第九十七話 第一印象とその後の印象が違うと、ときどき自分が信じられなくなる。
その日、俺は朝から退屈していた。
グリードと三人娘は、半日以上会議で潰されるらしい。もっとも、グリードに至っては毎日のように会議漬けのようだが。
で、イライザも任務で出てるし。
他の七翼の面々と交流を深めるという手もあったが、そこまで慣れ合う必要も感じないし。
まあ、ガーレイとは今後ともよろしくやっていきたいと思ってるから、また夕飯にでも誘うかな。
どうせだから、ロゼ・マリスの市内に出て、観光がてら食材調達ってのもいいかも。
そう思い支度を始めた俺だったが、予想外の訪問者がやって来た。
「リュート=サクラーヴァ。グリード猊下からの命だ、私と共に来い。近郊の魔獣討伐の任務に向かう」
先日よりは幾分和らいだ感のある、だがまだまだ険しい表情で、訪問者…ヴィンセント=ラムゼンは開口一番にそう言った。
「え………?グリード…猊下からの?朝会ったときは何も言ってなかったけど」
評議会に向かう前に、グリードは俺たちの部屋で朝食を取っている。…と言うか、ここ最近、ずっと俺の料理を食べている…。
任務があるなら、その時に言ってくれてもよさそうなものなのに。
それに、よりにもよって、なんでヴィンセントとの合同任務?
そりゃ、あのグリードのことだから、勇者一行がここにいる間はやることのない補佐役に仕事を押し付けようって考えるのはありそうな話だが、それにしても、相手はガーレイとかイライザとか、或いは人当たりの良さそうなヨシュアとか辺りが無難なんじゃないか?
「任務は私が受領した。何か文句があるか?」
正直言って、文句はありまくりである。ヴィンセントと一緒に仕事なんてしたくない。俺のためにも、こいつのためにも。
だが、仏頂面のヴィンセントも俺と同意見のようだった。任務を通して俺と親交を深めることを喜んでいるようには見えない。
「言っておくが、私とて、貴様と行動を共にするなど我慢がならん。だが、猊下がそう仰せられた以上、従うのは七翼の騎士の義務だ」
……先に言われると、腹立つなー。
「別にいいけどさ、退屈してたところだし。けど、こないだみたいにふざけたこと抜かしたら、承知しないからな」
強く睨み付けてやると、ヴィンセントは少し強張った。
こいつは、自分より下だとみなした相手にはとことん驕慢なくせに、格上には遜るタイプなんだよな。
「新入り風情が、生意気な口を叩くな。さっさと支度をしろ」
……あれ?意外に大人しい。先日のことを思い出して激昂するかと思ったんだけど……
そう思って、挑発したんだけど……。
覚えていやがれ的な捨て台詞を残していった割には、根に持ってない?
「いいか、私は貴様が嫌いだ。貴様も同様だろうが、私情と任務は切り離せ。我々は、栄誉ある七翼の騎士の一翼なのだからな」
一番、私情に引きずられそうなこいつに言われると、なんか釈然としない。
そもそも、最初から喧嘩腰だったのはヴィンセントの方じゃないか。俺だって、友好的に…とは言わないまでも、あからさまな敵意を向けられたりしなければ、こいつのことを毛嫌いはしなかったってのに。
ガーレイの場合は、勘違いの嫉妬っていう分かりやすくも可愛げのある理由があったけど、こいつはどうなんだろう。
ヒルダに対し侮蔑と劣等感のないまぜになった複雑な感情を抱いているということは、イライザから聞いている。
が、そのヒルダと行動を共にし、少なからず慕われている俺に対しては?
嫌いな妹が懐いている相手だから、嫌ってる?
それとも、嫌いになりきれない妹が懐いている相手だから、嫉妬してる?
嫌いになりたくない妹と親し気な相手だから、羨んでる?
こいつのヒルダに対する感情の種類によって、俺に対するそれも変わってくる。
が、少なくともこの間の一件のせいで、ヒルダとは無関係なところで嫌われてるってのも確かだよな…。
本当は、こいつと一緒の任務なんて受けたくなかった。
ごねれば、グリードには許されるだろう。勇者一行の補佐役は引き受けたが、それ以外については了承した覚えなどない。
それに、俺が本気で拒めば、グリードにそれを強制する力などありはしない。
……が。
こんなことで力をひけらかすのも大人げないし、ヴィンセントが私情と任務を区別すると言っているのに俺がグダグダやってたら、こいつに負けたような気にもなる。
仕方ない、今日一日は我慢するか。
「分かったよ。もう支度は済んでるから、さっさと行こうぜ」
任務とやらをぱぱっと済ませて、一分一秒でも早くこいつとサヨナラしよう。
俺は、ヴィンセントと連れ立ってロゼ・マリスを出た。
「で、任務って何なの?」
余談だが、ヴィンセントの歩調と俺のそれは、ほぼ同じである。俺の持論として、歩調の合う者とは波長が合う…というものがあったのだが、それは破棄した方がよさそうだ。
「オルグロス湿地帯だ。先日、そこで調査中だった学者一行が行方不明になった。メンバーの一人に某国のお偉方の関係者がいたらしく、それなりに騒ぎになったんだが、結局全員死体で発見された」
わーお、物騒ですなぁ。
この世界、現代日本よりもだいぶ治安が悪い。都市部ならばまだしも、辺境や田舎に行くと、野盗やら傭兵崩れの犯罪集団やらが闊歩しているし、魔獣による食殺事件も多い。軍や警察など、国家レベルでの治安維持の手も、そこまではカバーしきれていないのが現状だ。
「死体の傷と目撃証言から、水蛇の群れの仕業だと判明した。どうやら湿地帯に巣を作っているらしい。私たちの任務は、その壊滅だ」
しかし、そのために発展したのが遊撃士という職業であり仕組み、のはずなのだが。
「それ、七翼の仕事なわけ?遊撃士とかいるじゃん」
リエルタ村のような貧乏田舎村(失礼)ならいざ知らず、ここはいくら郊外と言ってもロゼ・マリスの近郊。安上がりに済ませようなんて考えが出るとは思えないんだけど。
「貴様、私の話を聞いていたか?被害者の中に、某国の権力者がいたと言っただろう」
……なぬ?じゃあ、なんかそういう権益絡み?大人の事情的な?
「グリード猊下としても、看過は出来ない事態だ。だからこそ、七翼を動員されるのだ」
「…ふーん………」
人間社会の権力構造はよく知らない。と言うか、興味がない。
だが推測するに、その某国のお偉方ってのはグリードと繋がりを持っているのだろう。彼の権謀術数の協力者…とか。その関係者が被害に遭ったから、相互協力の契約の元に自分で動くことにした(実際に動くのは子飼いの俺たちだが)…ということか。
いいように使われるのは面白くはないが、まあ別にいいや。俺の利害に反するわけでもないし。物見遊山がてら、地上界の一般的な魔獣のレベルを見てみるとしよう。
「湿地って、何があるんだ?」
「オルグロス湿地帯は、湿原と岩陵地帯で構成されている。水蛇の巣は、その境目にある洞窟内だ」
「……随分と詳細まで分かってるんだな」
何の気なしの一言だったんだが、ヴィンセントは呆れたような顔で俺を見ると、
「貴様は、七翼の騎士を何だと思っている?その辺の素人遊撃士と一緒にするな。任務前に先遣隊が調査を済ませておくのは常識だろうが」
「あー……そうなんだ」
…………そんな常識、新人の俺が知ってるはずないじゃん。
「今回も、イライザが既に洞窟内の地図まで制作済みだ」
「イライザが?」
あ、そう言えば、情報収集が専門って言ってたっけ。任務がある…とも。ここ数日いなかったのは、この一件の調査をしていたからか。
「…まったく。やることはやっているくせに、肝心なところは何も聞いていないのか。貴様には七翼の騎士の一員であるという自覚と誇りはないのか?」
うっわー……嫌味な姑みたいにネチネチ始まったぞ。
「うっさいなー。そんなの俺の勝手だろ?」
無理矢理、騙された形で七翼にされたってのに、そんなもん芽生えるかっての。
「お前は随分と七翼がご自慢みたいだな」
最初に会ったときから、やたらとそれを鼻にかけているところがあった。
「そのような軽々しい言い方はやめてもらおう。貴様は七翼の騎士の何たるかが分かっていない」
「何たるかって……んな、大げさな」
確かにボスは教会の偉いさんだけど、結局は私兵じゃん。
「大げさなことがあるか!いいか、七翼の騎士とはそもそも…………」
そこから延々と、七翼の騎士の歴史と存在意義を語り始めたヴィンセント。極めて押しつけがましく。
七翼の騎士の前身は、教会騎士だったという。
教会騎士は現在も存在しており、それは教皇庁直属の戦闘集団として知られている。
今でこそ、七翼の騎士と教会騎士は別集団だが、かつては同じものだった。
その歴史は、二千年前、天地大戦まで遡る。
廉族の主力となったのが、エルリアーシェに仕える教会の神官たち。だが彼らは、それまで祈りの毎日しか送っていなかったために、非常に無力であった。
そこで、人類の尖兵として特別な恩寵を受け、神聖騎士団が結成された。
彼らは、多大な犠牲を出しながらも、常に人々の盾となり最前線で戦い続けたという。
やがて、大戦が終わり、その存在意義も薄れた頃。
神聖騎士団は解散し、代わりに教皇庁の直属として教会騎士が設置されることとなった。
しかし、魔王、魔族という強大な敵がいなくなり、教会騎士の仕事は異端審問や邪教弾圧に偏っていった。
いつしか教会騎士は、虐殺機関との汚名を得ていく。
無理もない。
魔族の脅威が去り、人々は精神的な余裕と自由を手に入れつつある時代。
それまでは自分たちの剣として盾として魔族の侵攻を阻んでくれていた教会が、次に標的としたのは異端者とは言え同じ人間。
しかも、謂れのない罪で邪教徒とされ、断罪されるものも少なくなかった。
信仰だけでなく、自分たちの生活の豊かさや未来といったものに目を向け始め、視野が広がっていく人々と、新しい概念を信仰の敵として敵視する教会。
両者の間に齟齬が生まれるのも、当然。
教会は、人心が神から、自分たちから離れていくことを危惧した。
それならば、教会騎士は英雄でなければならない。
結果、教会騎士は無償で魔獣から人々を守る教会直属の戦力として残り、そして、汚れ仕事は外部へと委託されることになった。
しかし、外部と言っても情報や権益を保護するためには、教会の息のかかったものである必要がある。
そこで設けられたのが、限りなく教会色が強くありながら、教会の枠組みからは外された戦闘集団。
創世神に対する信仰心は、一般信徒と同等。だが、聖教会と直属の主に対するそれは、盲目的。上の命令であれば、弾圧だろうが虐殺だろうが暗殺だろうが、厭うことなく遂行する、汚れ仕事専門の部隊。
全員ではないが、各枢機卿が「個人」として率いるそんな物騒な実動部隊の一つに、グリード=ハイデマン旗下の「七翼の騎士」があるわけだ。
そして七翼は、いくつか確認されている枢機卿の私設実動部隊の中でも、最強との呼び声高く、かつ最凶と恐れられている。
当然、権力闘争の片棒を担ぐことくらい、わけない。
道理で、行く先々でやたらと警戒されたり怖がられたりだと思ったら、そんな物騒な評価を受けていたわけだ。
「ま、汚れ仕事に比べると、大人の都合が見え隠れしてるけど魔獣退治の方が、まだマシか」
天気もいいし、同行者がこれじゃなかったら、ちょっとしたピクニック気分だったのに。
「………貴様は青いな、若造」
ヴィンセントに、またもや若造呼ばわりされてしまった。
これでも天地創造の頃にはすでに存在してたんだって、言えないのが悔しい。
「どういうことだよ?」
「汚れ仕事を卑賤なものと捉えているところが、だ」
……うむむ。こいつ、結構まともな神経の持ち主だったりする?
ヴィンセントは続ける。
「綺麗事だけで回る世界ならば、誰も苦しんだりはすまい。理想とは別の部分で、現実というものが存在する。そこに適応するためには、汚い部分…暗い部分も必要なのだ」
それは、自分や自分の一族がやってきたことを踏まえてのことなのだろうか。
「必要悪…ってことか?」
「その呼び方は好きではない。…が、言ってしまえばそうだろう。夜の闇が必要なように、善が善として成り立つためには、悪が必要となる。汚れ仕事を汚いからと誰もやらなくなれば、その社会は立ち行かなくなるだろう」
その考えは、分からなくない。幸い俺は、魔界においてそういうことを考えずに許される立場にあった。その代わり、俺が興味を持たないような暗部のごちゃごちゃを片付けていたのは、間違いなくギーヴレイ始め側近たち。
俺はただ、傅く彼らが恭しくも差し出すものを、黙って受け取るだけだった。
…………俺は、あいつらにもっと感謝しなくてはいけない。
ヴィンセントに教えられるような形になったのは非常に癪だが、この男、人格はひね曲がっているが、性格はそう悪くないのかもしれない。
話しているうちに、オルグロス湿地帯へと到着した。
件の洞窟のある岩稜地帯も、すぐそこに見えている。
「あれが水蛇の巣に続く洞窟だ。……これを持っておけ」
ヴィンセントは、俺に包みを押し付けてきた。
中を見ると、地図と……小さなランタン。
「あの中はかなり入り組んでいる。貴様は地図など持っていないだろう?はぐれられたりしたら、私が面倒だからな。あと、ほとんどの部分は視界が奪われるほどではないが、一部完全に光が入らない箇所がある。ランタンはそのときに使え」
「え、あ…ありがと」
えええええーーー!
何?どういう風の吹き回し?
まさか、こいつが俺を気遣ってる?
……いやまさか。何か企んでいるんじゃないだろうな。
……いやいやしかし。あえて任務中に嫌がらせをする必要はない。それで失敗でもしたら、グリードに合わせる顔がないだろうし。
「言っておくが、貴様がはぐれたり罠にはまったりしても、私は助けないからな。自分の身は自分でどうにかしろ」
その口調と表情は、やはり最初に会った時と同じ険悪度MAXのものだったのだが、俺は、こいつの評価を上方修正せざるを得ないのかもしれなかった。
どうも、思いのほかヴィンセントはまともな人間のようです。第一印象だけで判断するのは怖いですねー。




