第百十二話 自分が把握していないところで事態が進行するほど怖いことはない。
ちょっと、これは一体どういうことよ!?
無言のまま、アルセリアが俺に視線で問いかけてきた。
以心伝心ではない俺たちだが、それくらいは俺にも分かる。
いやいやいやいや、俺は何も知らない!てか、誤報じゃないのか?
俺もまた表情だけで彼女にそう伝える。
出来れば今すぐ確認しに魔界へ戻りたいが、他の連中の眼があるここではマズい。
「それは…本当なんですか?」
俺を問いただすことが出来ないアルセリアは、代わりに伝令係に訊ねた。彼の持つ情報など限られているだろうが、はいそうですか、で終わらせられるような事態ではない。
問われた伝令係は、蒼白な顔を一層困惑に歪めて、
「申し訳ございません。まだ確認中なので、詳細は分かりかねます。……ただ、オーウ山脈付近で、魔族の大群が目撃された…とのことで…………」
自分に分かる限りのことを、教えてくれた。
「オーウ山脈って?」
まだこちらの地理に明るくない俺は、テーブルの上に地図を広げながら、横にいたベアトリクスに訊ねる。
「大陸中央と南部を分断するようにそびえる山脈です」
言いながらベアトリクスが指差した場所は、ロゼ・マリスに南接するディートア共和国の南。
則ち、ロゼ・マリスからは国一つ跨いだところだ。
距離的に、今すぐロゼ・マリスが戦場になる…というほどの近さではない…が、悠長に構えていられるような遠さでもない。
とにかく、なんとか時間を作ってすぐに魔界へ戻ってみよう。まずは現状確認が最優先だ。
もし、仮に……これが本当に、魔族による地上界侵攻であるならば……
魔王の命に背いた裏切り者が、存在する。
ルガイアの一件を、内密に片づけてしまったのが仇となったのだろうか。まだ、俺に対し叛意を抱く者が魔族に残っているとは。
「ぼ……僕たちの、せいでしょうか………?」
震える声に視線を移すと、酷く狼狽えた表情で、ライオネルが身体まで震わせて立ち尽くしていた。
「僕たちの行為が、魔王の怒りを買って………」
うん、タイミング的にはそう受け止めても仕方ないけどね。
買ってないから、怒り。
「だとしたら……僕は、とんでもない事態を引き起こして……」
「そんな、ライオネル!貴方は責務を果たしただけでしょう!」
「そうだぞ!責任は、教会にあるじゃねーか!」
意気揚々としていた先ほどまでとは別人のように、焦りと後悔、恐怖心で俯くライオネルを励まそうとする二人の仲間。
けど、教会の責任…つーか、トルディス修道会の、だからな。
「僕は、勇者です。勇者として行った全ての行為は、僕自身に責任があります。魔王の逆鱗に触れたのが僕である以上は、僕がその責を負わないと」
なんて、悲壮な表情で弱々しくも断言するもんだから、俺としても
「いやいやいやいや、逆鱗って、んな馬鹿な」
……ついつい、口を挟んでしまった。
「貴方に、何が分かるんですか!魔王と…あの恐ろしい存在と対峙したことのない貴方に!」
……で、怒られてしまった。
「いや…まあ、そりゃあ……対峙したことは…ないけど」
「だったら、適当な気休めは言わないでください!」
勇者2号は、だいぶ消沈している。普段は、ムカつくくらいにふてぶてしくて根拠不明な自信に満ち溢れているってのに。
で、俺はと言えば、やっぱり魔王だからなのか、意地悪な考えが湧いてきたり。
「…でもさ、さっき魔王といい勝負だったみたいなこと言ってたじゃん。お前らなら、なんとかなるんじゃね?」
なーんて、こいつをさらに追い詰めるようなことを言ってみたり。
それを聞いた瞬間、勇者2号一行が硬直した。
そりゃそうだよなー。だいぶ誇張して話してるけど、実際は「いい勝負」どころじゃなかったらしいしなー。
一度も反撃してこない魔王(代役・ルクレティウス)に、傷一つ与えることが出来なかったんだから。完全な不意打ちによる全力攻撃が、まるで通用しなかったんだから。
その力量差は、本人たちが一番よく分かっているだろう。
だから俺は、今までの意趣返しとばかりに、そんな意地悪をしたのだが。
「………そう…ですよね」
……んん?
「僕たちは、確かにあの強大な魔王に対し、引けを取らずに渡り合うことが出来ています……」
…………んんん?
あれ?ライオネル、一筋の光明を見付けた、みたいなその表情は何だ?
って言うか、渡り合ってないだろう、お前ら!
驚いたことに、後の二人も、「そうだよ、自分たちなら出来るよ」みたいな表情になってきてる。
「魔王を挑発してしまったのが僕の責任ならば、その責任を取るために、僕は魔王を今度こそ、打ち滅ぼしてみせます!」
立ち直り早!
なんなのこのご都合マインドは!?
で、本来ならばそれを諫めるべきの仲間たちも、
「そうですわ!先日は惜しくも敗走することになりましたけど、今度こそは!」
……惜しかった…のか?
「ああ!あんときゃアウェーだったからな、圧倒的に不利な状況であれだけ出来たんだ。地上界でやり合えば、負けるはずがねえ!!」
……あれだけって……どれだけ?
ヤバい。
こいつら、本気で自分たちの実力が魔王に拮抗していると思い込んでる。
勇者1号を超えるポジティブマインドの持ち主なのか、はたまたルクレティウスとギーヴレイがこいつらを無傷で帰すもんだから勘違いしてるのか。
どちらにせよ、この過剰な自信はこいつらを殺すことになるだろう。
それに、もう一つ気になる点が……
「しかも、僕たちにはギーヴィアさまがついています!!」
ほらきたーーー。
絶対言い出すと思ってたもん、俺。
このバカがギーヴィア(笑)を信じてるって、分かってたもん。
「……あの、ライオネルさま。ギーヴィアさま…とは?」
ライオネルの言葉に反応し、伝令係がおずおずと訊ねた。てか、お前まだいたのかよ。連絡事項伝えたら、さっさと持ち場に戻りなさいよ。
「ギーヴィアさまは、魔界にて僕たちにお力を貸してくださった、いと尊き光の精霊神です。あの方ならば、必ずこの僕に再び道をお示しになってくださるに違いない!」
「ああ、それはなんと素晴らしい!すぐに、皆様方に報告して参ります!!」
え?あの、あれ?行っちゃうの?
その情報、100%ガセですよ?報告しに、行っちゃうの!?
俺の心配をよそに、希望が見えてきた…的表情で、それまでぐずぐずしていた伝令係は走っていった。
「……大丈夫。僕たちと、ギーヴィアさまのお力添えがあれば……僕たちは、勝てます!!」
あーあ。知らないよ。
てかお前ら、確かギーヴレイ…じゃなくてギーヴィアに、今はまだ早い的なことを言われてたんじゃないの?
心酔する相手の言うことくらい、きちんと聞きなさい。
光速で落ち込んで光速で立ち直り、勇者2号たちは勇ましく自分たちの部屋へ戻っていった。
残されたのは、三人娘と俺。
「で、どういうことなの?」
聞き咎められる心配がなくなり、アルセリアは俺に詰め寄る。
「本当に、アンタは何も知らないのね?」
「本当だって。よその時空界への干渉は、禁止してるんだって!」
それに、禁止も何も、魔族には“門”の技術がない。マウレ一族のように、極秘裏に門や回廊の建設を推し進めていた連中がいればまだしも、「そうだ、地上界行こう」みたいに気軽に境界を超えることは不可能だ。
「王であるリュートさんが禁じているということは、それに造反する動きがあった…ということですか?」
ベアトリクスが、さらっとイヤなことを言ってくれる。
「俺としては、何かの間違いだと思うんだけどなー…」
半分くらいは、願望だが。
「とりあえず、今から戻って確認してみる」
自分の眼と耳で確認しなければ、推測の域を脱することは出来ない。俺は、“門”を開くと…
「……あのな、ヒルダ」
「……お兄ちゃん、待機って言われてた」
俺の袖を掴んで離さないヒルダに、腰をかがめて視線を合わせる。
「すぐ戻るから。な?」
優しく言って頭を撫でてやると、ヒルダは何か言いたそうな顔をしたが、渋々手を離してくれた。
いくらなんでも、事の重大性を理解しているのだろう。
「じゃ、行ってくる。もし俺がいない間に七翼の招集とかあったら、なんか適当に誤魔化しといてくれ」
そう言い残して、俺は“門”をくぐった。




