第百話 一度こじれた関係を修復するのは困難極まりない。
俺たち……勇者一行と俺、そしてヴィンセントの五人……は、出来るだけ人目に付かないようにこっそりと、ルシア・デ・アルシェに帰ってきた。
……何故、「人目に付かないように」なのかと言うと、俺の状態がどこからどう見ても死にかけにしか見えないということと、ヒルダにボコボコにされたヴィンセントの顔が見事に腫れ上がってしまっているから、である。
で、とりあえずは俺たちの部屋へ。
体中血と泥にまみれてるので、俺はまず最初に風呂に入ってきた。体表面の傷はほとんど塞がっているので、軽く身体を洗うくらいなら問題ない。
で、風呂から上がって服も着替えて、四人の待っているリビングに戻ってきたのだが。
「先ほどは有耶無耶になってしまったが……リュート…貴様は、一体……?」
めちゃくちゃ不審そうな表情で、ヴィンセントが俺を凝視していた。
そりゃそうだよねー。さっきまで確かに死にかけだったのに。一刻を争う状態だったのに。
自分の足で歩いて帰ってきて、怪我の治療もせずに「俺ちょっと風呂入ってくるわ」とか、普通ありえないよね。
まあ、せっかくさっきは有耶無耶になったんだから、今も有耶無耶で済ましてしまおう。
「んー、まあ…俺にも色々あるってことで。気にすんな」
「無茶を言うな!気にするなと言われて了承出来るはずないだろう!大体、あの雷系術式は…」
ヴィンセントは、大人しく誤魔化されてくれなさそうだ。だが、
「……うるさい」
ヒルダに睨まれて、思わず口をつぐむ。
…うーん。
この兄妹の関係って、どうも俺が思ってたのと違うっぽい……?
でも、ヒルダは「兄が自分を嫌うから、自分も兄が嫌いだ」と言ってたよな…。てことは、少なくとも最初にヴィンセントがヒルダを拒絶したってことになる。
もうこの際だから、首をつっこんでしまおうかな。
「なぁ、ヴィンセント。お前とヒルダの間に、何があったんだよ?」
だが勿論、ヴィンセントがすぐに白状するわけがない。
「…別に、何もない」
にべもなくそう言われてしまった。
「何もなくないだろ。お前らん家にも色々あったみたいだけど、何もないのに血を分けた妹を嫌うとか、ありえないって」
後ろの方で、それはアンタ基準でしょこのシスコン、とか言う勇者の呟きが聞こえてきたが、俺は敢えてそれを無視する。
「それとも何か?栄誉ある七翼の騎士筆頭ってのは、ちょっと魔力で負けてるからって、劣等感から年の離れた妹を毛嫌いするような、そんな狭量な奴なのか」
普段から自意識だ誇りだと自分を守るのに必死なのだから、もう少し格好つけて余裕を見せてもよさそうなものなのに。
「黙れ!貴様に何が分かる!そいつのせいで…いや、そいつの母親のせいで、我がラムゼン家がどれほどの苦汁を舐めたと思っている!?」
おおお?なんか決定的な出来事でもあったのか?
でも、ヒルダの母親のせいって……それ、ヒルダのせいじゃないよな。
「……母が亡くなってから、父が後妻に迎えたのが、それの母親であるエルフだった」
俺に声を荒上げたのも束の間、一転消沈したように肩を落とし、ぼそぼそと呟くように語り始めたヴィンセント。
……って、あれ?俺はてっきり……
「何、ヒルダのかーちゃんは後妻さんなの?てっきり二号さんだとばかり……」
「我が父を愚弄するか!そのような節操のない振舞いをするはずがないだろう!!」
……怒られた。
いや、だって、イライザから聞いた話だと、そりゃ明言はしてなかったけど…まるで、強い魔力を一族に組み込むために無理矢理攫ってきた…みたいな……
あれ、愛人とは一言も言ってなかった……か?
「ええと…でも、魔力目当て…だったんだろ?」
後妻だろうが妾だろうが、無理矢理攫って自分の伴侶にしたんだから、それで不都合を被っても自業自得というものじゃないか。
だが、ヴィンセントは首を横に振る。
「…確かに、屋敷に連れてきた当初は、合意の下ではなかったと聞いている。……だが、気が付けば二人は、見ているこちらが馬鹿馬鹿しくなるくらいに睦まじくなっていた」
え?嫌がるエルフを無理矢理手籠めに…的な展開じゃないの?
「挙句の果てに、父は家を捨て、エルフの里へと駆け落ちをする始末!!」
ヴィンセントはそう叫ぶと、頭を抱えた。
「二人の愛の逃避行に子供は邪魔だ…などと無責任極まりない考えで、当時七歳の私に当主の座を押し付け、生まれたばかりのそれを置いて出て行った。……分かるか?突如として家の再興を押し付けられた私の気持ちが」
……それは…ご愁傷様と言うか、なんと言うか……。
「領地経営だの貴族社会の付き合いだの、何も分からないまま私は手探りでやっていくしかなかった。……それなのに、唯一人残された妹は、まるで人形のように何も話さない何も感じない、一体何を考えているやら全く分からないときた。どうして心を通じ合わせることが出来ようか!」
ヴィンセントの心情は、まあ一応察することが出来た。
…にしても、聞いていた話となんだか違うような……?
「って、お前の親父さんは、死んだんじゃなかったの?」
「残念なことに、死んだという知らせはまだ受け取ってはいない。どうせ今頃、エルフの里で妻とよろしくやっているのだろうよ」
んんんー?イライザからの話だと、両親の死後、ヒルダを聖教会に引き渡したんじゃ……
どこかで、情報が錯綜してるのか。
「で、お前は教会に恩を売るために、桁外れの魔力を持つヒルダを引き渡したんだろ?」
「………恩を売る…?」
あれ?それも違う?なんか、適当なこと言ってるんじゃねーよみたいな目で睨まれてしまったぞ。
「どちらかと言えば、厄介払いだ。それと共に暮らしていたら、命が幾つあっても足りなかっただろう」
ヴィンセントの(ある意味)衝撃発言に、俺は茫然としてしまった。
思わず、ヒルダとヴィンセントを見比べる。
「ヒルダ……お前、こいつに何をしたんだ…?」
恐る恐る訊ねてみると、ヒルダはふいっと眼を逸らした。
……やってる!
なんか、とんでもないことやってる!!
「とにかく!私はそんな奴を妹とは認めないし、気安く接するつもりもない!」
荒々しく言い捨てるヴィンセントと、
「…………うるさい。どっか行け、馬鹿」
虫けらを見るかのような眼でヴィンセントを睨み付けるヒルダ。
睨まれたヴィンセントは、気まずそうに視線を逸らす。間違いなく、ヒルダに対して怯えている。
……これは……今までヴィンセントが一方的にヒルダのことを嫌って酷いことをしていたとばかり思ってて、したがって俺は完全にヒルダの味方だったのだが…
いや、敵か味方か、という話であれば、どちらに非があるかに関わらずヒルダの味方をするのだけども、
……ヴィンセントが一方的に悪い…と断言することは難しい…ような。
ヴィンセントが思ったより悪い奴じゃなさそうだ、と分かった以上は、出来れば二人の仲を取り持ってやりたいと思ったのだが……出来るのか、俺?
まあ、とりあえず頑張ってみよう。諦めるのは、やるだけやってからだ。
「…あのな、ヴィンセント。お前がヒルダのこと嫌ってるのって、意思疎通が上手く出来なかったからなんじゃないか?」
ヒルダはとにかく無口で無表情。アルセリアとベアトリクスのように支え合い寄り添って共に過ごしてきた仲間でなければ、或いは俺のようにシスコンを極めたシスコンマスター(クラスLvカンスト)でもなければ、そこから何を考えているのかを読み取ることは難しいだろう。
さらに、無責任両親がヒルダを置いて駆け落ちしたのが、ヴィンセントが七歳の時。ただでさえ親に置いて行かれて不安になっている七歳児に、腹違いの妹を無条件で受け容れろというのも、酷な話。
こいつらは、単にスタートダッシュで躓いてしまっただけなんじゃないか?
「…意思疎通など、それは最初からするつもりがなかった。最初から、私を敵と見なして拒絶していたからな」
ヴィンセントに好き勝手言われていても、ヒルダは表情一つ変えない。
さらに言うと、今は確かに、ヴィンセントに対して、或いは彼の言葉に対して、何の興味も持ってはいない。
だが、それはヒルダに感情がないからというわけではなく、彼女にとってヴィンセントが「どうでもいい人間」でしかないだけの話で。
確かに分かりにくいかもしれないけど、ヒルダにだってちゃんと人並みの感情はあるのだ。
そして、彼女は決して、理由なく他人を嫌ったり傷付けたりする人間じゃない。
……まあ、若干人見知りで警戒心が強いところはあるけど…
そう思ったのは俺だけではないようで、
「待ってください、ヴィンセント。ヒルダが最初から貴方を嫌っていたとは思えません。打ち解けるには時間がかかったかもしれませんが、貴方はちゃんとヒルダを理解しようとしたのですか?」
ベアトリクスが参戦。
アルセリアも、横で頷いている。
ただ、その頃はヴィンセントも洟垂れ小僧だったわけで、ある程度仕方なかったところもあると思う。
ヴィンセントも、そのあたりは自覚がなくもないのだろう。少し気まずげに、
「理解も何も……何を言っても無反応でいられたら、どう理解しろと言う?」
それでも自分の主張はしっかりとする。
「まーまーまー。これはあれだな、些細なすれ違いが大きな溝になっちまったっていうヤツな。ヴィンセントからしたら、ヒルダは感情のない人形みたいに思えたんだろうけど」
……出来損ないの半端者ってのは、多分そういう意味だったんだろう。
「実際には、ヒルダは少し表情に乏しいだけで、感情はすごく豊かだよ。甘えん坊なところもあるし」
…と、これはヴィンセントに向けていった言葉で、
「ヒルダもさ、もう少しちゃんと話してれば、ヴィンセントとだって仲良くなれたかもしれないだろ?家族だって、言葉にしなきゃ分からないこともあるんだから」
ヒルダにも、そう言って聞かせる。
どちらが悪いとかそういうことじゃなくて、互いに理解し合おうという気持ちが足りなかっただけなんだ、多分。
要するに、自分に懐いてくれない妹にヴィンセントが嫌悪感を抱き、それを察したヒルダが余計に心を閉ざす…という悪循環だったわけだ。
それなら、今からでも歩み寄ることは出来るんじゃないだろうか。
「まずはさ、いっぺん腹を割って話してみるってのはどうだ?お互いに言いたいことをぶつけ合ってさ」
公平かつ順当な俺の解決案だったが、
「……それは…無理だ」
ヴィンセントに、いきなり否定されてしまった。
「え?なんでだよ?」
話し合ってみないと分からないだろう。
「命がいくらあっても足りない、と言っただろう!階段の手すりに細工されたり、厩舎にいるときにいきなり爆竹を投げつけられたり、風呂の湯を煮えたぎる熱湯に変えられていたり、私がどれだけの危険と隣り合わせでこいつと暮らしていたと思っている!?」
………えええー……………………
ちょっと…マジですか。
何、ヒルダ、そんな陰険かつ悪質な工作をしてたわけ?実の兄に対して?
しかも、得意の魔導を使ってではなく、地味な方法ってのがまた…逆に怖い。
ヒルダの方を窺うと、涼しい顔をしてそっぽを向いていた。
多分、悪いことをしたとか微塵も思っていない。
「…ヒルダ……本当に?」
俺の中のヒルダのイメージからすると、そういう嫌がらせ(?)をするとは思えない。が、ヒルダの様子からすると、ヴィンセントが嘘を言っているわけではなさそうだ。
だが。
「……ボクも、反省してる」
おおお!?自分の非を認めるのか?
そうだよな。いくら嫌われているからと言って、相手の命を危険に晒すような度を越した悪戯は、良くないことだよな。自分が間違ったところはきちんと反省出来る。それでこそ俺の妹だ!
「……今度は、失敗しない。………確実に、殺る」
違ったーーーーーー!殺る気満々だ!!
記念すべき(?)百話目だというのに、結局兄弟喧嘩で終わってしまいました。しかも解決してないし。ヒルダとヴィンセントのゴタゴタは、まだ尾を引きそうです。




