第九十九話 ツンとデレの黄金比率は、どのくらいなのだろう。
……これは、どういうことなんだろうなー…。
傍目には死にかけの状態で横になりながら、俺はそんなことをつらつらと考えていた。
書き換えられていた地図。
てっきり、ヴィンセントの嫌がらせだとばかり思ってた。
わざと俺を窮地に陥れておいて、自分がいいところを持っていこうという腹だろうな、と。
けど、どうもそうじゃないみたいなんだよな。
何より、水蛇なんかより遥かにヤバいリヴァイアサンを相手に、ヴィンセントは一人で戦っている。
俺を、庇って。
こんなつまらない嫌がらせを考える人間が、命懸けで嫌いな同僚を守ろうとするだろうか。
…俺的常識からすると、否、である。
しかし、少なくとも俺の地図は実際と違っていることは確かで、と言うことは誰かが地図に細工したとしか考えられないわけで。
そうなると………考えられるのは………
あ、いかんいかん。そんな呑気に考え込んでる間に、ヴィンセントが結構ピンチだ。
いやいや、それにしても、彼なかなかやりますな。
リヴァイアサンのような上位魔獣相手に、決して引けを取っていない。
勿論、攻撃力も防御力も、リヴァイアサンの方が遥かに上である。ヴィンセントの攻撃は、せいぜい体表面に浅い傷を作るくらいで、逆にリヴァイアサンの攻撃をもしヴィンセントがまともに喰らえば、一撃で即死、良くて瀕死だろう。
今の、俺のように。
ヴィンセントはそれが分かっているから、実に慎重に戦っている。
【炎獄舞踏】でリヴァイアサンの注意を引きつつ、同時発動させた風属性の魔導術式により、或いは手にしたロングソードにより、死角から一点集中で攻撃を加えている。
しかも、【炎獄舞踏】の制御がすごい。
まるでリヴァイアサンをからかうかのように、入れ替わり立ち替わりその視界を横切り、時に自分の周囲に展開させて敵の攻撃を逸らさせる。
火球の数と威力はヒルダの方が上だが、彼女のそれはとにかく数多くの火球を敵の周囲に躍らせるだけで、その動きを制御している様子はなかった。
おそらく、これが【炎獄舞踏】本来の使い方…なのだろう。
と言うか、これだけ精密に制御しながら、他の術式を同時発動って……すごい処理能力だな。しかもその合間に物理攻撃まで。
魔導剣士ってのは、文字通り魔導も使える剣士ってことなんだが、ここまで精緻に術式を制御しながら剣を振るうことが出来るってのは、なかなか出来るものじゃない。
流石、七翼筆頭を自称するだけのことはあるな。
ついさっきまで、謎の超高位魔術を使った俺に怯えてたくせして、今は勇者顔負けの戦いっぷりである。
しかし……決め手がない。
手数は確実にヴィンセントの方が上なのだが、リヴァイアサンの生命力と防御力の前に、なかなか攻撃が通らない。
そうこうしているうちに、ヴィンセントの手数がだんだん減ってきた。
魔力切れである。
術式制御や運用に関しては極めて高度な技術を持っていても、魔力は常人並み。もし彼の技術にヒルダの魔力総量と出力が加われば、伝説の大魔導士の出来上がり…なんだろうけど。
それでも彼は魔導剣士。魔導だけでなく、剣士としても一流の腕を持っている。そのため、魔力が不足してもすぐに敵の攻撃を喰らうことはない、が。
魔力が切れるということは、精神的に摩耗しているということ。いくら七翼筆頭と言えどもその状態で長くは戦えないだろう。
……仕方ない。ここは俺が頑張りますか。
ヴィンセントの時間稼ぎ(彼としては時間を稼いでいるつもりではないと思うが)のおかげで、多少は肉体も回復した。即死並みの重傷から、今は瀕死並みの重傷にまで状態は良くなっている。
……え?あんまり変わらないって?
いやいや、この差は結構大きいよ。死なない限りは、生きてるんだから。…ってこれ、どこぞの勇者さまが好みそうな屁理屈だけど。
俺はなんとか立ち上がると(正直身体中がめちゃくちゃ痛くて難儀した)、
「ヴィンセント!」
回避一辺倒になっているヴィンセントに、声を上げた。
…ちなみに、俺が彼の名を呼ぶのも、これが初めてだったりする。
ヴィンセントは、その声に俺の方を振り返ると、驚愕に目を丸くした。
「き、貴様!何をしてる、動くんじゃない!!」
…うん、心配されてるね。
まあ、無理もない。彼からすると、俺はついさっきまで「いつまで持つか分からない」くらいの死にかけだったわけだから。
でも、そんな状態の俺を「あいつはもう駄目だから」と置き去りにして逃げないあたり、流石である。
「今からデカいのお見舞いするから、合図したらこっちまで下がれ!」
見た目は死にかけなんだけど意外にピンピンしている(いや、実際そうでもないけど)俺にどう対したらいいのか分からずに戸惑いながらも、彼は頷いた。
……ふむ。柔軟な判断も出来るわけか。
さて。痛みのせいで集中しにくいったらないが、我慢して意識を研ぎ澄ませる。
余談だが、俺は幼稚園の頃に予防接種で大泣きしたらしい、母親の談だが。高校生になったってのにいつまでたっても同じ話を繰り返されるのって、勘弁してほしいよな、ほんと。
一瞬、懐かしい風景が頭をよぎったが、それを無視して魔力を練り上げる。
行使するのは、先ほどと同じ、ルガイア=マウレの十八番。
「今だ、下がれ!」
俺の声がするや否や、即座にこちらまで退避するヴィンセントの姿を確認し、
「【天破来戟】!」
水蛇にお見舞いしたものよりも多めに魔力を込めて、俺は雷撃を解き放った。
轟音と、閃光、そして衝撃。
洞窟全体を震わせて、雷が荒れ狂う。
そして………静寂が戻った空間には。
……驚いた。リヴァイアサンは、真っ黒こげにはなっているが原型を保っていた。
流石は水蛇とはレベルが違う。水生魔獣の王なだけはあるな。
「あーーーー終わったー。どーなることかと思ったけど」
岩壁にもたれながらズルズルとへたり込む俺。ゲームとかだと、ライフゲージがレッドゾーンにまで割り込んでること確実。
「……終わった…のか」
ヴィンセントの声にも、安堵の調子が強い。いくら七翼の騎士と言えども、リヴァイアサンの討伐なんて未体験ゾーンだったろうからな。まだ状況を信じ切れずに、呆けている。
「終わった終わった。お疲れさん。お前けっこうやるじゃん」
「ふん。誰に向かってものを………って、お前!!」
いつもの調子を取り戻して俺を小馬鹿にしようとしたものの、重要なことを思い出したみたいに声を荒上げるヴィンセント。
「そんな呑気にしている場合か!今すぐ治療を……」
彼は治癒術のレパートリーも持っているのだろうか、すぐさま俺の傍らに膝をついて治療を始めようとした。
なんとなく、そこまで彼に借りをつくりたくなかったので、それを断ろうとしたんだけど……
「………マジですか」
目の前の光景に、思わず声が漏れた。
「……?」
俺の様子を不思議に思ったヴィンセントも、振り返ってそれを見る。
真っ黒になったリヴァイアサンが、ふらつきながらも起き上がっていた。
「ば……馬鹿な!あの攻撃で、まだ生きているだと……!?」
ヴィンセントが、信じられないものを見たかのような表情で呻くのを聞きながら、俺はちょっと反省。
……どうやら、少しばかり力加減が足りなかったようだ。
下手に威力を上げて洞窟が崩落したりしたら困るから、そこのところ上手く調整したつもりだったんだけど。
リヴァイアサンを一撃で倒すには、出力不足だったようだ。
とは言え、その身体は半分以上が炭化していて、あと一撃も食らわせれば倒せそうな気はする。
問題は、敵は大ダメージに怒り狂って興奮状態になっている…ということと、ヴィンセントは魔力が不足していて、俺は流石にこの状態での術式連発はちょっと難しい、ということくらいで……。
あれ、けっこうヤバいかも。
ヴィンセントも、同じように考えたのだろう。唇を噛みしめると、再び剣を構えた。その表情には、決死の覚悟が見て取れる。
だが、そのとき。
「【爆炎雷渦】」
無機質な声が響くと同時に、リヴァイアサンの巨体が突如燃え上がった。
断末魔の雄たけびを上げながらしばらくの間のたうち回り……
やがて、完全に炭と化して崩れ落ちた。
これは……この術は。
「ヒルダ!どうしてここに……?」
何故かヒルダがいた。アルセリアと、ベアトリクスも。
三人は、俺の姿を見た途端に表情を変えた。
「ちょ……アンタ、その傷!」
慌てて駆け寄ってくるアルセリア。
「あー……ちょい、ドジった」
あれ…もしかして………
「何、お前、心配してくれてんの?」
茶化すように訊ねたら、
「うっさい!そんなわけないでしょ」
後頭部をどつかれた。
……酷い。俺、怪我人なのに。
「………お兄ちゃん」
ヒルダがトコトコと、俺のところまでやってくる。アルセリアと違って、正真正銘俺を心配してくれている。
「おー、ヒルダ。おかげで助かったよ。ありがとな」
頭を撫でてやると、思ったより俺が元気そうなので安心したのか、照れくさそうに笑った。
が、その直後。
「……なんで、そいつがいる?」
一瞬のうちに人形のような無表情になって、ヴィンセントを指差した。
表情だけでなく、声音もひどく冷たい。
「え?いや、なんでって…俺とヴィンセントは、一緒に任務に……って、ヒルダ?」
ヒルダは、俺の台詞の途中で歩き出した。ヴィンセントへ向かって。
「……な、なんだ……?」
ヒルダの様子に気圧されたのか、後ずさりながらヴィンセントが訊ねる。
だが、ヒルダはそれには答えようとはせずに、
いきなり、殴りつけた。
「なっ…貴様……はぶぅっ」
抗議しようとしたヴィンセントに構わず、続けて二発目。
「兄に向かってへぶ!」
無言のまま、三発目。
「ちょ……ちょっと待っ…ぶほぉっ」
容赦なく、四発目。
手にした魔導杖で、ひたすら打擲を加えていく。
……はっきり言って、怖い。
彼女が腹を立てていることは間違いないが、それを顔には出さず無表情に実兄を殴りつける様は、傍から見ていても不気味だ。
「お、おい…ヒルダ。ちょっと?」
いくらなんでも見かねて、俺はヒルダを制止しようと肩に手をかける。
俺の可愛い「妹」の、こんな暴力的な姿はちょっと見ていられない。
「……こいつ、悪いやつ。お兄ちゃんを、苛めた」
「いやいやいやいや、悪い奴じゃ…ないかどうかは別として、俺は苛められてないよ?むしろ助けてもらったくらいだよ?」
俺がヴィンセントの代わりに弁明してやると、ヒルダはきょとんとした顔で首を傾げた。
「でもこいつ、お兄ちゃんのこと嫌い。ボクのことも嫌い。だからボクも、こいつのこと嫌い」
「う、うん。それはまぁ……家族間のことは後でしっかり話し合うとして、とにかく、こいつは俺のこと守ろうとしてくれたんだから……な?」
俺の説明に、ヒルダは胡散臭そうな目でヴィンセントを睨み付ける。
妹にボコボコにされた兄は、怯えた顔でもう一歩後ずさった。
……うーん。
これ……ヴィンセントって、ヒルダのことが嫌いってよりも、怖いんじゃ……?
「ま…まぁまぁ。とりあえず、帰らないか?流石に休みたいんだけど」
「…リュートさん、大丈夫ですか?今、【癒しの光】を…」
ベアトリクスがそう言ってくれたが、
「あ、大丈夫大丈夫。ってか、妙な反応を起こしてもマズいから、遠慮しとくわ」
丁重に断っておいた。
今の俺はほぼ人間と変わらないし、治癒術を受けても問題はないだろう。
だが、それでも俺が魔王であることには変わりないし、人間が魔王を癒すという行為に何がしかの反作用のようなものがあっても困るので、ベアトリクスの好意を受け取るわけにはいかない。
決して、彼女に借りを作ると後が怖いとか、そういう理由ではない。断じてない。
「……そうね。色々と聞きたいこともあるし…アンタもだけど、そこのヴィンセントにも。とにかく、ルシア・デ・アルシェに戻りましょう。…………歩ける?」
お、なんだこの勇者。やっぱり俺のことを心配してるんじゃないか。
「歩けないっつったら、肩でも貸してくれるのか?」
まったくもって素直じゃないな。ツンデレさんか。
だったら、ツンばかりじゃなくてたまにはデレも欲しいところだと思ってみたのだが。
「調子に乗るな、馬鹿」
再び、後頭部をどつかれてしまった。
どうやら、この勇者には男のロマンが通用しないらしい。
いやぁ、週末と月末と年度末が重なると疲れますね。来年度の準備で残業でした。普段はほぼ定時上がりなのに。来週から新年度って、なんか実感湧きません。
さてはて、ヒルダのヴィンセントへの態度がものすごいです。自分でも意外です。なんで書いてる本人が意外なんでしょうね。




