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* * *
真っ白な世界にゆらゆらと漂っている。
"自分"という存在がひどく曖昧で、形がなくなり、溶け出してしまったような……不思議な感覚だ。
あたたかな光に包まれているような、まどろみの中にいるような、誰かに優しく抱きしめられているような……不思議な気分だ。
―― このまま眠っちゃいそうだな……
心地よいふかふかの布団で二度寝をしかけている時のように、意識を手放したくなる。
「――……ワ」
しかし俺の眠りを妨げるように、遠くで誰かの声が聞こえる。
「――……トワ」
名前を呼ばれている。
優しく、優しく、俺の名前を呼んでいる。
―― 懐かしいな……
幼い頃、何度もこうやって名前を呼ばれて起こしてもらった。
「おばあちゃん……?」
―― そうだ。目覚まし時計を止めてダラダラと二度寝をしていると、いつも祖母が優しく名前を呼んで起こしてくれた。
「あらあら? 何してるの? ほら、はやく起きないと」
お寝坊さんねぇ……と笑いながら、シワシワの手で頭を撫でてくれる。
「おばあちゃん!」
祖母の声だと認識した瞬間、"自分"という存在も同時に認識する。
「おばあちゃん! おばあちゃん!」
何故だろう。
大好きな祖母がいつものように優しく起こしてくれただけなのに、懐かしくて悲しくて、涙が零れそうになる。
「あらあら? どうしたの?」
祖母が優しく笑いながら、俺の頭を撫でる。
自分の気持ちを自身でも理解できず、小さく首を振る。
―― おれ、なにしてたんだっけ……?
寝起きで頭がぼんやりしているせいなのか、自分が寝る前に何をしていたのか、これから何をすべきなのかが思い出せない。
「今日の旅行、楽しみにしていたでしょう?」
祖母が優しく語りかける。
「うん!」
幼い俺が、大きく頷く。
―― あぁ、夢だ。
―― これは俺の見てる夢だ。
自覚した瞬間、走馬灯のように出来事が流れていく。
―― 幼い頃に行ったはじめての家族旅行。
―― はしゃぐ俺を、優しく見守る両親と祖母。
―― キラキラ光る夜のパレード。
―― 愛らしい顔をしたキャラクター。
幼い俺はそのキャラクターを気に入り、自分へのお土産にと愛らしいキャラクターをモチーフにしたキーホルダーを両親にねだる。
「なくさないようにね」
「うん!」
ピカピカのキーホルダーをまるで宝物のように、小さな手で大事に大事に握りしめる。
―― そうだ。このキャラクター、こんな顔してたな……
大きく成長した自分の手を開くと、家の鍵がついたボロボロのキーホルダーを握りしめていた。
もう塗装が剥げてしまって、何のキャラクターだったのかも分からないような代物だ。でも、大人になってもずっと捨てられずに持ち続けていた。
心が折れそうになったり、覚悟が揺らぎそうになった時は、いつもこの鍵を握りしめる。
「トワ、もう帰る時間じゃない?」
はぐれないよう、手を繋いでくれていた祖母が優しく笑いながらこちらに問いかける。
―― 帰らなきゃ……
―― でも、どこに? どうやって?
『――……ワ』
『――……トワ』
誰かが遠くで、また俺の名前を呼んでいる。
「おばあちゃん…俺、帰らなきゃ…」
「そうねぇ」
祖母が優しく優しく俺の頭を撫でる。
「でも、どうやって帰ればいいのか分からないんだ…」
パレードが終わり、人がいなくなってしまった大きな広場に立ち尽くす。
いつの間にか辺りは真っ暗で、祖母の顔すら見えない。
深くシワの刻まれた、あたたかな祖母の手の感触だけが、暗闇の中で俺に伝わってくる。
「トワ……きっと心が、迷子になってるのねぇ」
祖母がぎゅっと俺の手を握り、優しく語り掛ける。
「トワが本当に帰りたいって願うなら、きっと帰れるわ」
―― 迷子。
俺は迷っているのか?と自問自答する。
―― 迷ってない! 俺は本気で、ずっと、帰りたいって、ずっと……
本当に迷っていないのだろうか?
自分が弱い人間だということは自覚している。
いつだって優柔不断で、誰かに守ってもらってばかりで、足を引っ張って……
―― 本当は……俺なんか、いないほうが、いいんじゃないか?
俺なんかいなかったら、母が無理をして倒れることなんてなかった。
俺なんかいなかったら、竜の封印が破られることなんてなかった。
俺なんかいなかったら、フィーユ達は危険な目にあうことなんてなかった。
―― やっぱり、俺なんか、いないほうがいいじゃないか……
"自分"という存在が曖昧になり、ぐにゃりと形が崩れ、溶け出していく。
「トワ」
祖母が優しく、俺の名を呼び、手を握る。
「お友達が、待ってるんじゃないの?」




