で地上界に紛れ込んでしまった哀れな魔族が複数いるだけなのか、或いはそのどちらでもないのか、判断が出来ない。
それを確認するための、調査なのだ。
首都を出た俺たちは、深い森の中を進んでいた。原生林…と言うのだろうか、鬱蒼と茂る木々の間をかき分け、斜面を降りたり登ったりを繰り返し。
野営をしながら二日目で、原生林の中に人為的な痕跡を発見した。
「…焚火の跡…だよな」
俺の足元に、焼け焦げた地面と、煤けた木々の破片。
「自然に発火したものではなさそうですね」
ベアトリクスも同意。
「狩りの際に、暖を取ったり煮炊きに使ったりしたものでしょうか」
そう言いながら、エルネストが地面をつぶさに調べる。
しばらく土や煤に触れてから、
「若干の魔力反応がありますね。炎熱系の低位魔導で火をつけたものでしょう」
そう判断を下した。
「それだけじゃ、魔族の手によるものかは分からないな」
「この程度の術なら、廉族でも使えますので」
だが、焚火の跡があるということは、この近くに集落があるということである。
俺たちに友好的な部族であることを願うばかりだが……
だが、地面に屈みこんでいたエルネストが、弾かれたようにいきなり立ち上がった。
「何者です!?」
警戒を最大限に、木々の向こうへ鋭く誰何する。
何か、気配でも感じ取ったのか。
睨み付けるエルネストの視線に追い出されるかのように、茂みの向こうから人影が姿を現した。
「貴方たち………何?」
おそるおそる訊ねる声は、若い女性のもの。フードを目深に被っていて顔は見えないが、やや小柄な女性だ。
「私たちは、ルーディア聖教の者です。貴女は、この近くの集落の方ですか?」
相手を警戒させないように、ベアトリクスがにこやかに問いかけた。
いきなり身分を明かしてしまうのもどうかと思ったが、明らかに神官然とした装いのベアトリクスとエルネストなので、下手に正体を隠す方が不自然なのかな。
「ルーディア聖教の……神官さま?」
女性は、少しの驚きと期待の入り混じった声を出した。敵意は……感じられない。
「はい。私は、聖央教会の特任司教、ベアトリクス=ブレアと申します。修練の旅の最中なのですが、もしご迷惑でなければ、何処か休息を取れる場所をお教え願えないでしょうか?」
対外用猫かぶりスマイルで、いけしゃあしゃあと言ってのけるベアトリクス。涼しい顔でこういう嘘をしれっとつくことは、アルセリアやヒルダには無理な芸当だ。
「あ……あの、私の村が…近くなので、もし良かったら、休んでいってください」
親切にも、女性はそう申し出てくれた。ベアトリクスは、最初からそれを期待していたんだろうけど。
だが、女性の話はそれだけではなかった。
「あの、それで……その、司教さまに、お願いしたいことが………」
迷いながらも、おずおずと続ける女性に、ベアトリクスは笑顔で頷いた。
「私に出来ることでしたら、なんなりと」
彼女の本性を知る俺からすると、お前誰だよって力いっぱいツッコんでやりたい。こいつは、いつも笑顔ではあるのだが、俺に向ける腹に一物ありそうな笑みと、今見せている慈母の如き笑顔では、般若と聖母くらいの差があったりするんだよ。
が、その慈母の微笑みも、女性がフードを脱いだ瞬間に、硬直した。
その女性のこめかみからは、一対の角が生えていたのだから。




