第百六話 ルクレティウス、途方に暮れる。
魔王軍最高幹部である六武王の一人、ルクレティウス=オルダートは現在、絶賛困惑中であった。
原因は、目の前にいる必死の形相の廉族たち。
こちらに対する敵意は上々。しかし、主の命により彼には手出しすることが出来ない、三人の侵入者。
しかも、
「く…まさか魔王がこれほどまでの力の持ち主だったとは…」
「いくら敵のボスだからって、滅茶苦茶じゃねーか!」
「諦めてはなりません!かの邪悪なる王を討ち滅ぼさねば、我々に未来などないのですから!!」
……どうも、自分が魔王であると、勘違いされているっぽい。
自分が魔王だなどと、畏れ多いにも程がある。
ギーヴレイほどではないが生真面目なところがあるルクレティウスは、即座に否定しようとした。
だが、すんでのところで思いとどまる。
自分が魔王ではないと侵入者に知られる→それならば魔王は何処にいるのか?→ここにはいない→魔王の不在がばれてしまう………という流れに思い至って。
……それは、少し困る。
そして彼は、否定も肯定も出来ず、彼の沈黙を肯定だと受け取った勇者たちに魔王だと思われたまま、そのまるで効かない攻撃を受け続けているのだ。
少し時を遡り。
ルクレティウスは、危機ではないが少々厄介なこの案件に辟易し、主が早く帰って来てくれないものかと、何の気なしに玉座の間へと足を向けていた。
そして主のいない玉座を見て溜息をつき、ここで待っていても仕方ないかと踵を返したときだった。
背中に衝撃を受け、足を止める。
振り返ると、見知らぬ三人の廉族。
状況から考えて、彼らが件の「勇者」たる侵入者であることは、明確だった。
ダメージはなかったが、驚愕は大きい。
魔界きっての名武将と謳われる自分に、一切の気配を悟られることなくその背後を取り、攻撃を仕掛けることが出来るとは。
彼は、攻撃されるまで、敵が自分と同じ空間にいることさえ気付いていなかったのだ。
だが、驚いたのは彼だけではなかったようで。
「そ……そんな……効いていない…………?」
「マジかよ…化け物か」
「私たちの、秘奥義が…………」
完全に不意を突いたはずなのに平然としている(内心の驚きは相当だが)ルクレティウスの姿を目の当たりにし、彼らは言葉を失っていた。
魔王から下賜された宝珠は、ギーヴレイが持って行ってしまっている。
ルクレティウスに、侵入者を追い返すための“門”を開くことは出来ない。
そして、ルクレティウスらは魔王から、「勇者一行への手出しを禁ずる」との命を受けている。
果たして、「手出し」とはどの程度のものを言うのか。
殺してはならない、という程度なのか。
怪我をさせてもいけない、という程度なのか。
反撃すら許されない、という程度なのか。
主の意図を正確に察することの出来るギーヴレイならば、分かっているのかもしれない。
だが、自分には判断が出来なかった。
迂闊に反撃すら出来ない。
脆弱な廉族のことだ。最悪、一撃で全滅してしまうかもしれない。
そうこうしているうちに、彼らは勝手に立ち直り、勝手に戦意を奮い立たせ、勝手に彼を魔王だと断定し、攻撃をエスカレートさせていった。
「ムジカ、フレデリカ、どうやら僕たちの考えは甘かったようです。魔王は、僕たちが思っていたよりも遥かに強大な敵……。けれども、僕はここで引き下がるわけにはいきません。……力を、貸してもらえますか?」
決意と覚悟をその眼差しに灯し、リーダー格と思しき男が二人の仲間に訊ねた。
それに対し、
「けっ、何を今さら。地獄の果てまで付き合ってやるよ」
「ふふっ。一蓮托生…というものですわね」
仲間たちも、とことん彼についていく所存のようだ。
「二人とも…………ありがとう」
多分、傍目には感動的な光景なのだろう。
だが、ルクレティウスからしたら勘弁してもらいたいところだ。
不意打ちでの最終奥義が通じなかったのだから、諦めて逃げればいいものを。
そうしてもらえれば、彼としても助かる。
彼らも命拾い出来るのだし、双方に利があるではないか。
しかし彼の方からそれを言い出すわけにもいかず、結果、侵入者たちは諦め悪くルクレティウスに攻撃を続けている、というわけである。
魔界一の武闘派と言われるルクレティウスは、その戦闘力に関しても随一である。
魔力であればギーヴレイに、純粋な一撃の攻撃力においては「氷剣のアスターシャ」にやや劣るが、総合的な強さ、実戦における強さは、おそらく六武王最強。
攻撃力だけでなく、防御力にも定評があり、彼の二つ名は、「不動のオルダート」。
同輩である六武王か、高位天使でもなければ、彼にダメージを与えることは不可能に近い。
相手が、全種族の中でも特に脆弱である廉族であれば、なおさらのこと。
彼を魔王だと勘違いしたままの「勇者一行」がどれだけ必死になっても、無駄な努力というもの。
彼の全身に張り巡らされる防御結界に、わずかな傷一つ付けられていない。
このまま一昼夜過ごしたとしても、事態は何も変わらないだろう。
そしてそれは、彼にとっても困ることである。
いくらダメージがないと言っても、ルクレティウスは三人組から敵と認識されていて、彼らは攻撃の手を休めようとしない。諦めて逃げようともしない。
さりとて、ルクレティウスとしても彼らを放置してこの場を去るわけにもいかない。
それでも、反撃は出来ない。
(さてはて………儂はいつまでこうしていればよいものやら…)
内心げんなりしながら、ルクレティウスの頼みの綱は、智将ギーヴレイの存在だった。
彼がここに来てくれさえすれば、全てはあっさりと解決する。
だが…何故未だに彼は姿を見せないのだろう。
ここまで侵入者たちが派手に魔力を使っているのだ。魔界一の魔導士である彼が気付かないはずがない。
彼の性格からすれば、即座に駆けつけてもおかしくないというのに。
……何か、あったのだろうか。
或いは、この侵入者たちには、自分たちの存在を隠す何らかの特殊能力が備わっている…とか。
ルクレティウスにさえ気配を悟られずに肉薄出来たのだから、その可能性は高い。
もしかしたら、この部屋にいる自分以外に、彼らの存在を知覚出来ている者はいないのかもしれない。
(と、すると…………さてはて、どうしたものか。いつまでもこうしているわけにはいかないしな)
諦め半分に、ルクレティウスは決心する。
一度だけ。一度だけ反撃しよう。
出来る限り手加減をして。
この連中とて、曲がりなりにも“神託の勇者”を名乗っているのだ。自分の最低出力の攻撃ならば、なんとか生き延びてくれる……だろう。
手出し厳禁、という主君の命には逆らうことになってしまう。主の意図がどこにあるのかは不明だが、負わせた怪我の度合いによっては叱責を受けることもあり得る。
だが、他にどうすればいいという?
有難いことに、魔王は話の分からない主ではない。この状況を知れば、彼の決断を認めてくれるはず。
意を決すると、ルクレティウスは魔法陣から己の得物を召喚する。
それは、大柄な彼の身長とほぼ同じサイズの、大剣。
一応は魔剣に分類されるが、それ自体が特殊効果を持つわけではない。
ただただ、頑丈なだけなのだ。彼の剛力で振り回しても、決して壊れることがない。
この相棒と共に、彼は二千年前の天地大戦においても、戦場を修羅の如く暴れまわったものだ。
武器を手にしたルクレティウスを見て、侵入者たちは警戒を強める。
反撃を予想して、エルフの魔導射手が防御用と思しき術式を展開した。
(なに、そんなに警戒せずとも、出来るだけ加減してやるから安心するといい)
内心で彼らに語りかけ、しかし同時に「やっぱり死んでしまったらどうしよう」との懸念も払拭しきれないままに、ルクレティウスは大剣を振りかぶった。
そして、その時だった。
「…待つのです、人の子の勇者よ」
涼やかな声と共に、女神…?が、その場に降り立った。




