第九十五話 会議は踊る?
最高評議会五日目。
本日は、聖央教会により選出された“神託の勇者”アルセリア=セルデンと、その随行者たるベアトリクス=ブレア、ヒルデガルダ=ラムゼンが招聘されている。
「と、以上のように、彼女らが人々の救済のために果たしてきた役割は、多大にして多岐に渡るのです」
グリードが、発言を終えた。
今の今まで、彼は、自分たちの擁する勇者一行が立てた武功の数々を、参加者全員に滔々と説明していたのだ。
グリフォン、ヒポグリフ、オーガロード、メタトロール、オロチ。件のべへモスまで、彼は情報を書き換えて勇者一行の手柄にしていた。
そのどれもが、地上界最強クラスであり、通常の戦士であれば単騎で討伐することなど不可能な魔獣。これだけの脅威を阻むことが出来るのは、ひとえに彼女が真の勇者であるからだ、と言外に込めて。
当然、その目論見は他の派閥の者たちにも悟られている。
「しかしながら、ハイデマン卿。肝心の件が、片付いていないのではありませんか?」
グリードの予想どおり、真っ先に反論してきたのは、トルディス修道会のサミュエル=クレイトン。
「“神託の勇者”の使命は、魔王討伐。いくら魔獣を屠ったとしても、それは勇者として評価されるべきではないのでは?」
アルセリアたちが魔王討伐に失敗したという報は、教皇庁を通して全派閥にも伝わっている。
「実際、どのような状況だったのですかな?おめおめと逃げ帰ってきたということですが……」
クレイトンの視線は、アルセリアに向いている。
彼女たちが魔王に負けて敗走したことは事実であり、反論出来ない彼女から崩そうという魂胆だ。
しかし、アルセリアも伊達に勇者を名乗っているわけではない。
発言を促され、彼女は立ち上がった。
「確かに、私たちが魔王に負けたことは事実です」
本来は恥じるべき内容を、堂々と述べる。
「それに関しましては、私たちの修練不足と言わざるを得ません。魔王は、地上界の魔獣などとは比べることすら出来ないほどの存在でした。……その存在そのものの桁が、あまりにも違うのです」
「随分と、具体性に欠く表現ではありませんかな?」
クレイトンは、とことんアルセリアを攻撃するつもりのようだ。それがあまりに露骨であれば妨害しようと思うグリードだったが、アルセリアは意に介していない。
「筆舌に尽くしがたい…という表現があります。これは、実際に対峙した者でなければ理解出来ないことかと」
言外に、安全圏で命令ばかりしている奴がぐだぐだ言うんじゃねーよ、という思いを込めて、アルセリアはクレイトンをまっすぐ見詰めた。
「し、しかし……魔王を斃す力を有することこそ、勇者の証なのでは?」
「私も、まだ諦めてはいません。ただ、時期尚早だっただけ。魔王は、生半可な準備と覚悟で相対出来るような敵ではありません」
アルセリアの言葉は、負け惜しみには聞こえなかった。
苛烈な戦場の経験に裏打ちされた言葉は、聞く者に奇妙な説得力を持つ。
しかし説得されたくないクレイトンは、引き下がらない。
「であれば、一体いつになれば魔王を斃せると?」
他の出席者たちも、ざわめき始める。
「しかし、今回の勇者殿の派遣が急すぎたのも事実…」
「聖央教会のスタンドプレーではなかったのか?」
それらの声に力づけられたクレイトンは、さらに自信を得たようだ。
「神託どおりであれば、勇者殿と魔王は対等な力を持つはず。逆に言えば、対等でなければ勇者とは言えないのではありませんか?或いは……魔王と対峙したということの信憑性も、どうなのでしょう?」
「クレイトン神官長。貴方は、私が偽りを申していると仰るのですか?」
「…いえ、そこまでは……」
頭と口の回転の良さで言えば、アルセリアはクレイトンに及ばない。
だが、人として、戦士として、勇者として、積み上げてきた経験が、彼女に利を与えている。
グリードは、遣り取りを聞きつつもどかしさを抑えるのに必死だった。
魔王の力。その異常さ。その存在の、出鱈目な大きさ。
クレイトンも、他の出席者たちも、おそらく教皇でさえ、事実を正しく認識出来ていない。
未だ、神託どおりに「勇者ならば魔王を滅ぼすことが出来る」と信じ切っている。
勇者と魔王が、対等などと。
それは、勇者が創世神と対等だと言っているに等しい。
現にこの目で魔王の力の一端を垣間見たグリードだからこそ、彼らの考えが楽観に過ぎると気付くことが出来る。
魔王崇拝者の一件で知った、リュートの真の姿を思い返す。
あれは、人間が…生物がどうこう出来るような存在ではない。
しかし、彼はそれを伝えることが出来ない。
勇者一行でもない自分が、魔王の力を目の当たりにしたなどと、説明のしようがない。
魔王が今、このルシア・デ・アルシェにいて、勇者の補佐役をしているという荒唐無稽な状況も。
聖央教会の姫巫女をタラシ込みかけて大騒ぎになりそうになったということも。
勇者の修練のために魔王を利用している自分の企みも。
説明しようがないので、彼は楽観的な神官たちの妄言を聞き流すしか出来なかった。
しかしその後の、エスティント教会派の大神官による発言は、聞き流せるようなものではなかった。
「今一度、神託の解釈を考え直すのも必要なのではありませんか?」
その言葉は、ともすれば神託の否定にも繋がるもの。いくら革新派のエスティント教会と言えども、軽率と、或いは不敬と誹られても仕方ない。
事実、その発言の直後、議場のざわめきは最高潮に達した。そのほとんどが、エスティント教会に対する非難。
「マイルズ大神官、その発言は容認しかねる!」
「ご自分が何を言っているのか、お分かりか?」
「姫巫女の、ひいては教皇聖下のお言葉を否定すると!?」
口々にマイルズ大神官を責め立てるヤジが飛ばされる。
だが、一際若いその大神官は、涼しい表情を崩そうともしない。
「皆様方、まずは落ち着いてください。私は別に、教義に疑いを持つわけではありません。ですが……我らは、あまりにも固定観念に凝り固まってはおりませんか?」
凝り固まるも何も、固定観念と既得権益確保が身上の面々だ、誰もが図星を刺されたかのように、一瞬黙り込んだ。
その一瞬の静寂を逃さず、マイルズ大神官は続ける。
「そもそもの始まりは、二千年前、偉大なる創造主がお隠れになる際に残されたお言葉でした。曰く、“来たる日に闇が目覚め、しからば我が意を継ぎし光もまた目覚めん”……と。そして二十年前、聖央教会の先代の姫巫女により、“変革の予兆。大いなる犠牲を礎に、世界は新しき日を迎える”との神託が降りました。その五年後に、“時満ちた。神威は須らく世界へ降り注ぐ”……と」
神託の具体的な内容は、一般には知らされていない。だが、この場にいる高位神官たちにとっては、どんな教義より祈りの言葉より、慣れ親しんだ言葉たち。
「創造主のお言葉があったために、二十年前の神託は、魔王復活の予兆と解釈されました。その後のものは、勇者誕生を告げるものだとも。しかし、それはいささか性急だったのではありませんか?」
流石に、グリードも黙って聞いていることは出来なかった。なぜならば、彼が言っていることはつまり、
「マイルズ大神官。貴殿は、魔王の復活も勇者の誕生も、偽りである……と、そう仰せか?」
静かな口調に怒りをたぎらせて、グリードは問いかける。その眼光に、マイルズ大神官は一瞬怯えるが、すぐに態勢を整えると、
「そうは言っておりません。ただ、今少し時間をかけて、神託を精査し直す必要もあるのではないですか?魔界は遠い。本当に魔王が復活したのか、そこな勇者殿が対峙したのが真に魔王であったのか、証明出来る者がおりますでしょうか?」
一瞬、だったら魔王本人をここに連れてきてやろうか!と怒鳴りそうになったアルセリアだったが、すんでのところで思いとどまった。その代わり、
「マイルズ大神官。私は、魔王城にて対峙した者が間違いなく魔王であると、ここに宣言いたします」
堂々と、言い放った。
「……お気持ちは分かります。私とて、貴女が勇者であると信じたい。しかし、貴女の主観のみを根拠に決定されるほど、事は小さくないのですよ」
勇者と言えど、教会内の実権からはほど遠い。マイルズにとってもここにいる全員にとっても、彼女は、ただ重責を背負うだけの小娘に過ぎない。
マイルズの言葉に反論する材料がなく、アルセリアは歯噛みする。彼女が持つカードは全て、リュート=サクラーヴァが魔王ヴェルギリウスである、という事実に直結している。晒したくても、晒すことは出来ない。
そこに、意外な方面から助け船が出された。……尤も、泥船の類なのだろうが。
「ご安心ください、マイルズ大神官。その問題は、じきに解決しましょうぞ。…我がトルディス修道会の“神託の勇者”、ライオネル=メイダードによって」
それは、クレイトンの発言だった。
「現在、勇者ライオネルとその従者は、トルディス修道会の手により魔界へと渡りました。彼らによって、魔王復活が真実であるかどうか暴かれるでしょう。そして真実であるならば、彼らは魔王を打ち滅ぼして凱旋することでしょう!」
議場に降りた、静寂の帳。
そして…
「な、何を考えておられるのだ、クレイトン大神官!貴殿の独走で世界を危機に晒すおつもりか!」
「前回の討伐失敗で、魔王の怒りを買わなかっただけでも奇跡なのですぞ!今度こそ、怒り狂った魔王が地上界へ攻め込んでこないとも限らない!」
「教皇庁にさえ報告なく、“開門の儀式”を行ったと!?」
先ほどよりも激しく糾弾する神官たち。
それまでずっと、黙って議会の進行を見守っていた教皇が、初めて口を開いた。
「サミュエルよ。貴殿には確信がおありか?貴殿の子らが、かの悪しき王を必ずや滅ぼすことが出来る力の持ち主だと」
穏やかだが、聞く者に強い印象を残す強靭な声と口調。教会の頂点に座す教皇に、さしものクレイトンも緊張で身体を固くしながら、それでも力強く頷く。
「勿論です、聖下。ライオネルの強さは、人の域を超えております。こう申しては何ですが、聖央教会の勇者殿よりも上であると、私は確信しております。そして何より、彼の有する天恵は、“予知”。その彼が、創造主の手により光の中へ導かれる光景を予知しているのです。魔王が実在するのであれば、必ずや、本懐を果たして参るでしょう!」
グリードは、呆れ果てて物も言えなかった。身内びいきを差し引いても、クレイトンの過信は行き過ぎている。これは楽観などではない、ただの妄信だ。
だがしかし、少し前までの彼もまた、クレイトンと同じ感覚を持っていたことも事実。
自分たちの…勇者たちの力を過大評価し、魔王の力を過小評価し、無謀で浅はかな行為におよんだ。魔王があのように、世話好きでお節介でお人好しでなければ、今頃地上界は魔界の属国となっていただろう。
しかし、これはチャンスでもあるのではないか。
グリードは内心で考えうる可能性を上げていく。
最悪なのは、ライオネルが魔王と魔族の怒りを買い、その結果地上界が侵略される、という未来。だが、現在の魔王がああである以上、その危険性は低いとも思える。
で、あれば…ライオネルたちの敗北が決定事項である以上(彼にとってはそれ以外の未来は思いつかない)、魔界に入ってすぐ魔族の手にかかるか、運よく魔王城へ侵入出来たとて、魔王の側近である高位魔族たちに為す術なく嬲り殺されるのがオチだ。
或いは、幸運にも逃げ帰ることが出来るかもしれない。
もしグリードが、このことをリュートに告げれば、間違いなくそうなるだろう。
あの魔王は、非常に特徴的な性格をしている。魔王として廉族を傷付けることを何故か頑なに拒んでいるくらいだ。
そして、その存在値の大きさゆえに、人間の勇者如き小さな存在が目障りだったとしても、それをあっさりと許してしまうような度量も持つ。……本人は、どうも自覚していないようだが。
……上手くいけば、トルディス修道会の子飼い勇者を消すことが出来る。
聖職者らしからぬ腹黒い企みを抱き、グリードは、この件をリュートには伏せておくと決めた。
一層紛糾する議場の中で、枢機卿筆頭グリード=ハイデマンは、目障りな抵抗勢力を潰す算段が整ったことを、ほくそ笑むのであった。
狸親父共の泥沼試合は、書いててもあんまり面白くありません…。




