180
* * *
真っ白な世界にゆらゆらと漂っている。
"自分"という存在がひどく曖昧で、形がなくなり、溶け出してしまったような……不思議な感覚だ。
『――……んね』
『――……ごめんね』
『――……私のせいで……』
『――……ごめんね、ファーレス……』
泣きながら『私のせいで……』と謝罪を繰り返す女性の声が何度も響く。
―― 懐かしい……
幼い頃、何度も何度も聞いた母の声だ。
優しく、儚く、そしていつも辛そうな。
覚えている限り、母が楽しそうに笑っている顔は、家に飾られていた肖像画でしか見た覚えがない。
自分に向けられる笑顔はいつもどこか悲しそうだった。
―― まぁ、当然のことだ……
貴族の長男として生まれたが、自分には平民並み……いや、平民以下の魔力量しか宿っていなかった。
貴族は魔力量が多い。そもそも魔力量の多いものが貴族となった歴史があるのだから、貴族の魔力量が多いのは当然と言えるだろう。
父も母も魔力量が多く、優秀な貴族だった。
そんな二人の子供である自分が、なぜこんなにも魔力が少ないのかは分からない。
あまり体が強くなかった母は、そんな風に息子を生んでしまったのは自分のせいだと、いつも己を責めていた。
『――……ごめんね、私のせいで……』
『――……ごめんね、ファーレス……』
優しく俺の頭を撫でながら、母はいつも涙を流していた。
―― 母のせいではない。ただ俺が "出来損ない" だっただけだ。
物心ついた時から、周囲の人間に "出来損ない" と何度言われたか分からない。
そう言われるのも当然だろう。
俺は魔力量が少ないだけでなく、頭も悪かった。
唯一身体を動かすことは得意だったが、勉強は全く頭に入ってこなかったし、人と話したり、礼儀作法を覚えることも苦手だった。
『物覚えが悪すぎる……』
『ちゃんと話を聞いているのか?』
『本当にあのお二人の息子なのか?』
『なぜ、こんな出来損ないが……』
自分が生まれるまでは、父も母も、仲の良い夫婦だったらしい。
使用人達が裏で『ファーレス様さえ生まれていなければ……』と話しているのを何度か聞いたことがある。
出来損ないの自分が生まれてしまったせいで、父は母の不貞を疑い、悩み苦しんだ。生まれてきた子供の髪の色も、魔力量も、頭の出来さえも、全てが両親に似ていないのだ。父が疑いの気持ちを持ってしまうのも、仕方のないことだろう。
不貞を働いていない母は、自身の弱い体が原因で、哀れな子供を生んでしまったと嘆いた。
幸せな家庭が壊れてしまったのは母のせいではなく、優秀な父と母から生まれたにも関わらず、出来損ないだった自分のせいだ。
母が亡くなった後は、剣の指導をしてくれていたカードルに引き取られる形で、王国騎士団の所属となった。
せめて剣の腕を磨けば、出来損ないではなくなれば、父と母の子だと証明出来ると思った。
―― 証明は、出来なかったのだろうな……
最後まで、父が自分に会いに来ることはなかった。
親子らしい会話をしたこともなかったのだから、それもまた当然のことなのかもしれない。
―― 自分がもっと上手く話せれば、自分から父に会いに行っていれば、関係は改善できたのだろうか……
カードルから父の訃報を聞いた時、ただただ剣の腕だけを磨き続けたことを後悔した。
しかし、頭の悪い自分では、何をどうすればよかったのか分からない。
王国騎士団においても、自分は不和を起こす存在だったと思う。
団長であるカードルからの、あからさまな贔屓。
カードルからしてみれば、まだまだ頼りない存在である俺をそばに置き、面倒を見てあげたかったのだろう。
だが他の団員からみれば、魔力の少ない身でありながら、団長に特別扱いされている子供だ。
更に、平民並みの魔力なのに剣の腕が立つことも、貴族たちからしてみれば面白くなかったのだと思う。
『貴族出身というのは偽りだろう。あんな魔力の低い貴族がいるはずがない!』
『魔力量なんて関係ない! 騎士団なのだから、剣の腕こそが全てだ!』
『魔力のない平民風情が……魔法による広域戦闘もできないくせに偉そうに……』
『模擬戦でも討伐戦でもファーレス様に一度も勝ったことがないくせに、偉そうなことを言ってるのはどっちなんだか……』
魔力量が少ない騎士団員達にとって、魔力量が多いものが強いという常識を覆す俺という存在は、一種の英雄的存在だったのだろう。
―― 分からない。
沢山の人達が、自分に話しかけてくれる。
それは好意的な言葉もあれば、その逆もあった。
―― 分からない。
会話が得意ではないことは幼い頃から自覚していた。
相手が話す内容を理解しようとしている間に、返事をする間もなく、次々と話題が変わっていく。気まずげな顔をして、話しかけてくれた人が立ち去っていく。
『話を聞いているのか!?』と怒鳴られたことは何度もある。
聞いているが、理解が出来ない。話の内容がよく分からないのだ。
返事をしないと怒られる。
意思表示は大事だ。
肯定か否定、理解出来ていないことは理解できていないと伝えた方がいい。
会話を繰り返していくうちに、少しずつ学んでいく。
『ファーレス様のこと、ずっとお慕いしていました……! 私と付き合ってください!』
好意的な言葉をくれる人には、女性が多い。
どうやら、自分は整った顔立ちをしているらしい。
―― 父に似たこの顔は、あまり好きではない。
だからこの顔立ちを褒められても、あまり嬉しくはない。
それに、この顔が好きだと言っていた女性達も、自分の中身を知れば離れていく。
『何を考えているのか分からない』
この言葉も、幾度となく言われた言葉だ。
実際、何も考えていないのだから、何を考えているのか分からないのは当然とも言える。
―― 分からない。
―― 分からない。
―― 分からない。
人が、世界が、自分を取り巻くすべてが。
―― 俺にはよく、分からない。




