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平凡サラリーマンの絶対帰還行動録  作者: JIRO
第7章【女神編】
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日々読んで下さりありがとうございます。感想やFA、レビュー、ブクマ、評価、本当に励みになっております!

 

『お待たせしました。行きましょうか』


 翌朝。

 ソティルさんの準備が終わるのを待ち、レンディスさんの元へ向かう。歩きながら、聞いておかなくてはいけないことがもう1つあったと思い出す。




『あの……万能薬って、異世界の人間にも効くと思いますか?』




 ……



 俺が異世界に来る、数か月前。

 住み慣れた、ボロアパート。


「じゃあ、行ってきます」


 いつも通り、母が俺より少しだけ早く玄関に向かう。


「ん、行ってらっしゃい」


 いつも通り、俺はトーストを齧りながら母の背中を見送る。



 ―― いつも通りの、朝。



 ガチャリと、玄関の扉を開ける音が聞こえる。

 パリィンと、何かが落ちて割れる音が響く。

 どさりと、何かが倒れる鈍い音がする。



 ―― まやかしのいつも通りが、壊れる音。



 予兆なんてなかった。

 俺に気付かれないよう、母が巧妙に隠していたのか。

 単に俺が、愚かで鈍いだけなのか。



「……母さん?」



 返事がない。



「母さん? どうした? 何か落とした? 母さん?」



 急いで玄関に向かう。



「母さん……? 母さん!?」



 赤黒く広がる血だまりに目を奪われる。



「母さん!? 母さん!」



 混乱する脳内。

 収まらない動悸。

 叫ぶことしか出来ない、非力な俺。




「母さんっ!!」




 ……



「渡さーん、渡永久さーん。こちらにどうぞー」



 清潔感のある、白を基調とした廊下に看護師の声が響く。


 母が倒れた後、俺は慌てて救急車を呼び、担架で運ばれていく母と共に救急車に飛び乗った。そのまま母は大きな病院に運び込まれ、俺は病室の廊下で無事を祈りながら待つことしか出来なかった。


 俺は看護師の呼ぶ声にハッと立ち上がり、指定された部屋に向かう。


「……失礼します」


 いつもは重さなんて感じない病院の引き戸が、妙に重く感じた。


「こちらの椅子にどうぞ。えー……渡紡(わたり つむぎ)さんの息子さんですね?」


「はい……」


「紡さん……貴方のお母様ですが――……」


 年配の医師が、静かに母の状態について説明してくれる。


 母が心臓の病を患っていること。

 現時点では有効な治療方法がないこと。

 慢性的に無理をしていたことが、病気の進行を早めたのではないかということ。



 そして恐らく、長くは生きられないということ。



「――今朝血を流していたのは病気が原因ではなく、倒れた際に頭を打ったからですね。幸い深い傷ではなかったので、こちらは心配いりません」


 話が終わり、安心させるように年配の医師がそう付け加える。


「……はい」


 話が終わってもまだ現実を受けとめられず、俺はただただ呆然と頷くことしか出来ない。


「お母様、もう意識が戻っていますよ。すぐにお会いしますか?」


 ふらふらと部屋を出ようとしたところで、看護師に声を掛けられる。

 恐らく、気持ちの整理をしてから会うかどうか聞かれていたと思うのだが、俺は何も考えられないまま「……はい」とだけ頷く。


「こちらです」


 俺の返事を聞いた看護師は、母のいる病室まで案内してくれる。病室の前に着き、先導していた看護師が扉をノックする。


「失礼します」


 心の準備が出来ていないまま、看護師が扉を開ける。

 看護師は先に部屋に入ると、母に気分が悪くないかなど幾つか質問をして、「大丈夫そうですね」と優しく微笑む。


「では、私はこれで失礼します。何かあったらナースコールを押して下さいね」


 看護師が部屋を出ていってしまい、室内に俺と母だけ残される。


 俺は恐る恐る顔を上げ、ベッドの上にいる母の様子を窺う。

 元々着ていた服は血がついてしまったのか、病衣に着替えたようだ。

 病衣姿の母を見ると、視覚的にも重い病気なのだと強く訴えられている気がして、酷く心細い気持ちになる。



「……かあさん」



 俺は情けないほど弱々しい声で、母に呼びかける。



 ずっと辛かったの?

 ずっと無理してたの?

 本当に病気なの?



 意味を持たない問いかけが、頭の中をぐるぐると回る。

 俺の呼びかけに気付いた母が、俺の方を向く。


「あら、永久! あんた会社休んで大丈夫だったの?」


 予想していたような重苦しい声ではなく、先程倒れたとは思えない明るい声で、母が俺を迎える。


「あ……うん……有休余ってるからそれは大丈夫、だけど……」


 俺は内心戸惑いつつも、母の問いかけに答える。


 俺の会社のことなんかどうでもいいだろ?

 そんなことより大事なことがあるだろ?


「なら良かったわ~! 迷惑かけちゃってごめんね~!」


「いや……母さんの方こそ……その、大丈夫? 体調とか……気分とか……」


 大丈夫も何も、治療法のない病なのだ。

 大丈夫なはずがない。


 俺の馬鹿な問いかけに対し、母はあっけらかんと笑いながら答える。


「永久も聞いた? ビックリよね~! 母さんもビックリしちゃった!」


「いや……ビックリって……」


 他人事のように笑う母に、俺は目を見開く。

 まるでワイドショーで仰天ニュースでも流れた時のような、軽い感想だ。


「ま、人間なんていつか死ぬんだから! 私の場合はそれがちょーっとだけ早いって分かっちゃっただけよ!」


 母は俺の背中をバシバシ叩きながら「やーねー! あんたったらこの世の終わりみたいな顔して~」と笑う。


「で、でも……!」


 死ぬのがちょっと早くなっただけなんて、そんな風に考えられる訳がない。母さんはまだ、50歳の誕生日を迎えたばかりだ。日本人の平均寿命から考えれば、死ぬには早すぎる。


 もし病気になんてならず、平均寿命まで生きていたとしたら、母の人生はあと30年近くあったはずだ。30年なんて、俺がこれまで生きて来た人生よりも長い。


 しかし、既に医師から「長くは生きられない」と告げられているであろう母に対し、そんなことを言えるはずもない。俺は気の利いた言葉1つ母に掛けられず、何かを言いかけては止める行為を繰り返す。



「あははっ……やだ、永久ったら金魚みたいに口をパクパクさせて!」



 明るく笑う母は、いつも通りだ。

 ここが病院じゃなくて、母が病衣なんて着てなければ、病気なんて信じられない。


 現実逃避したい俺の頭が、全部夢だったんじゃないのか?

 なんて馬鹿げたことを考え出す。


「……ごめん」


 俯き、謝罪することしか出来ない俺に対し、母は再び背中をバシバシと叩く。



「顔、上げる! 下を向かない! 何であんたが謝るの!」


「だって……! 母さんが無理をしたのは……俺のせいだろ……?!」



 母が1人で働いて、稼いで、子供を育てるのが、どれだけ大変だったか、想像もつかない。母はそんな苦労を感じさせることもなく、毎日明るく笑っていた。



「あのねぇー! いつ! 誰が! そんなことを言ったの!」



 ビシッと指を立て、責めるように俺の顔を指差しながら、母は説教口調で言う。



「永久、母さんを不幸者みたいに言わないでよね! 私は自分ほど幸せな者はいないって思ってるんだから!」


「……え?」


「愛する人と結婚して、愛する子供が出来て、その子供の成長を見守って! これ以上の幸せなんてないでしょう?」


「それは……」



 それが不幸だとは言わない。

 でも、もっと幸せなことだってあるはずだ。

 もっともっと幸せになれるはずだ。



 ―― 俺は母さんを、もっと幸せにしたかったのに……



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