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平凡サラリーマンの絶対帰還行動録  作者: JIRO
第8章【ドラーク編】
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 * * *


「先輩、すみません。今お時間大丈夫ですか?」


 パッケージシステムを扱うIT企業に新卒で入社し、数か月の研修を終えて現場に正式配属された。

 実際の仕事は学校や研修で学んでいない内容も多く、まだまだ分からないことばかりだ。今も書類で確認したい個所があり、教育担当である先輩に質問しようと声をかけたところだ。


「お~? どうした~?」


 気さくでおしゃべりな先輩は軽い調子でこちらを振り返り、俺を安心させるように微笑む。噂好きですぐ話が脱線してしまうところもあるが、優しくて頼りになるいい先輩だ。


「えっと……この書類のここなんですけど……結構前に大きく変更があったみたいで……細かい部分がよく分からなくて……」


 俺は書類を指さしながら先輩に質問をしていく。書類に変更内容の詳細は記載されているものの、かなり大規模な変更だったようで、俺の見ている書類上で全ての変更が網羅されているわけではなさそうなのだ。


「んー……この頃は俺もまだこの現場じゃなかったからな~……」


 先輩も書類を覗き込み少し困ったようにそう言うと、他に関連資料がないかパソコンで検索をはじめる。フォルダ構成やファイルに色々とルールは決まっているものの、積み重ねて作られてきたシステムはとにかく資料の数が多く、なかなかこれだという資料が見つからないようだ。


「変更履歴に当時の担当者とか書いてある? その人に聞くのが一番かもな~……」

「あ! なるほど……!」


 書類を変更した場合、いつ誰がどんな意図で変更したか分かるよう、履歴を残すルールになっている。先輩の言葉を受け、俺は書類をめくって変更履歴を確認する。

 まだ配属されたばかりで職場の人の名前を覚えきれていないため、見覚えがあるようなないような名前がずらずらと並んでいる。


「ええと……」


 内容と照らし合わせ、これだろうという変更履歴を見つける。



「数年前に…… 渡 永久さん? って方が変更したみたいです」



 聞き覚えのない名前だなと思いながら、変更履歴に記載されている名前を読み上げた瞬間、笑顔だった先輩の顔が途端にこわばる。


「うっわ……マジ?」


 先輩はぼそりと呟き、まるで地雷を踏んだかのように苦い顔をした。先輩の態度を不思議に思い「何か問題ある人なんですか?」と質問する。


「いや~……俺も当時この現場にいたわけじゃないから、噂でしか知らないんだけどさ~……」


 先輩は声量を落とし、まるで怖い話でもするように作った声音で囁く。



「その渡永久って人、失踪したらしいんだよね」



 衝撃的な言葉に、理解が数秒遅れる。


「し、失踪!?」


 俺は口をポカンとあけ、思わず叫ぶ。先輩は「バカ! 声がでけぇ!」と俺を注意しながら、話を続ける。


「別部署だった俺にまで話が回ってくるくらいだし、当時は結構社内で噂になったんだけどさ、ある日突然会社に来なくなっちゃったんだって」


「えぇ!?」


「8年だか勤めてた人でさ、出勤態度もよくて真面目な人だったらしいんだけど、当時すげー激務で、しかもその人片親で、唯一のお袋さんも意識不明で入院してたらしくてさ~……」


「え、じゃあ……もう何もかも嫌になって……的な……?」


 俺は恐る恐る先輩の次の言葉を待つ。


「結局、詳細はよく分からないんだけどな……。家族は入院してるし、上司や仲のよかった同期が連絡しても連絡つかなかったらしいし」


 先輩は声のトーンを戻し「実際、どこの会社でもバックレってたま~にあるみたいだしな」といつもの軽い口調で笑う。


「仕事がしんどかったのかもなぁ~……うち残業多いし」


 俺は先輩の軽い会社批判に同意していいのか分からず「お疲れだったんですかねぇ……」と曖昧な返事をする。


「あ、悪い! ま~た話が逸れてたな! この変更の件は後で俺が課長に確認しとくわ」


 先輩はそう言って次の作業の指示をくれる。


「すみません、ありがとうございます」


 先輩にお礼を言いつつ席に戻り、変更履歴に記された名前をもう一度チラリと横目で見る。

 自分が学生時代にアルバイトしていた店でも、突然来なくなってしまったバイトがいた。連絡先を交換するほど仲がよかったわけではないが、シフトが被った時はよくバックヤードで雑談をしていたので、突然来なくなったと店長から聞いたときはショックだったものだ。

 その時もアルバイト先で少し話題になったものの、数週間たてば皆いなくなってしまった人の話題を出すこともなくなった。自分自身、この話題が出るまで突然いなくなったバイトのことなんて忘れていた。


 ―― それってちょっと、寂しいよなぁ……


 社会人になると学生の頃の友人とは段々疎遠になっていくと聞く。

 仲のよかった同期とも連絡をとらなくなり、もし家族も亡くなってしまっていたら……


 ―― 皆に忘れられて、自分の存在を覚えてる人はいなくなるのか……


 当たり前のことのはずなのに、とても寂しい気持ちになる。


 ―― この渡さんって人も、新しい場所で新しい人間関係を築いているといいな……


 少し感傷的な気分になりながら、俺は書類を閉じる。

 いなくなった人のことを考えている場合ではない。次の作業を進めなくては、仕事が遅いやつだと思われてしまう。


 先輩に指定されたファイルを開く。

 作業指示のメモを読み、手を動かす。

 集中すれば時間なんてあっという間に過ぎていく。


 帰宅して、ごはんを食べて、お風呂に入って。

 眠りにつく頃には昼間抱いた感傷的な気持ちなんて、すっかり忘れていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんと、過去に主人公と似た人が失踪していただと? [一言] お久しぶりです。 更新されていましたので一気に見てしまいました。 続き楽しみにしています。
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