第百三話 行き過ぎた忠誠心はときに判断を狂わせる。
魔王の留守を守る。
それは、魔王に仕える臣下たちにとって命より優先されるべき使命。
ギーヴレイ=メルディオスは、その日も主に代わって膨大な量の執務をこなしていた。
王が、こういった雑事を好まないことを彼は知っている。ならば、その帰還の際に煩わせることがあってはいけない。
どうしても、魔王の決済がなければ処理出来ないような案件を除き、彼は全ての書類を片付けることに精を出していた。
そんな折もたらされた、勇者の再侵攻。
“門”反応があったという報告を受け、ギーヴレイは直ちに詳細を調べるべく、調査隊を派遣した。
が、驚いたことに、しばらくは追跡出来ていた勇者一行が、ある時を境にまったく捕捉出来なくなったのだ。煙となって消えたかのように。
「…これは、どういうことであろうな」
ルクレティウスが口にした疑問は、他の武王たちにも共通している。
「そのまま、地上界へと帰っているのであれば問題はないのだが…」
「確かにそれが理想だが、そう考えるのは危険だ」
ギーヴレイは、楽天家ではない。
わざわざ“門”を使って魔界へやって来ておきながら、何もせずに再び地上界に戻るなど、何の意味もない行動だ。
「けど、前回と違って別の目的があったかもしれないよね?」
六武王最年少の、ディアルディオ=レヴァインは呑気そうだ。彼は元来、あまり深刻になることがない。
「別の目的…か。それもなくはない…が」
ギーヴレイも、その可能性を捨てきれてはいない。
勇者の使命が、畏れ多くも「魔王討伐」である以上、魔界に勇者が来るのはそのためであるというのが一般的な認識だが、力に劣る廉族であれば、正攻法ではなく何らかの企みを持っているということも考えられる。
直接魔王を討伐するのではなく、別の目的で魔界に入り、そしてその目的を達成したために帰還した……のであれば、さらに調査を進める必要がある。
それがどれだけ些細なことであろうと、主を煩わせるような要因は排除しなくてはならない。
「しかし問題は、彼奴らを見付けたからといって手出しが出来んということだな」
ルクレティウスの懸念も尤もだ。
「えー…いいじゃん、別に。陛下今いないんだしさ。さくっと殺っちゃえば分かんないっしょ」
「不敬だぞ、ディアルディオ!陛下の命は絶対だ。侵入者への手出しを禁じられている以上、それに従う以外の道など我らにはない」
不穏なことを言うディアルディオを叱りつけるギーヴレイ。この年若い同輩は、魔王を崇敬してはいるがどうも忠誠が足りないと思うところがある。
「えー…だったらどうすんのさ。勇者たちが魔界で好き勝手したら、それはそれで怒られちゃうよ?」
しかしディアルディオの言い分も分かる。
手出しを禁じられているからといって、敵である勇者の行動を黙認して許されるはずもない。
ならば。
「…彼奴らを見つけ次第、地上界へ送り返すしかあるまい」
それは、手出しも黙認も許されないギーヴレイにとって、唯一の手段。
しかし、
「どうやって?僕たち“門”なんて開けないじゃん」
魔族に、開門の技術はない。廉族たちの真似をすれば可能だろうが、それには長期間の大規模儀式が必要になる。
「…陛下より賜った宝珠を使う」
ギーヴレイの答えは簡潔だった。
主の力の一端である宝珠を使えば、簡易的な“門”であればギーヴレイにも開くことが可能だろう。
だが。
「えー、いいの?それ、緊急連絡用なんじゃないの?」
ディアルディオに問われるまでもなく、ギーヴレイもそれが気にかかっている。
「どうせならさ、それ使って陛下を呼び戻せばいいじゃん」
だからディアルディオがそう言い出すのも分からなくもないのだが。
「……ディアルディオ。我らは魔王陛下の臣下だ。常にその意を汲み、あのお方の命に忠実に従わなくてはならない」
「……だから?呼び戻しちゃ駄目なの?」
「臣下である我々が、軽々しく主君を呼び戻すなど、不敬の極みだろうが!」
ギーヴレイの叱責に、ディアルディオも「あ、やべ」という表情になった。
「前回は、マウレ一族の反逆の可能性という大事があった。対応を誤れば、一刻も早く陛下にお伝えせねば、魔界に大きな損害を与えるやもしれない状況だからこそ、臣下が主を呼び戻すなどという無礼をお許しいただいたのだぞ」
本来であれば、主の手を煩わせることなどしたくない。それがギーヴレイの本音だ。
崇拝する主君には、常に心安くあってほしい。そのためならば、考えられうる障害は事前に全て排除する。本音であり、モットーである。
だが、西方諸国連合の盟主であるマウレ一族の反乱ともなれば、一臣下でしかない自分の裁量権を超えている。無断で処理することなど、彼には出来なかった。
しかし…
「考えてみろ。たかだか卑小な廉族の一行が魔界に入り込んだ程度のことで、魔界に、魔王陛下の統治にどれほどの損害を与えられると思う?」
彼は、勇者の力を侮っているわけではない。勿論、取るに足らない存在だとは思っているが、自分たちを過信して敵の実力を過小評価するような浅慮の持ち主ではない。
ただ、「臣下である自分たちが主君を呼び戻す」という行為に見合うだけの危機だとは、どうしても思えなかったのだ。
「確かに……連中に出来ることなど、たかが知れておるだろうな」
ルクレティウスも同感のようだ。
「害虫が二、三匹入り込んだくらいで主君を呼び戻すというのは、流石に不敬だわい」
それが、彼らのような高位魔族にとっての、人間に対する評価である。
「じゃあ、これしきのことで陛下を呼び戻すのは畏れ多いから、指示されてた用途外で宝珠を使ったほうがマシってこと?」
ディアルディオは彼らほど行き過ぎた忠誠心の持ち主ではないため、どちらも似たようなものだと考えている。
「…そうだ。どのみち不敬であるならば、陛下のお手を煩わせることは避けたい。…全ての責は私が負う」
しかしギーヴレイの決心は固かった。
なお、簡易的な“門”を開く程度ならば、宝珠を破壊する必要はない。
緊急時に主へ連絡をする唯一の手段が失われるのであれば、ギーヴレイは違う方法を選んだだろう。
だが、その心配がないのならば、自分の身一つで済むだけのこと。
「お主は深刻に考えすぎではないかの?陛下はそのようなことでお怒りになるような方ではない」
特に最近の主は随分と丸くなったと感じているルクレティウスは、ディアルディオほど気楽ではないが、ギーヴレイほど深刻でもない。
「陛下の寛大なお心は、私とて充分に承知している。だが、だからと言って我らがそれに甘えるわけにはいかんのだ」
ギーヴレイも、実際よく分かっている。今も昔も、魔王の一番近くで仕えてきたのは彼自身なのだ。その変化も、主が自分たち臣下に向けてくれる温かさも、誰よりも強く感じている。
だからこそ、それを当然のものだと己惚れることはしたくない。
ギーヴレイは、そういう男だった。
「だが、一番気を付けなければならないのは、勇者共に陛下のご不在を知られることだ。これだけは、隠し通さなければならない」
「…確かに。陛下のご威信にも関わることだからな」
「そりゃそーだね」
その点については、三人の見解は一致していた。
本来ならば魔界にあってその全てを統治しているはずの魔王が、魔界を留守にしている現状。下手をすると、魔王の影響力に疑いを持たれるかもしれない。
実際には決してそんなことはないのだが、廉族たちが自分たちに都合のいい勘違いをする可能性は大きい。
魔界には、魔王はいない。かの王の統治はすでに失われた………などと。
「まずは、調査隊を全土に派遣する。出来ればその目的を確認したいところだが…難しいようなら、奴らの放逐を最優先とする」
「了解した。…武王軍はどうする?いつでも動かすことは出来るが」
魔界きっての武闘派であるルクレティウスの直属軍は、その展開の速さにかけても魔界随一である。
「そうだな…ひとまずは待機で頼む。不用意に軍を動かすことは避けたいが…不測の事態が起こったときのために、いつでも動けるようにだけはしておいてくれ」
さらに、ルクレティウスが軽率な振舞いをしないことも分かっているため、ギーヴレイとしても気楽に多くを任せることが出来る。
「……僕は?なんかやることある?」
以心伝心で頷き合う二人をつまらなさそうに眺めながら、ディアルディオが気だるげに手を上げた。
だが、
「…いや、それには及ばん。今回の件くらいならば、私とルクレティウスで充分に対応出来る。他の武王たちには通常通りの働きを頼む」
「おーけー。分かった」
体よくディアルディオを蚊帳の外にして、ギーヴレイとルクレティウスは内心で安堵する。
彼は、能力的にも性質的にも、今回のような案件には最も不適だったりするのだ。
方針は決まった。
後は、何としてでも「勇者」たちを見つけ出すだけのこと。
ギーヴレイは、有能な調査隊を信じ、報告を待つことにした。
だが、調査隊からの報告は、なかなか上がってこなかった。
おそらく、勇者一行の中に、完全な隠形を使う者がいるのだろう。ただでさえ魔力反応の薄い廉族に、天恵クラスの能力を使われては、その捕捉は困難を極める。
そして……一報がもたらされたのは、二日後。
なんと、今まさに勇者一行が魔王城へと侵入した、という驚愕の事実であった。
ギーヴレイは、焦りを隠し切れなかった。
いくらなんでも、自分たちの目と鼻の先に来るまでその動きを捕捉出来なかったとは。
不甲斐なさに歯軋りしながらも、彼は行動を開始しなくてはならなかった。
勇者たちを魔界から放逐すべく、宝珠を握りしめて彼らのもとへ急ぐ。後手後手に回ってはしまったものの、これでようやく問題を解決することが出来る。
勇者たちは、魔王がここにはいないとは想像もせず、玉座の間へと向かうのだろう。だがその前に、自分が連中を“門”の向こうへ放り込んでしまえばいい、と。
その決断が、彼にとって最悪の結果をもたらす一因になるのだとは、知る由もなく。
六武王はみんな魔王大好きっ子ですが、それぞれに温度差があったりします。




