第百十話 奥手も度を超すと罪である。
俺たちがルシア・デ・アルシェに来て一週間。
ルーディア聖教の最高評議会は、明日で最終日を迎える。
「で、明日はまたお前らも参加すんの?」
どこから持ってきたのか、やけに立体的なジグソーパズルに夢中になっているアルセリアに、俺は問いかけた。
「まぁ、一応顔見せ程度にね。大した出番もないから、途中で抜けてこようと思ってるけど」
戦闘中もかくや、という集中力を見せながらも、俺の問いに答えるアルセリア。案外器用だな。
「ところでさ、ベアトリクスは?」
因みに、ヒルダは俺の横でうたた寝をしている。
「さあ。用事でもあるんじゃないの?……なんで?」
「いや、お前らが揃ってないのって、珍しいなーと思って」
俺の知ってるこいつらは、いつでも三人一緒に行動している。厳密に言えば勿論、瞬間的に別行動を取ることもあるだろうが。
だから俺の疑問も尤もなものだと思うのだが、アルセリアは「何言ってんだこいつ」という顔をした。
「何言ってんのよ」
顔に出すだけでなく、口にも出した。
「私たちだって、別々に過ごすことくらいあるわよ。三人セットってわけじゃないんだから」
言われてみれば当然のことなのだが、言われるまで気付いていなかったのも事実。
俺はずっと、こいつらはいつも一緒にいて同じものを見て同じように感じ、互いのことを全て知っていて理解しあっていて…と、無意識に思い込んでいたのだが。
それは、信頼と言うよりは……ちょっと行き過ぎた同一視、だな。
本来同じものであったはずの俺とエルリアーシェでさえ、結局は正反対の在り方を選んでしまったわけだし、いくら幼馴染でも、何もかも全てを把握しているなんてことは、ありえないか。
………もしかして、もしかしたら。
一瞬、下世話な予想が頭をよぎった。
ここに滞在している間、俺は可能な限りガーレイのためにお膳立てをしてやっていた。
食事や、お茶の時間だけでなく、廊下で会ったときとかも、極力ガーレイがベアトリクスに話しかけられるように水を向けたもんだ。
その甲斐あって、ガーレイが本懐を遂げたのか?
頭の中では、そうであれば一安心…という気持ちと、そうそう上手くいくだろうか、何しろガーレイの奴は見た目に反して奥手なところがあるからな…という気持ちがせめぎ合っている。
……ちょっと、探りに行ってみようかな。
これはあれだ、野次馬根性とか、そういうんじゃない。何しろ、最高評議会が終われば、俺たちは再び聖骸地巡礼を再開することになる。そうすると、ガーレイがベアトリクスと会える機会はそうそうなくなるだろう。
そうなる前に、友として、あいつには悔いのない道を選んでもらいたいだけだ!
あまりコソコソすると逆に勘づかれるので、俺はさりげなーく、ヒルダを起こさないように立ち上がった。
で、さりげなーく、パズルに夢中になっているアルセリアを邪魔しないように、部屋を出る。
この時間だと…ガーレイは何処にいるだろうか。
まだ就寝時間には早いし、あいつの性格からしてベアトリクスを部屋に連れ込むのはまだ時期尚早。となると、談話室とか。……まさか人目につかないところで逢瀬を…ってタマでもないしなー。
けれども、談話室には二人の姿はなかった。
流石に、他の人の視線があるところでは、二人きりにはなりにくいか。
だったら、やっぱりガーレイの部屋かな、と思ったのだけど。
「よぅ、リュート。どうしたよ?」
訊ねていった俺を出迎えたのは、ガーレイ一人。部屋の中に、他の誰かがいる気配はない。
思わず、拍子抜け。
「んー、いや、どうってわけでもないんだけど……お前、今一人?」
もしかしたら、今の今まで一緒にいた…とかいう展開だって、あるかもしれないしな。
「一人部屋なんだから、当たり前だろうが」
………こいつ……駄目だ。
ダメだろ、そんな、さも当然、みたいなこと言ってたら!
俺がせっかく色々尽力したってのに。なんで未だに行動に移してないんだよ!
肉食獣型だろ?根性見せろ!
という言葉は心の中だけに留めておいて。
「あ、そっか。…あのさ、明後日には俺たちここを発つと思うけど」
「ん?あ、ああ……そうだよな。明日で会議も終わりだもんな」
誤魔化すために俺が言った言葉に、ガーレイは夏休みがもう終わりに近いと気付いた子供のような表情になった。
「…お前さぁ、ベアトリクスとはどうなんだよ?」
そんなガーレイがもどかしくなって、俺はダイレクトに訊ねてしまった。
「へ?ど、どうって……?どうって、どういうことだよ!?」
案の定、真っ赤になってしどろもどろなガーレイ。
……この様子だと、進展はなさそうだ。
「どうもこうも、告る気あんの?」
このまま放置していたら、多分ガーレイは自分の気持ちを墓場まで持って行ってしまうことだろう。肉食のくせに。実は草食か。
ずばりと切り込まれて、ガーレイは固まった。
「こ………こここ……?」
ニワトリか。
「……って、なんでそういう話になるんだよ!?」
あれ?告白するつもりはないのか?
「だって、ベアトリクスのことが好きなんだろ?」
俺がなにくれとお膳立てするのもまんざらでもなかったみたいだし、てっきりこの機会に仲を進展させるつもりがあるとばかり思ってたんだけど…。
「……………………………………」
「…どうした?」
ガーレイが、固まったまま動かなくなってしまった。排熱が追い付かなくなったPCかよ。
「な…」
「な?」
「な…なんで知ってる!?」
……えー……………今さら?
まさかこいつ、自分のベアトリクスへの恋心が、俺に気付かれてないとでも思ってたわけ?
今の今まで、俺がお膳立てしてたのも何だと思ってるんだ?
まさか、最初に会った時の、女子三人組に対しこっちは男一人だから、仲間が欲しいって俺が言ったこと…そのまま鵜呑みにしてた?
「いや、知ってるつーか……見てりゃ誰だって分かるだろ」
俺だけじゃなくてアルセリアもヒルダも、多分グリードも、気付いてると思うよ。
さらに言うとベアトリクスも。
ガーレイを拒絶する様子もなかったし、悪い気はしてなかったんじゃないかって思ってるんだけど。
……こいつがこんなだから、相手にされてないだけだったり…するのか?
「まぁいいや。とにかく、あと一日しかないんだからな。根性見せろよ。健闘を祈る!」
俺は適当な励ましを残して、ガーレイの部屋を出た。
残念なことに、ベアトリクスはガーレイの所には行っていなかった。
あーあ。せっかく面白い光景が見れるかもと思ったのに。
いつも俺のことを玩具にしてるベアトリクスを、今度は俺が話のタネにしてやろうと思ったのに。
つまらないなー。
この調子じゃ、あと一日でガーレイが成果を出せるとは思えないし。
まあいいや。部屋に戻ろう。どうせベアトリクスは、グリードのとこで次の指示とか受けてるんじゃないかな。あれで一応は勇者一行の最年長で、まとめ役でもあるんだから。
それじゃ、そろそろ部屋に戻ろうか。
あまり遅くなると、アルセリアたちが煩いからな。
来た道を引き返そうとした俺だが、不意に誰かに裾を掴まれて、足を止めた。
……誰だ?
振り向いた俺の視線に映ったのは。
「リュートさま、お会いしたかったです」
…げげげげげ!姫巫女マナファリアが現れた!!
って、ちょい、これはマズくないか?
姫巫女が供も付けずに一人でってのもマズいが、男と二人きりで会っているという状況もマズい。
「お…お前、何やってんだよこんなところで!」
ここは一般礼拝者用の宿泊棟である。貴賓中の貴賓、姫巫女がいるような場所ではない。
もし見咎められでもしようものなら、いろいろと問責を受けること必至。
彼女ではなく、俺が…である。
マナファリアは、俺のその言葉に悲しげな表情を見せた。
「グリードさまから伺いました。明日、評議会が終われば、リュートさまは再び巡礼の旅へと向かうのでしょう?」
……いや、巡礼のメインは俺じゃなくて勇者一行なんだけど…俺はただの補佐役なんだけど…。
そんなこと彼女に言っても、無駄なんだろうな。
「あー、まあ、そうだけど。……それで?」
俺の返答が少し突き放したものだったせいか、彼女の表情はますます曇っていく。
「リュートさまに、姫巫女を続けよと命じられたため、私はロゼ・マリスを離れることが出来ません」
「あ、ああ。そりゃ、当然だな」
……いやー、確かに命じたのは俺だけど………なんか、俺のせいみたいに言うの、やめてくんないかなー。
「リュートさまがここを発たれれば、しばらくの間、お会いすることも出来なくなるのですね…?」
「……………ソウデスネー…」
いやいや、なんで、俺と彼女が会えないことが、まるで不条理な悲劇みたいに語られてるの?
もともと、全然接点なかったじゃん。
接点ないままでも、何も問題ないじゃん。接点ある方がおかしいじゃん。
しかし、この姫巫女にそんな常識を説いたところで全くの無意味・無駄だということは、この間の一件で嫌というほど身に染みている。
ここは、適当に相手をして穏便に帰らせるしか……
あ、マズい。誰か来る。
数人の話声が、近付いてきているのが分かった。間違いなく、こちらへ向かっている。
どうする?マナファリアと一緒にいるところを見られたら、俺の立場がいろいろと危うい!
「…リュート、さま?」
急にアタフタし始めた俺を、きょとんと見上げるマナファリア。多分、こいつには俺の危惧していることは全く理解出来ていないだろう。
「あー、えと、じゃ、俺はこの辺で」
だから説明することもなく、さっさとここを退散するのが上策だと思った俺だが。
マナファリアが、裾を離してくれない!
「……どこへ行かれるのですか?」
なんでそこでむくれてるんだよ!俺がどこに行こうとお前には関係ないだろうが。
「ど、どこでもいいから。人目につかないところだっつの」
……確かに、俺には焦りがあったのかもしれない。
けど、マナファリアに対して、この勘違い暴走超特急の規格外解釈力の持ち主に対して、こういう台詞は言わない方が良かったのだろう。
覆水盆に返らず。
一度口にしてしまった言葉もまた、なかったことには出来ない。
「人目につかないところですね。分かりました!」
最初に会った時と同一人物とは思えないくらいに溌剌とした笑顔で、マナファリアが頷いた。そして、俺の手を掴むと、もう一方の手で手近な部屋のドアノブを回した。
…って、そこ、他の人の部屋じゃないの?
いきなり入ったりしたら、それこそ大騒ぎ……
……あれ?
マナファリアに引っ張られて部屋の中へ入った俺だが、予想外の光景に言葉を失う。
そこは、部屋の中でなかった。
どこか別の…ルシア・デ・アルシェの中だとは思うが…廊下だった。
ん?廊下から部屋に続く扉をくぐったら……また廊下?
いや、違う。窓の外の景色が、視線の高さがさっきまでと違う。
ここは……上層階か。
と、いうことは。
「お前……まさか“転移”を…?」
転移術式なんて、高位天使くらいしか行使出来ないと思ってたんだが…
「いいえ、確かにこれは“転移”ですけど、私の力ではございません」
驚く俺に、マナファリアは
「このルシア・デ・アルシェには、緊急時の避難用に、常設型儀式転移法陣が設置されております。教皇聖下や枢機卿の方々、そして姫巫女たちは使用者として登録されているのですわ」
と、ひょっとしたらけっこう機密なんじゃないかと思われる事項を暴露してくれた。
なるほど。それは考えたな。神殿全体を巨大な魔法陣で覆ってやれば、廉族の乏しい魔力適性でも“転移”が可能になるということか。
それはいい案だ。いい案なのだが……
「で、ここは?」
「枢機卿の皆様方や、私たちの部屋がある階ですけど…」
「俺まで連れてきてどうすんだよ!?」
っていうか、場所的にさっきよりマズくないか?
「え…?でも、リュートさまは、人目に付かない場所への移動を命じられましたので…」
「そうじゃない!いや、そう…だけど、そうじゃなくて!」
あああ、もう。これだから、察しの悪い奴はイヤなんだよ。そのくせ何故か行動力だけはありやがる。
「私…何かお気に障ることを致しましたでしょうか……?」
今にも泣きだしそうなウルウルの瞳でマナファリアが俺を見上げてくるが、それにほだされるような愚は犯すまい。
「……分かった分かった。もういいから。じゃあな」
これ以上、こいつといるのは危険だ。俺は逃げる。
当然、彼女は逃がすまいとする。
「お待ちください、もう少しだけ…」
「いいか、マナファリア」
引き留めようとした彼女を遮る。
「お前が姫巫女である以上は、俺はいつでもお前に声を届けることが出来る。その繋がりに、距離なんてものはなんの意味も持たないことくらい、分かるな?」
それは単に、受託者である彼女が誤作動を起こした状態だからこその話であるのだが、別に嘘ではない。
「リュートさま……!」
……なんかまた頬が上気してる。
再び、暴走モードが始まったのだろうか。
「私とリュートさまの結びつきは、時空を超えると仰ってくださるのですね!」
…あ。曲解の上に、誇大解釈だ。
もう、否定も説明も説得もめんどくさいから、適当に話を合わせておくか。
「うんうん、そうそう。だから、離れてても何も心配することないからな。それじゃあな。達者でな」
これ以上付きまとわれる前に矢継ぎ早にそう告げると、俺は小走りでその場を離れた。
背中の方で、「ご武運をー」とか、「いつでもお待ちしておりますー」とか、聞こえた気がするが、聞かなかったことにする。
他者から好意を受けて、それが綺麗な女性だったりすればなおさら悪い気はしないのだが、勘違いで好かれてもあまり嬉しくない。
マナファリアには、責務とか運命とか神意とか思惑とか、そういうものとは無縁に、本当の意味で自分の眼で見て自分の頭で考えて、大切な相手を見つけてほしいと思う。
……出来れば、俺とは関係のないところで。
さて、ここが枢機卿や姫巫女の滞在する区画だということは、俺が立ち入っていい場所ではないということ。
見つかる前に、さっさと戻りたい。
…だが、階段を探してうろついていたところ、意外な場所で意外な人物を見付けたのだった。




