第九十六話 勇者のお節介
「猊下、本当にいいんですか?」
混乱のまま閉会されたその日の議会。
部屋に戻ったグリードは、アルセリアたちに一つだけ指示をした。
それは、トルディス修道会の勇者一行による魔界侵攻をリュートには伏せておくように、ということ。
当然、それを聞いた三人は戸惑った。
ライオネルたちの実力は知らない。だが、彼らもまた廉族である以上、魔族と対等に渡り合えるとは思えない。
このままでは、彼らを見殺しにすることになる。
たとえいけ好かない連中だとしても、それではあまりに寝覚めが悪いというもの。
だが、リュートに頼めば、アルセリアたちと同じように見逃してもらえる可能性は高い。
それなのに、そうしないということは、グリードが彼らの死を望んでいるという風にも取れる。
「ああ、構わないよ。この件は、私に任せておきなさい」
それだけを言うと、グリードは溜まっていた書類の山に向かった。
問答をしても無駄だと悟ったアルセリアは、ベアトリクスとヒルダを伴い、グリードの執務室を後にした。
「ねぇ、どう思う?」
歩きながら、二人に問いかけるアルセリア。
勿論、ゴスロリ勇者とその一行をこのまま見殺しにしていいのか、という意味である。
「…と言っても…猊下のご指示ですし………正直、私たちが彼らの身を案じる必要も感じませんが…」
ベアトリクスは、神職らしからぬ厳しい物言いをすることがある。
「彼らも、彼らなりの覚悟をもって魔界へ赴いたのでしょうし」
ベアトリクスの言い分も、分からなくもない。自分たちも同じだったから分かることだが、決して魔王を見くびっているわけではないのだ。当然、死の危険も織り込み済み。
認識が甘かったと言えばそれまでだが、それでも、自分たちの覚悟と判断で、使命を果たそうとしている彼らに、横槍を入れるのは正しいことなのだろうか。
しかし、アルセリアはそこまで割り切った考えが出来ない。覚悟があろうがなかろうが、例え彼らが死を受け容れていたとしても、救える余地があるなら救いたいと思う。
それが、アルセリア=セルデンという少女。
ベアトリクスも、アルセリアの性格はよく分かっているので、強く反対はしない。何より、彼女はそんなアルセリアのお人好しっぷりが気に入っている。
……誰かさんに似ていなくもない、とも思う。
「ただ…猊下は、命令という言葉をお使いになりませんでしたよね」
強い厳命ではない。だからと言って軽視していいわけでもないが、そこには幾許かの情を挟み込む余地があるようにも感じられた。
「どうしますか、アルシー?」
七翼の騎士の一員でもあり、聖央教会の司教でもあるベアトリクスにとって、グリードは直属の上司であると同時に絶対的な主でもある。
それでも、アルセリアが強く望むのであれば、彼女の意志を尊重するつもりでいた。
「……うん。話してみる」
アルセリアには、然程の迷いはなかった。
グリードの企みも、ある程度は想像出来ている。そしてそれは、グリード自身や聖央教会のみならず、彼女たちの立場を守るためでもあると理解もしているが。
それでも、人命が懸かっているのであれば、彼女の選択肢は一つだ。
しかし、彼女らが自室へ戻ったとき、リュートの姿はどこにも見えなかった。
「………ったく。まーたどこほっつき歩いてるんだか、あの馬鹿」
リュートが聞いたら、理不尽だ!と嘆きそうな台詞を吐くアルセリア。
彼がどこにいて何をしていようが、それは彼の自由ではあるのだが、そうも言っていられない。手遅れになれば、ライオネルたちは命を落としてしまうかもしれない。
「探してみましょうか」
ベアトリクスの提案で、リュートの行きそうな場所を回ることにしたのだが、
「まさか、外には行ってないわよね……」
それが、少々心配だったりする。
最高評議会の開催中、ルシア・デ・アルシェの外に行く必要や理由は一切ない。だが、やることがなくなって暇になったリュートが、ロゼ・マリス観光に赴くという可能性は十分に考えられた。
都市国家であるロゼ・マリスは、面積的にはそれほど大きくない……一都市であるタレイラとほぼ同じ……だが、当てもなくしらみつぶしに探すには流石に広すぎる。
「手分けして探しましょう。ヒルダ、貴女は部屋に残っていてもらえますか?リュートさんが戻ってきたときに入れ違いになるといけないので」
ベアトリクスに指示され、頷くヒルダ。
「じゃ、私は外を回ってみる。あいつのことだから、評判の飲食店とか、珍しい食材が売ってる店とかにいそうだし」
「はい。では私は、神殿内を探してみますね」
そうして、リュート捜索隊が結成された……と思いきや。
アルセリアが部屋を出た瞬間に、問題は解決した。
「あれ、勇者さま。どうしたんスか、そんな慌てて?」
通りがかったガーレイと、鉢合わせしたのだ。
「あ、丁度良かった。ねえ、リュートがどこにいったか知らない?」
ただし、新たな問題が持ち上がったのだが。
「ああ、リュートなら、多分ヴィンセントと一緒だと思いますよ」
何の気なく答えたガーレイだが、三人は一瞬耳を疑った。
初日の、リュートとヴィンセントの諍いの件は、彼女らも聞かされている。少なくとも二人は、仲良く行動を共にするような間柄ではないはず。
「二人は、仲が悪かったのでは?それに、一緒に何処へ……?」
アルセリアの背後から顔を出したベアトリクスに話しかけられて、ガーレイは途端に固まる。
「あ、ああ…なな、なんか、任務みたいなこと…言って、た…けど」
しどろもどろながらも、きちんと答える律儀なガーレイ。
「任務?グリード猊下からのですか?」
「え?多分そうじゃねーの?途中で揉めてないか、ちょっと心配だよな」
「何処へ行くと?」
立て続けに問うベアトリクスに、ガーレイは戸惑いつつも答えを重ねる。
「え…と、確か、オルグロス湿地帯のはずだぜ。ほら、少し前に魔獣の目撃例が相次いだろ?評議会中に何かあったら大変だってことで、あいつらが動くことになった………って、知らなかったのか?」
考え込んだベアトリクスの真剣な表情にドギマギしながら、ガーレイは首を傾げた。
「ありがとう、ガーレイ。行くわよ、二人とも」
手短に礼を言うと、アルセリアは二人を伴って部屋を出た。
目的地は、オルグロス湿地帯。
ロゼ・マリスの南方に位置する、広大な湿原である。
「……アルシー……」
ヒルダが、アルセリアの袖をきゅっと掴んだ。
言いようのない不安を浮かべた顔で。
「大丈夫よ、ヒルダ。リュートは心配いらないわ。寧ろ心配なのは、ヴィンセントの方だって」
ヒルダの胸中を慮り、アルセリアはわざと茶化したように彼女を励ます。
ヒルダが抱えている家の事情や兄との関係について、アルセリアも実のところ深くは知らない。心の深いところで静かに疼く傷は、他人が不用意に触れると余計に悪化させてしまうということは、自分自身の経験からよく分かっているから。
だから、ヒルダが話してくれるまで気長に待とうと思っている。
もっとも、グリードの話によると、どこぞのヘタレな世話焼き説教魔は、首を突っ込もうとしていたらしいが。
しかし、詳細は分からなくてもヒルダが辛い思いを抱えていることくらいは分かる。その複雑な心中と、彼女が誰を慕い誰を案じているのかも。
「…うん。お兄ちゃん、強い。…大丈夫、だよね」
自分に言い聞かせるように呟くヒルダに、アルセリアは頷いて見せた。
「そうそう。いざとなったら、何だったっけ……コアとかなんとか言ってる妙な力?あれを使ってヴィンセントなんてちょちょいのちょーいでやっつけちゃうって」
「それはそれで、問題だと思いますが……」
思わずツッコミを入れるベアトリクス。
「あ、そっか。あ、あはははは」
苦笑しながらアルセリアは、胸中に湧き上がる奇妙な不安を無視出来ないでいた。
どうしても、ヴィンセントが何かを企んでいるようにしか思えない。
だが、彼とて愚かではなく、グリードに敬意を払っている。いくら何でも、嫌がらせの範疇を超えた敵対行為をリュートに働くとは考え難かった。
しかし同時に、グリードやベアトリクスから聞かされ、自身でも多少の接点を持ち知りえたヴィンセント=ラムゼンという人物。
有能でありながら傲慢、冷静に見えて直情家。そして粘着質。
それが、彼の印象である。
初対面のときに、かなりリュートにやり込められていたそうなので、それに強い恨みを抱いていてもおかしくない。
グリードと勇者一行が評議会に参加している間に、リュートにちょっとした腹いせをしてやろう…。そう思っているかもしれない。
或いは、ちょっとした腹いせでは済まない何かを。
それに、これがグリードの命だったとしても、なぜリュートとヴィンセントを組ませるのか。他にも七翼のメンバーはいるのだ。わざわざ、仲の悪い二人を共に行かせることもない。少なくとも、グリード以外の誰かの意図が働いているように思えた。
勿論、仮にヴィンセントがそのような愚行に走ったとしても。
リュートは強い。
否、“魔王ヴェルギリウス”は強い。それは、人間には推し量ることすら出来ない程の存在。
どのような手段を取ったとしても、ヴィンセントは魔王に傷一つ与えることは出来ないだろう。
それが、魔王であれば。
しかし、彼女の知る“リュート=サクラーヴァ”は、確かに特有の強さを持ってはいるが、それは“魔王ヴェルギリウス”の持つ超然の、完全なる強さとは些か異なるようにも思える。
人間のように、不安定で未熟であるがゆえの、強さ。
「あいつ、ドジ踏んでなきゃいいんだけど……」
思わず漏れた呟きを、ヒルダには聞こえないように慌てて音量を下げる。
有り体に言ってしまえば、リュートは詰めが甘いのだ。
“魔王”であるがゆえに絶対的な自信を持ちながら、人間としての脆さを抱えてしまっている彼は、しかしそのことを自覚していない。
ラディウスとの戦闘を見ていて思った。
人として戦うことを選んだリュートは、どう見ても劣勢であったにも関わらず、どこかに余裕を持っていた。
それは、結局のところは「自身が魔王である」という認識に裏打ちされたもの。
魔王として戦っているわけではないのに、余裕だけは魔王のままを引きずっていた。
彼が魔王である以上は仕方ないことなのかもしれないが、もしあの時、一刀のもとに首を落とされたりでもしたら、勝敗はどうなっていたか分からないのだ。
これを、慢心と言っていいのかは分からない。リュートの存在は、その在り様は、あまりにも常軌を逸している。
だが、魔王城で相対した、冷酷無比の魔王の姿と、世話焼きでヘタレでシスコンで説教魔な補佐役が完全に重なっては見えない以上、彼女の不安が消えることはなかった。
今日は、職場の飲み会だったので更新が遅れてしまいました。
お酒を飲まない人間にとって、飲み会って疲れるだけなんですよね。
せめて金曜日にしてほしいものです。




