第九話 彼女たちの戦い
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自分たちを惑わす魔王の甘言を鋭く拒絶し、勇者アルセリアは剣を構え直す。
気のせいか、誘いを断られた魔王は気を悪くするどころか、どことなく満足そうな表情を見せた………ように感じた。
「それでよい。それでこそ勇者よ。さあ、始めようか」
魔王のその言葉が合図となり、戦いの火蓋は切って落とされた。
「‘慈悲深き我らが母よ その御力により我らを守り給え 【聖守防壁】’!」
神官であるベアトリクスが、守護の法術を発動させる。淡い光が三人を包み込み、目に見えない盾となる。
その術が終わるかどうかのタイミングで、アルセリアは駆け出した。それと同時に、
「【爆炎雷渦】」
魔導士ヒルデガルダが、攻撃魔法を放った。爆炎系の最高位術式の一つは、アルセリアの刃に先んじて標的に到達する。
空気を震わせる轟音と振動。青白い焔と雷が、未だ玉座から動いてすらいない魔王を、包み込んだ。
ヒルデガルダの用いたこの術式は、本来半径十メートル程の範囲を焼き尽くすものだが、彼女はそれにアレンジを加えている。
付与された効果は、結界。標的を結界で囲み、攻撃をその中だけに凝縮することで、威力を格段に強めると同時に周囲の仲間への被害を防ぐことが出来るのだ。
防御する素振りすら見せなかった魔王だが、アルセリアは突撃を止めない。この一撃で滅ぼせる相手であるはずがなく、ヒルデガルダの魔法は目眩ましに過ぎない。
果たして焔が収まった後には、何事も無かったかのように悠然と座す魔王の姿が。
だが間髪を入れず、アルセリアの剣が魔王へと叩き込まれた。
しかし。
「………………なっ⁉」
アルセリアの渾身の一撃は、完全に止められていた。魔王は指一本動かしてはいない。それならば、彼女の刃を受け止めているのは何なのか。
それは、影。正しくは、魔王の足元から伸びる、漆黒の刃。さらにいくつもの刃が新たに生まれ、アルセリアへと襲いかかる。
「……くっ…!」
間一髪で身を翻しそれらをかわすと、アルセリアは大きく後ろへ翔んで距離を取り片膝を付く。
「アルシー!」
ベアトリクスが彼女に駆け寄り、その左肩に手をかざした。
「…ごめん、ビビ。ドジった」
かわせたと思ったが、一瞬遅かったようだ。深手ではないが、肩口が切り裂かれて赤く染まっている。
「‘慈母よ、我らが神よ 傷つきし迷い子を癒し給え 【癒しの光】’」
ベアトリクスの手から柔らかな光が生まれ、アルセリアの傷を覆う。出血の勢いが弱まり、痛みも薄れていった。
「ありがと、助かった」
いくら深手ではなくても、出血や痛みは無視できない。それが積み重なれば、いずれは致命的になると分かっている。そしてだからこそ。
「気を付けて下さい。癒しの法術で出来るのは、あくまで痛みを和らげたり出血を一時的に止めるだけです。まして傷が深いとどうしようもなくなります」
伝承によると、天使族が使う癒しの秘術は、いかなる傷も一瞬で完治させるという。或いは創世神のもたらした霊薬も。
だが、それらは地上からは失われた技術であり、現在、即座に怪我を治癒させる方法は存在しない。
「うん、分かってる………けど、無茶しないでどうこう出来る相手じゃないしね」
無茶をしたところでどうにか出来るとも思えないが、仲間を心配させまいとアルセリアはわざとおどけた口調で言う。
「に、しても…ビビの【聖守防壁】をものともしないって、嫌になっちゃうよね………」
「アルシー…………」
「つか、こんだけダベってても向こうからは仕掛けてこないって余裕っぷりがムカつくんだけど」
「アルシー…………」
「こっちの態勢が整うまで待ってて下さってるってわけ?舐められたもんだわ」
「アルシー…………勇者が「ムカつく」なんて言葉を使ってはいけませんよ」
「それ今気にすること⁉」
思わずベアトリクスに突っ込んだアルセリアは、そこで自分がいつになく硬くなっていたことに気付いた。
普段通りの遣り取りのおかげだろう。ベアトリクスと顔を見合わせると、互いに励まし合うように頷く。
「そだね。私勇者だもんね。カッコ悪い姿を晒すわけにはいかないってね」
不敵に笑うと、立ち上がり再び構えるアルセリア。
「それじゃ、ま、行きますか」
自分を奮い立たせるように気合いを入れると、地面を蹴った。
それから、どれほどの時間が経過しただろうか。
幾度となく繰り返される剣戟。アルセリアの剣は一度も魔王に届いていない。しかし彼女もまた、魔王の刃をかわし続けている。
常人の眼では捉えられない速度で攻撃を繰り出し、その隙を縫うように襲い来る刃を最小限の動きでかわし、再び攻撃。
アルセリアの攻撃の合間には、ヒルデガルダが高位魔法を叩き込む。
【超重崩戟】、【風舞迅雷】、【氷皇天剣】…………。
本来ならば長大な詠唱ないし大規模な儀式が必要なレベルの最高位術式を、ヒルデガルダは無詠唱で連発していく。
そしてベアトリクスは…………………
「【聖浄滅邪】!!」
長い祈りの詠唱を終え、ベアトリクスが放ったのは破邪の光。闇属性の魔導を全て無効化する、聖教会でも一握りの高位神官にしか使えない、光の最高位術式。
「もらったぁ‼」
ベアトリクスの聖浄滅邪によって魔王の影の刃を消滅させ、その隙にアルセリアが
「【天戟】!!!」
神授の奥義で、魔王を貫く。
………………はず、だった。
「…………………………え………?」
腹部を貫く漆黒の刃を見下ろして、茫然と呟いたのは、必殺の一撃を振るったはずのアルセリアだった。
「アルシー‼」
「……………………!?」
ベアトリクスとヒルデガルダも、我が目を疑う。ベアトリクスの【聖浄滅邪】は確かに発動していた。
「どうして………浄化が効かない………?」
血を吐き、崩れ落ちそうになるアルセリアの髪を鷲掴みにし、魔王はベアトリクスの呟きに答えた。
「なるほど、我の“影”を魔導と勘違いしたか。まあ……………超上の存在に触れたことのない廉族であれば、致し方のないこと…だろうな」
そのまま無造作に、アルセリアの体を放り投げる。
「だが、残念だったな。これは魔導ではない。文字通り、ただの我の影に過ぎぬ。貴様ら生物がどうかは知らぬが、我の影は則ち我を成す我の一部。それを否定したくば、我そのものを否定するだけの存在値が必要となる」
そして続けられる、さらに残酷な事実。
「付け加えるならば、これは我にとって攻撃でも何でもない。…そうだな………自動迎撃機構………と言って分かるか?我の意志に関係なく、我が身を害そうとするものに反応する。この分では、仮に我が眠りに落ちていたとしても、貴様らは我に傷一つ付けることも出来そうにないな」
放り投げられたアルセリアは部屋の反対側の壁にぶつかり、そのまま倒れ込んだ。
ベアトリクスは急いで駆け寄ると、あらんかぎりの法力を振り絞り、癒しの光を発動させる。
傷は、脇腹だった。運が良ければ、内臓には損傷がないかもしれない。壁に激突した際の衝撃は【聖守防壁】で相殺されているはずだから、出血さえ止めれば何とかなるだろう。
ここが、魔王の面前でさえなければ。
アルセリアは、まともに戦えそうにない。とは言え、攻撃手段の限られているベアトリクスに打てる手はほぼない。ヒルデガルダの攻撃魔法すら、まるで相手に痛痒を与えていないのだ。
まして自分たちの身体能力では、あの“影”をかわすことは出来ない。あれはアルセリアの常人離れした反応速度があってこその離れ業だ。
それに……。ベアトリクスは思考を巡らせる。魔王は自分の影を、自分の一部だと言った。それを否定するには魔王と同格の力が必要だと。
と言うことは、無効化のみならず防御も同じことではないか。
アルセリアはたまたま、或いは本能的に察したのかもしれないが、影の攻撃を全てかわしていた。もしかわさずに剣で受け止めようとしていたら、きっと剣ごと指し貫かれるだけだったろう。
打つ手無し……か。
アルセリアを抱き抱え、ベアトリクスは絶望に似た感情を抱く。不思議なことに、悲壮感や恐怖はそれほどない。否、現実味がないだけか。頑張ればどうにかなる、というレベルではないどうしようもない差の前に、ただ感じるのは己の非力。
楽に勝てる相手ではない、とは分かっていた。確実に勝てるとは限らない、とも。
だが自分たちは神託に選ばれた使徒であり、魔王を討ち滅ぼすことが出来る者は他にいない、と物心付いた頃から聞かされていた。
アルセリア、ヒルデガルダと共に教会で育ち、先達から苛烈なまでの修練を課され、魔王を滅ぼすためだけに全てを捧げて今日まで生きてきたのだ。
若くして、常人には遥かに及ばない高みに至った。聖騎士としてのアルセリア、神官としての自分、魔導士としてのヒルデガルダ。それぞれが、人間の到達しうる頂に立ったはずなのだ。
それなのに、まるで歯が立たない。苦戦しているだとか、強敵だとか、そんな次元の話ではない。
魔王からすれば、自分たちなど、自分たちが潜り抜けてきた死線など、一顧だにする必要も価値もないものなのだろう。
現に今も、魔王は愉快そうに笑みを浮かべるばかりで、向こうから仕掛けてくる様子はまるでない。
浅はかだったのだ、人の身で神格を頂く存在に刃向かうなど。
使命感ばかりが先走りがちなアルセリアとは違い、ベアトリクスには今回の“派兵”の裏事情もある程度分かっていたことだった。
一言で言ってしまえば、利権問題。
宗教面で地上界を支配する聖教会と、各国の力関係や面子、同盟内での発言力、等。
純粋に「邪悪を斃したい」という望みだけではない。
分かっていてなお、ベアトリクスは今回の魔王討伐の命に異を唱えはしなかった。いずれは成さなければならないことだったし、それを成すことが出来るのは自分たちだけであるという自負もあったから。
魔王のデタラメな存在値を知る前であれば、勝てるという希望も、否、勝ってみせるという決意も持っていたのだ。
知ってしまった今となっては、やはり浅はかだったのだ、という結論しか出てこない。
自分たちはここで死ぬ。どうしようもなく逃げようもない、確定した事実だ。その後はどうなるのだろう?神託の勇者が死んだ後は?
魔王復活の兆しを受けて下された神託。勇者が死んだからはい次、とばかりに新たな勇者がそう都合よく現れるのか?
現れたとしても、自分たちと同じ末路を辿るのでは?
………或いは、新たな勇者の誕生を待つことなく、世界は闇に覆い尽くされるのか。
ああ、これでおしまいだ。自分たちに出来ることは、もう何もない…………。
ベアトリクスは確かにそう確信した、のだが。
「…………………ちょ…っと、ビビ。何呆けて…んの………?」
振り絞られた、声。
「……アルシー!」
アルセリアが、ベアトリクスの腕の中で起き上がろうとしていた。
「いっくら魔王サマが呑気にご見物あそばしてるからって、気ィ抜きすぎだ…よ?」
「アルシー……駄目です…私たちでは、魔王に勝つことは出来ません………」
「……ん、まあ……こんだけ見せつけられたら…………そーだよねぇ………けどさ」
アルセリアの声は弱々しいが、それでも強い。
「私たち…………………まだ生きてるよ?」
「………………………え?」
「……生きてればさ、生きてる限りはさ、可能性はゼロじゃないって言うじゃんか」
それは、使命感ばかりが先走りがちな、勇者の持論。言葉上の、綺麗事とも言える理屈。
アルセリアも勿論分かっている。分かっていてなお言うのだ。
「………このまま戦えば99%負ける。諦めれば100%死ぬ。…………………この1%って、スッゲー大きいと思わない?」
有りか無しかで言えば、有りの方がいいに決まってる。ゼロかイチかで言えば、イチの方が。
それは乱暴な、数の極論。
そしてそれが、勇者アルセリア。
「……………………アルシー………」
「むつかしーことは、この際どうでもいいよ。………出来るうちに、出来ることをやっておきたい」
傷付いた身体で、立ち上がる。
「……………駄目かどうかは、終わってから考えよ?」
そして見せた場違いの笑顔は、ベアトリクスが知る限りで最高のものだった。
「……………………アルシー………」
「……お付き合い、いただけますかな?」
「……………………アルシー………勇者が「スッゲー」なんて使ってはいけませんよ」
「…………………ってまたそれかい⁉」
アルセリアにつられるように、ベアトリクスも立ち上がった。
「ヒルダ、まだいける?」
「…………………ん」
無口な魔導士は、アルセリアの問いに無言で肯首する。かなり魔力を消費したはずだが、出し惜しみをする気はまるで無さそうだ。
「………………ごめんなさいねー魔王サマ。お待たせしちゃったかしら?」
ふてぶてしく尋ねるアルセリアに、魔王は満足げな笑みを浮かべる。
「構わんよ。我にとってこの程度の時間は無きに等しい」
「………それはそれは、寛大なお言葉に恐れ入りたてまつっちゃうわ。………それじゃ、まあ」
決意の光をその眼に甦らせて。
「第2ラウンドといきましょうか」
勇者は高らかに宣言した。
文中で、魔力、法力、霊素、神力、といったものは全部「マナ」と呼んでます。根本は同じものです。使い手によって呼び名が分けられているだけです。その区別はけっこう適当。そんな世界です。詳しい設定も書きたいのですが、説明くさくなるのでなかなか難しい・・・。




